天罰の大槌
「学校は無事みたいね」
「良かったよほんと……いや、良くないかも。休みだったらな……」
「どうかした?」
やはり、あの子に合わせる顔がない。華弥子が開口一番何を言うか気にならないと言えば嘘になるが、聞きたくない気持ちにもまた偽りはない。心が二つあると決断に困ってしまって身体が動かないのだ。
「……復讐はするよ。これも全部水に流して泣き寝入りしたらさ、きっと俺はもう何にも怒れなくなる。するけど、怖いんだ」
「私が居る。失敗なんて考えないで」
校門にさしかかると、多くの視線を浴びる事になった。理由は透子があまりにも美人過ぎるから……ではない。いや、美人なのは確かだ。彼女より美人だって人を俺は校内で見た事がないが、絶対に目を引いているのはそこではなく、日傘だろう。何処の学校に日傘を差して登校する人間が居る。ここは私立か? 違う公立だ。校則は緩く、日傘を持ってくるななんてルールはないが、わざわざ持ってくる人間も居ない。
「日傘、閉じた方がいいんじゃないか?」
「眩しいのは好きじゃないの。それより君のクラスは何処?」
「B組だよ。透子は?」
「C組。ただ、あんまり学校には行ってないんだけどね。ここに来たのも久しぶりよ」
「そうなのか?」
中学校や小学校の頃と違って、高校にもなるとクラス間での付き合いがとんと減る。仲のいい友達が居ても大抵は個別に喋るくらいでわざわざクラス出張をする人間は少ない。しちゃいけない校則もやはりないのだが、クラス毎の空気みたいな物があって、隣だったとしても少し居心地が悪いのである。
だからC組でいつも休んでいる子が居たとしても、俺には分からない。
「学校、楽しくないか?」
「うん、少しね。心配しないで、君の復讐が終わるまではちゃんと毎日登校するから」
「あ、いや。復讐が終わっても登校してほしい……なって。せっかく友達になれたんだし、もっと会いたい……かも」
言いつつ靴を履き替えていると、後ろから日傘の閉じる音がした。振り返ると、いつも影の差していた顔がしっかりと日差しに照らされて眩しそうだ。
「…………考えておく」
軽く俺の肩を二回叩くと、閉じた日傘を逆手に持って透子は一足先に階段を上って行ってしまった。
「……え、ええ。持ってくの!?」
確かに下駄箱にある傘立ては普通の傘用だが、日傘だって別に入れても。後を追おうと走り出すと、トイレから伸びてきた手に捕まり、中へと引きずり込まれた。
「なになになに! 離せよ!」
「怖がんな! 俺だ俺! 俺だってば!」
「…………真司?」
力任せに振りほどくと、同級生の
「なんだよ。クラスで声かけりゃいいのに」
「おいおい、そんな言い方ねえだろ。お前さお前さ、クラスのメッセージってもう見たか?」
「いや、煩いから通知切ってるよ。寝れないじゃん」
クラスに限らず大勢いるSNSグループなんて、通知を切っていないとうるさくて仕方ない。入ってこそいるが、それこそ通知が入るのは俺に向けられた時だけだ。
「あー成程な。反応しなかった理由はそれか。ちょい見てみろ」
「ん……」
言われた通り見てみると、華弥子がメッセージを送っていた。
『ごめんなさい、じゅー君。これ以上は付き合えません』
『何かにつけて身体を触ろうとして来るのが凄く気持ち悪いので、近づかないでください』
「…………………………………」
「お前さ、幾ら初めての彼女で舞い上がってるからってよくねえよ! く、ククク……あはは…………ま、まあ気持ちはわか、わかあははははは! むっつりスケベのせいで嫌われてやんの! おまおまおま、ぶふぉおおおお! マジ無理! はーもう無理だこれ! あははははは!」
