恋はタイフーン

 自分の催涙スプレーを食らった場所まで戻ってみると、地割れが発生していた。俺を捕まえようとした店主っぽい男性はこの地割れの中に落ちて…………生存は絶望的だろう。

「あのー!」

 一応声を掛けたが、駄目で元々だ。底が見えない程にこの亀裂は深く、落ちた人間は確実に圧死するだろう。地割れがもう少しずれていたら落ちていたのは俺だった。

「…………」

 そういえば、誰も地震を気にしていない? 子供達も避難しようとしていなかったし、警報も出ていなければ慌てて建物の周りから避難する人間も居ない。地震が起きたのはあの周りだけ? それはメカニズム的に有り得ないというか……もし有り得るなら岩盤を力ずくでずらしたとか、地表を叩き割って広げたという滅茶苦茶な仮説を立てないといけない。そしてそんな事はありえ。


『人間災害、災害人間、人間型災害ディザストロイド。呼び方は何でもいいけど、この町に潜むもう一つの災害だよ。もしも手を出したら最後、そいつとそいつの所属してる組織や生活圏は跡形もなく吹き飛ばされる』


 ティルナさんの声が警告のように過る。この近くに居るという事か? そいつは、地震を自由に起こせる? じゃあ学校を爆破したのもそいつとか? 仮にそうだとするなら理由を知りたい所だが、あまり遭遇したくない存在でもある。何の道理があって地震を起こしたのか分からないが、危なっかしくて仕方ない。犯罪者だって、幾らお目溢しされるからってこんな話の通じない存在が身近にいると思ったら自分の国にでも帰った方が良いと思うのだが……

「……まあ下見は十分だし、後は待つか」

 待つとしたらカラオケボックスの中が安全なのだろうが、あそこは善意で貸し出される場所ではなく、きちんとした商売だ。お金を取られたくない。デート前にお金を使うなんて意味が分からないからだ。


 ―――俺もバイトするべきだな。


 いい加減小遣いだけではどうにもならなくなってきた。華弥子と交際していた時は働く時間も惜しんで一緒に居たけど、それが善くない方向に作用しそうだ。勉強時間ももっと増やさないと点数が……ていうか何処で働こう。

 色々な事を考えていたら、電話がかかってきた。普段使いしている方ではなく、もう一つの携帯だ。座っていた椅子が突然蹴り上げられたように飛び上がってしまい、慌てて電話に出る。

「も、もしもし!」


『もしもし、夏目君。今、何処? 家にはいないわよね』


「い~? いや、あの違うんだ透子。その、えっと、学校が」


『学校がなくなったんでしょう。私も今知った所。何処に居る?』


「…………何処か分かんない」


『……攫われたの?』


「そうじゃないんだ!」


 土地勘がない町をほっつき歩くなんて知らない外国を散策するようなモノだ。公園から離れてなんとなく歩いたのが間違いだった。見るからに危なそうな場所には居ないが、段々と気配が消えて行って、というか電柱が倒れて電線があちこちの建物に引っ張られている場所なので怖い。

『…………とりあえずそこを動かないで。迎えに行くから』


「場所が分かんないんだよ!」


『私は分かったから大丈夫。近い所に居るわ。目を閉じて十秒数えて」


 そんな近くに居るようには思えないが、言われた通りに目を閉じてゆっくりと十秒数える。

「……………」


 四。三。二。一。


「『もういいわよ』」

「え?」

 目を開けて見上げると、黒い日傘を差した透子が心配そうにこちらを見下ろしている。陽射しが遮られているから薄暗い表情にも見えるが気のせいだ。携帯の通話を切って、立ち上がった。

「透子!」

「デートの時間にはまだ全然早いのに、こんな所に来てどうしたの?」

「いやあ、ひ、暇だからさ。やっぱりその、知らない町を知りたいって言うか、知らない町の歩き方っていうか、なんか……その……」

「………………」

「―――ごめん。学校が爆破されるなんて思わなくてさ。予定が空きすぎて色々な事をしようとしたんだ。明るいし安全だろうって思って」

「お化けじゃないのよ、明るい内でも危ない所は危ないんだから。君に何かあったら悲しいんだから、気を付けてね」

「わ、悪かった。気を付ける」

 そういう透子だって女の子だから危ない、なんて。今の俺から言えたモンじゃない。透子は暫く何も言わなかったが、やがて恥ずかしそうに胸の前に手を置いた。

「……見すぎ」

「え、あ! ご、ごめん! その、サラシ、してないから……」

 縦セーターがお気に入りなのだろうか、彼女の暴力的な膨らみを惜しむことなく自己主張する様子は絶景で、見上げた時は顔というか、胸を見ていたまである。角度がついていたからきちんと顔は見えていたのだが、真下に居たら本当に胸しか見えていなかっただろう。

