好きだった あの子

「…………」

 返答がない。だが電話越しの状況は切迫しているらしい事が伝わっていた。本当に何が起きているかは分からない。華弥子が黙ると建材のめくれ上がる音や銃声までもがありありと聞こえてくる。銃声? 災害に銃で立ち向かう人間なんて現代的じゃない。人間災害というのはなんだ? 人間が空から降ってきて周辺を焼き尽くすとか? 多分それはただの軍事作戦だ。


『てめえクソガキ! 早く話せ! 何黙って……やがる!』

『痛い痛い痛い痛い! やめて! わ、分かった! 分かりましたぁ!』


 聞いた事のないような音をどうにか聞き分けようとするが、電話一本では無理があるか。分かるのは『嵐』と呼ばれる何かが華弥子のいる場所に襲来している事。そしてそれは、まるっきり立ち向かえない現象である事。応戦しているのは最後の抵抗だろうか。何もしないで死ぬよりは……という。

 

『ひぐ、う、う……ほ、ほんと、どうなっちゃったんだろうね。私達……う、うま、上手く行ってたのにね……』


「それは俺が言いたかったよ。最初から全部嘘なら飽きた所で俺を振ってくれれば良かったんだ。そうしたらこんな事にはならなかった。俺は真司に嗤われて、お前は……あの大好きな先輩と幸せになれたよ」


『だ、大好き……? ちが、違うよ……? 鷹村先輩は、私にお金をくれる便利な人だっただけ…………うう、ふふふふ、ぐす、あははは』


 …………泣いているのか笑っているのか、それとも怒っているのかよく分からない。彼女が少し喋る度に奥から聞こえる声が小さくなっていく。誰も何も言っていないが、タイムリミットのように思えてしまう。


『わた、私はね……ふふ。じゅー君の事が好きで好きで仕方なかったよ……? その為に色々準備……したのになあ。あはは。ぐす、ふぐううう…………』


「……………ッ」


『じゅー君さあ、変わっちゃったよねえ。前までの貴方だったら、反抗なんかしてこなかったもんねぇ……へへへへ。私はさぁ、じゅー君の、どんな酷い事してもごめんねって謝ったらすぐ許してくれそうな、ペットみたいな所が好きだったのにさ』


「…………好きな奴にする事かよ。自分が何したのか分かってないみたいじゃないか」


 もし俺に責任があるとすれば、華弥子にそんな勘違いをさせてしまうくらい従順で素直だった事だ。不機嫌になってほしくなかった。一瞬で嫌われたらすぐにでも振られると思った。自分はおよそ魅力的な男性ではないと知っていた。兄には日頃からかわれ、親にはその兄と比較され、自信を持つ土壌すら育っていなかった。そんな自分に出来た初めての彼女。大切にしようと思って何が悪い。少しくらい自分を抑え込んだって、離したくなかった。


『私は…………じゅー君が好き。じゅー君の泣いた顔が大好きなのぉ………へへ、えひひひひぅぅううう。あははあははううううう』


「…………何?」


『じゅー君の! 泣いた顔が好き! 泣いた顔が見たくて私は、あんな事したの! 私は普通だったのにぃ! じゅー君の泣き顔があんまりにも可愛いから!』


 男なら無暗に泣くな。そう言って育てられた自分にとって、これ以上の屈辱はない。

 情けないと思われたくなかった。かっこいい人だと思われたかった。そうしたら華弥子はずっと俺の事を好きなままで、いつかは結婚できると思っていたのに。全ては何の意味もなかった。独りよがりの、気遣いですらない。

 だが納得は行ってしまう。今までの行動全てが俺を泣かせる為であったのなら、これ以上ないくらい効果覿面だった。透子が居なかったらもっとずっと泣いていただろう。家でも学校でも、それこそ涙が枯れるくらい。

「……………………そっか。分かったよ。分かりたくもないけど、自分の見る目のなさには心底溜息が出る。好きなのは本当だったって言われた時は少し嬉しかったけど、俺の聞きたかった答えじゃなかったよ」


『じゅー君が悪い! 私は悪くない! 私は! 悪く! ない!』


「―――今までありがとう華弥子。お前の事は本当に大好きだったよ。でも、もう顔も見たくない」

 店員さんに目配せすると、彼女は画面を押して通話を終了してくれた。華弥子との会話が終わる頃には体も少し動くようになっている。ゆっくり上体を起こすと、ソファーの背もたれになんとか肩を預けた。