トイレの床で笑い転げる心無い人間は初めて見たが、それ以上に華弥子のこの文章は、突き放すような冷たさしか感じなかった。
「…………真司はさ、俺がそういうタイプに見えるのか?」
「ははははは……なんだ、違うのか? まあ違ってももう手遅れだ。お前が反論しなかったせいでそういう空気が出来上がってる。イジメとかはねえだろうけど、もう女子の間でも話題だし、恋愛は諦めた方がいいかもな」
「そんな……! 誰か俺を庇ってくれた奴はいないのかよ!」
「庇うつっても、お前考えてみろよ。お前は華弥子と付き合うまで陰キャ、まあ空気みたいな奴だったじゃねえか。それが華弥子と付き合って目立っちまった所にこれだぞ。誰が庇うんだ? 華弥子はちっちゃくて可愛いし、リーダーシップもあるから恋愛とか抜きにしても勝ち目なんかねえ。俺もあの子の事は好きさ。お前が違うって言うなら俺はお前との友情を取ってもいいが、そんなんでお前は救われんのか?」
知らず知らず、膝から下の力が抜けて崩れ落ちていた。
何でこんな事をするんだ。事実無根だ。嫌われたくないから努めてそのような事はしなかったのに。ハグだって、まだだったのに。デートは行きたい所に全て行って、いう事を聞いてきて、満足するまで付き合ったのに。
「…………何で、お前はこれを教えてくれた」
「んー、先に事実を確認して面白がりたかった半分、不意打ちでこんな状況に置かれるのは最悪だろうなって気遣いが半分だな! 確かに面白かったが、これ以上長くイジるつもりもねえよ。気をつけろよ」
「…………ふざけんなよ。ふざけんなよ!」
華弥子のしたい事が分からない。どうして俺はこんな仕打ちを受けなければ? 何か不満だったら言ってほしかった。ここまでやってくるなんて思わないじゃないか。
「………………教室に、連れて行ってくれ。俺一人じゃ、無理だ」
「おいおい。お前を連れて行ったらなんか俺はお前の肩持つぜって意思表明してるみたいじゃんかよ。ああ、さっきそう言っちまったな。じゃあいいぜ、行こうか」
「……ほんと、発言が安定しない奴だな」
「俺は根っからの虚言癖だぜ。口にする言葉は全部本当じゃない。つーか自分でも本当か嘘か分かってねえ。嘘にしたくない気持ちはそもそも口にしなきゃいいが、相手にそれを察しろってのも無理な話だ。ま、なんだ。彼女出来て一時誠実さで評価されてたお前と違って元々俺はゴミなんで気にしない。行こうぜ」
三度の飯より出鱈目を言うのが大好きな真司だが、その言葉に偽りはなかった。教室に入った瞬間、異様な軽蔑と刺すような目線が全身に突き刺さってくる。朝練の関係でまだクラスメイトも全然揃っていないが、俺を氷漬けにするには十分な冷たさが―――氷柱のように体を打ち付けた。
「あーよ。じゃあ俺、トイレに行ってくからよ。何かあったら呼べよな」
「…………トイレならさっき居ただろ」
「俺は朝起きたら必ずお腹を壊すんだよ。あばよっ」
真司は色んな意味で変わっている。友達になった事を後悔する日もあるが、今日という日は全く、感謝したい。お陰で自分の席には座れた。クラスグループにあんな出鱈目を言った理由は分からないが、部外者の誤解を解いている場合じゃない。本人に意図を聞かないと。
「何でそんな目で見るんだよ華弥子。学校には来ないといけないだろ」
相羽華弥子。俺の元恋人……という事になっているが別れを切り出した覚えはない。華奢な矮躯とボブカットの髪も相まって幼く見えるのが特徴的だが、実際の所は誰よりも人を引っ張る力のあるカリスマ―――男は度胸、女は愛嬌というなら正にそれを体現した存在でもある。彼女に頼られるとどんな気難しい奴も動いてしまう。兄ちゃんがいう所の、俺に見合わない女子。
「…………何かないの?」
「何かって、何?」
