日向の落伍者
タイミングの悪さは世界一。誰かが学校を爆破してくれたせいで俺と透子の関係が壊れそうになっている。その犯人は誰か分からないが、犯罪発生率が国内屈指の状況であるあの町の誰かという事になって、お陰で酷い迷惑だ。
「またあの町に行くのか十朗?」
今日はわざと遅く起きた。改めて携帯で遅刻する連絡を送っておいたので透子が待ちぼうけをする事はないだろう。時刻は正午にさしかかろうとしており、ここまでくれば流石に兄ちゃんも出かけていると読んだのだ。自室から扉に耳を当てて物音がしなかったのでいよいよ出発する時だと思った。
兄ちゃんが居た。
「―――何で居るんだよ」
「何で居るんだよって、そりゃあ弟が心配だからだよ。大学は多少こんな事しても何とかなるが、お前が危険な目に遭ったらやり直しなんて出来ないだろ。ま、もう何も言わねえよ。一旦好きにしろ」
「……? 昨日はあんなに必死だったのにおかしくない? 言行不一致なんてますます気持ち悪いな。何なんだよ」
「お前って奴は本当危機感ってもんがないんじゃないか? あのまま会話が続いてたら父さんとガチの喧嘩だ。お前、口喧嘩でも怒鳴られたらすぐ黙って負ける泣き虫なのを忘れたのか?」
「…………」
泣き虫は昔の話だ。今は泣かない……多分。だが口論に弱いのはその通りで、頭の中で戦っても自分が勝つイメージが湧かない。心が既に屈服している。
「俺もなあ、お前が生まれる前は良く怒鳴られてさ。正直あの圧のある声なんて聞きたくないんだ。だからそうなる前に俺が怒ったって事にした。わざわざ声を聞かせるようにしてな。父さんは怒るとヤな奴だが追い打ちをかけるような真似はしない。降りてったお前の顔は暗かっただろうしな」
「……本当は応援してくれるの?」
「そういう訳じゃないんだが、こういう体験は身を以て確かめてみなきゃ聞く気がおきないだろ? お前の彼女……透子ちゃんだっけ? これが悪名高き犯罪者ならまだしも、あの町に住んでるだけだ。何もしない内からやめろってのもな」
玄関で靴を履いていると、兄ちゃんは廊下にやってきて、釘を刺すようにつけたした。
「ただ、昨日言った事が全部見せかけだったかっていうとそんな事もねえぞー。あの町に住み続けるって事は俺達外の人間と決定的に食い違っていくって事だ。危ないだけなら引っ越せばいい。犯罪者でもないのに引っ越さないのは、もうあの町でしか生きていけないからだ」
「透子を悪く言う奴は許さないっ」
「泣き虫に何言われても怖くねーんだって。あんまり遅く帰ってくるなよ。そんで、気をつけろ」
言われなくても分かっている。家を勢いよく飛び出し、そして約束の場所まで休む事なく走り続ける。学校は案の定、休みになった。教室の修繕作業の為か校門どころか学校全体に立ち入り禁止のテープが巻かれている。警察もパトカーを何台か引き連れて周辺を監視しているようだった。
―――校舎を消滅させられたら修復どころの話じゃないもんな。
ここまで厳戒態勢だと流石に犯人が居ても手は出せないだろう。学校を通り過ぎて次の信号を左。後は橋が見えるまで直進していれば―――どれだけの人混みがあっても見分けられる、黒い日傘がそこに立っていた。
「透子~!」
俺の呼び声に、彼女は小さく手を振って応えてくれた。今日は制服の上からトレンチコートを羽織っており、普段よりも大人びて見える。初めて会った時もこんな感じの姿だった。
「夏目君、おはよう。でももう昼だからこんにちは?」
「何でもいいよ、透子に会えたし。昨日から今日になってちょっと状況が変わってさ。何が何でも犯人は見つけないと行けなくなったかも」
「……どういう事?」
彼女に昨夜の出来事を説明すると、肩をすくめて複雑な表情をした。
「……君の家族の言いたい事は間違っていないわ。間違っていないけど……」
「けど?」
「私は君に会いたいわ」
