身も心も私に委ねて

 真司みたいな無茶苦茶な奴と相対的な親友になっていると勘違いされやすいが、俺は普通の人間だ。感性も尖っていないし、およそ特技と呼べるような特技もない。趣味はゲームなのでゲームくらいは上手いが、それはセンスというよりも経験値だ。

 ……優しいのは、長所ではない。

 単に問題を起こしたくないし、起きてほしくもないという意識からこうなったに過ぎない。俺が本当に穏やかな性根ならあの腐った友人相手にも聖人の如き態度を貫いているだろう。

「…………お上手」

「お世辞はいいよ。上手いって言われた事ないんだから」

「でも私からすれば十分上手よ。耳が肥えてないのかもしれないけど、今が楽しいならそれでいいじゃない」

 こんなに席は広いのに、透子と隣り合わせになって座っている。


 ―――さっきから胸が気になって仕方がなかった。


 透子は歌う時、立ち上がってその辺を歩き回る。それはいいのだが、たったそれだけでどう擬音で表せばいいか分からないくらい露骨に揺れて、ずっと意識が取られている。サラシの効果は想像以上だ。外しただけでこんな、制服の生地が突っ張って、暴力的な自己主張を見せている。

 駄目だ、もう誤魔化せない。華弥子に嫌われたくないからって劣情を封印していた。こういう純粋な子は汚らわしい感情の発露を嫌うだろうって、自分は生まれた子の方一度も邪な目で女子を見た事がなく、惚れた理由もその心の美しさにありますと言わんばかりに、取り繕っていた。

 だからだ。だからこんな何でもない場所で悶々とする。自分で発散? 家族が居るのに無理だ。兄ちゃんなんて勝手に入ってくるから隠しておく事も出来ない。最悪なんだアイツは。

 己の本能から目を逸らすように注文してあったポテトとグラタンをつまむ……つまむ? 

 料理目当てにカラオケボックスに立ち入るのはおかしいと思っていたが、どうもここは裏で個人経営のレストランをやっているらしく、こちらへの料理もついでに提供しているらしい。メニューは日替わりとシェフの気分で、毎日同じ物を頼む事は出来ないが美味しいのは確かなのだと。

 とはいえ流石にステーキは頼めなかった。お腹に溜まったら家で夜食が食べ辛くなる。

「な、なあ」

「何?」

「…………なんで、サラシを外したんだ?」

「……ちょっとした実験よ。君の視線がどんな風に変化するのかと思って」

 答えを聞きたくならない返答だ。どうなったかなんて自分が一番良く分かっている。およそ綺麗とは言い難い視線をずっと彼女には向けてしまった。よくよく見ると透子はそわそわと落ち着かない様子で耳にかかる髪を何度も掻き上げており、見られている事に対して何とも思わなかった……なんていわれても、正直信じられない。

「……すぅ。はぁ……………少し、考えを変えたの。完膚なきまでの復讐は、復讐の為にと感情を押し殺してやるんじゃなくて、もっと自然に、意識しなくても離れた心は戻らないと分からせる事が重要なんじゃないかって」

「ど、どういう事だよ」

「華弥子さんの本性を君は見たけど、まだ好きになれる?」

「……もう、無理だと思う。俺の見立ては何もかも間違ってたんだ。全部水に流せってのは無理だけど」

「そこ」

 透子が向き直りながら、俺の太腿に手を置く。

「けど、っていうのは。友達くらいだったらもう一回やり直せるって思ってない?」

「…………と、友達くらい、良くないかな」

「それが甘いの。復讐に譲歩は必要ない。譲ればそれだけ相手もつけあがる。泣いても笑っても許される余地もなく、自分が人気者というプライドをぐちゃぐちゃにして初めて復讐は遂げられるの。今の私達じゃ、そのプライドまでは手を出せていない」

 今に限った話ではないが、透子は復讐を自分事のように考えてくれる。その表情は至って真剣であり、ここまで親身に寄り添ってくれた人は家族にも居なかった。だから俺も復讐をする気になった……裏を返すと、あのまま誰も来なかったら泣き寝入りしただろう、確実に。そして兄ちゃんに馬鹿にされるまでがワンセットだ。

「プライドっていうのは、人望の事か?」

「人望もそうだけど、女性としてのプライドよ。要するに私にメロメロな男の子は沢山いるから誰か一人くらいに仕返しされても大丈夫という余裕の事。もしくは、泣けば許してくれるという傲慢の事」

「で、でも泣いてる女の子に追い打ちかけるのは人間として大分駄目すぎるような」

「仮にも夏目君と恋人だったなら、他人とシた光景を見せれば泣く事くらい想像もつきそうなものだけど。その上で彼女は追い打ちをかけたわね。泣いてる男の子には追い打ちしてもいいの? 時間が経ってるならノーカウントなの?」

