放課後デートは魔が差すくらいが丁度いい

 会話を聞いた後は速やかにその場を離れた。直前まであんなに人を脅していたのに携帯から手を離すや否や、この世が終わったように泣きじゃくり始めたのは困惑を通り越していっそ恐ろしかった。自分の発言の意味を分かっているのか? 恐らく、泣き出したいのは彼女の彼氏だ。あんな風に脅されたら、というか仮にそれで逮捕されなくても社会的信用が地に落ちる。

「おかしいなあ。付き合ってる頃はあんな子じゃないと思ってたんだけど」

「誰だって隠したい本性はあるわ。華弥子さんはやりすぎたみたいだけどね」

 部活に入らないとこの後はとても暇になる。昔だったら真司でも探して(彼は部活に入っているが)暇つぶしをしに行ったかもしれない。けどそれは仕方なくで、他に時間を潰す手段があるならそちらを優先する。友達というのも微妙な関係性だけど仕方ない。アイツとはそういう間柄で、善良でいようとする俺が気持ちよくその意識を捨てられる数少ない人間でもある。

「今日は何処に行く? お家に帰るなら送るけど」

「……まだ明るいし、今のうちにかばね町を歩いてみたいな。幾ら治安が悪くても明るい内なら悪さはしないと信じたいよ」

「最終的に釈放される事になったとしても一旦は逮捕されるから、あまり間違っている推測とも言えないわね。それじゃあ比較的安全な場所から美味しいお店でも探して食事でもしましょうか」

「知ってるのか?」

「あの町が外からかばね町と呼ばれているのを知らないくらいには付き合いの長いつもりよ。ついてきて」

 犯罪者ばかりが集う町のイメージが強く、俺はこれまでかばね町について知ろうとも思わなかったし知る機会もなかった。でも今は透子がバイト先に選んだ場所だ。少し、知りたくなった。

 

 ―――警察が頼りにならないんだったら、俺が守るべき、だよな。


 見惚れる程綺麗な横顔、いつまでも見つめられる。ああ、これだから俺って人間は駄目なんだ。なんとなく流れで恋人関係はなかった扱いのまま話は進んでいるが、まだ別れを告げていない。他の子に気を取られるなんて駄目なのに……気が付いたら透子の事を盗み見ようとする。

「と、透子はさ。交際経験あるのか? 男の人と」

「……どっちだと思う?」

「――――――な、無い。根拠というより、俺がそう信じたいってだけ」

 これも、正直気味の悪い発言だと思っている。なんだ、信じたいってのは。隣に真司が居たら間違いなく俺をバカにしている。でも、目先の評価に囚われてでたらめを言い出したらアイツみたいになるし。透子にだけは嘘を吐きたくなかった。

「ええ、正解。無いわ。交際経験はない」

 少しの沈黙。聞き間違えかと思って向き直る。

「『は』?」

「身体だけの関係もないわよ。ただ、バイト先の店長さんが男の人だから交流はある」

「あ、そういうね。ま、紛らわしいな。でも―――聞いといてあれだけど、それはそれで不思議だな。男に慣れてないならハグなんてしてくれる筈ないのに」

「華弥子さんと交際していて感覚が麻痺したんじゃない? 流石に、泣いている男の子を慰める為ならハグくらいしてあげるわ。恋人は今の所設定だけど、友達だってもっと近い距離感があってもいいと思うの」

 かばね町に続く橋を越えて、ここは既に危険地帯。前々からここに住んでいた人には申し訳なく思うが、ところどころ血のこびりついたコンクリートや割れたコンビニのガラスなんかを見るとそういう感想は出さざるを得なかったりする。ただし今回遠目に見かけた人は普通の子持ちの主婦っぽい人で、遠くからこちらに挨拶をしてくれるまともな人だった。子供の手前、無視したくなかったのか。

「率直に言うとね、今回の復讐とは関係なく君とはもっと仲良くなりたいの。あの時君が泣かなかったら私は君を見つけられなかった。こういう不思議な縁は大切にしておきたいから」

「……俺も透子とは仲良くなりたいよ。お互いそう思ってるなら、きっと出来るよな!」

「そうなの? だったらどうして今日はずっと視線を逸らすのか教えてほしいわ」

「え―――」

 小道に入ったかと思うと、日傘で視界が塞がれて気づけば透子に追い詰められていた。大通りに逃げる方向へは彼女の腕が塞いでいる。目を逸らそうとすると逸らす度に顔が近づいてきて、段々何処に目を動かしても彼女の顔が視界に入るように。

