ゲリラ台風

「…………」

「まーた夜遅くに帰ってきて、幾ら初めての恋人だからってハメを外しすぎなんじゃないか?」

「まあまあ勇人はやと。十朗はお前と違ってネガティブな奴で心も弱いんだ。恋人と過ごす時間くらい俺も怒らん。なあ母さん」

「…………どうしたの。ずっと黙っちゃって」

「いや、何でもないよ。疲れてて、さ」

 見破られるくらいだったら自分で切り出そうと息巻いていたのが一分前。兄への劣等感を刺激されて塞ぎこんでいるのが今だ。悪気はなくても、いやないからこそ息をするように俺と兄は比較される。だから家族の事は嫌いじゃないがこういう時は会話に混ざりたくないのが本音だ。


 ―――何も知らないって、良い事だったな。


 透子と出会ってまだ一日も経ってない。だからこそ何の気兼ねもなく交流出来た。難しい事は考えず、気を遣う必要もあまりなく。他人だからこそ心を開けるなんて矛盾しているかもしれないが、少なくとも彼女と一緒に居る間は自分がゴミだなんて思わなかった。

「御馳走様」

 素早く食事を終えて逃げるように自室へと引きこもる。お風呂はどうせ一番最後だ。それまで誰とも交流しない方がいい。塞ぎこむ時間もたまには必要だ。こんな事なら透子と連絡先を交換しておけば良かった。

 携帯で誰かと話したくても、下らない話に付き合ってくれる奴は数人しか居なくて、大抵は俺から話しかけるような仲じゃない。好きだったあの子に話しかける? 今?

「…………」

 俺を呼び出したメッセージを既読にして、それからずっと音沙汰がない。何も言う事はないのか。仮にも彼氏にあんな物を見せて、反省も、言い訳も何も? 百年の恋も一夜で冷める。正にそんな気分になっている所だ。そしてそれに何も出来なかった自分が情けなくて腹が立つ。

「よお、十郎。いいか?」

 不意に扉が開けられたかと思うと、兄―――夏目勇人が扉を背中で閉めつつ声を掛けてきた。誤解しないでほしいが兄弟仲は悪くない。ただ、特定の条件下で俺が猛烈に嫌いたくなるだけだ。

「何? 風呂入れば?」

「お前、フラれたのか?」


 ……ああ、やっぱり秒で見破られるのか。

 

「…………言いたくないな」

「いやあ、言わなくていいよ。顔見りゃ分かる。だから俺は言っただろ? お前なんかに見合う女の子じゃないんだよ。お前はもっと、普通の、地味めな、自己主張しない感じの女の子がいいんだって。俺の言う事を聞かないからそうなるんだぞ」

「なんでお前の言う事なんか聞くんだよ! 誰が好きかくらい俺の勝手だろ! 人の恋愛に口挟まないでくれよ!」

「そりゃ俺くらい告白したら誰とでも付き合えるなら遊び程度に色んな子を選んでもいいかもしれけど、お前は一々本気じゃん。嫌がらせしてるんじゃないんだぞ、どうせ傷つくって分かってるからアドバイスをだな」

「うるさい! 何がアドバイスだよ。そりゃそうだ、俺とお前は違うよ…………! 正論とかいいからさ、もっと慰めるような言葉はないの!? 一体何のために来たんだよ! お前の為お前の為って傷口に塩塗ってるだけなのが分からないのか!? 用事がないなら出てけって!」

「癇癪なんざ男らしくないなあ。はいはい分かったよ、俺が悪かった。夜から雨が降るからな、お前せめて窓は閉めとけよ。それだけ。じゃあな」

 兄弟仲は悪くない。悪くないが、比較されてきた影響は何も俺だけにある訳じゃない。あの上から目線もまたその影響だ。イライラが募ってきて物に当たりたくなる衝動をぐっとこらえ、犬のぬいぐるみを抱きしめた。

 みんな、俺を下に見ている。

 被害妄想だって嗤えばいい。少なくとも彼女だった子は俺に対して何のフォローもせず、兄はせせら笑うばかり。誰も救ってくれやしない。男が泣き顔を見せるべきじゃないという親の真意はそこにある。泣いたって誰も助けてくれないのだ。

「…………透子」

 閉めた窓硝子に雨の打ち付ける音がする。彼女は無事に帰れただろうか。まさか日傘を普通の傘のように扱っているとも思わないが……


『完膚なきまでの復讐は、君に未練があったら不可能よ。どれだけ相手を後悔させるような目に遭わせても、でも夏目君はまだ私の事が好きだしと思われたら後悔なんてしない。むしろ本当にまだ好きなら君が後悔する事になる。相手に情がある復讐は空しいわよ。きっぱり忘れちゃって、スカッとした方がいいに決まってるんだから』


 二人きりの復讐が脳裏を過る。何をするつもりか分からないが、受け身のままじゃいられない。復讐は自分の手で果たしてこそ意味がある筈だ。

 自分をゴミのクズのカスとしか思えない今だからこそ、出来る行動もある。何をしてもこれ以上自己評価が落ちる事はない。手始めにあの子の―――相羽華弥子あいばかやこの連絡先を削除した。

