TRASH 3 夕立の降る青春

青嵐の共犯者

 あの時の喧嘩が決定的要因となり、家族としての会話は途切れた。お互いに仲直りする気などなかったと言えばいいのだろうか。俺の方は、理由を話してくれるだけでも良かったのに、その理由は頑として話せないらしいから仕方ない。

 

 ささやかな抵抗と嗤ってくれても構わない。少しずつ家族に頼らない生き方を心掛けるようになった。


 食事は外で摂るようになったし、お風呂は銭湯で済ませるようになった。寝床だけはまだ家を頼るしかないのでいつも全員が寝静まった頃に帰ってきては早朝に出ていく生活。かつて俺が一番警戒している筈だった人間みたいな暮らしは精神的に苦痛だった。

 単にこの暮らしだけなら良かったが、定期テスト三日前だ。授業中に不可抗力の居眠りが増えてくるともう俺の学力ではどうにもならない。部活もせっかく設立したのに、最近はもっぱらただの勉強会になっていた。

「夏目君……大丈夫? 日を追う毎に君の目が凄い事になっているけど」

「…………眠い」

 人間、眠気に脳を支配されると理性が緩くなる。普段は気にしないような事にまでイラついたり、やたらと攻撃性が高まったり。それで透子に殴りかかったりはしないが、居眠りを教師に指摘されるだけでイラついてたまらなくなるのも事実だった。悪いのは俺で、割合なんてものはない。十割自分が悪い事は分かっているのにイライラが収まらない。

「寝たい。眠い。寝たい。テストなんて意味ないよおおおおおおお」

「…………仲直りは出来そうにない?」

「……謝ってくるのを待ってるんだ、きっと。俺は、負けたくないよぉぉおお……」

 一人暮らしが仮に出来たとして、真っ先に挙がる問題はずばり金銭面だ。部屋を借りるなら家賃が必要で、外食をするならその料金が、銭湯だって無料じゃない。家族がこんな俺の抵抗を静観しているのはいずれお金が尽きる事を知っているからだ。そしてお金がなくなれば謝って譲歩するくらいしか解決手段がなくなり、俺の強情もそれで解けると考えているのだろう。

 実際問題その通りで、お金は日に日に出ていく一方だ。当然お小遣いだけは貰いに行くなんて事も許されない、というか出来ない。それは折れたも同然で、貰いたければ条件を呑めと向こう有利で話が進んでいくのが目に見えている。



「ただいま~。飲み物買ってきたけど……うわ、夏目、大丈夫? もうカフェインで誤魔化そうってレベルじゃないよそれ」


 

 川箕が自販機から飲み物を持って帰ってきた。テニス部を辞めさせられクラス全体の交流からシャットアウトされた彼女は、記念すべき第一部員である。俺と違って真司のような変わり者もおらず、クラスの居心地は最悪との事。耳を塞いでないと常に悪口が聞こえるからイヤホンを持ち込むようになって、自分が不良になったと嘆くくらいにはまともな子だ。

「とりあえず、置いとくね?」

「……ありが……とう」

 俺達が集まれる教室は部活の名目で利用可能になった多目的教室だけだ。透子が家具を運んできてくれたお陰で学校では見ないようなソファやらクッションやら座布団やらが広がっている。流石に電気は利用出来ないので、テレビはない。

「夏目君、まだ頑張れる?」

「無理ぃ…………」

「でもテストは頑張らないと。夏目が言い出したんでしょ、頑張らないといけないんだって」

 将来の為とか、今後の進路の為とかではない。それよりももっと近い問題だ。テストの点数が悪いと……厳密には1がついてしまうと三者面談を設けられてしまう。両親と冷戦状態にある今、そんな事になったら実質的な敗北だ。だからテストはきちんと通過しないといけない。

 こんな差し迫った状況だから、部活の目的を一時放棄してまでテスト勉強の部屋として利用している訳だ(どのみちテスト前は部活動は一部除いて参加出来なくなるので全くのルール違反でもない)。

