春の足音

 ティルナさんに大体聞きたい事は聞けた。この町の事を聞けば聞くほど、何だか治安の悪い国に迷い込んだみたいだけど、腐ってもこの国の治安はまだマシだ。だから気をつけさえすればデートだって普通に終われると思う。

「…………」

 時刻は夜の八時……透子はまだ働いているのだろうか。最初に来た時にあった車はなくなっているが、いまいち判別出来ない。営業時間なんて何処にも書いてなかったし、ネットで検索したところでこのお店が出ない事なんて何となく察しがついていた。

 彼女が働いていようがいまいが俺には関係ない事なのだが……ただ透子に会いたい。一秒でも長く話したい。そう思ったら不要なリスクを取っているとしても足が向かった。

 どうやら時間の無駄だったらしいが。



「だーれだ」



 立ち去ろうとしたその時、月の光が雲に隠れて周囲がサッと暗くなった? 違う、日傘が頭上に差したからだ。振り返ると、こんな真夜中でも光を避けようとする透子が怪訝そうな顔で首を傾げていた。

「少しくらい付き合ってくれてもいいのに」

「お店は終わったのか?」

「もう随分前にね。ティルナも居たからどうせカラオケの所に居ると思ったんだけど、入れ違いになったって聞いたから慌てて追ってきたの。そういう君は」

「お前に会いたくて! いつ終わるか分からなかったから、なんとなくの時間に来た―――わふっ」

 瞬間、抱き寄せられる。日傘の中に吸い込まれ、誰にも見えない暗闇の中で透子に抱きしめられていた。

「……ありがとう。私を心配してくれたのね。意外に思われるかもしれないけど、人に心配されたのは初めてよ。嬉しい」

「と、当然だろ。ここが危ない場所なら猶更心配くらいするよ! 透子は……女の子なんだから」

「……ふふふ。でも送迎するのは私なのよね。夜は危ないわ、家まで送る」

「お前は大丈夫なのか?」

「以前も帰ったでしょ。大丈夫。君と離れるのは少しだけ寂しいけど、まだ携帯もあるから」

 夜に日傘を差されると、その表情は暗くて見えたり見えなかったりする。それで一々横顔を見ようとするたびに目が合って段々恥ずかしくなってきた。これじゃあ何が何でも顔を見たい人だ。

「学校に居場所がないから、私に会いたかったの?」

「……それは、建前だよ。復讐が終わってもお前とはずっと会えるって思ってたんだ。でも蓋を開けてみたら会えなくて……携帯はあったけど、なんか電話するの気まずくてさ。俺とお前が一緒に居たのは復讐の為で、終わったら……違う世界の人なのかなって思っちゃって」

「そんなことはない。私も君も同じ世界の人間よ。私だって事情がなければ君に遭いたかったわ。せめて、暫く学校に来られない事くらいは伝えたかった。その点は本当にごめんなさい」

「いいよいいよ。元気そうでよかった。透子が元気なら……それでいいんだ。色々言いたい事も言ったけど、元気そうな姿を見れただけで良かったよ」

「……それ以上は求めない、と言わんばかりの言い草ね。私は君の彼女だった人とは違うわ。我慢しないでもいいのよ。君がしたい事があったら、何でも」

 もうすぐ、家に着いてしまう。家に帰ったらそれまでだ。残り少ない時間に何を言う。何を言える、俺は何が言いたい。



「…………夜、電話してもいいかな」



 家の前で振り返って、彼女の瞳を覗き込む。

「お前と電話したい。色々」

「それは、明日のデートについて?」

「ううん。もっと下らない、どうでもいいような事。恋人じゃなくなってもさ、友達でもお互いの事を知りたいって思うのは当然だろ?」

「……携帯を渡した時、好きにかけていいって言ったと思うけど」

「言われたけど、やっぱり許可が欲しいんだよ。あんまり自分勝手なのは……したくないからさ。お前に迷惑って思われても嫌だし」

「迷惑なんて思わないのに。分かった。それじゃあ君からの電話を心待ちにしているわね。どんな事を話そうか考えながら待つ時間は、もどかしいわね」

「出来るだけ早く電話する! あ、あ、透子も聞きたい事があったら何でも聞いていいからな! 俺の事、泣いてばかりの弱い奴だっていつまでも思ってほしくないから」

「そんな事は最初から思ってないわ。君は優しくて繊細なだけよ。辛い事も沢山あるでしょうけど、出来れば歪まないでほしい。それは間違いなく長所なんだから」

 玄関に手をかける。まだ―――いや、また、彼女は俺が中に入るまで待ってくれていた。

「………透子っ」

「ん?」

「また明日!」

「ええ。また明日。楽しみにしてるわ」

 
















