謂れなき差別
完全封鎖が解かれるまでの五日間(最速で解かれるなんてうまい話はなかった)は実に平和だった。町にはまだまだ災害の痕跡が残っているが、透子と一緒に居る内は不思議と怖さもなく―――家に居る時より遥かに穏やかな時間を過ごせた。町の人間は見た目の恐ろしい人間も沢山いる訳だが、だからって別に喧嘩をふっかけてくる野蛮な人間は居ない。話しかける人間を考えれば存外、ここは普通の町だった。
「学校、再開するみたいよ」
「もう校舎が直ったのか? じゃあ学校に行かないとな……封鎖も解けたから外には出られるし」
自分が学生であるという事実が嫌になってくる。大人だったらこうして、いつまでも透子とお店で過ごせるのに。たまに客も来るが、殆どは単に一杯を楽しみに来ただけだ。俺が五日間も滞在している事など知る由もなく、入っては去り、去っては入りを繰り返して。気が付けばそんな出入りを眺めるのが数少ない楽しみになっていたのに。
「どうかしたの?」
透子は俺の不安な表情を見たのだろう、首を傾げている。町の外に出るなら不安になるような事などないと言いたげだが、そうはいかない。
「鞄……家の中にあるんだよな」
「取りに行けばいいだけ。今は六時くらいだから、取りに行ったら遅刻するなんて事もないと思ったけど」
「取りに行くのはいいんだけどさ……」
そもそも俺がこの町に来なければならなくなった理由を改めて彼女に説明する。アイツらの内の一人は俺の家に上がり込んで俺を巻き込もうとした。その面倒から逃げる為にこの町へやってきてしまったのだと。
「俺の家族は、この町をよく思ってない。いや……この町の外の人間は殆どよく思ってないだろうな。俺もちょっと前まではそうだったよ。けど……なの子や透子を見てたら、町って括りで人を見るのは良くないなとは思うようになった。法には反してるのかもしれないけど……生きる為だもんな」
赤信号を皆で渡れば怖くないという論理があるだろう。この町では一々赤信号で止まる奴は背中から押されて車に轢かれる。だから生きようと思うなら同じように無視をするしかない―――人間災害なら、車が激突した所で車の方が吹き飛ぶだろうが。
「ま、まあ俺の話はいいか。とにかく俺がこの町で何日も滞在した事を許すとは思えないんだよ。だから、帰りにくくてさ」
「それじゃあ私が代わりに取りに行く? 君の家には一度訪問しているから怪しまれる事もないと思うわよ」
「……ごめん。こんな事頼める筋合いはないんだけど、お願い出来るかな? 合わせる顔がちょっと、見つからなくて」
透子に迷惑をかけるみたいだけど、俺の頭の中にあるのは怒鳴り散らす父親の姿、そして溜息をつく母親の姿だ。銃や爆弾や誘拐と比べたら怖くないのかもしれないが、たったそれだけでこの体は動かなくなってしまう。情けない話だ。本当は誰にも……こんな弱さを見せたくないけど。
「任せて。私も今日は登校しようと思っていたの。功績の誇示が出来れば部活の設立が認められるかもしれないし……設立するなら、創設期のメンバーって事で一緒に居た方がいいでしょ?」
透子は店内で日傘を差すと、店の入り口に対して横に並んだ。
「一つ聞きたいんだけど、部活がもし認められたら部員を増やす気はあるの? それとも私と二人きり?」
「…………透子は、二人きりの方がいいか?」
「君の意思を尊重するわ。それでも気にかけてくれるなら、私個人に拘りはないと言ってもいいかも。君と二人きりになりたいなら……部活が絡まなくても、電話すればいいし」
「そ、そりゃそうだな! …………実を言えば、参加する気がある奴が居るなら入れたいと思ってる。その……」
言うのは恥ずかしい。けど、透子なら話は別だ。彼女は、彼女だけは唯一、俺がどんなに情けなくても嗤わない。それどころか寄り添ってくれる。泣いてもいいんだって受け入れてくれる。
だから恥ずかしさも全くない……は嘘になるが、話してもいいとは思えた。
「……クラスの奴らと微妙な雰囲気になって、今じゃまともに話せるのは真司だけなんだけどアイツは人格破綻者だ。正直暇してる時でもないと喋りたくない。部活に入ってくれる人が何人かいたら……そいつらと仲良くしたいかもなって」
「そう。功績がついでに勧誘活動にも使えたらそれが良さそうね」
かばね町の実態を知りたい人間なんて一括りにしている限り早々いないとは思う。思うが、俺だって寂しいのだ。沢山の人と話したい気持ちに嘘はない。
