火遊びにはご用心
その後も色々と歩き回ったが手がかりに繋がるような情報は見つからず、その日はお開きになった。情報が見つからなくなった理由は日中に起こった銃声だ。あれのせいで町の中が騒然としてしまい、まともな人間は店を閉じるようになってしまった。マシな言い方をするなら犯罪者の夜が早めに訪れたようなものであり、透子はそれを良しとしなかった。
「家まで送るわ」
彼女がエアガンで襲撃された以外は大した事件もなく平和に終わった……気もするが、拭えない違和感が段々と大きくなっている。本当にあれはエアガンだったのか? 今更だが、外に出て空薬莢があるかどうか確認すれば良かった。BB弾にそんなものはない筈だから、それさえ見ておけば俺もこんな違和感は抱かずに済んだのに。
理屈は分かる。実弾だったら貫通して俺に当たっていた事も透子だって死んでいた事も分かる。分かるが、なんとなく納得がいかない。疑う余地が『なんとなく』でしかないので口には出せないが。
「どうかした?」
「え?」
「私を見てるから。気になる事でもあったのかなって」
「あ、ああ! えっと、こ、こんな時に思うのも何かなって思うから言わなかったんだけど」
殆ど苦し紛れに彼女の背後へ廻ると、コートの上から腰をがっしり掴んだ。
「きゃい!?」
コートを着ているから分かりにくいが、透子の体つきはそうとうスリムだ。曲線美の芸術と言ってもいい。掴んだ時の生地と肉体の余白がどれだけあったかは俺以外知る由もない。遠目で見た彼女のシルエットはきっと杯のようになっているだろう。
自分でも戦略を考える前に掴んだし、彼女から見ても唐突に掴まれただろう。初めて日傘をその場に落とした。
「……と、透子って細いなって!」
「だ、だからってここで掴まなくても……眩しいわ」
腰を抱き寄せて掌ではなく、腕で彼女の腰を抱きしめる。頬を背中に当てて耳を澄ませた。
―――きちんと心臓の音が聞こえる。
少し早いくらいで、おかしな事は何もない。いや、心臓の音なんてのは散々確認した筈だ。彼女の胸に埋められている時、静かにしていると確かにその鼓動が伝わってくる。何で今更、不安になる必要がある。
「……そろそろ離してほしい」
「あ、ご、ごめん!」
慌てて手を離すと、透子は落ちた日傘を手に取り、また何事もなかったように隣へ並んだ。
「確かにここはもうかばね町の外だけど、だからって安心するのは良くないわ。あの町の外に出れば一切の犯罪が起きないなんて事もないから」
「全員監禁されてる訳じゃないし、外にも出てくるもんな。ごめん。でも何だか……透子が傍に居ると、安心出来てさ」
「…………男の人は女性を安心させたいもんだって聞いた事あるけど」
「命がかかってるのにそんな事は言ってられないだろ。死んだらそれまでなんだし」
「……冗談よ。君はちゃんと私を守ってくれたわ」
「?」
家に着いてしまった。無事に帰れた事には感謝しつつも、また別の不安がよぎる。家族に何か言われるのは間違いない。銃声が聞こえたならたとえそれをマスメディアが報道しなくてもネットは報道するだろう。あの町が危険な事は百も承知だが、それと透子は別の話だっていつになったら分かってくれるのやら。
「じゃあね。家ではしっかり鍵をかけて」
「…………ああ」
今回も、俺が家に入るまで彼女は待ってくれている。いつも律儀というか丁寧というか、すぐに帰ってくれても俺は怒らないのに。見つめていると、日傘の下で首を傾げた。
「どうかした?」
「…………てぃ、ティルナさんから聞いたんだけど! 友達でもハグってするらしいんだ。し、していいか、な?」
「……」
透子は周囲を見回すと、日傘を閉じて門扉の中まで入ってきた。そしてコートを両手で開き、静かに呟いた。
「はい、どうぞ」
「じゃ、じゃあ遠慮なく……」
俺がコートの裏側に手を回すと同時に身体の外からコートがかかり、更に外から柔らかな腕で背中を抱きしめられる。温かい。柔らかい。安心する。今日起きた事件なんて幻だったように全てがどうでもいい。
「友達に甘えるなんて初めて聞いたけど」
「ごめん……」
