ラバー・キュート・アグレッション
クラスが騒然としている。その中心に立つのは二年が誇る外様の鼻紙売り、昨日の友は今日の敵を地で行く信用など欠片も求めないひねくれものの笛吹き。
「文句は言うなよ? ちゃんと約束は守ったんだからな?」
遡る事八時間ちょっと前―――
真司を間に挟んで遂に俺と華弥子は話し合いの場に立った。ここまで見越して個人的な繋がりを断った訳じゃない。あれは殆ど衝動的な……透子がいなければ最大限の復讐のつもりだった。
それがこんな形で作用するなら俺にとっても都合が良い。真司を挟んだのはあいつに中立を―――少なくとも華弥子による偏向報道を避ける為だ。勿論アイツは自分が面白いと思えば約束を破り肩入れするだろう。だがその判断の基準において有利に立っているのは俺だ。
『人望だけでそいつが正しいかどうか決まるなら生徒会長は正しすぎる』
真司の性格の一端が良く分かる一言だ。彼は多数決で決まる状況を好まない。人望という一点で俺は華弥子に随分負けている。所謂、積んできた道徳の数が違うのだ。
だから彼が俺に肩入れしない事はあっても、華弥子に肩入れする状況は考えにくい。そうでさえあるなら俺にとっては中立だ。
『なんで真司君が居るの? 私は二人きりで話したかったんだけど』
「そりゃ、俺はストーカーみたいだからな。俺は恋人だって思ってたけど、ストーカーなら怖がらせたくない。これでもし俺がお前を怖がらせるような発言をしたら真司はお前の味方になってくれる……それで今度こそ俺も終わりだ。安全、だろ」
『……真司君は口出ししないの?』
「口出ししない。飽くまでこの場を見届けるだけだ。それで、何の用だ?」
正直に言えば怖い。自分でもあんなに大好きだった華弥子に牙を剥く事になるとは思っていなかった。未来を見る力があってもこんな未来は有り得ないと当時の俺なら切り捨てていただろう。
でもやらないといけない。
それが透子と交わした約束だ。声を聞いただけで揺らぐような決意なら、もっと前にやめているべきなのだから。
『……まずは、ね。貴方に酷い事言っちゃった事について謝らないといけないの。わた、私はね。実はじゅー君の事まだ好き。なんだよ、ね。うん。だからさ、もっかい付き合わない?』
「……俺はストーカーだって話だったけど」
『それはあ! せ、先輩が居て、怖かったの。覚えてるでしょ? じゅー君を殴った人。あ、あの先輩にね、実は脅されてたの。む、無理やり体を……その。ね。それで、バラされたくなかったら俺の彼女になれって言われて。怖かった! 怖かったんだよ私! だからストーカーって言うしかなかったの! ごめんね、本当に……ごめん……』
泣きじゃくりながらうわ言のように謝罪を繰り返す華弥子を可哀想だと思う? ちょっと前の俺ならそう思っていたが、今は……全てが嘘にしか聞こえない。真司と違うのは、彼が虚言癖を自分から申告している事くらいだ。初めから『自分を信じすぎるな』と言ってくれる友人と『騙しているかどうか分からない』恋人は、随分印象が変わってくる。
「……先輩が怖かったら俺を身代わりに差し出していいのか?」
『あ、あの人お父さんが警察の偉い人だから……じゅ、じゅー君だって分かるでしょ。かばね町に隣接してるせいでここ最近はずっと物騒で、せっかく通報してもすぐに釈放されて仕返しに来られる事が多いって! でもそれ、普通の人には適用されないんだよ。きっと働いてるアピールの為にちゃんと捕まっちゃって……人生が終わっちゃう』
「成程な。じゃあお前が屋上に俺を呼び出した時にお前が……エッチしてたのは、強姦だったんだな? 警察がバックに居るからされるがままだったんだな?」
『……み、見てたの!? 見てたなら助けてよ!』
む。
中々痛い所を突かれた。俺は彼女とのグループを削除したから証拠を提出する事は出来ない。あるないの水掛け論は人望が物を分ける。分かっていた事だが、誠心誠意謝罪だけをする気なんてのは毛頭なかったようだ。紛れもない悪意を感じる。
「……じゃアお前は俺に助けを求めたのか?」
『助けを求められる状況じゃなかったでしょ!? 彼氏なら察してよ!』
「……強姦されて、翌日普通に登校してきたのか? 警察が頼れないからって普通に登校するのか?」
『そ、それは……普通に暮らさないと逮捕するって言われたから!』
「ストーカーって扱わないといけなかったとして周りを味方につけた意味は? 学年が違うんだ、ずっと発言を見張るなんて不可能だぞ。俺は……透子が居なかったら危うく孤立する所だったんだぞ」
