虚偽の静寂

 透子と一夜を明かしたお陰なのか分からないが、満足な眠りを得られた。一切の疑いも不安もなく、ただ彼女の存在に安堵しながら落ちた夢はさぞ素晴らしかっただろう。残念ながら覚えていない。多分夢を見たと思っただけだ。

「…………んぅ…………あさ……か」

「おはよう、夏目君。いつもと違う景色に驚かないのね」

 カーテンを開けたのも彼女だろう、そこから差し込む光で俺も時間帯を判断した。透子の寝顔を見られなかったのは残念だが、日傘を窓に向けて差して座る彼女の姿は絵画のよう。寝ぼけ眼もすぐに目覚めて、見惚れている内に身体の怠さもなくなってきた。

「どうかした?」

「あ、いや。透子が居るなって」

「私を幽霊だと思っているの?」

「はは……」

 記憶が抜け落ちている訳ではないが、本当に俺達はホテルで一夜を明かしたのか。や、不純な行為は何もなかった。強いて言えば透子とハグをしていた事だが、寝て起きた頃には離れていたし、それが不純だったら俺のクラスメイトは不純と呼ぶのも温い汚物となり果てる。 

 俺がかつて惚気ていたのは純粋に惚れていたからだが、それ以外にも見返してやりたかった気持ちがない訳でもなかった。クラス全員の事情は把握していないが、それでもかなりの人数は恋人がいて、一線を越えた人間の話もちらほらと聞く。

 真司なんて人格破綻者と友達になった事は今でも後悔しているが、腐れ縁はともかくずるずると関係が続いた理由はアイツも恋愛には恵まれなかったからだ。華弥子と付き合うまでは俺達二人は彼女いない同盟の人間だった……だから俺はずっと惚気ていたのだし、アイツは振られた俺が面白くて仕方なかった。ちょっとした裏事情である。

「……家出した人間の行きつく場所にしてはぴったりだよな。かばね町にあるホテルって」

「安全な場所も見分けられないならやめた方がいいわよ。翌日身ぐるみを剥がされるだけならまだ良くて、背乗りされたり、臓器を抜かれる事もあるから。女の子だったらそれこそ違法風俗に監禁されるとか、三度の飯より凌辱の好きな変態に売られるとか……いずれにしても碌な目には遭わないから」

「……治安が日本じゃないんだよなやっぱり」

「そうはいっても、この町の人口比率はとっくに逆転しているでしょ。治外法権が見直されない限り現状は改善しないわ」

「……でも俺は、この町に生かされてる。この町に無法という法があるから人間的で居られる。危ない町だなとは思うけど、そこはやっぱり感謝しないと」

 ベッドから起き上がると、机の上に何個かのおにぎりが用意されていた。ホテルから用意された朝食にしては包装がコンビニのままなので、恐らく俺が眠っている内に透子が買いに行ってくれたのだろう。自立だなんだと息巻いていた男の何と情けない話だが、透子と一緒に朝食を食べられる事実に比べれば些細な問題だった。

「ここから学校に通うようになったら、俺も立派なかばね町の住人だな」

「まだまだ全然よ。それに、町の住人と誤解されるのは百害あって一利なしだから喜ぶような事じゃないわ」

「ああ、知ってるよ。有名な話だからな」

 住所がバレるとどうなるかは川箕で見た通りだが、住所は進路にも関わってくる。かばね町に住んでいると分かれば大学へ行くにも就職するのもとにかく厳しくなり、面接でその事を話したら今まで和やかな雰囲気だったのに退室を促されて落とされたという話もあるくらいだ。

 だからかばね町に居ながら普通の暮らしを望む人間は直ちに外で一人暮らしをするか引っ越さないといけない。かばね町に居る人間は等しく犯罪者という先入観はこの辺りの事情も関わっている。引っ越した方がいいのに引っ越さないという事は……だ。

「それでも今は……いいんだよ。危ないと言っても近くに住んでるんだから、理解しないと」

「そんな事を言える人間がどれだけ居るのかしら。誰か一人でもそんな事を言ってくれるなら、この町も貴方を少しは歓迎するでしょうね」

「来るもの拒まずか?」

「去るもの居らずとも言われているわ。少なくとも、一家やマーケットに関わりを持ってしまった人間はね」

 底なし沼のようなルールを明かされた所で簡単な朝食は終わってしまった。今すぐ学校に向かう必要はない、暫くゆっくりする時間がある。透子と何を話そう。

「川箕はどっちの人間なんだ?」

「彼女は普通の人よ。この町の中で上手くやっていける方の普通の人。ただトラブルには慣れてないから命に差し迫るような状況は上手く切り抜けられないと思うけど、君がもし中に住んでいたら同じような人間だったかもね」