「―――そろそろ行こう。その、本当に悪いんだけど、校門で待ってるから家に鞄を取りに行ってほしい。ほんと、ごめん。情けなくて」
「いいの気にしないで。君は私の大切な友達、でしょ。友達は助け合うのが普通なのよ。それじゃあ、行きましょうか」
「おう!」
五日間の内にすっかり彼女の日傘の中に入るのは慣れた。眩しいのが特別苦手なんて事はないが、日傘に入っていると隣に透子が居る事を確信出来て胸が躍る。華弥子と別れてからずっと……気になっている。もっと知りたいと思う自分は確かに居た。
―――こんな日々が続いたら、いいのにな。
橋を越えて久しぶりの外に出る。ここは法の治める法治国家。悪逆も横暴も許されない……筈の場所。実際は町から出てきた犯罪者によって日々被害を受けている。町とは無関係の犯罪者は当然何処にでもいるから、ある意味挟み撃ちにあっている可哀想な町とも言える。
「それじゃあ私は君の家に」
「ありがとう」
「気にしないの」
校門が見えてきた所で透子は左の道に入って代わりに俺の家へと向かってくれる。家族にはまだ恋人という体を通しているから鉢合わせた場合にどんな事になるかは分からない。ただ、朝は兄ちゃんしか居ないから案外何も起きないかも。
「俺達のとこに寄ってくんなよ犯罪者!」
怒号は、誰の物であっても委縮してしまう。聞きたくないと言った方がいいだろうか、とにかく誰かの怒ってる声は苦手だ。驚いて校門から身を乗り出すと、男女混合のグループで、日焼け肌の女子が尻もちをついていた。グループを見上げて、悲しそうな顔で茫然としている。
「あんた、あの町に住んでたのね? もう関わんないでよ、犯罪に巻き込まれたくないから」
「ていうか隠してたのもぶっちゃけ論外っていうか……ひでえよな。後で俺らの事利用する気だったか?」
「ち、違うってば! 私がアンタ達に何かしたの!? た、滝中ぁ! 乃野町! ねえってば! 藤崎だって……わ、私がいつ何をしたっていうの!?」
「ご、ごめんなさい。あの町に住んでる人と仲良くしちゃいけないって言われてるから……ぶ、ブロックしとくね。アカウント。ごめん」
「まー気に病む事ないっしょ。元はと言えば……ねえ。町の外に住んでるなんて嘘ついた川箕が悪いんだし……」
多勢に無勢というか、幾ら女子が一人で抗議しても集団には聞き入れられなかったようだ。最後にもう一度女子が輪の中に入ろうとした所を勢いよく突き飛ばされて―――集団の方は行ってしまった。
「………………」
女子が、唖然とした表情のまま固まっている。気が付いたら近くによって声をかけていた。
「……大丈夫か?」
俺の顔を見て、女子は怪訝そうな表情を浮かべた。一度は手を差し伸べてみたが一向に取る気配がなかったので、その場に屈んで視線を合わせた。
「何の用? ……夏目には関係ないでしょ」
「え? 何で俺の名前を知ってるんだ?」
「……有名だったんだよアンタと華弥子ちゃんは。色々あったって事くらい、違うクラスにも伝わってるからさ。私、D組の
「……見るつもりはなかったんだ。恥ずかしかったなら謝る。俺は別の用事でちょっと待機しててさ」
「……いいよ、気にしないで。恥ずかしいは恥ずかしいけど、見られたからどうって事でもないからさ!」
「……住所、バレたのか?」
見ていたから分かる、川箕の抗議は殆ど半泣きの状態で行われていた。涙ながらの抗議さえ一蹴されるような喧嘩の要因があるとすれば、話の脈絡からしても住所の漏洩に他ならない。
かばね町からこの学校に通っている生徒は実際多いだろう。わざわざ遠い学校を選ぶ理由はないし、学校側も拒否はしていない。ただそれでも、あの町に対する恐怖は尋常ではないのだ。だから相手の住所を聞く事は暗黙の合意に基づいて控えられている。相手がかばね町に住んでいても、そこに偏見を生まないように。
「夏目さ。外? 中?」
「外だけど、俺も訳あって閉じ込められてた。完全封鎖されてたよな」
「―――完全封鎖中で、学校は休みだったでしょ? 私の居たグループで遊びに行こうって話になったんだけど、封鎖されてたら私は行けないじゃん? 適当に理由つけて断ろうとしたんだけど、家に来て迎えに来るなんて言うから、誤魔化しきれなくなっちゃって」