「謝らないで。私もあの場所で君に十分甘えさせてもらったから。膝枕なんて人生初めての体験よ。近くから見上げる君はとっても大きくて……私なんて潰されそうなくらい小さくて、新鮮だったわ」
「……変な感想だな」
「本当の事だから、仕方ないわ」
五分。
十分。
時間は過ぎていく。一秒一秒を噛みしめてまだ足りない。これまで誰かに甘える事を許されなかったとは言わないが、俺が家庭内で味わってきたものは徹底的な比較だけだ。兄の事は嫌いではないが決して好きでもない。その徹底的な壁を作っている一端の原因でもある。
ひねくれた俺は、両親の心が読める。彼らが何を言うのか予め知る事が出来る。これは心の準備だ。傷ついても、明日を無事に迎える為の休憩。理由も聞かず俺を癒してくれるのは、透子だけだから。
「…………有難う。もう大丈夫だ」
手を放して、今度こそ玄関に向かう。振り返った時にはもう日傘を差していた。
「また明日」
「ああ。透子も気を付けてな」
玄関を静かに開けると、兄ちゃんが立っていた。
「よう十朗。無事に帰ってきて俺は嬉しいが、悪い知らせがある。静かにしろ。いいか? 俺の言う事をよく聞け」
「な。何っ? 何だよ」
「お前の知り合いだっていう奴が、お前と一緒に犯罪に巻き込まれたっつって今部屋に来てる。何した?」
「何したって、何もしてないよ……知り合いって誰? 今更俺に話しかけてくる奴が居るとは思えないけど。真司?」
「知らんが、お前と同じ制服を着てたぞ」
―――え?
「お、俺は華弥子の時に色々あってクラスの誰にも話しかけられない状況なんだよ。わざわざ家に来る訳ないだろ、ていうか誰も家に呼んだことないんだし」
とても悲しい証明だ。華弥子でさえ俺の家に来た事がない、というか呼びたくなかった。『汚い』とか『臭い』とか言われたらとてもじゃないが立ち直れそうにないし、そもそもあの子を満足させられるほど面白い自信がなかったから。
「……ああ、俺も知ってる。だけど父さん達にその説明をしても信じてくれないだろうな。それで知り合い自体が嘘って事は、お前は何もしてない?」
「してないよ。あの町には行ったけど、とも……彼女と遊んでただけだってば。信じてくれないの?」
「信じるには証拠が足りないって奴だな。少なくともお前から知り合い自体来る状況じゃないって聞いたから俺は信じてもいいが、それだけじゃ何も変わらない。だから十朗、良く聞け。今から逃げろ。逃げて、一晩何処かで過ごせ」
「ど、何処で?」
「いいから早く行け。夜遊びなんざしたら当然後で怒られるんだろうが、今ここで犯罪の共犯として扱われるよかマシだろ。早く」
「え、ええ、ええ?」
しかし考える暇などない。ここに来たのは間違いなく犯行グループの一部だ。俺の住所を知っているのは尾行でもしてきたのか? しかし逃げるにしたって何処へ? ホテルは……未成年一人でも泊めてくれるのか? 多分駄目だ。いや、語弊がある。
あの町なら、大丈夫かもしれない。
「…………」
外側に近い場所のホテルは案の定同意を得られないと泊まれなかったが、町の奥に行けばその制限はなくなった。一人で歩くような真似はしたくなかったが、透子に幾ら電話をかけても繋がらなくて、仕方なく一人で泊まった。
宿泊費用も抑えたかったせいで壁も床もボロボロのホテルだが、ベッドだけは新品のように綺麗でふかふかだ。エアコンはないが扇風機だけはあるし、ひび割れた窓にはきちんとガムテープが貼られている。サービスをする気概だけは十分だ。
「…………」
透子が居ないだけでこんなに不安になるものか。周囲は壁で囲まれているのにまるで全方位から狙われているような気分がしている。ベッドの感触が良くても空気感が悪い。
「…………寝よう」
自分で自分に話しかけるような事をしないと不安で頭がおかしくなりそうだ。食事を摂っている場合じゃない。寝よう。どうせ学校なんてないのだから、
―――透子。寝たんだよな。
だから電話に、出ないんだよな。
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