「私、貴方が怖くて皆に頼ったんだよ! それでも学校に来たなら何か言う事あるでしょ!? 謝ってよ!」
「謝ってって何をだよ。身体を触ろうとしたってなんだ、一回もそんな事してないじゃないか!」
「しようとはしてた癖に!」
「それは……だって、恋人だから」
「ほら、聞いた皆!? 録音した、したよね? ほんっとうに気持ち悪い! 恋人って何? 私、貴方とは単なる友達だったつもりなんだけど。恋人恋人って吹聴されててそれを裏でいつも弁明してた私の気持ちが分かる?」
「単なる……とも、だち? 友達がデートするのか? 待てよ、話がおかしいって。それは幾らなんでも―――」
「近寄らないで!」
華弥子が喚きたてると、数少ないクラスメイトが壁を張るように立ち塞がり俺を押し返す。目に涙さえ浮かべる彼女を咎める人間は誰一人いない。それが真実だと言って憚らないように。
「夏目君ってほーんと気色悪。なんで付き合ってもないのに恋人なんて自慢してんんの。そういうのきもいって分からない」
「お前アイドルと目線が合ったから両想いだって勘違いするタイプだろ! 俺らすっかり祝福してバカみたいだよな。サッカー部の奴等なんかずっと相談受けてたんだぞ。お前の奇行が怖い、何しでかすか分からないって」
本当に、誰の話をしているんだ? 俺なのか? 俺がそんな事…………やってる筈。でも、いや、こんなに言われるって事はやった? 記憶にないだけ?
有り得ない。有り得ないって分かってるのに、自分が間違っている気もしてくる。理想の彼氏になれるように頑張っていたのに、いつから苦しめていた? 俺は。俺が悪い? 俺が、全部?
「く……………ぐす…………ぐす……ううううう……ええええ」
「おいおいこいつ泣きやがったぞ。泣きたいのは華弥子の方にな! おい見ろ、被害者ぶってこいつ泣いてるぞ! こいつ―――」
ドドドドドドドドドドドド!
誰が一体予測出来たというのだろう。予兆のない大地震。全員が驚き取り乱す中、華弥子以外の全員が次々に倒れていく。状況とは無関係に机の下に入って地震が止むのを待っていると、突然ピタリと揺れは止んだ。
教室の扉が蹴破られたかと思うと、日傘を差した女子が足早に近づいてきて机を俺の上から取り払った。
「地震があったみたいね。大丈夫?」
「………………と、とう、こ」
「君の事が心配で様子を見に来たの。だって私、君の か の じょ だものね」
透子が華弥子の方を傘越しに一瞥する。何をか悪意をむき出しにしてきた元カノは、狐につままれたような顔をしてこちらをじっと見つめていた。彼女を守る心優しいクラスメイトは立つ事もままならない地震に足を掬われ誰も彼も起き上がれずに居た。
「…………どうかした?」
「お、俺は…………俺。嫌な所、ばっかり、か?」
「……私を差し置いて復縁の話かと思ったけど、そうじゃないみたいね。大丈夫よ、私、元カノさんと違って理解ある恋人だから。君が不満だった事も私が全部受け止めてあげる。ふふふ……」
「え、あ、お、え、あ、え」
透子は日傘を向こうに回して視線を遮ると、俺に顔を近づけて接吻の音だけを響かせる。傍から見たら公衆の面前でキスしたように見えるだろう。また傘を肩にかけ、彼女は小さく手を振り戻っていく。
「またね、夏目君。昼休みに会いましょう」
不可解な地震、そして屋内にも拘らず日傘を差した美人な同級生。あらゆる状況が特殊で、それでいて俺に都合よく、なのに俺も呆気に取られている。
結局その後は止んだにも拘らず地震への避難という事で校庭に集合がかかり、俺への追撃はなくなった。
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