「テストは頑張れば何とかなるかもだけど、お金はほんとに大事な問題だよね」

「夏目君はまだ貴方の所で働いてないの?」

「無理強いはしてないし、考えがあるんでしょ。そうだよね? って本人に聞いても……今はやめた方がいいかな。眠そうだもん」

 声が右から左に消えていく。言いたい事はあるのに口が動かない。川箕の言う通り俺には考えがあるが、それをここで言う気にはならない。一つは眠すぎてその気力がないから。そしてもう一つは、自分なりの強がりを貫いてみたいからだ。緊張の糸は常に張り詰めている。切れたら二度と立ち上がれる気がしない。だから下らない意地だったとしても限界までとりあえずやってみたい。話はそれからだ。

 目を瞑って話している内に少し眠気が取れてきたような気がしないでもない。全くの強がりや思い込みという可能性は一旦置いといて、俺は教科書に視線を落とした。

「……………もっと、勉強出来る頭だったらな」

「……夏目?」

「勉強も…………運動も……もっと出来たらこんな苦労はしなかったんだよ。時間をかけないと俺はてんで駄目でさ……あぁ……」

「だ、大丈夫だよ。元気だしなって。一先ずテストまでは自由に勉強出来るんだしさ」

「君が駄目なんて事は全くないわ。今も頑張ろうとしているじゃない。腐った人間なんて幾らでも見てきたから、大丈夫。自分を信じて」

 二人に励まされながらギリギリの所で踏ん張っている。味方が居ないと辛いのは何もトラブルに限った話じゃない。二人でも十分すぎるくらいだ。

「…………ガンバル、ぞぉ」













 透子は普段からずっと頼りになるが、勉強においてはそれほど当てに出来ない。成績の善し悪しではなく、あまり登校しなかったせいで他人に勉強を教えられないそうだ。だからテスト勉強には川箕の力を主に借りている。彼女にテスト範囲に基づいた仮テストをある程度作ってもらってそれを解いていく形だ。間違っていたらそこを反省する。

 今は休憩中……というか採点中だ。ソファの上で睡眠時間を稼がせてもらっている。普段は絶対に眠らない環境だからか、意識が朦朧としていても二人の会話が耳に届いてくる。

「夏目君は大丈夫そう?」

「うーん……後三日だっけ。それだったら化学以外は問題なさそうかな。ていうか私は透子ちゃんの方も勉強するべきだと思うんだけど。夏目が免れても透子ちゃんが駄目だったら部活も始まらないんじゃないの?」

「―――川箕さんは勉強が得意なのね」

「うわ、それ同じ町に居るから成立してるだけのブラックジョークじゃん。あんな治安の悪い場所に居たら碌に勉強もしてないっていう風潮でしょ。うん、それなんだよね。そういう疑われ方をされたくなかったから普段から勉強を怠らないようにしてたんだ」


 ―――苦労してるんだなあ。あの町に居るだけなのに。


「結局全部、無駄だったと思う?」

「ううん、そんな事はないかな。悲しいけど、あの町の治安が悪いのは私達じゃどうしようもないでしょ。だから全部……受け入れたっ。どうにもならないんじゃ、頑張ったってしょうがないもんね」

「……そうね。外国からの犯罪者が多数潜んでるのは事実だから」

「じゃあ私達も外国人なら全員犯罪者って……決めつけられないのが難しい所だよね。はーっ。それって私達が外の人にやられてる事だしさ。その点、夏目は珍しいよね。偏見がないなんて」

「そんな偏見がどうでもよくなるくらい……酷い目に遭ったのよ。女性がトラウマになってない方が不思議ね」

 それは自分でもそう思うが、やっぱり最初に手を差し伸べてくれた透子の存在が大きいと思う。その後のティルナさんも含めて、助けてくれた人も女性だったし、町の出身者だったし、助けてくれた事自体に裏はなかった。だから俺が川箕に対して行った親切にも裏なんてない。俺みたいに泣いてほしくなかっただけだ。

「……所で彼が寝ている今だから聞いてみたいのだけど、恩返しはどれくらいで終わらせるつもりなの?」

「うぇ?」

「元気づけられたお礼をしたかったんでしょう? やっぱりそれって、彼が仕事に来てくれたら終わりなの? それとも定期考査を抜けられたら?」

「……あ、あんましそういうの考えた事ないんだけど……な、夏目が元気になったら、かな! 私も元気づけられたし! ……目の前で殺害予告とか脅迫状を破ってくれた時さ、そんな事してくれる人が居るって、嬉しかったんだよね。本人には、恥ずかしくて言えないけどさ」



 …………………………。

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