「中に住んでたら、もっと早くに仲良くなれただろうにな」

 三人でティルナさんのカラオケにでも行って、朝まで歌い続ける……背徳的なようで、この町に限れば子供の遊びだ。勿論今からでもそういう交流は遅くない。遅くないが、もっと早かったら俺の人生はどうなっていただろう。

「今日はテスト頑張れる?」

「ああ、沢山眠れたし、ご飯も美味しかった。今日は絶対頑張るぞ!」

 勉強を頑張るのは俺の為だ。家族を俺の人生に関わらせたくない。かばね町の人間を敵視するのは勝手だが、それを俺にまで強いるのは違う。酷い目に遭っているならまだしも、救ってくれた人と別れろ? 関わるな? そんなのは差別だ。透子と少し話すだけでもいい、それだけでもきっと分かってくれるのにタイミングが合わない。


 ―――もう、いいんだけどさ。


 思い返すと兄ちゃんはギリギリ俺の味方をしていたような気もするが、それは透子と面識があるからだ。だからって何も事態は好転しなかったが、あんな風に両親も透子にさえ会ってくれれば分かる。普通の子なんだって。

「そろそろ向かう?」

「ん……まあ休憩はそろそろいいか。行こう。俺の勉強に対するやる気ってのを見せてやらないとな」

「模範的な学生ね」

 そういう建前はあったが、真に確かめたいのは昨夜の出来事だ。パトカーではない車が沢山止まっていたがあれは結局なんだったのか。発砲許可をひっさげた見回りが来るらしいのは分かったが、見回りと呼ぶには入り方が暴徒鎮圧に来た特殊部隊か何かのようだった。

 あれの真実について確かめる為にも朝早くから登校しておきたかった。身支度を整えて、いざチェックアウト。屋内でも日傘を差す人が隣にいるせいで視線が集まったがもう気にならなかった。

「今日も部活にかこつけて勉強する予定だけど、また脱出しないといけないのかな」

「遅くなりすぎなければ大丈夫よ。昨日は君が疲れていて起きてる間も半分気絶してたような状態だったんだから仕方ないし、何事も加減。それより君の残りの手持ちはどれくらい?」

「お金か? 何で急に」



「川箕さんを頼らないのは、そのお金が親からのお小遣いだからでしょう」



 飽くまで歩くのは止めずに、透子は言い切った。今朝の天気は晴れのち曇り。雲がかかるのを待つよりは、彼女の日傘を頼った方が眩しくない。

「…………」

「君は出来るだけ家族に迷惑をかけまいと……語弊があるわね。家族からの恩恵で生きていけるような状況を良しとしていない。お小遣いが残っていると君の中では親がこうなる前までくれたお金があるから生活出来る事になってしまう……だから、頼らないんでしょ」

「……気づいてたのか」

「だから割合で負担したのよ。意地の張り合いって言うのか分からないけど、君のそれは無茶なダイエットに近いわ。一日二日で完全に絶ち切れる筈がないのに無理をしてまで全て消そうとした。細かい事を言い出したら制服だって自分が買った訳ではないから、そういうアプローチは端から無理筋なのに」

「…………」

 橋を越える。

「馬鹿にしたい訳じゃないの。ただ、生活サイクルがあまりにも無茶苦茶だから仮に達成出来ても体調を崩すのは間違いないと思ってね。毎日、学校が終わったら外で色々と済ませて、家族全員が寝静まった時だけ家に帰って、家族の誰かが起きる前に出ていく。指名手配でもされてるような生活じゃない。君にはそんな差し迫った暮らしを一日だってしてほしくないの」

 校門から中の様子を窺うと、まだあの車は残っていた。臭いも破損も元のままだが、運転席にあった筈の死体だけはなくなっている。

「……これ、何だったんだ?」

「見回りじゃないの?」

「見回りじゃないだろ!」




















 時間を経る度に騒ぎは大きくなり、HRは全校集会へと切り替わった。それによると昨夜の銃声はテストの解答を盗もうとした悪い生徒を襲った悲劇であり、俺達が脇を抜けている内にF組の人間が三人も射殺されていた。

 彼らの正体は見回りの人間には違いなかったが、どうも来るまでの間にすり替わっており、車両の中には本来派遣される予定だった人の死体があったとか。

「まじかよ……」

 ついつい独り言を零してしまう。これを受けて学校ではテストの答えは各教科担任の自宅で直接管理しているから悪い事を考えるな、との通達が出された。見回りについては改めて警察に要請するらしく、今後も夜中に事件が起きるようだと学校に警察が常駐するようになるかも、との事。

