安全第一
この町で安全が担保されている場所は少ない。わざわざ透子がそんな言い方をするくらいだ。何処に居るかなんておよそ見当がついてしまう。彼女が働くカフェの方に顔を出すと、身体を震わせた男がカウンターの前に座って無人の空間を眺めている所だった。
「お前は…………!」
「ん…………?」
居たのは、俺が用意した催涙スプレーを顔にかけた挙句奪って逃走したあの男だった。やはり制服を着ている訳だが、それが偽物である事を俺は見抜いている。
「よくも俺を共犯にしてくれたな!」
「は、はあ? 何の話だよ。お前みたいな奴とか知らねえよ」
「催涙スプレー返せよ!」
「落ち着いて夏目君。ここでの暴力行為はご法度よ。この男もそれを知ってここに隠れているんだから」
透子は日傘を閉じてからふわふわとした足取りでカウンターの中に入っていく。見るとカウンターの内側にはつい直前まで誰かが動かしていたような跡があり、その人物は何処へ行ったのだろう。透子が来ると分かったから代わったとか……だろうか。
「通報は出来ないんだろうな、このお店の立ち位置的に。じゃあせめて聞かせてくれよ。何でこんな事したんだ?」
「…………こ、こんなつもりじゃなかったんだよ!」
男の話は案の定闇バイトの話だった。一応というかこの男性自体は学生であり、ただ別の学校の生徒との事。学生証を見せてもらうとそこは校則が厳しい事で有名な学校だった。厳しいといっても異常とまでは言えないが、俺達との大きな違いはバイト禁止だ。
「が、学校が認めてる所はば、バイト出来るんだけど。で、でもそういう所はあまりお金が……お金がないと駄目なんだ! 生きて……いけなくて」
「それで闇バイトか。やっぱすぐ近くに犯罪の町があると気の迷いにも勝てなくなるもんなのかな。そこまでしてお金が欲しいのか?」
「わ、悪い事じゃないだろ! うっかりゲームに課金しすぎて、も、もう課金出来る金がないんだってば! こんな事がバレたら携帯を取り上げられちまう、それが嫌だったんだ!」
「は? ゲーム?」
こいつは何を言ってるんだ?
「俺さ、結構ハマるゲームはもうガチで最強になりたいんだよ。金で強くなれるならそれに越した事はないだろ? お前ゲーム好きか? 好きなら分かるよな?」
「ゲームは好きだけど……ソシャゲはあんまり趣味じゃないんだよな。単純にキリがないのがなんか……楽に強くなりたい気持ちは分かるけど、それで身を崩したら意味ないだろ」
「んな舐めた事言ってたら誰かに最強を取られちまうだろうが! この三流ゲーマーがよ! 俺はお前みたいなぬるま湯に浸かってねえんだよ!」
「……偉そうな事を言ってるけど、要はその課金の為の戦略で貴方は失敗したんでしょう。真面目に生きてる彼をバカにする権利が貴方にあるのかしら」
良く分からないが、店内の空気が冷え込んだような。
気温が実際下がった訳じゃない。ただ……文字通り嵐の前の静けさというか、物理現象を無視して大気圧が俺達を押し潰そうとしているような。
「な、何だよ。このお店は安全なんだろ!? 誰でも入っていいんだろ!?」
「トラブルを持ち込むのはお断りよ……まあ、貴方は所謂捨て駒だから厳密にはもう火種にすらならないんだけど。どんな文言に釣られてあんな事をしたの?」
「は、箱を学校の中に入れろって……あれが爆弾だって知ってたらやらなかったよ! 本当だ! で、でも俺がやったって証拠を撮影されて……そ、その映像を上の人に出したらお金をくれるって!」
リスクについては考えず、一旦目先の欲を優先したらこうなる訳か。この人に足りていなかったのは危機感、もしくは想像力だ。危ない町と知っていたから高額なバイトがあるだろうと踏んでこの町にやってきた。危ない町と知っていたのに、まさか自分達が騙されるとは思っていなかった。
「た、助けてくれ! このままじゃ俺、ずっと犯罪をやらされる! もう報酬なんてないんだ! と、とりあえずこの町から逃げさせてくれ! さっき店長を名乗る奴にも話したけどあれか!? もしかしてお前達が逃がしてくれるとか……」
「……逃がし屋は別の所よ。ただ、今から利用しようとしても遅いでしょうね、少なくともマーケットの幹部が恐らく貴方達を探してた。貴方と……貴方にそんな指示をした人を。主要な逃げ方は抑えられているだろうから、今から行くのは自殺行為」
「そ、そんな! 助けてくれ!」
カウンター越しに身を乗り出し透子に触ろうとする男を、すかさず俺が制した。
「透子に触るな!」
「…………な、夏目君?」
「―――そんなに死にたくないって言うなら助けてやってもいい! だけど条件がある。今から録音するからお前は全部自白しろ。それで、町の外で警察に自首するんだ!」
「つ、捕まるのか! 嫌だ! お、親に知られる!」
「ここで法律とか関係なく殺されるか、法律で裁かれるかだ! お前、我儘言える立場なのかよ、うちの制服着て、爆弾で教室吹き飛ばしておいて自分の事ばっかりじゃねえか! なんでそんな事をしたかって聞いてみればゲーム? ふざけんなよ、お前の課金の為に俺達は学校に通ってるんじゃないんだ!」
思わず胸ぐらを掴みにかかったが、男がポケットからナイフを取り出したのを見て手を引っ込めてしまう。頭に来ていたのは俺だったが、逆上したのは向こうだった。
「じょ、条件なんて呑めるか! 今すぐ俺を逃がせ! さもないとお前達を殺してやる!」
「………………交渉の基本もなっておらず、この町の勢力も把握しておらず、自分の要求がいつまでも呑まれると思っている。ナイフ一本で」
「うるさい! は、早くしろ! 殺されたいのか!?」
「―――俺達を殺したとして、結局お前は脱出できないぞ。そうやって来る奴来る奴を殺し続けたら捕まっても死刑になるんじゃないか? 今ならまだ、生きられるぞ!」
「黙れ! これ以上俺に指図するなああああああああああ!」
男がナイフを掲げて俺に突っ込んでくる。頭の中では躱していたが実際とはまた別の話だ。尻もちをついて、ただ攻撃を受け入れる事しか出来ない―――
パンッ!
