乙女心に鉄拳制裁
「今日は有難う。透子のお陰で助かったよ。学校に行くのも嫌になる所だった」
「気にしないで。屈せず学校に行くのも復讐の一つよ。はいこれ、ホットミルク」
「……未練が残ってる感じを出さないとか、精神的に負担に思ってる素振りを見せないのがいい、だよな。分かってるよ」
華弥子のそれはどう考えても悪意を持った行動だ。俺が慈悲を持つべきじゃないのは分かっているが、慣れない事でどうにも……身体が手を差し伸べそうになる。別れたという事にはなっているが、まだ正式にそのようなやり取りはしていない。今でも……いや、今だったら、それこそ謝罪されたら、許してしまう気がする。
「……一つだけ聞いてもいいかな。透子」
「ええ、何でも聞いて……教える気があったら教えてあげる」
「お前は疑ったりしないのか? その、俺をさ」
「どういう事?」
「俺は嘘なんか吐いてないよ。自分では何もしてないと思ってたのにある日突然浮気された。それで、恋人なら絶対に見たくないような光景を見せられた。でもそれは俺が勝手に言ってるだけだ。お前は……何で信じてくれたんだ?」
人望だけで正しいかどうかが決まるなら生徒会長は正しすぎる。真司の言葉でふとした疑問が過ってしまった。俺達の協力は俺の発言が全て真である事を前提に組まれている。会ってまだ一日そこらの殆ど他人みたいな存在をそこまで信じられる根拠が、良く分からない。
透子は死角にある椅子に座ると、両腕を枕みたいにして顎を乗せ、視線を明後日の方向に揺らした。
「……前も言ったと思うけど、あんな場所で泣いてる君を疑おうなんて、酷いじゃない。誰かが助けてあげるべきで、今回はたまたま私だっただけ。それ以上の理由はないわ。何で君を見つけられたかと言えば、その泣き声が聞こえたからだし」
「う……そんな大声で泣いてたのか。はあ。真司もそうだけど、すっかり泣き虫のイメージがついちゃったな。泣いちゃ駄目なんだけど……」
「……現実的に考えて泣きたくないなら涙を枯らせばいいのよ。沢山寝たら、夜は眠れなくなるでしょう? 私の前でだけ泣いていればきっと泣かないわ」
透子と指先が重なると、これが初恋だったようにドキドキしてしまう。初恋というのは、初めてだからこそ感慨深い気持ちが籠るのだと勝手に思っていた。そして二度目、三度目となるにつれて気持ちが薄まり、俗に言うところの初心ではなくなっていくのだと。
初恋は間違いなく華弥子だ。酷い目に遭ったからってそれをなかった事にはしない。もし俺が、透子を好きになったのなら二度目なのだが……いや、好きになったなんて、そんな事があり得るのか?
まだ、出会ったばかりだぞ?
「…………?」
後ろめたい事でもあるように、俺は彼女の目線をまともに受け止める事が出来ていない。いつかまっすぐ見つめられる日は来るのだろうか。眩しくて、どうにも……直視に堪えられない。
「こ、これからの予定は?」
「私が介入した事で向こうの予定は狂った筈よ。多分、貴方を孤立させて付き纏わせる目的があったんじゃない?」
「……ああ、そういう事、かな?」
謝罪をしてと言われて、謝罪をしたら終わりと思っていたけど。透子の介入がなかったら針の筵の中でそれをしなければいけなかったし、謝罪をしたとしてそれを受け入れるかどうかは別の話だ。付き纏うというのは多分それで、俺は許してくれるまで謝罪をしないといけないから、そうなるとどうしても華弥子をストーキングせざるを得なくて……
「―――それでストーキングが事実になっちゃって、更に追いつめられる、かな。いや、俺なら追い詰められる。学校にも行きたくなくなるし、家からも出たくなくなるな……悪質だけど、やっぱり分からないや。華弥子は何でそこまでして俺を追い詰めたいんだろ。酷い事、した記憶ないんだけどな」
加害者はいつだって加害を大した事だと思っていない、みたいな物かもしれないが。それでも俺が能動的に何かした事は殆どないのだ。デートはずっと、華弥子の言う通りにしてきた。
「案外、大した理由なんてないかもよ」
「そんな事ないだろ。俺を大嫌いになるくらいの深刻な理由があったんだ。今更復縁なんてする気も起きないけど、でもそれだけは謝っておきたいかも」
「……あんな目に遭わされても相手の事を考えてしまうような人が、何かするとは思わないけど」
翌日から華弥子は俺に話しかけてこなくなった。クラスの冷ややかな目線は続いたが、だからってそれが何か悪影響を与えたかというとそんな事はない。真司はさっぱり空気なんて読まないし、透子は相変わらず日傘で視線をシャットアウトする。
これで復讐は終わり?