 ―――真司の言う事もたまには当てになるな。

 女子は対女子に強い。本当だった。華弥子に対して一切の慈悲をかける気がない。それも全部俺の為と思うと、自分の話なのに何処か他人事で消極的になる自分が情けなくなる。自分が何故自分を大切に出来ない。

「それで、このプライドをズタボロにしたかったら単純には無理。追い詰めれば追い詰めるだけ、むしろそれを逆手にとって肥大化してしまう。断定はしにくいけど―――もっと攻撃的な彼氏なら同じ光景を見せられた時攻撃するでしょうから、君は彼女が股をかけた人間の中で一番優しくて穏やかなんだと思う。そんな君から見放されたら、プライドはどうなるでしょうね」

「……だ、だからそれをやってるんだろ? 今」

「いいえやってないわ。君は譲歩する気でいる。だから考えたの。こんな形は……恥ずかしいけど、身も心も私に委ねてくれたら、君は譲歩しなくなるかなって」

 今度こそ、意図的に。顔が双丘の谷間に埋められる。背中に回った手は優しく、いつでも振りほどける。それなのに顔は、自分の意思でどんどんと埋められていった。それこそ山の頂上から谷底に突き落とされたみたいに。

「ふぐ。ふーふふふ!?」

「ここのカラオケボックスの治安が良い理由、分かる? それはね、個室の中で起きた出来事にお店は関知しないという暗黙のルールがあるからよ。監視カメラもないでしょう? このお店を荒そうとすれば、どんな目的であれコソコソしたい人達がそれを許さない。だから安全なの」

 でかい。柔らかい。でかい。柔らかい。水だ。柔らかい。沼だ。でかい。火花が散る程の高速思考が、全てそんな単語に上書きされる。

「だから、例えば君がここで私にどんな事をしてもお店はそれを注意したりしないし外に漏れる事もない。私は君の恋人だから当然言わない。ねえ夏目君。ついさっき貴方の好きなタイプを色々聞かせてもらったけど―――」






「身体を触らせてくれない彼女と、身体を触らせてくれる彼女。どっちがいい?」





















「ご利用ありがとうございました~。お兄さん、またいつか来てねー!」

「……は、はい」

 透子の差す日傘の中に入って帰路に着く。夕日は丁度逆光になって眩しいが、日傘があれば目を細める必要もない。

「はいこれ、私の連絡先」

「―――えっ、え?」

 連絡先、というより。薄型携帯その物だった。中を見ると、確かに透子の連絡先しか入っていない。

「私と話したくなったらその携帯からいつでもかけてきてね。本当に、いつでも」

「いつ寝てるんだよ。夜は流石に迷惑、だろ」

「大丈夫。君がかけたいと思った時は絶対に寝てないから。恋人だもの、当然よ」

 携帯には唯一自分の尾を呑み込んだ蛇が抜け殻と一緒に絡まっているストラップがついている。珍しいのは間違いない。市販品でこんな造詣は見た事がないし。

「本当に、迷惑じゃない?」

「じゃない。迷惑を考える前に君はもっと我儘になるべきよ。友達も恋人も、基本的にはもっと優しいんだから。残念ながら君は、そこまで優しくない方を引いてしまったみたいだけど」

 かばね町への出入りを認める橋までやってきた。ここから先なら大丈夫。間違っても襲われる事はそうそうない。この橋の先なら警察もきちんと取り締まってくれるのだから。

「こ、ここまでで大丈夫。後は自分で帰れるよ」

「そう? 少し心配だけど、そこまで言うならここでお別れね」

 日傘から体を出して目を細める。見送りたいのか微動だにしない彼女を見て、慌てて踵を返す。

「わ、我儘って言うならさ! 一つだけいいかなっ」

「……?」

 それは飽くまで小声で。大声で宣言したくないような内容だったから。



「お、俺以外に変な目で見られたくないから、学校では、胸。か、隠してくれると、う、う、嬉しい……かも…………」



 せっかく踏ん切りがついたのに発言している内にお願いする内容でもないと思い直した結果がこの語気のしょぼくれ方だ。また反射的に謝って逃げ帰ろうとすると手を引っ張られ、普段の彼女からは想像もつかない膂力(道路で俺に押し倒されて押しのけられないくらいの力だ)で日傘の中に引き込まれる。

 透子は、頬を緩ませ、恥ずかしそうに目を細めながら。



「ふふ……分かった。それじゃあ二人だけの時ね。有難う。私を選んでくれて」





 結局、俺は身体を触らせてくれる彼女の方を選んだ。仕方ない。そういう質問だった。


 抗えなかったのだ。

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