乾いた銃声が一発。勢いあまって男は俺の横に崩れ落ちると、程なく背後から硝煙の臭いが近づいてくる。
「こんな所に居たか、ドブネズミ」
真上を見上げるように振り返ると、灰を被ったような髪色の女性がそこに立っていた。たった今俺が着ている(昨夜投げつけられたモノだ)コートと全く同じモノを肩に羽織り、左手にはリボルバーを構えて。
「あ、あ…………あ」
「邪魔したわ。この薄汚い男はウチが責任もって引き取らせてもらうから。おい」
女性が声をかけると今度はスーツ姿の男が三人入ってきて、銃殺されたばかりの死体を慣れた手つきで運んでいく。俺の事は眼中にない……一般人なので当たり前だが。
去り際、女性は俺の方を一瞥し、満面の笑みを浮かべる。
「いいコートじゃないか。私と趣味が合いそうだ」
「え、あ、あ、はあ」
なんと答えるべきか迷っている内に女性は姿を消してしまった。右目が全く動かないのは義眼だから……だろうか。だとしたら原因は目を縦断していた傷跡……惨くて、直視出来なかった。
「夏目君、怪我はない?」
「ないけど…………で、でもどうしよう。まさか嗅ぎつけてくるなんて。証拠、揃ってないんだけど」
「それについては大丈夫よ」
透子はカウンターの内側からあるモノを取り出した。それはボイスレコーダーだ。携帯に内蔵されたレコーダーではなく、専用の。
「さっきの会話を録音しておいたから、大丈夫」
「じゃ、じゃあこれを警察に……いや、マスメディアの人に渡せば報道してくれるよな!? つ、ついでに俺達のお陰って事も流してくれたら功績は十分だぞ!」
「ええ、そうね。少し危なかったけど本来の目的は達成出来そうね。ただマーケットのあの様子だと他の人達はもう……手遅れかしら」
「……あの人、躊躇なく銃殺したよな。幾ら功績目当てでも流石に命が危ないし……や、やめとくか」
改めて席に座り直すと、透子は誰も入ってこられないように鍵をかけて、隣に座る。カウンターの上に放り出された俺の手に指を重ねながら。
「掃除をするまでは閉めておかないと苦情が入りそう。でも意外ね、君が死体にそこまで驚かないのは」
「…………に、人間災害にやられた死体を見た後だと……冷静じゃないんだけど、と、取り乱す事は……ないかな」
「ふ、ふご、ごふゅううう……」
「目が覚めたか、ヒュドラド」
暗い地下室の中に、女性の冷たい声が響く。寒い、酸素が薄い。視界はほとんど機能していないが足元に薄く広がる白い霧は着実に自分の体温を奪っていた。何か合図があって、口を塞いでいた縄と布が吐き出させられる。数回咳をした後、割って入る暇もなく叫んだ。
「は、話がちげえぞ! こりゃ、こりゃどういうつもりだ!」
「話が違う? 一体全体何の話をしているんだお前は。ここにお前が居る事の意味も分からんか。龍仁一家は無関係を表明している。お前達を守る盾はもうないぞ」
「アイツら……! クソ、待ってくれ
「聞いてやろう聞いてやろう。だが短く頼むぞ。お前らのせいで危うくこの町は吹き飛ばされる所だった。私がこの世で最も嫌いな人間の一人だ、身の程も弁えぬ強欲者というのはな」
龍仁一家を名乗る男が、自分たちに仕事をくれるようになった。思えばそれが全ての間違いの始まりだ。仕事は、最初の内はなんてことのないもので、その割には高額な報酬。AVの確認作業に始まり、強盗、誘拐、破壊工作。色々な事をやって、彼らは一度として騙そうとしなかった。自分たちに仕事を持ってきたのも『こんなしょうもない仕事に人手を割きたくない』という大組織らしい理由だったから……いや、違う。
報酬の法外さに全員目が眩んでいた。
だから多少怪しくてもうやむやにして受け続けた。
「そ、そんな時だ。お、俺達を龍仁一家の幹部に取り立ててくれるって話が来た! 俺達ぁ極道でも日本人でもねえが。そ、外から来た奴が上に立つのはおかしいとは思ったんだ。だ、だが」
「なんだ命乞いではないのか、それならもう知っているから言う必要はない。お前らは何処ぞの命知らず、いや自爆テロリストに唆され
