災害は 日常と  

「遅かったわね」

「ごめん。ちょっと……人助けを」

 校門で待ちぼうけを食らわせた事を申し訳なく思っていたが、透子はさして困った様子も見せず歩き出した。

「待つのは嫌いじゃないから大丈夫。部活は明日からだし、帰りましょうか」

「お、おう」

 川箕は無事に立ち直ってくれた。去り際見せてくれた笑顔は眩しくて―――透子も笑ってくれるけど、あそこまでニコニコ笑ってくれる事はないから、新鮮だった。


『夏目って、笑うと可愛いね! あはは!』


 日傘が欲しかった。彼女の視線があればきっとそれを気にして表情を取り繕えただろうに、あの時俺はどんな表情をしていたのだろう。泣き止んでくれたどころか笑顔を見せるようになってくれて凄く嬉しくて……つい。

「人助けは気持ちよかった?」

「え?」

「何だか嬉しそうだから」

「……そうだな。最高に気持ちよかったよ。やっぱりさ、泣いてる顔が好きって概念は理解出来ないな。誰でも笑ってる方が、俺は好きだよ」

 家に帰ってからの事は、深く考えないようにした。考えても仕方ないし、家出する事も出来ないからだ。 お小遣いだって無限に湧いてくるモノじゃない。親との関係が悪化すれば当然供給すらされない概念だ。これ以上お金を使うとホームレス生活を強いられる。もしくは闇バイトでもするか……それは駄目だ。かばね町に存在する仕事が全て違法な仕事とは言わないが、まともな仕事を見分ける眼が俺にはない。

 透子が紹介出来ないならこの線は手詰まり。だから俺のするべき事はこれ以上両親との関係を悪化させない事に尽きる。大丈夫、喋らなかったらいいだけだから。

「明日、迎えに行くわね」

「……それ、毎日?」

「毎日かどうかは分からないけど、明日は絶対。なんとなくね」

「そっか。楽しみだな」

 家の前に到着すると、別れの挨拶も程々に玄関に手をかけた。本音を言えば開けたくならないが、明日迎えに来てくれると思ったら、それだけで頑張れる。ノブを捻って中に入ると、異様な空気の重たさを肌で感じた。


 ――――――?


 リビングに顔を出すと、両親と―――主に父親と目が合った。隣には兄ちゃんも座っているが、悩ましそうに頭を抱えている。

「十朗。入れ」

「え、う、うん」

「来るな十朗」

「勇人は黙っていろ。これは大切な事だ」

「…………」

 兄ちゃんが怒られるなんて珍しい。それ以上に青ざめている顔を始めてみた。熱にうなされているみたいに目を閉じて何やら呟いている。ただならぬ状況に気圧されて、引っ張られるように俺も席についていた。

「な、何? どういう状況? なんで兄ちゃんも……え?」

「十朗。ハッキリ言ってお前は出来損ないだ」

「―――何が」

「勉強も運動も勇人以下。その癖努力は続かず、注意力もない。俺も母さんも長い事お前を見てきたが、お前はまだ父さんの言う事を聞いているべきだ。自立なんて出来そうもない」

「何の話?」



「今の恋人と別れるんだ十朗。頼む。お願いだ。別れてくれ」



 兄ちゃんと違って一人で何かしようとすれば必ず失敗するのはいつもの事で、笑われるまでがワンセット。だけど今回は……様子がおかしい。父さんが俺に、頭を下げている。

「な、何だよ。完全封鎖で家に帰ってこなかった事を怒ってんの? でも俺が無事なのは透子のお陰なんだぞ」

「そうじゃない。違うんだ。お前にあの子は…………いや、あの子に似合う男などいない。あの子には誰も関わるべきじゃない」

「何でそんな酷い事が言えるんだよっ? 透子がみんなに何かしたの? 知らない癖にどうしてそんな文句がつけられるんだよ!」

「お前は昔から駄目な奴だと思っていた。勇人と違って、俺の子供とは思えない程要領が悪く、失敗ばかりで反省はしてるフリ。そんなダメダメな子供でも俺の子供だ。守りたいんだ。お前を。家族を。だから頼む」

「なんだよ……それが人に物を頼む態度かよ。アンタ達さあ、俺を一回馬鹿にしないと気が済まないのか? 褒められた事が全然ない! 兄ちゃんばっかり褒めてさ! どんなに頑張っても…………何で褒められるのが兄ちゃんなの?」

 積もり積もった鬱憤に亀裂が入る。駄目だ、止まらないかもしれない。墓場まで持って行くつもりだったのに、透子と引き離されるくらいだったらぶちまけたくなってきた。

「今まで頑張ってきたのはさ……誰かに褒めてもらいたかったんだ。少し頑張れば褒めてくれるって、今までよりも優秀だったら褒めてくれるって思ったからなのに……兄ちゃんばっかり、どうして」

「―――分かった。別れてくれるなら二度とお前と勇人を比べたりしない。約束する。だから」


「だから!?]


