日傘の陰の背徳
時間帯的には朝食と言えなくもないような、でも正午も近いしそもそも朝食はもう食べているからやっぱり昼食だ。そうなると軽く済ませるよりはもう少しがっつりと食べたい。
「こことか、どうかな」
「うん、いいんじゃない?」
まさかこの治安の悪い町にチェーン店を見かけるとは思わなかったが、きちんと営業は出来ているし、お客さんもそれなりに居る。見栄を張って高いお店に入れるような財力もないなら、ここ一択だ。
透子はやっぱり店内でも変わらず差した日傘を窓側に置くような徹底ぶりだが、俺にはもうそんな些細な事なんてどうでもよかった。目の前に透子が居て、一緒にご飯が食べられる。それだけでもう幸せだ。
「ここには良く来るの?」
「んー。華弥子はもっとお洒落なお店に行きたがってたからこういう所は行かなかったかな。真司となら行った事あるけど」
「ふーん。それじゃあここを選んだのは……」
「まあ、値段…………かな。あはは、ごめん。お金持ちじゃなくて」
「いいのよ、気にしなくて。私は君と一緒に食事したいだけで、お金の事は気にしていないわ。そんな物があっても、仕方ないしね」
俺はもうかつて行った経験から頼むメニューは決まっているから、透子がメニュー表とにらめっこしている時間をただ眺めて楽しむ事にする。基本的にはただその、悩む姿を楽しみたかったのに、どうしても胸に視線が吸い込まれてしまう。
―――いけないって分かってるのに何で見ちゃうんだろうな。
それはとても大きいからだ。それ以外の理由なんてない。でも今は責められる謂れなどない。対面に座っているから、こうなるのは仕方ない事なのだ。ずっと目を逸らすのは人付き合いとしておかしい。
「…………実は透子も常連だったりするのか?」
「どうして?」
「日傘に誰も言及しないから」
学校では屋内で日傘を差す彼女をおかしいと発言する人間が確かに居た。先生にチクった人間も居た。結果先生が何もしなかったから変わらず差しているだけで、屋内で日傘を差すのは通常おかしい行動だ。だがここの人間は誰もそれに突っ込まない。
「中々鋭い考察だけど、閉じた傘ならともかく開いている日傘なら何てことないわ。ここはかばね町よ」
「……閉じた傘とどう違いがあるんだよ」
「傘に見せかけたショットガン、傘に見せかけた刀。そういうのがあるの」
どんな町だよ。
確かに、それに比べたら隠す余地がなく使用用途も明確な日傘なんて気にするに値しないが、本当にここは日本なのか。間違って中東あたりの紛争の絶えない国に来たのか。
「日傘を何処でも差してる奴ってお前くらいしか知らないけどさ、もう他の誰が日傘を差してても変って思えなくなりそうだよ。ここに長くいる人ってやっぱり感覚麻痺しそうだな」
「前向きに考えましょう。平和ボケしないで済むの」
「本当に前向きだな。俺達は何処で暮らしてるんだよ」
「注文、決めたわ」
話しながら選んでいたようだ。俺はナポリタンを選び、彼女はオムライスを選んだ。ドリンクについては水で構わないという事で見解が一致した。俺の方はジュース自体は好きだが食事に合わせるのが違うというタイプだが、透子は……どうなのだろう。なんとなく聞きづらい。
「俺はバイトしないから分からないんだけど、やっぱりカフェで働いてると同じ接客業として店員さんに優しくなったりするのか?」
「まあ、少しは。大丈夫よ、普通に対応してくれるだけで有難いくらい。チェーン店でもこの町の外か内かで教育は違うんだから」
「例えば?」
「倉田ぁ! てめえ今日ここに居んのは分かってんだよ出てこい馬鹿野郎!」
示し合わせたように扉を蹴破って現れたのは無精ひげを生やした男に連れられた集団だ。団体客の風貌ではないどころか、手に火炎瓶を構えている。男のしゃがれた大声が響いて店内に緊張感が走るも、厨房から慌てて出てきた青年がそれを止めに入る。
「お客様! 倉田は今日無断欠勤でございます。どうかお引き取りを」
ドスッ!