「君とのデートなら、君以外の視線なんて気にする理由はないわ。だから……なんだけど」

「い、良いと思う! 俺は凄く好き! あ、違う! 変な意味じゃなくて!」

「…………そう。なら良かった。せっかく合流できたしこのままデートしても良いけど、ちょっと気になる事を調べてもいいかしら」

 透子は日傘の中に俺を入れると、少し上半身を傾けて耳元で囁いた。



「学校、誰も居ないでしょう。二人で少し調査しましょう。部活じゃないけど、気になる事があって」





















 爆破された学校には当然多くの警察が到着しているが、現場検証という行為はそこまで早く終わるものなのだろうか。付近をパトカーが動き回っているが学校自体に警察は一人もおらず、誰でも自由に出入り可能といった様子。ここまでボロクソに破壊されておきながらなおも公共施設としての矜持を失わずにいる学校には頭が下がる思いだ。

「これって暫く学校休みになるのかな。もうすげえ嫌なんだけど」

「見たところ爆破されているのは教室だけで教科に関わるような部屋は無傷だから、どうにか授業はするんじゃないかしら。それにしても、数日は休みになってしまうだろうけど」

「ガラス踏まないように気をつけろよ。俺もだけど、透子に怪我してほしくないよ」

「有難う。それにしても教室の窓が全て割れるとこんなに破片が飛び散るのね」

 校庭に飛び散った大量のガラス片は一体誰が掃除をするのだろうか。自主性がどうとか言い出して生徒に掃除を任せるような教員は居ないと信じたい。俺達に過失はない筈だ。全員が口を開けて呆然としていた。

 昇降口付近は特に被害はなく通過出来る。有難いがこれはこれで非常に不気味だ。教室だけ狙って爆破するなんて、それこそ何か目的があったとみるのが妥当だろう。

「誰かを狙ったとかなら生徒が集まったタイミングでやるし、本当に分からないな」

「誰か、狙われるような事をしたの?」

「いやあ知り合いには誰も……あ、でも食い逃げかなんか分かんないけどかばね町で逃げてる奴が居たから、そいつって可能性はあるかもな。同じ制服を着てたし」

「……」

「透子、廊下もガラス片ばっかりだ」

 じゃあ一階の教室もそうなのかと言われると、全くそんな事はない。間近で見る無残な教室は中央が特に黒焦げのまま、周辺に破壊された机や椅子が飛び散っている。横着していた奴は可哀想に、机の中の教科書もまとめて木っ端微塵だ。

「……なんか見てる感じ、爆弾とか仕掛けて内側から吹き飛ばしたのかな」

「そうね。爆心地っぽい痕跡も残っているし、外から無理やり破壊した訳じゃなさそう。少なくとも人間災害の仕業ではない」

「そうなのか? こんな無茶苦茶やるんだからてっきり俺はそいつの仕業だと思ってたんだけど」

 壊れた窓から外を見つめる透子の背中には物憂げな雰囲気を感じる。これじゃあ行くとか行かないの話ではなくなったし、部活の話も流れた。事情がなければ学校に行っていたと言うし、きっと悲しいのだろう。


「―――人間災害なら爆弾なんか使わなくてもいいから」


「え?」

 透子は近くの壁に軽く拳を当てると、目を逸らしながら断言する。

「片手で十分。こんな建物」

「……もしかしてお前、人間災害の顔を知ってるのか?」

「知らないわ。かばね町に巣食う組織の上に居る人間だけが知っているらしいけど、誰もが顔を知っている訳じゃない。ティルナは手を出すななんて言ってたけど、その言葉は絶対に災害の引き金を引かないための心構えみたいなものよ」

「? 顔も知らないのに手を出さない事の徹底なんて無理だろ」

「無理だから、最初から誰にも手を出すべきじゃないの。身分が明らかじゃない人間以外はね。そいつがもし人間災害だったら自分の組織からはおろか他の全ての組織から狙われるわ。そんな存在が居るから、見かけ上は平和なの」

「い、歪な平和だなあ。まあでも一応、治安維持には一役買ってるのか。世の中何が抑止力になってるか分からないもんだな。それじゃあ華弥子が頼った所は凄く運が悪かった訳だ。自業自得……なのかなあ」

 その後はトイレなども見てみたが余波を受けて一部崩壊している事を除けばまるで被害に遭っていない。教室と位置が遠いトイレなんかは普通に使えるのがその証拠だ。目標はやっぱり教室だったという事か。

「…………そろそろ行きましょうか」

「何か分かったのか?」

「何も分からなかったという事が分かったわ。ちょっと興味があって探検したかっただけ。行きましょう」

「まだデートまで時間はあるんだよな」

「もう時間を気にしなくてもいいじゃない。私、お腹すいちゃった。夏目君は何処に行きたい?」

 昇降口の前で透子が日傘と共に振り返る。何とも切替の早い……でも、それだけデートを楽しみにしてくれていたのは、俺としても嬉しい。横に並ぶと、彼女は腕を絡ませて、ぴたっと身体をくっつけてきた。

「好きな場所へ連れて行って」

「お、おう。ま、任せとけ!」

 下見したルートを思い出そう。今度は透子も居るし、大丈夫だ。怒られない。

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