眩しさから目を背けて

 地震速報はないが、震度にして4くらいはあったとも、5はあったという人間も居る。校内の被害状況としては殆どの人間が物に捕まってけがはなかったが一部は転倒して負傷、また一部のガラスは割れて職員室のような棚の多い場所はかなり倒れてしまったらしい。

 謎は深まるばかりだが、幸運にも俺のクラスに大した損害はない。あの時立っていた奴らが頭を打ったりしたくらいだ。暫くは……立つ事に恐怖して震えながら立つ同級生を見るのが面白くて仕方なかった。良くない事と分かっていたが、心の底からざまあみろと思った。思ってしまった。

 だが幸運が続いたのはそれまでだ。クラスに戻った俺が針の筵である事に変わりはない。むしろ地震のせいで集合が早まった分、早速クラス全体が剣山に変わった気分である。

「おい、夏目お前さ―――」

「邪魔」

 

 そんな辛い時間も、透子が来るまでの辛抱だった。


 校内にも拘らず日傘を差した彼女を邪魔出来る人間は居ない。何人かが先生に報告をした事は分かっていたが、ただの一人もまともに対応しようとしなかった。

 近くの机が空いているなら近くの机に座り、そこすら空いていないなら俺の机に座り。日傘を横に倒して背後からの視線を完全に遮る。

「夏目君、授業はどうだった?」

「え、えっと……難しかったかな。あんまり良く分からなかった気もする。テストが心配かも」

「何処が分からなかったの?」

「授業内容って最終的に帳尻合わせるだけで進度は別々だよな? えっと―――」

 真司だとしても話し相手にはなってくれただろうが、彼では背後からの冷たい視線を防ぐ事は出来ない。俺の方向からでは嫌でも目に入ってしまうし、背中を向けたとしても背中に冷たい視線が刺さるのは避けられない。視線は物理的干渉を生じさせる物体ではないが、なんとなく感じられるのだ。

 しかし黒い日傘がそれらすべてをシャットアウトしてくれる。俺の目に映るのは透子の全身だけ。座っている位置の関係でどうしても見えてしまうのは机に乗り上げたタイツ越しの太腿とかウエストの辺りになってしまうけど、彼女は一向に気にしないで話しかけてくれた。顔を見ると恥ずかしくなる。こう、雑念を排除された場所では綺麗すぎる顔は見られないのだ。

 まともな味方という事でこれまた真司を引き合いに出すが、アイツが全力で助けてくれたとしてもクラスメイトの暴力には敵わないだろう。力ずくという意味ではない。『夏目に用事があるからお前はあっち行ってろ』と言われたらそれまでという意味だ。

 しかし透子にはそれすら通用しない。何故なら誰も彼女の知り合いではないから。間違っても女子に力ずくなんて手段に応じたらそいつが顰蹙を買うし、先生は何故か「まあまあ」と言って対応しない。休み時間が終わる事でようやくその守りは解除されるが、そうしたら今度授業が始まって俺に突っかかる時間など微塵もない。

 一日は、その繰り返しだった。


「夏目君、購買で買いすぎちゃったから一緒に食べましょう」

「あ、ああ。いいけど、なんか奢られてるみたいで悪いな」

「購買なんてほんのお小遣い程度の金額じゃない。あまり深く気にしないで、私は、君の笑顔が見られればそれで充分よ」

 日傘で互いの存在は遮られているが、その言葉を聞いた華弥子の心境や如何に。俺が散々言ってきた事だ。最初こそどんな目に遭うかと冷や冷やしていたものの、四回もの昼休みにわたって徹底的に守られるとどうしても気が緩んでしまう。なんとなしに気にしてはいたが、日傘の内側では彼女と呑気に指相撲なんてしちゃっていた。

 数字は数えない、ゲームについて言及もしない。クラスメイトには俺達が何をしているか分からない事が重要らしい。『しずかに』と、わざわざ机の上に指でそう書いてくれた。指で、木の表面を圧して書いてくれた。

 それについては目を疑ったが、指相撲は俺の全勝だ。多分机が地震か何かで脆くなっていたのだろう。

「ふふ、焼きそばパンが好きなの?」

「ボリュームのある食べ物は結構好きだよ。どうしたんだ?」

「あんまり急いで食べたせいで顎に人参がついてるわよ」

「え、あっ。ご、ごめん! あ、あはは……」

「ふふ、かわい…………」

 