「十朗の奴分かりやすくテンションが高いな」

「新しい彼女がそんなに可愛いのね~」

 そりゃあもう、可愛いなんてもんじゃない。恋人という設定のままなのはどうにもしがたいけど、食事の味が分からなくなるくらい、俺の頭の中はこの後の事で頭が一杯だった。俺の電話を彼女が待っているかと思うとドキドキする。開幕はなんて言おう次はこう言おうなんて頭の中だけで考えているだけでも楽しいのに、実際電話したらどんな事になってしまうのか。

「関係が進展したのか?」

「うん! もうほんっとうに今日は、生きてて良かった~!」

「……何があったかは分かんねえけど、ま、良かったな」 

 就寝準備も入浴も、あっという間に済ませてしまう。渡された携帯を両手で握って素早く布団の中に潜り込むと、電気を消していよいよ通話を始めた。


 トゥルルル……


 ワンコールもしない内に繋がる。

「……透子」


『……いつでもかけていいとは言ったけど、かけてくる予定があると知っているといつ来るか分からなくてドキドキしたわ』


「俺も……ははは。最初になんて喋ろうか考えてた筈なんだけどな。声聞いたら全部飛んじゃった。どうしよう、かな。もう寝る準備は済ませたのか? まだなら、待つよ。悪いし」


『それなら問題ないわ。君こそ、眠いと思ったらすぐに言ってね。言わなくても、声が眠そうだったら私から切るけど』


「眠いなんて事、ないよ! 透子と喋ってるんだぞ俺は!」


『…………何それ』


 でも本当に何を喋ろう。踏み込んだ事はお互いまだ雰囲気的にも聞きにくい。かといって天気の話なんてしても仕方がない。嵐が吹いている訳でもあるまいし。

「バイトがない日は何してるんだ? 学校には来ないとして」


『バイトがない日は……散歩とか、かな。後は、買い物とか。服を見るのは好きだから』


「そういう時もやっぱり、日傘って差してるのか?」


『勿論。眩しいのが苦手なのは本当の事よ』


 じゃあ俺も買い物が趣味だったらもっと早く透子と出会えたりしたのだろうか。子の辺りで買い物というとショッピングモールが選択肢に上がると思うが、屋内でも平気で日傘を差す人間なんて嫌でも目立つ。会ったからと言ってナンパよろしく声をかける程俺のフットワークは軽くないけど……もしもを想像したら、どうにもやりきれない。

 勿論、全部後出しなのは分かっている。


『君は何を?』


「俺は、華弥子とのデートがないならゲームしてるな。外に行く事はあんまりない……運動が嫌いなんじゃないぞ。ただゲームをしてる方が楽しかったってだけだ。サッカーとか誘ってくれる友達が居たら、勿論そっちを優先するさ」


『それじゃあ、私達が出会ったのは奇跡だったのね。相容れない行動を繰り返していたのだから、何かきっかけがないと一生すれ違ったままだったでしょう。そういう意味では、あの子に感謝しないと』


「…………そうか、な。そうかも。うん、そうだよな。華弥子と付き合ったのは無駄じゃなかったよな。必要な事だった。うん」


『でもゲームも嫌いじゃないわ。あのお店にだってゲームがあるでしょう。私の家にゲームはないんだけど、腕には自信があるつもり』


「それは思った! ずぶの素人がやるゲームって、結構ゲームやってる人から見ると何でそんな事するんだって事が多いんだけど、透子にはそれがなかったものな。家に無いのは、単純にお金の?」


『説明が難しいけど、概ねそんな感じ。外出するのは、家に居てもする事がないからよ。だからもし君と一緒だったら、喜んでゲームに付き合うと思う』


「ほ、本当か!? じゃあ……い、いつかやろう。家とか教えたくないならあのカラオケボックスでも使ってさ。一緒にしてくれる人がいなくて困ってたんだ! やりたいゲームはあるんだけど協力した方が絶対面白いゲームとかあるんだよ。でも無理強いは良くないだろ?」


『へえ? それは少し興味あるかも。持ってこられるならお願い。クリアまで粘ってみましょうか』


 ゲームの話に食いついてくれた事が凄く嬉しい。共通の趣味があると話題は一気に広がる。勿論好きで買い物をしているなら俺の方から彼女の話題を広げる事は出来ないのだが、仕方なく行っている様だし遠慮する事はない。


「苦手なゲームってある!?」


『苦手…………そこまで把握出来る程ゲームはやってないから何とも。でもパズル系は苦手かもしれないわね』


「なんか、意外だな?」




『全部吹き飛ばした方が話が早いなって思うような、雑な性格になりたい時もあるの』

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