『実はあの教室には盗聴器があったの! 回収されたら……バレちゃうから』
ああいえばこういう。人望だけに説得力を任せてきた華弥子にとっては一点張りが最善の方法という訳か。もし一対一だったら必要なかったかもしれないが、ここには姿なき見物人の真司が居る。彼が華弥子を好きなのは本当の事だし、物的証拠のない中で言い合えば味方をしてくれる算段だろうか。
「…………華弥子。俺はお前の彼氏だったな」
『え、うん』
『お前の喜ぶ顔が見たくて、色々頑張ったよ。多少我慢してでも笑ってくれる顔が好きだから頑張った。お前は俺の太陽だった。俺の初恋は……間違いなくお前で、お前との日々が俺の青春だった。眩しくて、目を細めても、それでも見つめたかった』
『…………』
「―――なんで嘘吐くんだ? 俺が先輩に殴られた件は誰も知らない筈だぞ。俺はあの後保健室に運ばれて、教室前の廊下には穴が開いてそれどころじゃなかったからな」
加害者から被害者へ一方通行の要求はあっても逆はない。俺を殴った事実はあの先輩から聞く以外に方法はなく、脅されて仕方なく従っているという図式はそれで崩れる。
「……お前が俺を彼氏と言ってくれるなら、ようやく言えるよ。別れよう華弥子、お前は俺の事なんか、全く好きじゃないんだから」
―――時を戻そう。
俺達のやり取りを見届けた真司はその場はきっちり見届けるだけで、翌日スピーカーから録音したそれをクラス中に広めていた。
「何してんの!? やめて、 やめなさいよ!」
「おーいおいおい! 最初に人望を使ったのはお前だろお? ならみんなも事の成り行きが気になる筈だ、俺はさ、う、うぅ……ういははははは! 華弥子の事が心配でしょうがなくてさあ! もう、もうさ。十朗の奴が悪いなら徹底的に潰そう! これを聞いて、真偽を明らかにな!」
「……じゅー君、貴方も止めてよ!」
「俺なんかが真司を止められる訳ないだろ。俺が本当に悪いならそれまでだ」
物的証拠を出せないからと好き放題言ってくれた代償は重い。真司にだけ印象を植え付けられればいいと言った嘘はこの大衆の場では真偽をはかられる。嘘は嘘だ。真実ではない以上何処かに必ず綻びがある。
「あれ? 俺、華弥子から相談受けてたんだけど、ストーカーで高校来る前から粘着されてたって」
「私、むしろ彼氏自慢されてたよ? 先輩って三年の
「家に来るかも分かんないからうちにとまってって言われてたんだけど」
その場その場で同情を得たくて嘘を吐く。その場限り最大限の成果を得たくて状況に応じた嘘を造る。バレない嘘なんてものはない。遅くバレるか早くバレるかの違いだけだ。そしてどれだけ強固でも、いや強固だからこそほんの一筋の罅が決壊に繋がる。
「………………みんな! みんなきいて! これはその! これは、えっと…………ぐす、うええええ、ちが、違うのお……!」
「おいおいこいつ泣きやがったぞ! おっかしいなあ華弥子! 泣きたいのはさあ、つーか泣いたのは十朗の方なのになあ! おいみんな見てみろよ、被害者ぶって泣いてやんのあははは!」
真司は平等に馬鹿にする。一人で笑って、転げ回って、その辺を叩いて回ってジャンケンポン。 奇行に及ぶのは彼だけで、クラスメイトはバツの悪そうに俯いていた。
「あれ? 笑わないのか? みんな弱い物虐め好きだろ? 趨勢は傾いたんだぞ、ほら、みんなで追い詰めろよ。追い詰めないのか?」
「真司! お前ちょっと黙れ」
「なんだよ間島、いいとこ見せたいのか? お前もストーカー扱いされるかも―――」
ドゴッ。
有無を言わさぬ一撃が真司の鼻先を直撃する。クラスの女子が華弥子を置き去りに悲鳴を上げる中、真司は飽くまで芝居がかった調子を崩さない。
「黙れよ! 女の子が泣いてんだよ!」
「女の子が泣いてるのはオーケーで、男が泣いてんのは放置か? 善人ぶるなよなあ? 華弥子を助ける奴が居て、十朗を助ける奴が居ないのはどんな違いだ、お? 俺達はつい最近まで仲良しこよしだった筈なのにな」
「てめえ!」
「図星かよ! きもちわりー!」
担任の先生が介入するまでこの騒ぎが収まる事はないだろう。そしてこれはもう……学校としても一大事になりそうだ。個人のトラブルでは済まされなくなっていく。事態の収拾はもう誰にも図れない。
その場で崩れ落ちたままの華弥子は俺を睨んだまま動かない。あんなに泣いていたのが嘘のように静かになって鋭い目を光らせている。
ああ。
全部、嘘だったんだ。本当に。
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