「おー、ちょっち動くようになったかな。おけおけ、このままもう少し休んでて。料金は取らないであげるから」

「……………………」

「あー……恋愛って碌な事ないよねー。気持ち分かるよ。私もさ、男運がなくてさ。クズみたいな男としか会えなくて困った時期もあったよ。そんな私から見たら、お兄さんはまともだと思うな」

「……恋愛って、難しいですね。華弥子の事は全部分かってたつもりだったのに、あんな一面があるなんて知らなくて」

「あはは。ま、私が答え知ってたら苦労しませんよ。でもお店に来てくれたらいつでも話し相手になりますよ。オプション料金を貰いますけどね♪」

「…………そういうお店みたいですね」

「お得意様へのサービスは尽くしますとも。ですからこれからも……うちのお店をご利用いただけたらなと―――」



「ティルナ。戻ったわ」



 がちゃりと扉を開けて入ってきたのは透子。家にでも帰っているという話だったが、いつもの制服姿が赤色の縦セーターに変わっているので間違いなさそうだ。直前の記憶では俺と一緒に彼女も誘拐されていた筈だが、俺と違って元気そうだ。

「透子……大丈夫か」

「運転が下手だったみたいでお互い助かったわね。夏目君の方は大丈夫? 薬は抜けた?」

 透子は俺と店員さんの間に割って入るように座る。日傘を閉じて、俺の横に置きながら。

「…………まだ少し、しか。力が入らないな。家には帰れそうもないよ」

「…………私がおんぶしてあげる?」

「それは……恥ずかしい」

 透子に背負われて家に帰ったら兄ちゃんが何ていうか。恋人の関係性なんて何でもいいと思うけど、もう恋人関係は終わりだ。華弥子への復讐は終わった。彼女が真実、俺を愛していたなら、俺から嫌いになる事で決着だ。残っているのは後始末くらいで、そんなものは後でいい。

 知らず知らず物思いに耽っていると、文字通り透子に顔を覗き込まれている事に遅れて気が付いた。心配そうに目を細めて、俺の肩を触っている。

「……何かあったの?」

「……俺の泣いてる顔が好きで、困らせたかったんだって。どんな事をしても謝れば許してくれそうだからやり過ぎたって……そんな下らない事言われたらさ、どうしたらいいんだよ」

「……私は泣いてる顔よりも、君の笑顔が好きよ。君が幸せそうだと、私まで幸せになれた気がするから」

「―――ありがとう。慰めてほしい訳じゃなかったんだけど、結果的になんか、お前に甘えたみたいになったな…………」

 男は無暗に泣いてはいけない。それならいつ泣けばいい? いつ泣けば受け止めてくれる? 一体誰が俺の涙を、悲しさとして受け止めてくれる。

「う、う、うううう……ぐす。うう」

「…………」

 透子の手がゆっくりと俺の身体を導き、身体の内側で強く抱きしめてくれた。心なしか普段よりもずっと強く、離れようと思っても離れられない。泣く以外の選択肢など許していないように。

「ごめん…………ごめ……ごめん。とう、こ。お、おれ、おれ俺は恰好よくなんか、ないいないんだ……」

「そんな要素は求めてないから、大丈夫。君は君のままが一番素敵よ。泣いても笑っても、私は傍に居る。絶対、約束するから」



「君を泣かせる奴は、私が跡形もなく―――」


 



















 かばね町に存在する建造物の内、『白タ組』が関与したとされる建物は全て跡形もなく吹き飛ばされた。道中の建物も半分以上が倒壊し立て直しを迫られる事に。『嵐』は人知れず現れ、そして人知れず去る。俺や透子がその『嵐』に巻き込まれなかったのは不幸中の幸いだろう。俺達への誘拐未遂も追突事故のせいで失敗したらしいし、本当にツイていない。

「よお、十朗。俺を屋上に呼び出すなんて告白か? 悪い、俺は異性が好きなんだ」

「ちげえよ」

「じゃあ華弥子の行方でも探してんのか? だとしたら俺に聞くのは筋違いだ。確かに俺は華弥子が好きだがよ、匿ったりする程じゃねえよ。それに? 町の監視カメラにはかばね町に駆け込む華弥子の姿が映ってたそうじゃねえか。情報公開してまで華弥子の両親は娘を探したいみたいだが……」

「かばね町は……法律が見掛け倒しだ。もし俺みたいに誘拐されてたら難しいだろうな」

 たまたま俺達は事故に恵まれただけ。そして、店員さんが優しかっただけだ。それは紛れもない幸運。その直後に『嵐』が吹いたとされるなら、本当に不幸中の幸いだ。九死に一生を得たとも言う。