 席を立つ。

 机に両手を叩きつけて。

「約束を守る保証が何処にあるの!? 父さんさ、その言葉一つで信用してもらえるって思ったの!? おかしいんだよ条件が! どうしてそんなにアイツと別れてほしいのか言ってよ! 条件なんか出してないで!」

「………………」

「………………」

 両親は口を閉ざしたまま喋ろうとしない。兄ちゃんに目線を合わせると、青ざめたままぎこちなく返答してくれた。

「…………言う事を聞いた方が、いい、と思う。俺も」

「何で?」

「……俺の彼女は…………ヤバイ子も居た。話、したろ? そんな次元、じゃない。命が、危ないんだ」

「何言ってんの? 透子の事を何も知らない癖に適当な事言うなよ!」

「…………なあ父さん。やっぱ放っておけよ。たまには十朗の事を信じて、さ」

「それで私達が死んだら、困るのは十朗だ! 俺は子供の事を考えて言ってるんだ!」

「十朗。お母さんからもお願い。あの子とは別れて。あんな危ない子と別れて、もっと素敵な子を見つけるの。貴方なら出来るから」





 ぶつんと、感情の壊れる音がした。





 ずっと抑圧されていた。縛られていた無気力の結界が剥がれて―――奔流となって、流れる。怒り。

「みんな。みんなみんなみんなみんなみんなみんなみんなみんなみんなみんなみんなみんなみんな! 何で俺から透子を奪うんだよ! 俺がどんなにアイツに救われたか知らない癖に! 守ってもらったか分からない癖に! もっと素敵な子ってなんだよ! 透子は危なくない! かばね町に住んでるからってそんな評価しないでよ!」

「町じゃない! 俺はあの子が危険だと言ってるんだ! 十朗、お前は家族を危険に晒すのか!?」

「何が、家族だよ! じゃあ家族は俺の言う事をどれだけ聞いてくれたんだよ! 家族、家族家族家族家族家族家族家族家族家族家族家族! 連帯感ばっかり押し付けて、無責任な事ばっかり言って! こんのクソオヤジいいいいいいい!」

 果たしてその言葉がきっかけになったのかは分からない。俺が机に身を乗り出した瞬間、父の右ストレートが炸裂。後方の床に倒れ込んだ所で、腰の上に跨られた。

「誰に向かって口を利いてる! 反抗期の落ちこぼれが調子に乗るなあ!」

「―――暴力かよ。言う事聞かなかったら暴力かよ! かばね町の犯罪者と変わんねえ! ふざけんなよおお!」

「貴様!」

「やめろって父さん!」

 側方から兄ちゃんが割って入る。跨っていた父を引きはがすと、目線で俺に『部屋に逃げろ』と言ってくる。



「何するんだ勇人! お前はもっと利口だったろう!」

「十朗の態度を見ろよ! 強引に言ってどうにかなるもんじゃない事くらい分かるだろうが! 俺は兄だから分かる、やめろ! 理由を言わなきゃ納得してくれない!」

「理由なんて言える訳ないだろうが! その事はお前も分かってる癖に、何故アイツの味方をする!? あんな出来損ないの弟に味方するのか!?」

「出来損ないでも何でも弟は弟だからだよっ。とにかく落ち着けって、こんなの洒落でも冗談でも済んでないからな!」



 

 そんな家族の口論をいつまでも…………自室の扉の後ろから、聞いていた。 






















 夕食もない。娯楽もない。

 とにかく悟られたくなくて、寝静まるまで静かに過ごしていた。いや、気づいたらそんな時間になっていたと言うべきだろうか。体に力が入らなくていつまでも暗闇を見つめていたらこんな時間になった。もう深夜だ。お風呂にはせめて、入らないと。

「………………うぅ」

 早く家を出たい。闇バイトはごめんだけど、衣食住付きのバイトとか、ないだろうか。誰かのせいにしたい訳じゃないけど、両親が俺の欲求を満たしてくれた事なんてなかった。

 取り繕えるだけで、俺は泣き虫のままだ。認めるしかない。いつまでも心が弱く、強い言葉を食らうだけで砕け散りそうだ。甘えたいなんて言わないけど、せめて俺の行動に口出しはしてほしくない。



 ―――最悪だ。



 家族とはいつか仲直り出来ると思っていたのに、どうしてこうなったのだろう。もう自分でも分からない。分かりたくない。そうだ、こういう辛さを味わってほしくなくて、川箕を助けたいと思ったんだ。

 あんな風に笑えたら、と。瞼の裏に眩しい笑顔が焼き付いている。あの時、胸が熱くなるのを感じた。恋、とかじゃなくて。こんな自分でも誰かを助けられたという達成感がそうさせた。彼女の悲しみはあの時だけでもなくなった筈だ。

 


 俺の悲しみがなくなるのは、透子が傍に居る時だけだ。


 

 家族と居る時の俺は言葉の通り駄目な奴になる。何もかもうまくいかない。こんな変な話はない。血縁という意味で言えば透子は赤の他人なのに、ありのままの自分を見せられるのは彼女の方だ。家族にはいつも、強がりの仮面を被ってばかりで。しんどい。

「明日、来てくれる。透子…………会いたいよ」

 眠れそうもなく、虚空を見つめ続ける。学生という立場が憎くてたまらない。親のお金なしに学校へは通えないなんて不自由だ。

 祀火透子。

 彼女の事を、俺はまだそれほど知らない。けどあの子が誰よりも優しい事は知っている。それで充分だ。それ以外は何も要らない。人付き合いなんてそんなものだし、何より―――ずっと近くに居てほしい。透子と関係を切るなんて考えたくもない。

 誰も、泣いてる俺を助けてなんかくれないし。

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