 話が終わって各々が適当な速度で各自の教室に戻る中、川箕を見つけたのでそれとなく近づいて話しかける。

「よ、おはよう」

「おはよ。……私達、運が良かったんだね」

「射殺されてたかもしれないよな……現に被害者が居る訳だし」

「…………」

 F組の人間にはやっぱり知り合いなど居ないが、居なくとも身近で起きた死人の話だ。川箕は心を痛めたように目を瞑り深呼吸を繰り返している。俺達のせいなんかじゃない。俺達が狙われていたせいで殺された訳ではないのだが、もしかしたら助けられたのではなんて。そんな時間の無駄を考えてしまう。

「……でも不思議だよね。予め答えを盗みに来たのは分かるけど、職員室って電気点いてなかったっけ」

「そうだっけ、か?」

「追いかけてきたら嫌だなって後ろ見てたから確かだよ。誰かしら居たから電気が点いてたと思うんだけど……答えを盗んだ後で電気を消し忘れたとかなのかな。襲われちゃって」

「それだったらテストの答えは教科担任が管理してるって話が嘘にならないか? 現物があったって事になるし、明日からそうなるんだとしても今日はチャンスがあるって意味だぞ」



「よお! おねむねむねむの十朗! 今日は随分目が冴えてるみたいだな!」




 同じ階までは一緒に行ってそれから別れるつもりだったが、人混みに逆流するようにそいつは立っていた。真司は俺を待っていたように手を広げると、ここから先は通さないと言わんばかりに仁王立ちをする。必然、俺と話していた川箕も足を止められた。

「だ、誰っ?」

「俺の…………クラスメイト」

「おいおい、いつからグレードダウンしたんだ? 確かに俺はお前に酷い事をしたけど、根に持つのはそろそろやめようぜ? 世の中辛い事が沢山あるんだ、一々引きずってたらお前の身が持たないぞ?」

「その当事者が言うなよ。過去の事は水に流してって、そんなの通るか!」

「でも事実だろ。華弥子の事をいつまでも引きずってたら仕方ないからって新たな恋に目覚めたのがお前だ。ついでに……なんだ? 不良になったか? 最近家に帰ってないっぽいじゃないか」

「―――!」

 なんで、その事を。

「はっはっは! なんだよ、俺達は腐れ縁の親友だろ? 何より新聞部だ。あんな事件を起こすような奴はきっと次も事件を持ってくるに違いないって、昨日家に寄ってみたんだよな。突撃取材は新聞の基本! 出て来るまで探し、見つかるまで歩き、面白い話が転がって来るまで我慢する! で、何で家に帰ってないんだ? お前の家族、心配してたぞ」

「…………お前にそれを教えたら、その話を家族に伝えたりしないか?」

「こういうのは顔出しNGって条件もつけられるだろ。安心しろって」

「お前の何処を信じればいいんだ? 川箕、先行った方が良いぞ。こんな奴に絡まれたら碌な事にならないから」

「え? でも……」

「つれない奴だなあ。あの時味方してやったろうに。これでも一応友達だろ、新聞とかは抜きにしても、家に帰ってない奴は流石に心配になる。その子は誰だ? お前、彼女が居るのに他の女と喋るのかよ。はは、浮気ってのは骨身に染みるもんだな!」

「俺がいつ浮気したんだよ! お前の気持ちの真偽はこの際どうでもいい。単純に信用出来ない。どうでもいい話をするならともかく、家族の話は俺と家族の問題だ。他人が首突っ込むなよ」

 人の流れが少なくなってきたが、真司はまだどこうとしない。このままだと授業に遅刻する。自爆上等の遅延戦術をどう攻略しよう。

「しかしお前の女の好みは分からないな。小さな子が好きだと思ったら日傘をしょっちゅう差す電波な奴かと思ったら今度は日焼け肌の子かよ。節操ないぞ?」

「…………お前、マジでいい加減に」

「透子って子は見た感じ華弥子と同じように貧乳だったのにそっちの子は随分……幾らあんな事されたからってちょっとつまみぐいしすぎだろ。ははぁ分かった。女ってもんが憎くて仕方なくなったか! なるほどねえ、そうなるとやっぱりお前は俺と同じろくでな―――」


 パァンっ!


 乾いた破裂音。銃声ではない。川箕の平手が真司の頬を捉えたのだ。

「貴方みたいな人と夏目を一緒にしないでよっ。行こ、夏目!」

「あ、ああ……」

「なんだなんだ今度は守ってもらってるのかよ! 男の癖に情けないなあ! そんなんだからお前って奴は……誰とも仲直り出来ないままの寂しい奴なんだよ」

「―――――――聞いちゃ駄目だよ夏目。あんな、誰かを腐す事しか出来ないなんて」


 階段に足を掛けた瞬間、川箕は俺にしか聞こえないくらいの声で呟いた。









「―――寂しい人」

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