「……俺も! 俺も会いたいよ。家族はみんな分かってないんだ。危険なのは俺だけじゃなくて透子も変わんないのに。だから何を言われても俺はこれからも来るけど、分が悪いままなのは何とかしたい。家に帰りたくなくなったら……行く所なんかないし」
「大体分かったわ。それじゃあ早速だけど証拠映像から探しに行きましょう」
透子が左手を差し出してくる。この町を危険分子の集まりとして一括りに見ている人にはこれが悪魔の誘いに見えるかもしれない。けれど俺には、俺だけには、新しい人生が開けたような、そんな気さえしてくる。
泣き顔が好きだの、泣き虫だの。俺の感情は玩具か弱味としか見られなかった。受け入れてくれたのは透子が初めてだった。泣いてもいいなんて、そんな事言われた事なくて。
「…………当てはあるのかっ?」
この手を取る理由は、それだけで十分だ。
「ていうか監視カメラだけなら学校近くにもある。そっちを観に行った方が直接犯人が分かりそうだけど」
「そんなの、警察がとっくにやってみてないフリをしているでしょう。仮に警察が見落としていたとしても、単なる学生でしかない私達に見せる理由が向こうにはない。実力行使でもする?」
「それは……」
「この町は常に犯罪と隣り合わせの地区、それは間違ってないけど。だからこそ通せるルールもあって、それを弁えていれば一般人も普段じゃ有り得ないような恩恵に与れるのよ。監視カメラの映像を見るとかね」
橋を渡り終えると、透子は一度振り返って前方の視界を日傘で塞いだ。
「君とのデートは私の一生の思い出よ。だけどこれから向かう場所は君が恐らく避けてきた危ないかもしれない場所になる。二つだけ。約束して」
「お、おう」
「この日傘の下から何があっても絶対に出ない事。相手の風貌がどうであっても詮索しない事。分かった?」
「わ、分かった」
透子は軽く頷いて再度歩き出す。脅し文句のようにも聞こえたがデートをしてからそれはあながち脅しではないという事は分かっていた。通りがかる人々は普通でも、何が起こるかは分からない。地割れが起きたり盗撮ビデオを生業にする服屋がいたり違法カラオケを経営していたり。何でもありだ。
「この町に住んで長いと、嫌でも詳しくなるもんなのか?」
「……闇市の話を覚えてる?」
「なんとなくは」
「その人個人が犯罪をするつもりがなくても、犯罪者と繋がりを持っておいた方が生きやすいのよ。一種の生存戦略ね。例えば組織と組織が抗争中でたまたま片方と面識があったらその場所には来ない方が良いって教えてもらえるし、多少客足が遠のいてでも犯罪者の肩を持っておいた方がお店の売上だって良くなる。犯罪のお目こぼしに過ぎなかった特権は、いつしか今更取り締まりようもない程大きな犯罪の聖域に変わってしまった。犯罪者と交流するリスクは自分にも法律の手が及ぶ事だけど、この町に居るなら一括りに扱われる事も少なくない」
「……犯罪者だって知らない体で繋がるのも、半ば共犯気味に繋がるのも、甘い蜜を吸わせてもらうのも、大した違いはないって事か?」
「そういう事。私が詳しいのも同じ理由よ。違うのは、私が他の人より自立しているから甘い蜜を吸う必要はあまりないというくらい」
大通りから配管だらけの小道を通ると、人一人分くらいの幅しかない小さな階段が下に広がっていた。間違っても地下鉄がある空気ではない。そもそも入り口はゴミ捨て場の扉だ。隣は本当にゴミ捨て場だし、扉を閉じられていたらまず見分けなんてつかないだろう。
「この下。そろそろさっき言った事を思い出してね。約束は、破らないでくれると嬉しいわ」
『ロビア』と扉にかけられた看板が店名だったのだろう。見かけは、普通の電子部品販売店に見える。店内の品揃えにも特に変わった点はない。元々俺も機械に強くないから、実は売り出してるパーツが違法な物ばっかりだった……としても気づけないが。
