災厄の散華
「夏目、夏目ってば。おーきーてっ。おーきーろっ」
「うーん……………んぅ…………」
強く体を揺さぶられていると身体が次第に現実を認識していく。目を開けた先には、川箕が困った様子で俺の顔を見つめていた。視線が合うと同時に目覚めた事を知られ、微笑まれる。寝起きの顔を見られるのは少し恥ずかしかった。
「おきた。夏目、寝るのもいいけどそろそろ学校を出ないとここで寝泊まりする事になるからさ。起きなきゃ」
「…………ここで寝ちゃ駄目かな?」
「だめっ! 先生の目をどうやって誤魔化すかって違う問題が生まれるじゃんっ。これ以上夏目に妙な問題背負わせたらテストどころじゃなくなるでしょ?」
「まあ確かに……」
ソファから起き上がると、透子の姿が見えない事に気が付いた。ついでに時刻は午後七時。外は深夜のように真っ暗で、なんとなく耳を澄ませても外から人の気配がしてこない。
「透子は先に帰ったのか?」
「いや、脱出ルートの確保に向かうってさ」
「大袈裟じゃないか? 学校から出るだけなのに」
「出るだけって……夏目、聞いてなかったの? 学校が爆破された一件があってから、見回りが増えるようになったんだよ。しかも発砲許可が出てる」
「…………はぁ!?」
確かに犯人はかばね町の人間―――もとい闇バイトに引っかかった人間だ。銃には銃の理屈で攻撃手段の確保は分かるが、こんな暗い建物の中で相手がかばね町の人間かどうか判断するのは難しい。撃って行動不能にしてから後々の対応を考えるつもりか?
「眠くて何にも聞いてないな……全然何にも覚えてない。思い出そうとしても駄目だ、眠かった記憶しか出てこないからやめよう」
「ねえ、ほんとに大丈夫? テスト中に倒れたりしたら嫌だよ?」
「そっちはまあ……まだ大丈夫だよ。それより今は脱出なんだろ。発砲許可を事前に出すなんて信じたくないけど……ていうか、川箕は動揺しないんだな?」
「慣れたくないけど、慣れたのっ。私だってさ、普通に暮らしたいんだ。友達と遊んだり、ジャンク弄ったり、美味しい物沢山食べたり、温泉とか行ってみたり、彼氏とか……………あ、ごめんね? 辛気臭くなっちゃいそうだからこの話やめるよ。あはは……」
刺青を彫った人間はプールに立ち入れないみたいなもので、かばね町の箔は悪い意味で付き纏う。町の近辺だから差別されるのではない、遠くに行っても知られたら白い目で見られるのは間違いないのだ。そうでなければ他の皆も、あんな過剰に排斥したりはしない。
誤魔化すように川箕は笑ったが、その呟きにどれだけの悲哀が籠っていたか。
「夏目君、起きたのね」
「透子! 良かった、無事だったんだな!」
「え?」
「や、発砲許可が出てるって聞いて。あ、ごめん。眠くて全然聞いてなかったから、今、教えてもらったんだけど」
「…………ああ、そういう」
銃が危ないと言いたかっただけなのになぜピンと来なかったかは不明だが、こんな時にも相変わらず日傘を差しているのだから恐ろしい。眩しいのが苦手という次元の話ではないように思えてきて、終いには気になってきた。
今は、そんな場合じゃないけど。
「今日の見回りは五人。ここは誰も使いそうにない教室だからすぐに向かってくる事はないけど、進路を全て塞がれる可能性は考慮しないと行けないわ。二人共私についてきて。本来なら夏目君は家まで送るんだけど……」
「……あ、俺なら大丈夫だよ。仲直りは出来てないけど、適当にまた時間を潰して何とか一日を過ごすからさ」
「駄目。そんな事を繰り返しているから眠気が止まらなくなって碌に授業も聞けないんでしょ。せめてきちんと寝てもらわなきゃいけないから、ついてきて」
そう言われると全く断れる気がしなくて、押し切られるように頷いてしまった。話がまとまり、俺達は透子の背中に沿って学校の脱出を始める。
「でも五人も出すっておかしな話だよな。犯人は俺達が見つけたんだ。俺と透子が見つけた功績があって部活が認められたのに、なんか……釈然としない」
「今後の対策と事件の解決は別なだけだから、あまり気にしないで。私も君も目的の為に十分頑張った。あの時は……守ろうとしてくれてありがとう」
「…………俺は別にっ。て、ていうか守るどころか俺は襲われかけたし!」
「その気持ちが嬉しいのよ。守ろうとしてくれる人なんて生まれてから一人も居なかったから」
多分、二人きりだったら俺は彼女に抱きついていただろう。それを踏み止まれたのは川箕のお陰だ。彼女の視線が辛うじて俺の羞恥心を働かせた。誰かに見られる所では何もしたくない―――俺と透子の親睦が深まる瞬間には、陰が差し込んでいるくらいが丁度いい。
「ねえ、こっちから足音聞こえない?」
「大丈夫。まだ見つかってないから」
「なあ、真反対の方角からなんか乱射音が聞こえるんだけど」
「大丈夫」
「大丈夫じゃないだろっ!」
「―――大丈夫」
「根拠を言えよ!」
校内で銃の乱射なんて何があったらそうなる。俺が眠りこけている内に本当に不審者が?
