心は嵐と共に凪いでいる

「…………」

 頑張って寝ようとしたが、遂に一睡も出来ないまま朝を迎えた。眠くないというより、不安で頭がいっぱいになったせいで眠れなかったので意識もぼんやりしている。


 ―――学校に、行く準備をしないと。


 透子が来てくれるんだ。今更寝る事なんて出来ない。準備を……する。今なら部屋から出ても怒られない筈だ。両親も兄ちゃんも眠っている。朝の五時だから仕方ない。

「…………」

 身体が動かない。眠くもなんともないのに動こうとしない。行かないと。透子が来てくれるのに。俺は、学校へ行かないといけないのに。

「はぁ…………」

 目をあけようとしても開けられない。重いものがのしかかっているように固まってそれっきりだ。ならば手を動かす所から? いいや、動けと脳が命令しても身体が拒否してしまう。どうにもならない。何でもいい、やる気を出さないと。いつまでもここで寝ていたって仕方ない。ここには、俺の居場所なんかない。


 ―――みんなが透子の何を知ってるって言うんだよ。


 俺も彼女の事を全て知っている訳じゃない。ただ、それでも彼女が優しい事は知っている。それだけでも十分じゃないか。あの子が持っているのは銃ではなく日傘、あの子が求めているのは混沌ではなく安心。それくらいは傍に居るだけでも分かる。そして、傍に居るだけならそれで充分だ。

 透子と知り合ってから不幸が始まったのならともかく、俺の不幸はもっとずっと前から続いていた。もしもを語るには余白が足りないが、家族の一人でも俺を褒めてくれたら…………もっと信用する気になったかもしれない。この人には嫌われたくないと思って悩んだのかもしれない。

 身体が動き出したのは、思考の濁流が一通り流れてからの事だった。恐る恐る扉を開けると、机の上にパンの袋が置かれている。昨日の夜誰かが食べていて放置したのだろうか。

 ―――少しでも、自立しないと。

 家族から食事を作ってもらっているようではいつまでもこの場所から逃れる事は出来ない。訳の分からない話だが、暫くは目を盗んで食事をしていかないとならない。パンを調理なんてしようものならそれはこの家の設備を使用している事になるから頼ったみたいになる。使わない。そのまま食べる。

「……………」

 両親が起きる時間は早く、後、十五分もないだろう。一人でいられる時間はそれきりだが、その前に俺が家を出ていれば鉢合わせする事はない。靴を履いて外に出ると、早朝にはまだ夜の残滓が残っていた。

 当てもなく、歩き出す。こんな時間に制服を着ていたって校舎は空いていないが、家の近くで歩いていても出勤する両親と鉢合わせするだけだ。


 ―――早く、卒業したいな。


 許されるなら今すぐにでも一人暮らしをしたい。いっそ孤島にでも行って二度と干渉されない生活を求めるべきなのだろうか。そんな冗談はさておき、これ以上俺の交友関係にケチをつけられたくないのは本当だ。どうにかしたいけど、どうにもならない。かばね町に隠れる犯罪者と違って、俺は法治国家の人間だから。そして自分から犯罪者の道を辿ろうとも思わないから。まだそんな覚悟はない。俺には俺の人生があって、その手が赤く染まるような事があれば二度と戻れない事も分かっている。

 そんな手段で独り立ちはしたくないが、でも一緒に居たくない。家族なんて血の繋がっているだけの他人なのだから。

「…………んえ?」

 何処を歩くべきかも分からず何となく学校へ向かったら(早朝からあの町に行こうとは思えなかった)、校門が開いていた。来るべき教師も生徒も居ないのにこれはおかしな事だ。真っ先に頭を過ったのは前回の闇バイトの一件。また誰かが不法侵入して校舎を破壊するのではという危惧。

