恋の萌芽

「お前、俺に相談持ちかけるなんてマジか。一応さ、俺も記憶障害じゃねえからさ。お前をそれなりに怒らせた事は記憶に新しいんだが」

「俺だってまだお前の事を許したつもりはねえよ。でも仕方ねえだろ。誰も俺と話したくないんだ」

 あれから一週間ちょっと。もうすぐ十一月だが、月が変わったら対人感情も全て変わるなんて都合のいい話はない。華弥子に騙され善良を気取ったクラスメイト達は、その罪悪感からかまだ俺を避けている。ある意味矛盾脱衣のような行動だ。悪いと思っているのに謝れない、悪いと思っているので忘れる事も出来ず、忘れられないから会話も出来ない。そんな訳で今は、ちょっとした孤立状態だ。

 話せるのは善悪の基準が歪んでいる真司だけ。こんな奴とは可能ならすぐにでも縁を切りたいのに、俺の周りの人間はどうもおかしな奴ばかりだから切れもしない。

「……怒らせた自覚があるのに謝らないんだよな」

 嫌味ったらしく付け足すと、真司はつまらなそうに鼻をふんと鳴らす。

「謝るくらいなら最初からやらねえよ、知ってんだろ? その代わりと言っちゃなんだが相談には真面目に乗ってやろう。あの透子って子に毎日学校に来てほしいが、来てくれる方法が分からないって話だな」

「そもそも俺の中では学校って毎日行くもんだって認識があったから……来ない事に少し困惑してるよ。大学じゃないんだしさ」

「大学は人によるだろうけどな……ま、あの子が毎日来ないのは訳アリなんだろう。お前は恋人なのにどうやらそれを知らないらしい。本当に恋人か!? はははは!」

 中々鋭い考察だが、こいつに俺達の複雑な事情を話しても話のタネとして扱われて広められるのは容易に想像がついた。何としてでも恋人設定は貫かないといけない。透子には悪いけど、真司に弱味を見せるような真似は絶対にしてはならないのだ。

「親しき仲にも礼儀ありだよこの礼儀知らずが。お前と透子は違うんだ」

「まー毎日日傘差して歩いてる子なんて訳アリじゃなきゃ何なんだっていうのは元々だな。そんな子に毎日来てほしい……来る理由があればいいんだろ。彼女に毎日会いたいなんて言ってる事は華弥子の時となんも変わんねえな。部活に入ればいいじゃねえか。俺みたいに」

 可能なら、沈黙。

 存在しない行間を読み取っているかもしれないが、念の為の確認だ。遠慮なくその顔に指を突きつけ、それとなく拒絶の意思を示した。

「……それとなく勧誘してるなら、だけど。誰がお前のいる新聞部に入りたいんだ?」

 新聞部の新聞は現状オカルト新聞もといデマをばらまく悪質な部活として何度も注意を受けている。去年の夏頃、教師からわざわざ怖い話を募集して掲載した時はウケが良かったものの、基本は校風によってはアウトな記事ばかりだ。許されているのは殆ど見向きもされていないから。一例を出すなら、


 『新入生の点数が良いのは秘密のカンニング技があるから!? 有識者がその悪質性と教師の怠慢を指摘!』


 ほら、アウト。

「そもそもお前の部活に何で部費が出てるのか良く分かんないんだよな。自由すぎるだろ」

「一説には新聞部部長に受け継がれる特ダネがそれを可能にしてるらしいぞ。ってそうじゃない、お前なんて勧誘してもつまんないだろ。部活つくりゃいいじゃん」

「……でも部活は基本的に学校に箔がつくようなものじゃなきゃダメだぞ。俺は、運動は頑張ったらちょっと出来るけど、水泳部も陸上部もサッカー部ももうあるしな。何にすりゃいいんだか」

「そこは自分で考えな」

 ラグビー部やハンマー投げ部、ゲートボール部やモルック部など存在しない運動部を挙げるだけなら幾らでも出来る。ただ道具はないし、そもそも名前を出しただけで俺が出来るとは一言も言っていないし。

 じゃあ文化活動を行う部活ならと思ったが、そっちはもう大体存在する。屁理屈をこねてもゲーム部なんて許される道理はなく、瞑想部なんて以ての外だ。手段としてはありだが、内容が思いつかない事には何とも。


 ――――――あっちの方向性なら、行けるかな。


「顧問の先生が居ないと部活って成立しないよな。もう全員埋まってるんじゃないか?」

「一年に配るパンフレットをざっと見た事あるけど、全員ではなかったと思うぞ」

「…………そっか。じゃあ色々考えてみるよ。ありがとう」

「友達なら当然よ。気にすんなって!」

「どの口が言うんだお前は。友達はあんな卑劣な事をしない。ふざけんな」

「でもやるだけやって気まずいからって謝罪もしない奴よかマシだろ。俺は俺の悪をしっかり自覚してる。お前が怒る気持ちも理解してるんだ。それでいいじゃねえか」

「自覚してその態度ならイタすぎるぞお前。将来碌な大人にならないのは確定した。お前みたいな奴は不幸になるべきだ。痛い目見ろ」

「案外、俺みたいな奴が一番幸せになるんだよなあ~。お前みたいに真面目な奴の方が損するように出来てるんだ。あの時だってそうだろ? お前は華弥子に傷を残されて俺は面白いだけだった。かっはっは! そういうもんさ。そういうもんで出来てるんだよ世の中は。それはそれとしてお前が幸せになるなら応援してやるけどな!」





