「教えてよ」

「………………ち、近いよ透子」

「い、言ったらお互い恥ずかしくなるぞ。良いのか!?」

「下手な脅しね。大丈夫、私は君がどんな事を言っても涼しい顔で受け流すから」

「…………」

 言わないという選択肢はなくなった。でも俺は言いたくない。下手な脅しというのも正しくて、どっちかっていうと自爆テロだ。自分が嫌だから、相手にも嫌だと思ってほしくて脅しのような言い方をしてしまった。しかし透子は怯むどころかむしろ勇ましくなってしまって。

 色々考えた末、とにかくこの状況を脱しようと頭を悩ませた結果。


「…………………ぇ」


「あっ、あっ」

 伸ばした手がブレザーの上から透子の胸を触っていた。どう上手く場を切り抜けるか考えていたのに、なぜか俺の身体はこの場さえ切り抜けられれば手段は何でもいいと解釈していたのだ。慌てて手を引っ込めた頃にはもう遅い。透子は耳まで顔を真っ赤にして、手持無沙汰だった手を胸の前にあてがった。

「…………えっち」

「ごめん! ごめんごめん! 違うんだって透子! ちが、ちがうんだってこれはその―――」

 頭が段々パニックに陥っていく。自分が何をしたのか分かっているからこそ取り乱していた。ここまで来るといっそ取り繕うのも馬鹿馬鹿しい。日傘の中に顔を隠そうとする透子を掴んで、抱きしめて、道路の上に押し倒した。

「お、お、お前の顔があんまりにも綺麗だから……見惚れてて、でも華弥子にストーカーって言われたばっかりだから見るの躊躇ったんだ! お前と付き合うのが嫌だからついでに顔も見たくないなんてそんな事全然ない! 絶対ない! 有り得ない!」

「…………も、もう分かったから。わ、私の負け。だから一旦離れて―――」

「あ、ごめん! ごめん! ああもう、最悪だ―――!」

 慌てて透子を引っ張り上げると、責任を取って彼女の背中についた土汚れを綺麗に叩き落とす。スカートのあたり、足回り。汚してしまったのは俺のせいだ。最後に落とした日傘を渡すと、やっぱり彼女は視線を傘で遮ってしまった。

「…………君の気持ちは、良く分かったから。私はてっきり、君のタイプじゃないからかと」

「え?」

「……華弥子さんみたいな子がタイプだったから、彼女と交際したんじゃないの? まさか彼女の感性に惚れた、なんて言わないわよね」

「あ。いや、まあその。笑顔が好きだったからさ。それ以外の理由なんてないよ。この子、俺の為に笑ってくれるなって、身勝手に思っててさ。兄ちゃんは『見た目より性格より価値観が合うかどうかだぞ』とか言ってたけど、そんなアドバイス全然頭に入らないくらい夢中だったよ」

「明るい子が好みって事?」

「そ、そういう意味じゃなくて―――」



















 かばね町の中で比較的安全が保障されているらしいカラオケボックス(食事なのにカラオケボックス?)に入ると、さっきの意趣返しか個室の中で地獄のような聞き取り調査に付き合わされた。悪意はないのかもしれないが透子に対して好きなタイプを細かく語らないといけないのは軽い拷問だ。特に見た目の話はデリケートになりがちだから、恐ろしかった。


 ―――あれ、下着じゃないよな。


 背中を叩いていた時に気づいた。透子は下着を着けていない。着けているのは多分サラシだ。影越しに除いていた時は気にも留めていなかった―――というか不意打ちだったけど、サラシが緩んだか何かで大きさが出てしまったのだろう。

 それくらい大きかったし、触った感触は指が溶けて染みるように柔らかかった。掌に収まるかどうかという、そのあまりの量感はこれまでの学校生活で一度も見る事さえかなわなかったものだ。これは実際真司が高校に入ったばかりの頃に行ったあまりに不用意な戦争の火種だが―――