しかし都合が良い事には違いなく、最初の足音は銃の乱射を聞きつけて駆けつけている最中だったようだ。俺達もその機に乗じて一気に階段を駆け下り昇降口の方まで抜けた。
「うわ、なんだこれ!」
校門が閉まっていないのを良い事に、昇降口前には無造作に車が幾つも止まっていた。パトカーではないどころか統一性がない。車は一種すら被らないようバラバラの車種が雑に駐車されている。
唯一共通しているのはフロントガラスがバラバラに砕け散って中から見たくもならないような凄まじい臭いがしている事だ。
「ね、ねえこれって……!」
「気にしたら負けだ。抜けるぞ!」
「紙一重ね」
命からがらと言っていいほどの危機感はなかったが、どうにか俺達三人は五体満足のまま学校を脱出。そのままかばね町の方角まで逃げてきた。時間帯が時間帯なので大通りであっても人通りは少ない。そして、その少ない人間も昼に比べると見た目が怪しく思えるのは暗いからだろうか。
「ここまでくれば大丈夫そう。二人共怪我はない?」
「怪我はないけど気になる所だらけだよ! 俺が寝てる内に何があったんだ? え、本当に発砲許可の下りた見回りが来るのか? また誰か、闇バイトの人間じゃなくて?」
「川箕さんからその話は聞いたんじゃないの? 本当よ。爆破もそうだけど夜にこっそり残って遊び呆ける生徒なんかも居るらしくて、その為に動員したという話が放送されたわ」
「気持ちは分かるんだけどね。ここはかばね町じゃないから犯罪なんて起きたら学校責任を問われるもん。でもあれはパトカーじゃなかったし……」
三人で暫く視線を交換したが、答えが出てくるような事は遂になかった。
「……じゃ、じゃあ私はそろそろ帰るねっ? これ以上遅いと閉め出されちゃうかもしれないからさ」
「防犯……そりゃそうだよな。でも俺はここに家なんてないし、同じように安心して過ごせるかな」
「大丈夫。私が今から安全な宿泊場所に連れて行くから。お金は無料じゃないけど、何割か負担してあげる」
安全なホテルなんて場所はこの町にある限り存在しないものと考えていたが、やっぱりその発想自体が外の人間の物であり、状況を見ればある程度分かってくるという。勿論、絶対という言葉はつけられない前提付きで。
「俺が前に居たホテルもボロボロだったんだけど……何が違うんだよこれは」
「立地ね。窓を飛び出したら裏道に出るから、その道を抜けて走り続ければすぐに町の外に出られる。警察だってすぐ釈放するだけで逮捕自体はしてくれるでしょう。それには一応最低限の抑止力があるの。だからここは人気があるのよ。特に外から事情あって滞在しないといけない人には」
そうか、だから最初にチェックインしようとしたら満室と言われたのか。少し時間が経てば空くかもなんて透子の楽観に乗ってトイレに行ったら、戻ってくる頃には一室空いた。まさか本当に部屋が空くなんて。
「……ユニットバスって奴だけど、一応風呂もあるのか。良かった」
「今日は私も傍に居る。君を守るわ」
「えっ」
透子と、二人きり?
初めてじゃないけど、一夜を明かすのは。
「と、透子? わ、分かってるか? 泊まるってのは……その。俺達その。異性で」
「ええ」
「だ、大丈夫か? 不安にならないのか?」
「…………君のストレスが発散出来るなら、それでもいいけど」
透子はカーテンを引いて差し込む光を遮断すると、日傘を閉じてベッドにボンと座り込んだ。誰も居ない。俺と透子の二人きり。寝起きで、しかも命の危機に晒されていたかもしれない不安。
様々な要素が重なって、俺の身体は吸い込まれるように彼女の身体へ。
「…………何だか、疲れたな」
「テストまで後少しだから、頑張りましょう」
「そう、じゃなくてさ」
体重の全てを預けている。今にも彼女の身体を押しつぶしてしまいそうな中、それでもいいかと思えてしまうくらい身体は休みたがっていた。
「…………華弥子と付き合ってた頃は、色んな奴が揶揄いつつもなんとなく俺に優しかったんだ。でもあんな事が起きてからすっかり変わっちゃって……俺は外の人間なのに、中に居るみたいな扱いを受けてる」
「…………それは間違いなく私のせいよ。ごめんなさい」
「謝らなくていいんだ。透子が普通の女の子なのは俺が一番良く分かってる。多分川箕も。かばね町の人間なんだから犯罪には敏感だろ。アイツはお前を怖がってなかったし、だったらやっぱりお前は普通なんだよ。悪いのは他の全員なんだよ。勝手に犯罪者にしてる、全員だ」
「…………違うの夏目君。本当は―――」
「ありがとう、俺を助けてくれて。泣いてる俺を笑わないでくれたのはお前だけだった。ずっと、ずっと感謝するよ俺は。この先もずっと―――お前と出会えた事が、人生最大の幸せだって」
「―――――――――」
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