そんな事はないと思うが、多分華弥子の行動待ちなのだろう。受け身になればそれだけ災難に遭う確率も上がるが、彼女の真意を知りたいから、望む所だ。
「……次は体育? それじゃあ少し早めに帰りましょうか。またね、夏目君」
「ま、また!」
「新しい彼女と話すのはいいが、お前。もうお前らの惚気なんざ見たくないつってみんな先に行ったからな。お前も早く着替えろよ」
日傘で周囲を遮断すると状況が変化した事にも気づけないのは割と深刻な問題だ。酔いどれの足取りで真司が去っていく間、俺も時計とにらめっこを繰り返しながら着替え始めた。制服を脱いで体操服に頭を通したその僅かな瞬間―――視界が遮られ、復活した時には教室の中を大柄な男子が覗き込んでいた。
「…………おう。お前が夏目か?」
「え? あ、は、はい。そうですけど」
感覚的に三年生だと思って敬語を使う。我ながら、自分でも無防備だと思ってしまった。今は繊細な時期だ。目立つような事もしてないのに俺に絡みに来る人間は大抵華弥子絡みだっていい加減気づけたら良かったのに。
そう思い直した頃にはとっくに壁際に追い詰められ、先輩に凄まれていた。
「お前さ、華弥子に手出してさ、許されると思ってんの?」
「え、え、え? な、何ですか?」
「なんですかじゃねえよ。俺の彼女。分かる? 彼女だから。気持ち悪い奴が居るってずっと相談されてたんだよ。一回しか言わねえからよく聞けよ。人のモンに手を出すな。分かったか?」
「…………あ、あの。こ、交際したのはいつ頃ですか?」
「あん? 高校入ってすぐだよ。なんか駅で待ち合わせしてたのかな。ふらふらしてる姿が可愛かったから声かけたら、意外にも乗り気でさ。後はまあなんか勢いで」
「…………」
「なんだよ、ストーカーしてる奴には信じられないか? ま、とにかくさ。きもい事はやめろ。言っとくけど俺の親、警察だからな。ストーカーするくらい素行が悪い奴なんて簡単に逮捕してくれるだろうな」
「………………せ、先輩さん。あ、貴方多分、騙されてますよ」
「は?」
高校入ってすぐ。駅で待ち合わせ。思い当たる節があった。少しデートしたいから駅で待ち合わせと言われ、先に待っていた事があった。結局華弥子が来たのは三〇分くらい後の事で、彼女は元々遅刻は許さないが自分の遅刻には甘かったからその時は何とも思わなかったけど。
「待ち合わせしてたのは俺です。もしその時に交際が始まったなら貴方は華弥子に騙されてます! なんてこった……俺だけじゃなくて他の人にもそんな真似を。華弥子は―――」
バギッ。
それ以上喋る事は出来なかった。強烈なフックが顎に叩きこまれ、脳震盪と共に崩れ落ちたからだ。意識は辛うじて残っていたが、自分でも理解出来ないくらい身体が動かない。動かし方を忘れてしまった。
「お前はただのストーカー! 一緒にすんじゃねえよ。俺までストーカー扱いか? やっぱ華弥子は俺が守ってやらねえとしゃあねえなあ。こんなイモ臭い奴にも付け狙われるなんて、小動物っていうかなんていうかさあ―――」
足音が遠ざかっていく―――。
「なんだ、おま―――! ぐぇ、ギ!」
廊下の奥で、何かが強く叩きつけられる音。何度も。何度も。何度も。
「お゛、お゛め゛ま゛ば゛! ゲ、ギ、ギャ!」
今度は足音が近づいてくる。なんだ、ろう。誰、が。俺。を。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます