ドブのネズミに朝日は早い

「あっ♡ うんっ♡ はっ♡ やん♡」


 ……よく眠りたかったが、隣の部屋から聞こえる声で目が覚めてしまった。男女の声、主に……女性の嬌声。ボロいホテルに防音性など期待するべきではないのだが、ここまでダイレクトに聞こえてくるとは夢にも思わなかった。

 薄い壁を隔てているのは見た目だけで、目を閉じればもう同じ部屋にいるも同然。うるさいから眠れないのはそうだが、女性の声がなんとも言えない感情を煽り立てて落ち着かなくなるのがいちばんの要因だ。もうすっかり目が覚めてしまった。

「……いなくて良かった」

 勿論透子の事だ。彼女がいれば安心して眠れたかもしれないが、こんな声が聞こえたらなんて話しかけたらいいか分からなくなる。彼女は嫌がるどころか受け入れてくれるが……俺に立って理性はある。同時に欲望もある。彼女を異性として意識していない瞬間はない。そんな時にこの声が聞こえたらと思うと……ダメだダメだ。想像したら余計落ち着かない。

 格安の、俺みたいな訳アリを泊められるホテルにサービスなんて概念は期待していない。目が覚めたらお腹が空いてしまった。何か食べにいくべきか、それとも我慢してまた眠気が来るのを待つか。努めて聞こえないフリをしながら玄関を見つめていると、ある事に気がついた。



 玄関の鍵、開けたままだっけ?



 いくら俺の防犯意識が薄いからって、流石にこの町だ。寝る前にはきちんと鍵をかけた筈、その記憶もあるから無意識の行動なんかじゃない。

 誰かいるのか?

 その考えに至った瞬間、感じていたわずかな安堵は悪寒へと変化する。自分の部屋のように感じが場所は得てして誰かに立ち入ってほしくないものだ。それが自分の部屋であり、パーソナルゾーンであり、「入るならノックくらいしろよ」である。

「……」

 もう、後ろを振り返る気にはなれない。何かがいてもいなくてももうダメ。扉を開けてゆっくり外に出ようとすると、ちょうど横から出てくる男の姿が。隣の部屋ではない。そっちではなくて、正反対の方から。

「動くな」

「…………」

 覆面を被っているから正体は分からない。遅れて、俺の部屋の中から学生服を着た男がのっそりと飛び出してきた。身長は優に二メートルを超える大巨人だが、その体躯は枝のように細く、圧力よりも不気味さを感じさせてくる。夜に畑でカカシを見たことがあるだろうか、得体の知れない恐怖といえばあれに近い。

「お、お前みたいな高校生がいるかよ……」

「おい黙れ、今すぐお前を殺してやってもいいんだぞ」

 銃口をこめかみに突きつけられて尚、身動きが取れずにいる。脳内では俺の裏拳が銃口を逸らしてすぐに奪い取っているのだが、身体は思うように動かない。死ぬ想像が先行して、一足先に死を迎えているのだ。

「気を遣って寝てるところを攫ってやったものを。なんで起きやがった」

「俺には……分かるぞ。隣で性行為しているからな。ベッドの下にいてもよく聞こえて……落ち着かなかった」

 長身の男に背中を抑えられたかと思うと、次の瞬間銃座で勢いよく殴られてダウン。逃げる隙などどこにもなかった。意識こそまだ残っていたが手足を動かす暇もなく外に運ばれていく。黒いワゴンはそのための車か。

「しかし……こんな素人一人で本当に人間災害が狩れるのか?」

「これぐらいできなきゃ……この町に俺たちの居場所はない。そう聞いただろう。大丈夫だ……こう見えて俺は……熊に勝った事もある。誰がきても……大丈夫」

 車の扉が閉ざされ、発進していく。ホテルの関係者は知らんぷりか。随分堂々と運ばれていた気もするが。

「……向こうはうまくやってんのかね。つっても災害みたいな人間ってのはなんだ? それが個人だってのが一番信じられねえのよ俺は!」

「だがそいつはこの町の守護者……そう聞いている。マーケットや一家が潰す気配も見せないのは事実、だ。俺達は……楽な仕事でよかった。向こうはダメかもしれない」

「…………」

 意識のないフリをしていると色々な話が聞こえてくる。学生服を着ているだけでこの男達はやはり同級生なんかではない。だがそれを知ってしまったこの状況はどうしようもない。誰に助けを求める。誰に。

 透子。

 いや、駄目だ。あの子は普通の子だ。助けを求めようものならミイラ取りがミイラになるだけで……女性である分悲惨な事になるかも。




 ドンッ!




「すみません、誰か轢いちまいました!」

「何やってんだ早く逃げろ! ここでサツに捕まったら面倒だぞ!」

「は、はい」

 

 ご、ど、ど、どん。


 轢いた人間に追い討ちをかけるようにその上を乗り上げていく。奇跡的に助かっていたとしてもこれでは無理だ。車の重量はとても人間に耐えられる代物じゃない。俺が攫われたせいで無関係の人間が一人……

「おい、進んでねえぞ」

 それは乗車している人間なら誰でも気づける異変だった。後部座席が持ち上げられて後輪が動かないでいる。前輪が動こうとしてもその動きを丸ごとひっぱられて進めない。



「……人間災害が来やがった! 降りろ!」



 男達は素早く車を降りて車の中に潜り込んだ災害に向けて発砲。大男は俺のお守りだろうか、様子見を貫いて動かない。

 そんな男の足を、車の底を貫いて生えてきた腕が掴んでいた。

「うお、お。まずい、これは」

 直後、車の底が男の足もろとも引っこ抜かれ、ガワだけになった車体が男達の方へと投げつけられる。

「やべ!」

 反応は間に合ったかもしれない。だがそれも無駄な足掻きだった。最初から倒れている俺以外が全員、地震で足を掬われたから。

「…………」

 もっとも、俺が影響を受けなかったからなんだという話だ。人間災害が居るならまもなく俺も殺される。地震や台風が殺す相手を選ぶ筈ないだろう。

 人影が……見える。

 大破した車の火に隠れてその人影は俺を見つめて…………

「…………」

 顔に何かを投げつけてきた。多分、服だ。薬を打たれた訳じゃない。時間が経てば力の入らないままだった体も少しは動くようになる。

 立ち上がって早速、凄惨な光景からは目を逸らした。壁に叩きつけられた車のガワは紙を握りつぶしたみたいな状態のまま突き刺さり、付近に男達の死体がある。


 そして見える範囲でおおよそ三十メートル程度の建物が沈下した地盤に沈んで傾いていた。



「て………!」

 改めて、その力の規格外を知る。人間災害はどうして俺を見逃した? こんな、見るからにお金持ちの着てそうなふわふわのコートまで残して。もしかしてティルナさんの言うところの三大組織の頭とか?

 だとしたら薄々思っている仮説は正しいかもしれない。

 人間災害は手加減をしている。

 確かあの男達も、この町を守っているとかなんとか言っていたし。災害のような強さ、三代組織が手を出せず、数々の国が手を出せず、兆を超える懸賞金をかけられた伝説みたいな存在。

 こうして列挙してみると、本当に人間なのか疑わしいが、確かに俺は人影を見た。あれは確かに人間だった筈だ。それ以上のことは分からないが。

「……」

 結果的に助かったとして、次はどこへ行こう。あのホテルにはもう戻りたくないし、安全を保障してもらうにはやはり……お金を払うしかないのか。
















 

 ティルナさんのカラオケは二四時間営業らしく、お金さえ払えば快く入れてくれた。兎にも角にも料金さえ入れてくれればその後のサービスは良質で、宿泊目的ならと毛布も入れてくれた。

 ついでに、災害情報も。

 人間災害の顔はともかくその被害は甚大故、情報には需要があるようだ。現在、地盤沈下がかばね町を真っ二つに分けている。そして度重なる地震と風速にして二〇〇を超える突風が次々建物を消し去っているらしい。

「こりゃうちにも沢山お客さんが来そうだなあ。お兄さん、悪いけど私は外へ行くからゆっくり寝てね? オプションはまた今度でっ」

「こういう情報は何処から拾ってくるんだ?」

「企業秘密っ。ま、外したことはほぼないよ。これでも貴重な商売ですからね?」

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