「や、お兄さん~。待ったかい?」

「待ってたのはそっちでしょ」

「あれ? そうだっけ?」

 放課後になると真っ先に校舎を出てきてしまった。あんな居心地の悪い教室には一秒だって居たくない。いつ謝っても『華弥子に騙されていたなら』許そうと思っていたのに、ここまで頑なに避けられるとこっちも何だか、心の中の譲歩が馬鹿らしくなってきた。

「どうしたの? 何だかブルーみたいだけど」

「……平和でも幸せになれない事もあるんだなって思ってるだけです。かばね町が近所にあっても幸い犯罪には巻き込まれてない、いや巻き込まれかけましたけどね。それでもなんか、心が満たされないっていうか……生きてるって感じがあんまりしなくて」

「……何を以て幸福かは環境によるしねえ。私は平和な方が好きだけど、中には銃声の鳴りやまない一日が好きだって奴もいる。或いは危ないクスリのニオイで充満した、ヤク中だらけのラリラリな空間が好きな奴も」

「―――かばね町の話してます?」

「うちは個室で何しても関知しないから、そういうお客さんも来るんだよ? ずっと昔から住んでたけど、年々治安の方は悪くなってきてるね」

 こんな話をしても仕方ないと思ったがティルナさんは嫌な顔一つせず、何でもない事のように返答してくれた。そして聞けば聞くほど、かばね町がこの国の中に存在するとはとても思えない。国の中に治安の悪い外国があるみたいだ。

「引っ越したりは?」

「引っ越すって、何処に引っ越すのさ。それに、無法には無法なりのルールがあって、無法だから美味しい蜜が吸えるって話もある。カラオケボックスだって、外じゃもっと厳格に運用しないと摘発されちゃうぞ♪」

「…………真面目じゃない奴ほど意外と幸せになるって本当なのかもしれませんね」

「お? 言うねー。お兄さんみたいに正直な人は嫌いじゃないぞー。真面目も誠実も素直もいい事だけど、報われるのかはまた別の話だから、まあ当たらずとも遠からずかな」

「……」

「私に悩みは解決出来ないけど、発散くらいは出来るからいつでも寄ってね! っと、橋超えるよー」

 もう何度も侵入しているが、未だにこの空気の変化は慣れない。同じ国、同じ土地、地続き。にも拘らず、身体はここが別世界だと認識している。たまたま帰り道として恐らく友達と下校している小学生が前方を歩いているのに、だ。

「そういえば一つ気になったんだけどさ、お兄さんって透子に会う為だったらちょくちょくこっち来る?」

「まあ、来たいとは思ってます。思ってるだけです」

「それじゃ向こうについたら私の方からこの町でやってはいけない事について教えてあげましょー! これもサービスだから気にしないでっ」

「……随分気前がいいんですね」

「あはは、タダより高いものはないよお兄さん。私だからいいけど、この町に住む人からの厚意にはくれぐれも気を付けてね。気づいたらお尻から火が上がってて、とっくに手遅れだったりするかもよ?」

 


 透子の働くカフェの、その真下までやってきた。マンションの中にあるなんて聞いた事もないが、実際あるんだから仕方ない。階段前には誰もいないが、お客なのか左右の道路をせき止めるように車が何台か止まっている。中は暗幕がかかっていて良く見えない。

「駐車ルールもガン無視ですか」

「まあそこそこ人気のお店だし、この町だから仕方ないよ。私のお店は機密性で売ってるけど、こっちは安全性で売ってるの。数少ない安全地帯って訳」

「誰も襲わないんですか?」

「襲う? もしそんな事してる奴が居たら大変だね、お店より先に誰かが勝手に報復すると思うな。何でかは―――後で話したげるっ。この町以外の人に話すのは初めてだから、くれぐれも内密に。シーっだよ、シー」

俺の方を振り返りつつ、ティルナさんは人差し指を口に当てて悪戯っぽく笑った。しかし背中を向けて前に歩いていたせいでマンションの入り口から少しずれ、コンクリートの壁に激突してしまう。

「あいた!?」

「ティルナさん!? そんな気はしたけど、大丈夫ですか?」

「そんな気がしたなら言ってよもー!」

「す、すみません……」

 彼女の笑顔があんまりにもあどけなくて見惚れていたなんて。口が裂けても言えない。元よりその銀髪から、ティルナさんには現実離れした美しさがあった。

 気を取り直して階段を上り、カフェの玄関に手を書ける。開くのは、俺でいいらしい。


 ガチャ。


 少し力を入れて開けると、以前来た時とは違って幾つかの間接照明が点いている。カウンターには、閉じた日傘を立てかけたまま接客をする透子の姿が。


「や、透子っ。きーてやったぞ♪」

「……よ、や、と、透子。来た、ぞ」


「夏目君。よく来てくれたわね。…………会いたかった」

 



 薄茶色のエプロン姿が、とても可愛い。

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