災害考査

『夏目、あんなの気にしなくていいからねっ! 夏目があんな風に言われる筋合いなんて絶対ないからっ』

『……ごめん。俺が普通にスルー出来れば良かったんだ。お前にあんな事させちゃって』

『いいんだよ別にっ。私が……やりたくてやったんだから。これで先生に怒られても仕方ないけどね……じゃ、私は行くけど教室でも耳なんか貸しちゃ駄目だよっ。またね!』


 別れる直前のやり取りが今も耳に残っている。

 暴力は良くない事だが、心の中ではスカッとした自分が居た。どんなにムカついても手を出したら俺が悪くなる……真司ならそれを誇張してまで伝えてくるだろう。俺を泣かせるまで追い込んで楽しむのは目に見えている。

 だから彼女のビンタは、心の中の鬱憤を大いに晴らしてくれた。これでもし彼女が罰を受けるようならその時は俺が助けよう。悪いのは俺なのだから。

 テスト前のクラスは妙な雰囲気であり、仲のいいグループ同士で教え合ったり諦めの合意を交わす様子が見られる。孤立しているのは俺と真司だけであり、アイツはアイツでさっきのビンタを何とも思っていない様子。たださっきの今で近づくのは気が引けるのか、他のグループに潜り込んで楽しそうに話している(なんでアイツは信用されてるんだ?)

 もうどうでもいいとは言ったが、俺だって仲直りしたくない訳じゃない。ただ、もうきっかけがないから、修復は不可能なのかもしれない。途端に来年の体育祭やクリスマス間近に控える文化祭が憂鬱になってきた。クラスの団結感みたいな物には混ざれない。出し物があったとして俺をハブるだろう。


 ―――クラス替えなんて認めてくれる訳ないよな。


 仮に出来たとしても、川箕の話を聞いた限りでは噂がかなり拡散されている。B組がCやDになった所で扱いがあまり変わらない可能性もある。無駄な考えだ。せめて俺が勉強のできる男だったら、きっとクラスメイトに勉強を教える形で仲直り出来ただろうに。

 自分でもこの性根のひねくれ方はどうかと思うが、俺にだって意地がある。仲直りしたくないと言えば噓になるが、きっかけもないし被害者である俺から歩み寄る理由がない。だから歩み寄りたくならない。自分勝手なのは分かるが、華弥子の件だって透子と出会わなければ泣き寝入りしていたのだ。もう俺は、自分が歩み寄れば穏便に解決するなんて思いたくない。

「…………」

 何もかも平和だったのに、全てが一変した。俺にとっての人間災害は華弥子だ。アイツが……あんな事さえしなければこんな事には。恐らく死んでしまった人間を責めるような物言いは良くないが、それでも恨まずにはいられない。恨ませてほしい。じゃないともう……誰に気持ちをぶつけたらいいのか。



 運なんて気の持ちようという人間も居るだろうが、それなら今日の授業は最悪だった。



 テスト間近になると授業というより範囲の復習の為の模擬テストになりがちだ。それはいいのだが、世界史の教科担任はわざわざ俺を呼びつけて、間違っている答えがあったらそれを公にして笑い者にしてしまう。何も書かないのは一番駄目で、何か書けばもしかしたら当たるかもしれない。そんな思想を普段から言っているから俺もそれに倣っているだけなのに。

 やれ「こんな人物はいない」だの「似た名前の人物は居るがそいつですらない」だの「この国は滅んだ」だの「お前の中の歴史は未来に行き過ぎている」だの、テスト勉強で張り詰めない為にふざけているのかもしれないが、そのダシに使われる人間が俺だけだから、こっちは恥ずかしさとか情けなさで頭がどうにかなりそうだった。

 全員、笑っている。

 へらへら笑って…………自分達には問題がないように振舞って。悪いのは俺だ。馬鹿にされるくらいの内容でしか覚えられてない俺が悪い。俺が悪いのは認めているが、ここまでされる程なのか?

 

 休み時間は追い打ちをかけるように酷かった。


 クラスメイトが話しかけてくる内容が全て俺の間違いを嘲笑う内容ばかりだったからだ。これが仲直りのきっかけになると本気で思っているならどうかしている。恥ずかしいからやめてほしいって、口で言わなきゃ分からないのか。こんな時に限って真司は逆張り精神が働いて絡んでこないし、俺も感情の処理が出来ない。

「もう…………やめてくれよ……」


「マジで十朗ってバカすぎだよな! めっちゃ笑ったもん俺~!」

「本当に勉強間に合うのかよ。遊んでる暇とかなくね?」

「十朗君って毎日家に帰ってないんだってね。家で勉強した方が集中出来ると思うけどなー」


「……………真司の奴」

 クラスに広めていたのか。事情も知らないで、面白半分に一部を切り取って伝えて。

「…………俺は。家に。帰りたく。ないんだよ。放っておいて。くれ」


「家に帰りたくないって、じゃあ何処に行ってるの?」

「テスト前に遊び呆けるなんて余裕だなあ! あはははは!」

「勉強しろよ! 何なら俺達と一緒に―――」


「……………………………! …………!」


 


















