8/28 15:48

≫≫仮名暮町かなぐれまち扇崎せんざきうたい

 学校の裏手に、物凄く広い雑木林がある。雑木林、あるいは裏山ってみんなは呼んでいるらしい。ここは別に学校の領地ではないらしいけど、よく理科の授業なんかはここですることがある。でもそんなに奥までは行かない。迷ってしまうんだって。

「あっつ……。」

 だからクラスのみんなも、ほとんど林について知らない。あんまり山とか林の中で遊ぼうとしないって言うのもあるのかもしれない。みんな大体集まってゲームするのがお決まりみたいだから。私はゲーム機持って無いからよく分からない。

 でも、ゲーム機よりいい物を私は持ってる。

――私だけの秘密基地が、この林の向こうにある。


 見つけたのはつい最近の事。家に帰るのが嫌で、何となく雑木林の奥へ奥へと進んでいたらそれは現れた。

 屋根が低めの、ドーム状の建物――の廃墟だった。私が林を抜けて来たところに丁度正面入り口みたいな空洞があり、少し屈みながらドームの中に入れるようになっていた。

 入口から入って直ぐに短い下り階段があって、階段を降りきると映画館の様な座席がずらりと並んでいる。外側から見た高さと、中に入った時の建物の高さが全然違って少し驚く。弧を描くように座席が並んで、正面に少し空間があった。中は廃墟らしく少し荒れていたが、特段汚いとかそういう感じでもなく、自然に寂れたという雰囲気があった。正面の小さな空間が外からの光でぴったり照らされていた。ドームの素材が所々擦り切れかけて薄くなっているらしい。日が差し込んできていて、中はぼんやりと明るかった。埃っぽい、けど暖かな光の匂いがする、不思議な空間だった。

「うわぁっ……。」

 こんなにはしゃいだのは久しぶりってぐらい、私は飽きもせずその廃墟の中をぐるぐると見て回った。それで、この並んだ座席の1番後ろの列のさらに後ろに、もう1つ部屋があるのに気づいた。重たい扉を押し開けると、その部屋の中にはレンズの割れたプロジェクターが置かれていて、星座の早見表や望遠鏡、放送用のマイク設備とかがあった。そこで私のつたない知識が珍しく働いた。

――ぷらねたりうむ、と言ったはずだ。昔父さんが隣町のそれに連れて行ってくれた、星を見る所。それの廃墟らしい。この町にこんな所があったんだ、と見つけたときは嬉しかった。

「……んふふ、えへへっ。」

 嬉しくって思わず変な笑い方をしてしまった。でもここには私以外に誰も居ないからきっと良いだろう。最前列の、ふかふかの座席にすとん、と腰を下ろしてみる。貸し切りみたいな、独り占めみたいな、いけないことをしているみたいな、何とも言えない気持ちでいっぱいになって顔が笑ってしまう。

「……ふふふっ。」

 その日から、この廃墟は私の秘密基地になった。誰にも言わない、私だけの場所になったのだ。


 ――とまぁ息まいて来たは良いけど、今日は少し違った。

「……?」

誰かが、最前列の座席に座っていた。少し近づいてみると、真上を向いて、顔に雑誌を開いたまま被せている。眠ってるみたいだ。私は気づかれない様にそっと近くまで行ってみる。手足が長く、黒いスーツを着た大人だった。手には眼鏡が握られていて、それらしい荷物はどこにもなく、座席の背当ての後ろ側に、その人の長そうな黒髪が1本の三つ編みにして垂らされていた。なんとなくちぐはぐな印象を受ける。そこまでじっと見て気づいた。

「……息してない。」

 小さな声で呟いたつもりだった。けど。

「してるよ。失礼な。」

「――!」

その人は、眼鏡を握っていない方の手をゆらりと動かして、顔に被さっていた雑誌を取った。それをそのまま雑に放り投げる。私は少し驚いて後ずさった。その人の顔がゆっくり正面を向く。眩しそうに眼を細めながら、首をバキバキ言わせて溜め息をついた。それから、眼鏡を掛けて、今気づいたかのように私の方を見た。

「ん、やぁお嬢さん。」

「……ど、どうも。」

 とりあえずそれとなりに会話をしてみる。あでも、知らない大人とは話しちゃいけないんだっけか。そんなことを思っているうちに、その人は長い腕をぐっと上に上げて体を伸ばした。ゆっくり立ち上がって、屈伸運動を繰り返してからまた座った。立ち上がったその人の背は高く、150の私基準で見て、170から180ぐらいはありそうな高さだった。髪は腰辺りまで伸ばされているのか、低い位置で1本の三つ編みに編まれている。前髪が長く、全部下ろしたら両目がすっぽり隠れそうなぐらいだった。今は、軽く前髪がかき上げられているため顔が見える。目はきりっとしていて、丸っこい眼鏡をかけていた。右耳に黒い札のようなピアスが空いているのが目を引く。少なくともこの町の人ではないらしい。

「……ここで何してるんですか。」

「おや、気になる?――まぁ座ったら?」

その人は勿体ぶる様な話し方をしながら、隣の席に座るよう促してきた。私は思わず溜め息をついたが、その席に浅く座る。

「あの……あんまり知らない大人と喋るなって言われてるんです。だからあなたが何者かによっては私は全力で逃げて、大人に言いつけます。すみません。」

 半ば自分に言い聞かせるみたいに、ぶつぶつと私はその人に告げた。まずは子供だからと言って舐められないのが重要だと、誰かが言っていた気がする。そんな甘ったるい牽制みたいな私の言葉に、その人はにっこり笑った。