後ろの男性が躊躇なく店員を突き刺し、崩れ落ちた所を額に一突き。店内がざわつき始め、今すぐに逃げようという空気にもなってくる。だが目標は一人だけだ。大人しくしていれば少なくとも殺される事はないと思う。実際店員が殺されたのは割り込んだからで―――俺達みたいなやつに用事はない、筈。
殺される瞬間は惨くて見ていられなかった。
「夏目君。大丈夫?」
「大丈夫じゃないよっ。これじゃデートどころじゃないし、こんな時の対処法なんて考えてない! どうしたら……ああ、もう。この町やだ……」
「私達には関係ないんだから、騒ぎが収まるのを待ちましょう」
透子はもう慣れっこなのか呑気にカトラリーケースに手を伸ばして俺にフォークを渡してくれる。同じ町に住んでいても反応までも同じという訳にはいかないようだ。叫ぶ人間はいないが、全体的には裏口を使ってでも逃げようという意思が見える。殆どの客の足が机から出るように向けられているのがその証拠だ。
男達は散開して厨房も含めた店内を歩き回るが、倉田と呼ばれる男は出ない。頼むから早く出てきてほしい。嫌な予感がする。
「気にしていても君は倉田じゃないから仕方ないわ。そんな事よりも私がこれから弾くコインが裏か表かを考える方が有意義よ」
「透子、危機感がなさすぎるよ……じゃあ裏で」
「そう」
バキンッ!
余所見をしながら適当に言ったもんだから、コインを指で弾いたとは思えないような音に遅れて彼女の方を見た。しかしコインはとうに宙へ飛んだようだ。親指が立っている。
「………………あれ、何処に飛んだんだ?」
「…………どこかに飛んで行ったかも」
「下手ならやらなくて良いんだよ! なんだかな、俺の事を心配してくれるのは嬉しいんだけど、俺はお前の方が心配で仕方ないよ」
こんな時に遊ぶなんて。
今の物音で興味を惹かれない事を祈りつつまた厨房の方を見遣ると、男達の姿は何処にもなかった。代わりに集まっていたのは奥に追いやられていた従業員達であり、彼らは一人に作業を任せると各々本来の業務へと戻っていく。その流れで、俺達の頼んだ料理も届いた。
「お待たせしました~」
「あの、さっき入ってきた人達は?」
「あ、何だか私も良く分からない内に全員死んだみたいなんですよ。あ、ほら見て下さい。台車に乗せられてるでしょ?」
運んでいるのはさっき何かを任せられていた人。何人もの死体を台車に乗せて裏口の方へと向かっていく。火炎瓶は割れなかったようだ。
「……こういうのって日常茶飯事なんですか?」
「いえ、普段は売り上げを取られたり用意してあった料理を全部食べられたりするんですが。何でしょうね」
「美味しかったわね」
「美味しかったけど、さっきまでの騒動をなかった事にしないでくれよ。なんとなく収まったけど、本当に危なかったんだからな!」
「君が無事なら私はそれで」
「お前が無事じゃなかったら俺がやなの! はぁ、もう……勘弁してくれよな。トラブルはこれっきりにしてほしいよ」
だが昼食が終わったのも確かなので次だ。商店街でなんとなくお店を回りたい。服屋なんてどうだろう。華弥子も服屋を観に行くのが好きで、俺とのデートでは毎回違う服を着て、その乾燥を十分くらい求めてきた程だ。一般的な女子の感性かは怪しいが、透子もお洒落には関心がありそうに見える。
「次は何処へ行くの?」
「こういうタイミングでもないと俺も行かないし、適当に服とか見ないか? 透子が色んな服を着るの、興味あるな」
「……そう?」
「も、勿論今のセーター姿も凄く可愛いよ! か、可愛い。うん。変な意味じゃなくて」
「襲える?」
「へ?」
服屋に入ると、店員は俺達の顔を見るや何故か奥に引っ込んでしまった。それは透子のせい? 分からないが、さっきと違って恐れているようには見えない。
「ここの服屋さん、試着室に女性を連れ込んで襲う人があまりに多いからもう開き直ってそれをビジネスの一つにしてるのよ。勿論普通に買う事も出来るけど、その目的で来た人の方がお金を出すのかしら、服の値段がそれを利用する前提なのよね」
「はあ!? ま、マジで?」
出鱈目なんかじゃない。服のタグには有り得ないような高額設定ばかりが適用されている。外の地区なら詐欺も詐欺だが、ここではこんな商売が罷り通っているのか。そう思ったが、個室の中では何をしてもいいカラオケボックスも大概だ。印象が違うのはティルナさんが相対的には善良だったからかもしれない。
「お洒落には勿論、興味あるわ。どういう服を着たら、夏目君はもっと私を見てくれるのか……ふふ。それは冗談だけど、本当に安く済ませようと思ったら必要な事なの。だから、もう一度聞くわね。私達にとって、大切な事」
透子は試着室の前に立つと、日傘を閉じて俺の方へ顔だけを向けた。
「女の子として、私を襲える?」
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