「なんで!?」



 何やら華弥子が騒いでいるみたいだけど、何の事だか本当に分からないし、今は本当に気にならなくなってきた。もっと透子の事を見ていたい。透子に触れたい。楽しい。

「……そろそろ昼休みも終わってしまうみたい。名残惜しいけど、そろそろ退散しようかしら」

「な、なあ透子! 放課後だけどさ。一緒に……」

「ええ。校門で君の事を待っているわ。コインでも飛ばして遊びながらね」

 透子が椅子を引いて立ち上がると同時に五時限目の開始を告げるチャイムが鳴った。日傘が持ち上がると、今更後ろに真司が立っていた事に気づく。彼女は相手にせずそのまま去っていたが、当の真司も透子よりは俺に用事があるっぽい。

「おう。彼女と楽しい話し合いは終わりだ! つーか俺にも感謝しろな? あの子に話しかけられないからってぜーんいん俺をパシろうとしたんだぜ?」

「……俺と友達だから?」

「お前なら話せるだろっつってなあ! こんなのイジメだろ。だーれが親友のお惚気話に首突っ込むんだ? 俺のモットーは平等に馬鹿にする、だ! ほら、俺の後ろを見ろ、バカの博覧会だぜ!」

「おい! 言いすぎだって!」

 真司は虚言癖を自称するが、それ以上に発言に対する遠慮がない。馬鹿と言われて殆どが彼の方を睨みつけていたが、真司は今にも笑い転げる勢いで震えながら自分の席に戻りに行く。

「だ、だってよお! 用があるなら傘どかして喋れりゃいいじゃん! だってお前が十割悪いんだろ? 全員何を遠慮してんだ? 正義はここにありなんだろ? マジでさあ、幾らコイツが悪いからってなんとなく大勢の圧力だけで委縮させるのは卑怯だぞ。ま、そういう意味じゃお前の新しい彼女は肝が据わってるな」

「……そうなのか?」

「俺にいわせりゃ巨人みたいなもんだ。数を数とも思っちゃいない。ま、彼女居ない歴=年齢の野郎が言う事なんざそう真面目に受け取るな。はっはっは!」

 今は心強い味方だが、平時もずっとこんな調子だから本当に何度だって友達になった事を後悔する。こいつは長生きしない―――まさに絶体絶命の危機にある俺が言うのもおかしいが、そう思わせてくれる。明らかに、そういう生き方なんだと。

「はーい。じゃあね、歴史の授業を始めますからねー。まずはね、教科書の―――」

 



 
















 時間はあっという間に過ぎ、遂に放課後が訪れた。誰が邪魔しに居ても足早に帰るつもりだったが……華弥子が来ると、少し話は変わってくる。拳をわなわな震わせながら目の前にやってきて力強く机の上に突いたのだ。凹みはしなかったが、怯むんで退路を失うには十分すぎる時間だった。

「ねえ、私の連絡先を消したでしょ。何で!?」

「………………だ、だって、迷惑だろ。消す、じゃん。持ってたらまたストーカー扱いされそうだし」

 あの夜は衝動的に消したが、どうも昼休みに華弥子が怒っていたのはこの件なようだ。

「…………あの女、誰?」

「え?」

「浮気してたの!?」

 携帯をひったくられる。だがそこに透子の連絡先はない。まだ交換していないし、切り出すタイミングもなかったから。

「なんで!? 誰!? 誰なの!? ねえ誰!?」

「も、もう関係ないだろ。俺はお前を恋人だって思ってたけど、違うなら……関係ない事だ。付き纏われるのが嫌だったなら、関わらないでほしい」

「…………もう許さない。みんなの前で謝るだけで許してあげたのに、もう絶対許さない。貴方もあの女も絶対許さない!」



「おろろーみんなー。今さ、俺録音してたんだけどさ。もう一回聞くか?」



 真司の間抜けな声が、クラス中に響き渡る。

「浮気だってよ。おかしいなあ。恋人だっていうのは夏目の欺瞞だった筈だが? 今、浮気って言ったんだぞ。お前ら―おかしいって思わないか?」

「真司君、どういうつもり!?」

「べーつにー。たださ、あれだよな。人望だけでそいつが正しいかどうか決まるんなら生徒会長は正しすぎるよな。投票で決まってるんだから。あ、こういうのはどうかな! わり、十朗! 実は俺と華弥子が付き合ってたんだよ~」