「わぁ、利口なお嬢さんだ。じゃあ教えてあげるよ、私が何者か。」

 そう言ってその人は少し息を吸って、一気に話し始めた。

「私は陸上くがうえかがみ。この町には仕事で来たんだ。年は25。身長は176センチ、体重は……忘れちゃったごめん。血液型はAB。視力は両目A。耳はちょっと悪いけどね。誕生日は6月6日。最近は映画鑑賞にハマってるけど、サバゲーが凄く好き。でもって上司の人使いが荒くて困ってる。あ、あとスリーサイズは――。」

「すっ、ストップ、わかり、わかりました。」

「まだいくつか話せることあるけど……。」

「いえもう、大丈夫です。はい。」

 なんだこの人。これはこれで今すぐ逃げた方が良い気がしてきた。軽い冷や汗をかきながら私は考えを整理する。

「質問させてください、いいですか?」

「勿論。構わないよ、どうぞ。」

「えっと……、なんで視力が両目Aなのに眼鏡を掛けてるんですか?伊達メガネとかですか。」

「あっはは、そうだねぇ。この眼鏡はね、掛けてないと見えないものがあるんだ。だから掛けてるの。」

 その人は優しく笑いながら眼鏡のフレームを指でなぞった。黒っぽい色の丸いフレームは鈍い光を放っている。私は次の言葉を探した。

「えっとじゃあ……、この町に仕事で来たって仰いましたけど、お仕事は?」

「あー、やっぱそれ気になるかぁ。――でも、それ答える前に少し。」

 そう言って、その人――陸上さんはまた、天井を向いた。

「えーっと、お嬢さん。大きい音とか、平気?」

「あ、はい。大丈夫ですけど……?」

突然のそんな質問に意味が分からず首を傾げる私ににっこりと微笑みながら陸上さんは言った。

「じゃあちょっとうるさいけど、ごめんね。」

 そう言って、目にもとまらぬスピードで――腕を真上に上げた様に見えた。

  どごん

 体に響くような大きな音が廃墟内にこだました。衝撃波なのか、風が少し吹き抜ける。私は思わず少し目を瞑っていたが、風が無くなってからゆっくりと開いた。

「……へ?」

いつの間にか真っすぐ天井に伸びた陸上さんの右手――その手には拳銃が握られていた。銃口からは煙がふわりと登っている。私は右手から拳銃、そして天井へと目線を移していった。それから目を見開いた。

 何か、居る。

  べちゃ べちゃべちゃべちゃ

 天井から、何か黒い液体のようなものが垂れ落ちている。陸上さんが撃ったであろう拳銃の、弾の跡を中心に液体は天井に飛び散る様に広がり、そこから下へと垂れようとしている。だが、途中で灰になって消えてしまうため下までは落ちてこない。陸上さんは拳銃を構えた体勢のまま動こうとしなかった。

「……っは、こんなに大きいんだねここのは。びっくりしちゃった。」

 そう楽しそうに言ってから、やっと拳銃を下ろした。それから、スーツのジャケットの内側へとしまって、何事も無かったかのように笑った。

「はい。これが、私の仕事だよ。あ、怖がらせちゃったかな。」

「い……え。怖いというか、驚きました。」

「はは、肝が据わってるねぇ。……ところでお嬢さん、あの黒いの見えてる?」

「黒いの……って、あの垂れながら消えてる奴ですか?陸上さんが撃ったあれ。」

「……これは驚いたな。あははっ、来てよかった。」

 そう言って、暫く陸上さんは1人でヘラヘラ笑っていた。私は訳が分からず、陸上さんと天井を交互に見る。少しして天井に居た黒い何かは全て灰になってしまった。それを見計らってか、陸上さんは私の方にずいっと顔を近づけてから言った。

「ねぇお嬢さん、君はあぁいう黒いの、しょっちゅう見るの?」

「そんなに頻繁にでは無いですが、たまに。学校とかにも居るので。」

 今日も先生の肩とか首とかにぐるぐる巻きついていたよな、と不意に思う。あれがあんな風に倒せる――殺せるということは知らなかった。

「あはは、そうなんだねぇ。うんうん。――君はあの黒いのに、何かされたりしてない?」

「?いえ、別になんとも……。」

「そっかそっか。それは何より。」

 そう言って言葉を濁す陸上さん。私は柄にも無く生唾を呑み込んで、じっと陸上さんを見た。

「……教えてくれないんですか。」

「ん、どうしよっかなぁ。というか君も――これ以上知らない大人に関わっちゃいけないんじゃない?」

そう言って陸上さんはにやーっと笑った。私は思わず溜め息をつく。多分あんまり性格良くないんだなこの人。

「さっき陸上さんが一気に喋ったせいで、私は陸上さんについてある程度知ってしまいました。だからもう、知らない大人じゃありません。」

「あはははっ、いいねお嬢さん。そう言うの好き。」

 陸上さんは不服そうな私を見てにっこりと笑うと、3本指を立てて見せた。左手の人差し指に指輪がはまっているのが見えた。

「1、私の仕事については誰にも言わないこと。」

「はぁ。」

「2、私の仕事を手伝うこと。」

「……私にできるんですかそんなこと。」

「3、――私の事を鑑さんって呼ぶこと。」

「……え、それだけで良いんですか?」

「いいよー。それだけで全然。とりあえずじゃあ、自己紹介からしてくれる?」

にこりと人の良さそうな顔で笑う陸上さ――鑑さん。私は少し困りながら言った。

「――扇崎です。扇崎謡と言います。」

 この日から私の秘密基地は、私と鑑さんの秘密基地になってしまった。

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