「華弥子の行方はどうでもいいんだ。俺はもうアイツの顔すら見たくない。死んでほしいとも思わないけどさ、どうか俺の視界の外で勝手に幸せになってくれ。それくらいしか求めない。俺が聞きたいのは、単純な疑問だ」

 初めてやる。だけど、身体は怒りに身を任せ衝動的に真司の胸ぐらをつかんでいた。

 屋上のフェンスに追いやり、背中を押し付ける。

「俺は無暗に泣くなって教育を受けてるんだ。華弥子の前じゃ情けない男って思われたくなくていつでも笑顔で余裕を保ってきたつもりだ。。俺がアイツの前で泣いたのはクラスで追い詰められた時の一回だけだ。それ以外は全部、アイツが見てない所だった!」

「おいおい何が言いてえんだよ。言いたい事がさっぱり分からん。俺が追い詰められる理由もな? 関係あるか? 俺」



「お前しかいないんだよ真司! 三度の飯より俺の泣き顔が好きなんてふざけた事をいう奴は!」


 真司の前で泣いた事は二回ある。そのいずれも彼は転げ回って指を差して俺をバカにしてくれた。たっぷり笑ってたっぷり揶揄って―――多分写真を撮った。

「何を言うかと思えばまた酷い話だ。冤罪だぞ十朗。俺は確かに面白けりゃなんでもいいが、今回はお前の味方をしたろ? そんな大親友をお前―――」

「華弥子は俺の泣き顔が見たくて困らせたくてあんな異常な行動に走ったんだと。じゃあ、その顔を教えたのは? 透子は知り合ったばかりだからない、家族は一切関係ない! お前しかいないだろうが!」

「や、泣き顔の話は言葉の綾だ。俺はお前が教室で詰められてた時の顔をだな」

「お前はトイレに行くとか言って居なくなってたよな! しかもあの後すぐに地震が起きて、俺達はすぐ校庭に集められた。様子を見に行く時間なんかなかった筈だぞ」

「………………あー」

「俺の泣き顔を知ってるとすれば、それを華弥子に教える可能性があるとすればお前だけなんだ。お前は華弥子の事が好きだし、俺から奪う為に教える可能性も考えられる。情けない所を見せてやろうって。お前はそういう奴だからな」

 真司は暫く無実の人の顔をしていたが、退路がないと悟ったのだろう。空気の割れたような笑い声をあげて、俺の顔を強く押しのけた。

「なんだよなんだよ、人が一生懸命吐いた嘘を簡単に見破りやがってよお! お前にしてはやるじゃんか十朗! ま、一つ違うのは別れさせようなんて魂胆はなかったって事だな」

「嘘だ! じゃあ何で見せた!」

「そりゃ親切だよ! 彼女って言うからにはお前の泣き顔がどんだけ面白いかも知ってるかと思ったんだ。でも知らない様子だったから見せてやったんだよ。俺はな、十朗。華弥子の事は好きだが……大嘘つきは嫌いなんだ。俺達は同好の士だったが分かり合えなかったのさ」

「良いように言うなよ! 何が同好の士だ!」

「虚言癖と大嘘つきは違うんだ。俺は嘘を吐く必要がなくても吐くし、その内自分でも嘘が分からなくなる。華弥子は嘘を吐く必要があるときに嘘を吐き続ける。嘘がバレないためだったら幾らでも重ねられる、そういう人間なんだ。ただ共通点があるとすりゃ―――自分は幾らでも騙すつもりだが相手には誠実さを求めたいって所だな。早い話、同じ嘘つきが嫌いなんだ」

 真司は昼下がりの太陽に向かって腕を大きく広げると、芝居がかった調子で梯子を上って貯水タンクの真上に立った。

「華弥子がどうなったかなんて俺も知らねえし興味もねえ。自分の嘘の代償をたっぷり払わされてるんじゃないか? さっきも言ったが俺にそんなつもりはなかった。お前の泣き顔は天然で、たまに見れるからいいんだろうが、どんな手段を起こしてでも泣かせるは俺の趣味じゃない。基本的には笑っててほしいのが友人心だな!」

「…………お前と友達になって後悔した日がまた更新されたよ。最低のクソ野郎。何で俺の周りにはこんな奴しか居ないんだ」





「なら友達をやめるか? 悪いな、俺、好きな人が居るんだよ。だから気持ちには応えられない……でも、でもじゅうろう君とはずっと友達だから! あははははは!」

 







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