判断のグレーゾーンとでも言うべきなのだろうか。聞かれたからには駄目としか言えないが、事情を知らない内はたとえその疑惑があってもないものとして扱う……それがいい人間関係の築き方だ。相手がかばね町の出身者とさえ知らなければ、実際そこに居ようが居まいが関係ない。川箕が早々に誤魔化すのを諦めたのは……仮に入れても危ない目に遭うのが分かり切っていたからだろう。
自虐をするように彼女は微笑んでいるが、声が上ずっているのは……いや、推測するだけ野暮だ。
「……完全封鎖のせいで友達を喪ったって事か。携帯、本当にブロックされたのか?」
「されてるよ。あの町から登校してる人なんて沢山いるだろうけど、みんなバレたくなくて同じようにブロックするんだろうな……はぁ、ショック。せっかく仲良くなれたのに……」
「……助けてやりたいけど、他のクラスの事情はさっぱりだ。出来る事は……そんなにないけど」
ポケットからハンカチを取り出すと、今も滲むように流れる涙を丁寧に拭っていく。人がまだ少ないからこそやろうと思った。大衆の目の中でこんな事をやる気にはなれない。
「……あ、ありがと」
「立てるか?」
今度こそ俺が差し伸べた手を取って、川箕が立ち上がる。一本にまとめたポニーテールがふわりと揺れて、無事に立ち上がった。尻餅のせいで付着した砂を落とそうと自分の身体をあちこち叩いている。
「俺の事情をどこまで知ってんのかは分からないけど、元気出してくれよ。俺だって碌に話せるクラスメイトがいなくなったんだ。みんな……罪悪感からなのか謝りにも来てくれなくてさ」
「―――そうなの? 無事に解決したって聞いてたんだけど……夏目は謝りに来たら許すつもりだった?」
「うーん、一応水に流すつもりだったと思う。だーれも来ないもんだからいい加減馬鹿らしくて、今はそんな気も起きないけどさ」
「……それでいいの?」
「もういいんだよ別に。謝らないなら謝らないで俺も許す気はないから……罰を与えてる気がするし。だから…………その……そっちは仲直り出来るよ。前まで親友だったんならきっと大丈夫だって」
「…………そうなのかな」
励ましたつもりだったが、川箕の表情は浮かない。町を理由にあんな目に遭うなんて到底許せないからと声をかけたが……手遅れだったのかもしれない。
―――町で、括らないでくれよ。
いい人も居る。悪い人も居る。川箕みたいに普通の人も居る。それでいい筈なのにどうして十把一絡げに扱おうとするのか。
「でも…………こんな風にうじうじしててもしょうがないよね。よしっ、私も教室行ってくるねっ。ありがと、夏目。マジ良い奴だね!」
「……町が原因で孤立なんて馬鹿げてるだけだ。じゃあな」
「え? そっちは行かないの?」
「鞄を友達に持ってきてもらってるんだ。こんなのどうかって思うけど、でもかばね町が封鎖されてたせいで起きた事だし……仕方なかった」
これ以上は重苦しい話になりそうだと直感し、俺は不意に声を荒げた。
「とにかく! 俺はここから動かないからな!」
「…………なんか友達から聞いてた夏目と違うな。ま、なんでもいっか。じゃあね、仲直り出来るように頑張ってみる」
「おう。いけ」
D組に知り合いなどおらず、今日初めて喋ったが彼女はこちらを何度も振り返って手を振り続けてくれた。動機に下心が混じったようで複雑な気分だが、それでも純粋に助けたいと思ったお返しがこれなら……悪くないかもしれない。
暗黙のルールはいつか破られる。そうなった時に被害を被るのはかばね町に住む人間達だ。人狼ゲームよろしく炙り出しなんてされた日には学級崩壊が目に見えている。
―――俺のクラスは、まあ居るんだろうな。出身者くらい。
「夏目君、鞄」
「え」
振り返ると、日傘があった。
「うわあああああああ!」
「驚かせてない。サプライズなんて柄じゃないわ」
「何のサプライズだよ? 驚いたのは俺の勝手だから……しかし、随分戻るの早かったな。足音も全然聞こえなかったけど。それで、両親はなんて言ってた?」
「居たのはお兄さんだけ。何も言わずに鞄を渡してくれたわよ。私の顔を少し長く見てたくらいで……後はそこまで」
鞄を受け取って、項垂れる。
あの二人は俺の事を心配しなかったのだろうか。町を危険な場所と思っているなら、家で子供の帰りを待っていると思ったけど。
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