「クッハハ! 久しぶりの客かと思ったらまた随分珍しい奴が来たな」
サングラスをかけた老年の男が、カウンターの前で盛大に高笑いしている。葉巻を吸い、手に杖を持った男は車椅子から降りると向こうから歩いてくる。長袖に手袋を嵌め、極力露出を控えた格好だ。暑くないのだろうか。
「アポイントメントは取った筈よ。映像は用意してある?」
「おうさ! ちっとばかり時間はかかったけどな、お喜びいただける映像だと思うぜ? んで、そっちの小僧は何処のモンだ?」
「彼は……私の護衛」
「え?」
透子が目配せしている。すかさず手を彼女の前に出して声を張り上げた。
「ご、護衛だぞ! 透子に手を出したら許さないからな!」
「クハハ! 小僧、度胸は買うが身の程は弁えねえとな? 誰かを守りたいなら守れる程度の奴を守んな!」
「フェイ。雑談はいいから早く」
「おう、映像だな。そっちの部屋で勝手に見ろよ」
男が指さしたのは丁度横にある扉だ。少し心配になったが、日傘を差したままでも問題なく入れるようだ。小部屋の中には無数のモニターが嵌め込まれており、そこにはリアルタイムで町中の映像が映し出されている。
「これは……?」
「服屋の人と似たようなものよ。この町に三大組織が根を下ろす前から彼は細々とカメラを仕掛けて情報を売ってきたらしいわ。隠しカメラは全てお手製で、昔はこの町の全域を網羅してたそうだけど」
「けど?」
「それで痛い目を見て今は規模を縮小中だそうよ。だけど、この町と外を繋ぐ橋近辺から学校を映す角度のカメラなら、その問題はない。……どれか一つ消してくれる? あからさまに置いてあるこのメモリに入ってると思うから」
「ああ」
交差点付近を映すモニターを消してなんとなく線の接続も切る。透子は書類の中に隠れたパソコンを立ち上げると、USBを挿してからその配線を調整して空いたモニターに接続。より大きな画面で、映像を覗き込む。
一昨日の……深夜二時から四時にかけてか。丁度俺が透子に電話をかけて、仲良く下らない事を話していた頃だ。四時ならそろそろ眠くなっていた頃。人目を忍んでトラックが動き出していた。ナンバープレートもばっちり移りこんでいる。白いトラックは学校のすぐ近くで止まると―――別の角度を映したカメラに切り替わった。
荷台から制服を着た男子が一名飛び出して学校の中へ。距離の問題から中で何をしているかまでは映らないが、暫くすると男子がまた荷台へと戻っていった。そうしてトラックが再度発信して町に戻った所で―――爆発。教室が吹き飛んでいる所まで映って映像は終了だ。
「こいつ、俺に催涙スプレーかけてきた奴かな」
「知り合い?」
「や、いや。あーえっと。まあ色々あって、催涙スプレーをかけられたんだ。知り合いなんかじゃない、あの時は食い逃げだろうって決めつけたけど……もっとヤバイ事してたのかな」
「どうして同一人物だと思ったの?」
「走り方に癖があったんだよな。全力走りっていうか、走るフォームを知らない奴がとにかく早く走ろうと思ったらこんな感じにならないか? 腕の振り方も足の抜き方も荒っぽくさ。まあ夜だから、確信を持てる程でもないけど」
「でもナンバープレートは分かった。それだけでも大収穫よ」
「警察に出すのか?」
「まさか。それで対応するなら苦労はしないわ。この手の車は貸りている筈よ。所有してたらそれだけでバレちゃうし。だから利用記録が残っていると思う。次に行きましょう」
方針も明快に決まった所でさあ部屋を出ようと思ったその時。扉の下からメモ紙が滑り込んできた。
『静かにしろ。客が来た』
「おはようフェイ。実は頼みたい部品が幾つかあるんだが、見繕ってくれないか? 貴方の店は商品が多くて見つけるのも一苦労なの―――私に手間をかけさせるなよ?」
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