「え?」

「違うから! もう何なの! 真司君だって私の事助けてくれるって言ったじゃん!」

「助けるとは言ったが、十朗の味方をしないとは言ってないぞ。なんだ俺なんか当てにしたのか? やめとけよこんなちゃらんぽらんは」

「―――ッ!」

 もうなんか俺よりも真司の方が神経を逆撫でしているような。こいつの殆どの発言は煙に巻く事に終始していて、相手にしたくなくなる。まともな文脈で会話しようとすると何が何だかさっぱり分からなくなるのでなんとなくで会話した方が良い。その事実に俺だけが気づいている。

「…………とにかく! 謝っても許さないから。この!」



 パァン!



 景気のいい平手打ちが、俺の頬を強か打った。真司の引っ掻き回しも込みでなんとなく賑やかになっていた教室が一斉に静まり返る。やりすぎなんて声は一つもない。それくらいは自業自得だと思うクラスメイトばかりだった。

「ふん!」

 怒り心頭の様子のまま、華弥子は廊下に出てしまった。彼女と仲良しな女子が遅れて後を追随していく。それからなんとなく気まずくなった他の男子が消えて、気が付けば真司だけが残っていた。

「…………泣かないのか?」

「泣かないよ。男が泣くのは良くない事だからな」

「なーんだつまんねえの! 俺は三度の飯よりお前の泣き顔が好きなのにな。ほいじゃ俺は部活あるんで、帰宅部はさっさと帰れよー!」

 

 ―――復讐って、こんな感じでいいのかな。


 叩かれはしたけど、悪い気分じゃない。仮にも恋人だった期間はあるのだ、華弥子の事くらい分かる。というか、理想の彼氏を演じてきたからこそ伝わってくる。デートプランもそうだが、華弥子は自分の思い通りに事が進むと凄く機嫌が良くなるのだ。だから手帳にはまめに予定を入れていたし、自分でも予定通りに進む方が良いと言っていた。だから、交際するなら結婚を前提とも。

 その話は結局嘘だったという事になるかもしれないが、ともかく今の平手打ちは何か思い通りに行かなかった証拠だ。罪悪感なんて感じたくない。向こうの悪意は十分すぎるくらい伝わった。

 校門の方まで行く最中、すれ違う事はないと思っていたが華弥子の下駄箱の扉だけがくしゃくしゃに潰されて歪み、中を開けられなくなっていた。地震の影響だろうか、顔を合わせないように気を付けつつ、外に出る。

 何処に居るかはすぐわかる。日傘が、校門からはみ出ているのだから。

「透子!」

「遅かったわね。何かされてたの?」

「あー、まあきついのを一発。でもいいんだ、気にしないで。そういうお前は暇じゃなかったのか? 誰かに声かけられたりしてて話したとか?」

「休みがちだから当然だけど私は部活に入っていないから、そう都合よく話し相手は来ないわ。それよりも十円玉を知らない? 指で飛ばして遊んでいたら何処かへ消えたの」

「十円玉? 探すか?」




「痛い! 痛い痛い痛い痛い! 何、何なの!?」



 今度は校庭から華弥子の騒ぎ声がする。様子を見に行こうとすると、日傘で進路と視界を一度に塞がれた。

「駄目よ夏目君。私だけを見て」

「え、いやでも、気になるし……」

「たとえ興味本位でも、君に未練がある素振りを相手に見せてはいけないの。私だけを見て、私の事以外、考えないで」

「…………わ、分かった」

 まだまだ徹底が足りないと叱られた。バツが悪くなんとなく俯いていると、抱きしめられ、制服越しに顔が胸に抱き寄せられる。


 撃たれた頬はまだひりひりと痛みが残っていた筈だけれど。感じた事のないような柔らかさがしっとりと肌に染み込んで、不思議と痛みが飛んでいくようだ。






「今日も、私のバイト先に来る? 今朝の大雨でまた休みになっちゃったから、遠慮しないでね」

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