 校門の近くまで行って様子を窺うと、日傘を持った女性が佇んでいた。

「…………透子?」

「―――夏目君?」

 俺の来訪は想定外だったらしい。驚いたように振り返って小走り気味に駆け寄ってくる。

「どうしてこんな朝早くに……」

「ああ、うん………………色々あってさ。家に居たくなくてこっちに来てみたってだけで……そっちは?」

「私達が使う教室に家具を色々と運んでいるの。サプライズをしたかったんだけど……バレたら仕方ないわね」

「部活で使うだけの教室を私物化するのっていいのかな。椅子くらいだったらいいだろうけど」

「……君が少しでも安心出来る場所が出来たらいいなと思っただけ。大丈夫、ちゃんと許可は得ているわ。多目的教室とは名ばかりで殆ど使われないから問題ないみたい」

 この学校、犯罪者の巣窟が傍にあるだけあって凄く校則が緩いな。治安の良い学校程校則は緩いという話もあるが、やはり悪すぎるとそれはそれで緩くなるらしい。スカート丈も決まってないからミニスカにする女子は季節がいつでも居るし、交際禁止なんて校則も当然存在しない。日傘を持ち込むのも……禁止されていないから透子は持ってきている訳だ。

「私は君の友達だけど、詮索も干渉もあの町では嫌われる事よ。だから家庭の問題に口を挟みたくはないけど、外に君の居場所を作る事は出来る。家族と、上手くいってないのよね」

「……何で?」

「鞄を代わりに取ってきてほしいなんて言われたら誰だって察せるでしょう。こんなのは察しの良さでも何でもなくて……当然の帰結。お陰でサプライズが一つ台無しになってしまったけど、まあいいわ。もう一つあるから」

「柄じゃないって言ってなかったっけ……?」

 それとも柄じゃないような事をしようと思うくらい俺は……追い詰められているよに見えたのだろうか。それもまた情けない話だ。受け入れてくれるのは嬉しいけど、それはそれで弱い姿ばかり見せたくないのも俺の気持ちだ。恥ずかしくて話す気にもならないけど、かっこいいって言われたい。俺の納得する形で。



「え? 二人は知り合いだったの?」



 昇降口から割り込むように姿を現したのは、思いもよらない人物だった。

「か、川箕?」

 褐色肌の女子なんて早々居ない……訳ではないが、知り合いには彼女だけだ。今日も今日とてポニーテールが良く揺れている。普段の制服姿に加えて、今回はシンプルなキャップを被っていた。元テニス部らしい健康的なスタイルの良さを今更意識してしまい、反射的に目を逸らした。

「え? もしかして知り合いだったのか?」

「それはこっちのセリフなんだけど……?」

「一応私から説明すると、川箕さんとは知り合いではないわよ。ただ同じ町の出身者だから会いに行けたってだけ。私からすれば二人が知り合いだった事に驚きだけど」

 なんだそうだったか。それなら不思議はない。かばね町自体はそこまで広い町とも言えないから同じ町に暮らしているなら少し後を尾けるだけで住所が割れるだろう。

「まあ……い、色々あってさ。夏目とは……と、友達でいいの?」

「うーん。まあ、友達……なのかな。自分で言うのもなんだけど、微妙だよな」

「あ、あはは…………じゃあ、そういう事で」

「?」

 川箕との関係を友達と呼べるかは怪しい所だ。俺はたまたま理不尽に遭った彼女を少しでも助けたかっただけで、それが友達のやる事と言われたらそうかもしれないがあの時までは赤の他人だった。でも友達と呼んでいいなら、その方が良かった。


 ――――――元気になってくれて、良かったよ。


「……まあ、いいわ。サプライズって言うのは他でもない彼女の事よ。川箕さん、貴方からお願い」

 川箕はぎょっとしてから目を閉じると、微妙な笑顔を浮かべながら恥ずかしそうに言った。

「あ、あのね。透子ちゃんから聞いたんだけど、夏目さ、バイト探してるんだって? お金が必要、みたいな?」

「あ、ああ。でもかばね町は危ないバイトばっかりでさ……まあ安全でも面接とかで無理なのかもしんないけど」

「ウチで働いてみない? 私のお手伝いって事でさ。違法な事は何にもしてないし、経験がなくても……だ、大丈夫! 夏目が頑張れるなら! 私も教えるから!」

 補足するように透子が割って入る。

「私からも彼女の仕事は安全だって保証するわ。買いに来る人の身元は保証出来ないけど、仕事に違法性はない。仕事があれば……家に居る時間も減るでしょう」

「透子……」

「こ、こんな形でお礼する事になるとは思わなかったんだけど、でも夏目には恩返ししたいんだっ。だから……その気があるなら来てよ。いつでも歓迎するから」

 早起きは三文の徳という言葉があるが、もしかするとこういう事なのか。思ってもない幸運に救われた。透子はやっぱり優しいし、川箕からは…………チャンスを貰った。

 仕事。仕事があればいいんだ。安全だというならきっと安全だ。何をするかは分からないけど…………でも、犯罪者扱いに心を痛めていた川箕が嘘を吐いているとは思えない。

「それを伝えたくて、ここに?」

「あ、そうじゃないんだよね。透子ちゃんにお願いされて荷物の運び込みを手伝ってたの」

「その通り。それで私の用事はお終いよ。だけど君には用事があるんじゃない?」

「え?」

「部長は君よ」

 そこまで言われてようやく―――意味が分かった。全く、透子には敵わない。色々と偶然は重なったけど…………俺に何かを任せるなんてそんな。そんな事は誰もしてくれなかったのに。

「…………か、川箕。テニス部、やめさせられたんだろ? 良かったら、うちに来ないか?」

「へ?」

「聞いてないのか。荷物はその、部活の為でさ。課外調査部として、かばね町について色々調べる部活を。調べるって言ってもそんな厳密な調査チームじゃなくて、基本的には楽しくやれたらいいなってタイプの緩い部活で……えっと」

「う、うん」

「………………二人だけだと寂しいし、良かったら入ってほしいななんて。テニス部に何とか入り直したいなら止めないぞ! 部活が強制なんて楽しくないだろ。俺はお前に、押し付けるような真似はしたくないし」

 入部届なんて持っていないので、代わりに手を差し伸べてみた。握手を合意と見なすつもりだ。駄目で元々だけど、川箕が入ってくれるなら嬉しい。透子とは違うタイプの美人で、下心が全くないかと言われたら嘘になるけど…………それ以前にもう泣いてほしくない。泣き顔は嫌いだ。誰にも泣いてほしくない。

「…………夏目って、運が良いね」

「へ?」

「昨日私が使ってたロッカーを確認しに行ったんだけど、ものぐさだったせいでラケットとか全部壊されて、ユニフォームもなくなっちゃったし、絶対に戻ってくるなって総意を受け取ったばかりなんだ。だから、しょうがないから入ってあげるよっ」

「………………イジメとして、告発しようか?」

「分が悪いからいーよ。いつまでも私を嫌いな場所に居てもあっちは迷惑だろうしさ。えっと、よろしくね……夏目部長?」

 ぎこちなく川箕が俺の手を取って、合意が交わされる。部員は三人か。内二人が町の出身者だと肩身が狭く思えるが……俺達は外れ者だ。それは間違いない。



『そうじゃない。違うんだ。お前にあの子は…………いや、あの子に似合う男などいない。あの子には誰も関わるべきじゃない』



 誰も関わるべきじゃない人間なんてこの世に居ない。居てほしくない。だからこの部活だけでも、そんな人達の居場所になれたらと思う。俺達の人生は、自由であるべきなんだって。




























「お願いします…………お願いします。うちの息子を助けてくれませんか」

「なんでうちの子なの……」


『子供の人生を縛るなんて最低な親が居るな。それをどうして、俺に頼む?』


「人間災害が……連れ去ろうとしている! このままだとアイツは戻れなくなってしまうんだ! だから……お願いします。お願いします! 助けてくれ!」

「私からもお願いします! お金なら払いますから!」





『無理だ。人間災害には…………人質も、脅迫も、無意味だからな。子供は諦めろ。死体すら戻ってはくるまい』

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