「いいじゃんっ! 昨日より全然出来てるよ!」

「そ、そうか?」

「うん。やっぱり眠気がどうしようもないだけで夏目はやれば出来るんだってっ! 昨日何処で寝たのか知らないけど、よく眠れたみたいじゃんっ」

「はは……透子のお陰だよ。ありがとう」

「私は別に。勉強を教えてるのは川箕さんだし」

「謙遜とかじゃないんだけど、私が分かってる事だったら意外と説明出来るんだよね。学年一位を目指すとかじゃないなら任せてよ! この調子なら七〇点くらいは行けるってっ」

 放課後になるまでの記憶が正直曖昧だ。目を塞ぎ、耳を塞ぎ、全てに対して徹底的なシャットアウトを続けていたら気づけばここに居た。川箕の溌剌とした元気な声を聞いているとあれは夢だったのかと思わされる。だが夢ではない。夢では……ない。

「……おかしいわね」

「どうかしたの?」

「これでも隣のクラスだから、夏目君のクラスで何かあれば聞こえるのよ。私は誰からも話しかけられないしね。彼は……テストの間違いを一々取り上げられていたの。この模擬テストの点数と回答を見ると、そこまで馬鹿にされる程には思わなくて」

「えっ―――」

 川箕の顔から血の気がサッと引いていく。俺も、思い出したくない記憶を改めて言及されるのは好きじゃない。透子が隣に座って、俺の膝に手を置いた。

「クラスは随分和やかな空気を感じたけど、きっとそれは、君の犠牲ありきだったのよね。仲直り出来たからそういう流れになったのかと思ったけど…………」

「―――ま、まあさ! テストに自信持ってよっ。夏目はやれば出来るって事も、実際昨日より出来てる事も私達は知ってるんだからっ! ね、ね!?」

「……………」

 川箕はもどかしそうな表情で机の向こうから俺の指先に触れている。伝わる体温が仄かにくすぐったくて少し顔を動かすと、彼女は一筋の涙を流していた。

「……なんで夏目がそんな事されないといけないんだろうね。おかしいよそんなの。テストは間違って当然なのに。みんな、間違ってるのにっ!」

「…………夏目君のモチベーションに関わるようなら私が何とかしてみるわ。やっぱり学校には、問題しかないのね……」

「……二人共、ごめんな。俺が馬鹿で」

「だからそんな事ないんだってばー! もー、透子ちゃんどうしようっ。夏目を立ち直らせる方法知らない?」




「……じゃあ、未来の話をしてみましょうか」




 透子は日傘を閉じると、机の上に両手を置いた。

「……未来?」

「テストが終わった後の話。集中が散るかなと思って言わないようにしていたんだけど、三人で何処かに遊びに行かない? 町の中だと危ないと思うから、外で」

「外って……」

「夏目君に案内してもらうのよ。ね?」

「お、俺?」

「私と川箕さんは町の人間で外の事を詳しく知らないわ。少し前まで交際の続いていた君の方が余程詳しいでしょう。楽しめる場所については。だから案内してよ、テストが終わったら全部忘れて、何にも気にしないで」

 

 ―――確かに、かばね町の外なら俺の方が詳しいかもしれない。


 しかも大抵お金を取られるから、親からのお小遣いを消費する場としても有効だ。元々計画していたのか、俺の事情を知った上で言ってくれたのかは分からないが、遊びに行くという選択肢は俺にとって願ったり叶ったりのモノだった。

「ど、何処でも良いのか?」

「ええ」

「華弥子に楽しんでもらおうと思って調べるだけ調べた場所が沢山あるんだ! 全部行かなかったけど……一回で良いから行ってみたかった所があるんだよ!」

「そんな場所があるんだっ? でも、いいね! テストが終わったら気にする事なんか何もないしっ!」

「そう、だよな! 全力でテストに向けて頑張ったら、後はもう俺にはどうする事も出来ないよな! やる気出てきたかも! その内の一つだけどさ、その。恥ずかしいんだけどボーリングやった事ないんだ。どうかな? 例として出したけど」

「私もやった事ないわね。ボーリング球を投げようとすると壊れるから」

「……それボーリングもどきだろ。やった事なくてもそんな壊れない事くらい分かるぞ」

「私はあるよっ。んふ~♪ 勝負したら私が勝つんじゃなーい?」

「よっしゃ、透子。二人のどっちが川箕を倒せるか勝負だ!」

「―――やる気が出たみたいで良かった」

 ちょろいと言われても構わない。理由なんて何でもいい。二人が可愛いからでも、乗り気だからでも、俺の計画が受け入れられたからでも、下心があったからでも。






 嬉しかった。

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