「う、嘘だって聞いたんだよ俺達は! そういう伝説を作る事で水面下の抗争を隠す為の方便だって! その嘘をまとめて引き受けてるのがあの日傘を差した女で……殺せりゃ一億ドルの儲け話だった!」
「あれが……作り話?」
「うぎゃああああああああああああああああああ!」
「私は神など信仰しちゃいないが、あれは暴力の神だ。もしも祈るならあれに頭を垂れているよ。全く組織のはみだし者の集まりは頭までズレているな。人間型災害が虚像でしかないならうちも一家も『鴉』もあんな小娘は排除しているよ。排除できないのはそれなりの理由がある。単純に、殺す手段が見つかっていないからだ」
「うぐ…………なん、だと?」
「知っているか? 人間型災害がまだ中東を渡り歩いていた頃、当時は幾つもの国が紛争状態にあった。だがどいつもあっさり停戦するようになった、どうしてか分かるか? あの小娘を巻き込んだせいで反撃に遭い、国ではなくなった土地があるからだ。私達はとんだ悪党だが、災害に立ち向かう程の命知らずではない。殺す手段が見つかっているならまだしも、銃弾が効くなどとという幻想を抱いたままなら特にな」
「…………」
「一億ドル。本当に殺せるならそんな安値で誰がお前達のようなクズに仕事をさせる。本当に殺せたなら不問にしてやるつもりだった。人間型災害を殺した箔で思う存分私達と五分で張り合ってみればいいだろう。その結果がこれだ。お前達は使い捨ての駒という事も知らず、自分達の手を汚す事すら躊躇い、一部の仕事をただの素人に投げた。馬鹿にしているのか?」
あの爆弾は、人間型災害が夜の学校を拠点にしているという話を聞いたから任せた。まずは拠点を破壊するつもりで、或いは殺せればいいなという程度で。ところが町で日傘を差した女を見かけたと聞いてから生き残った事を知り、直接殺してしまおうと考えた。
だがあの女に、銃弾は通用しなかった。
確かに体には当たっていた。当たっていたのに、ただの一発も体を貫かなかった。恐ろしくなって、逃げたのに。
「お、お前達は人間災害と繋がっているのか? 手を、組んでるのか!?」
「組めるなら誰だってそうしている。やっている事は裏も表も関係ない、持ちつ持たれつだな。あの女は銃弾の流通ルートから貴様の正体を知りたがったし、私は貴様のようなクズを唆して自分達だけは逃げ切ろうなどという卑怯者の尻尾を捕まえたかった。利害の一致だな」
「お陰で助かったぞ。私達の把握していないルートがあったとはな。その幸運に免じて今、お前と話してやっている。命乞いをする時間を与えてやってるのさ。私は優しいな」
「―――な、仲間、達はどうした!」
「災害に遭った。仮に生き残りが居てもお前達の使う隠れ家には全て罠を仕掛けさせてもらったからな、お前が最後の一人という訳だ。当たり前だが誰も生きて帰す気はない。お前達は人間災害に手を出しかけたんだ。ああ、全く運が良い。銃弾をぶちこまれた事は気にしていないそうだぞ?」
「…………く、クソ! あんな怪物が現実に居るなんて……知ってたら受けなかったのに……!」
「地元で大人しくしていれば良かったな? この町が楽園だと信じてやってきたのならとんだ間違いだ。ふふ、あははは! ここは地獄だよヒュドラド。私達はどれだけ大きくなっても災害に怯えながら暮らさないといけないのさ。だからお前達がここに来た初日に……警告してやったものを。わざわざ手紙を出してやったのに」
銃口の冷たい感触が、首筋に突きつけられる。
「―――最期に一つ良い事を教えてやろう。お前達はそもそもアプローチを間違えた。人質程度で災害をコントロール出来るならあれは災害とは呼ばれない。私が怒っているのはむしろ、そこだな」
「おこ、って」
「あの女が気にかけてる男に手を出した事だ。お陰でお前にはまだ利用価値があったのになくなってしまった。生憎と耐震工事は間に合ってないんだ、災害を殺すなんて夢を見るなら、地獄の底で見ていろよ」
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