『大きいのが好きならお前何で華弥子と付き合ったんだ? つーかこの学校に来た事自体間違いだ。揃いも揃ってそんな大した事ねえぞ? はは! もっと勉強頑張っておつむの良い場所に行きゃよりどりみどりだったかもな! でもざんねーんながら~お前の頭はお前が思ってる程良くありませーん! にしても地頭が良いって別に褒めてねえよな。だって成績が良くなきゃどうせこんな高校に行かなきゃなんねえんだからさ』


 これをクラス内で発言したのだからもう本当に、生きた心地がしなかった。可及的速やかに口を塞いで裸絞めに移行するのも止むを得ない爆弾発言。通り越して災害だ。もしあの発言を聞かれた上で別れていたら今頃俺はあいつをボコボコにしていた。

「ここなら料金時間内は安全よ。お互いの事を知りたいなら歌を歌う事が一番だと思うの。何を歌うかで性格の傾向みたいなものも見えてくるし」

「うん」

「先に曲を入れておいてくれる? 私は少しトイレに行ってくるから」

 透子は通る為に一旦日傘を閉じてから、また入り口の方で日傘を差し直して建物の奥へと行ってしまった。


「お客さーん。もしかして入れる曲にお悩みですか?」


 間を置かずして話しかけてきたのは、カラオケボックスのカウンターに立つ店員だった。普段まともなお店に入っているとあまりの服装のラフさに驚いてしまう、というかさっき驚いたばかりで、店員にはそれを嗤われたばかりだ。猫耳フードを被ってポケットに両手を突っ込んだまま接客する人間なんて何処に居る。ここはまともな町ではないと再確認するに至った。

「どれくらい曲入ってるんですか?」

「演歌しか入ってませんよー」

「え」

「あー嘘嘘。ちょっと困らせたかっただけ。しょうがない、ご新規さんだし、少しサービスしてあげますか~」

 カウンターから店員が離れてこちらにやってくる。近所では―――いや、というか本当に輝いている銀髪を見るのは初めてかもしれない。ショートカットだとしてもあまりある煌めきがどうしても目を眩ませる。

 カウンターから出てきてようやく気付いたが、この寒い季節に店員はホットパンツを着用していた。華奢な上半身に反してお尻から太腿にかけて凄まじい厚みがあり、それで寒くない……なんてあり得ないか。

「女の子と来たんだったら恋愛系の歌で幸せを感じられるような曲がいいですよ。あ、余計なお世話だったら私はいつでも退室しますからね? ただお兄さん、あんまりこういう場所に来そうには見えないから」

「……これ、新規の人に毎回?」

「慣れてそうだったら単なるお邪魔ですから、シー! です。あ、良ければ後でポイントカードとか作っちゃいます? ポイントが溜まれば色々サービスしてあげられますよっ」

「それはまた後で……好きな歌を歌うのってやっぱりまずいですかね」

「お? お兄さんにもそういう曲があるんですね。失礼ですけどどういった曲がお好みで?」

「ないです」

「ほうほう……今の時間、お返ししてもらってもよろしいですかね?」

 歌は好きだが好きな歌はない。何を言っているか分からないと思うが、鼻歌や空で歌う程度には好きというだけでマイクを握ってガッツリ熱唱する程ではないという意味だ。大体そんな上手い方じゃないから、真司と行った時は大抵馬鹿にされる。華弥子がカラオケ好きじゃなくて良かった。

「ごめんなさい、語弊がありました。透子……連れの人の好きな歌を歌うのってまずいかなって意味で」

「御存知なんですか?」

「いや、知りませんけど」

「時間返せって。あ、すみません私ったらとんだご無礼を。しかしその、お客様。語弊があろうとなかろうと受け答えの目的が分からなくなってきたと言いますか」

「あー。いや、あー。えー」

 正直に言うと、パニック状態だ。透子と二人でカラオケをするなんて思いもしなかった。言いたい事が伝わらないのも分かっているし、自分が訳の分からない発言を長々しているのも分かっている。

「あーその! 高校生くらいの女の子が好きそうな曲ってありますか?」

「流行りの曲でしたら入れさせていただきますよ。私も高校生ですからね、それくらいは把握していますとも! おっと、トイレから出た音。それではちょちょいとチョイスさせていただいた所で失礼しまーす。どうぞお楽しみくださいませー!」

 入れ違いになるように、透子が戻ってきた。店員に振り返って、それから俺の方を見下ろす。

「……何を話していたの?」

「……………………」

「夏目君?」

 大きすぎて、話が入ってこない。




 透子が、サラシを外した。

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