 それから写真も、機械的に一括で削除する。俺の見た顔は何もかも嘘だったのだろうか。俺の事を好きという言葉は嘘だったのか。結婚したらなんて、その妄想は……妄想らしく与太話だったのか。

 真実なんて関係ない。

 もう、なんか。段々。遠い存在になっていくようで。


「おう。お風呂終わったぞ」


「……うん」


 寝よう。すぐ、寝よう。頭の中が渋滞して、何も考えたくない。





















「で、お前。フラれた訳だけどどうするんだ?」

 翌日。

 両親は二人共が朝早く仕事に出てしまうので朝は兄と過ごす事になる。昨日は軋轢も生まれたがそこは腐っても兄妹。一晩経つとなんとなく水に流した雰囲気で話せる(許していない)。

 ジャムをたっぷり塗ったトーストを頬張る。糖分を大量に摂らないと俺の頭は眠気に取りつかれて仕方ない。

「どうって何が?」

「家にいつも彼女迎えに来てただろ。一人で行けるか?」

「俺を何だと思ってるんだよ! 学校くらい行けるってば!」

「いやあ……そうじゃなくてさ。俺も、俺もな? 経験はあんのよ。別れた翌日に一人で登校するとすげえイジられんだわ。高校の頃なんか特にそうだよ、お前は好きになったら遊びとか関係なく本気だから周りに吹聴してんだろ。辛いぜ。誰かに来てもらった方が良い。ダチが居ればまあなんとなくイジりづらいっていうか……他の話題に横やり入れてまでする事じゃないからな。ゲームの話でもしてりゃ誰にもイジられねえよ」

「兄ちゃんは俺を五歳くらいの子供だと思ってんのか? 心配の仕方がずっとおかしいんだよ。俺は兄ちゃんがモテてる事実が不思議でしょうがない、この人格破綻者が!」

「んー……でもさ、お前なんか高望みしてる気がするよ。幾ら俺の弟だからってさあ、親のすねかじりじゃないけど、別に知名度のあるイケメンじゃねえんだぞ。あんなレベルの高い女の子はやめとけって。フラれた理由は聞かねえけど、あんだけ可愛いと察しはつく。選ぶべきはもっと特徴のない感じ。地味な感じだ。そうしたら、な? お前と交際したら、お前以外に選んでくれる人は居ないかもって思って離れないと思うぞ。相性が余程悪くなきゃな」


 ピンポーン。


「お? 配達? にしては早いか、何だ?」

 勇人が後頭部を掻きむしりながら玄関の方に回る。売り言葉に買い言葉でつい言い返したが言い分はそこまで的外れではない。みんなに嗤われない為にはどうやって行けばいいだろう。


「…………え? 誰? は? 十朗の恋人?」

 

「……………透子?」

 頬張ったパンを牛乳と一緒に飲み干すと、俺も席を立って玄関の方へ。夜から朝にかけて雨が降っていたせいか、外は雲一つない快晴の空。その日差しから主を守るように、日傘を差した女性が立っていた。

「おはよう、夏目君。迎えに来たわ」

「透子。俺、連絡してないけど」

「ええ。だから迎えに来た。ここで待っててあげるから準備してきて」

「え……あ、うん」

 自分の部屋に戻って制服に袖を通していると、後ろから近寄ってきた兄が手を添え小声で尋ねてきた。

「お、お、おま、おま、おま、マジ? 新しい恋人? え、もしかして振ったのお前?」

「色々事情があってさ。素気ないように見えるけど凄く優しいんだ」

「いや、お前……優しいとかじゃなくね? え、めっちゃ可愛い子じゃんっ。おい、おい、お前マジで……やっぱり俺の弟だったか! すげえな!」

「な、何? 調子よくて気持ち悪いんだけど」

「恋人じゃなかったら俺に紹介してほしいくらい可愛いぞ! や、可愛いってか美人? コート羽織ってるからスタイルはちょっと分かんねえけど、肌は見た事ない綺麗さだな。マジで、見た事ねえ」

 着替えてる最中も構わず話しかけてくる兄が鬱陶しいの何の。どうして俺より興奮冷めやらぬ様子なのだろう。本当に邪魔なので鞄で軽く兄をどつきつつ玄関に向かう。靴を履いた所で日傘がくるりと回って透子と視線が合った。

「も、もしかしてさ。透子も俺が道に迷うように見えたから迎えに来たのか?」

「……? 違うけど。ただ、昨日は酷い雨だったでしょう。道路が滅茶苦茶で怪我をしてほしくないから来ただけ」

「酷いってそんな―――」

 所詮大雨だ。大袈裟なと思い込んだ自分に寒気がする。思い込みで発言をするもんじゃない。俺の家の周辺―――それも学校に続く方角にかけて、台風でも通ったかのように道路は滅茶苦茶に破壊されていた。ブロック塀は全て木っ端微塵に砕け、コンクリートは至る所が陥没、一部住居は倒壊し、巻き上げられた残骸があちこちに転がっている。向かいの家には車がひっくり返って乗り上げているし、丁度、俺の庭にもどこぞの板材が突き刺さっていた。

 寝る間際に雨音を聞いていたが、ここまで強かった気はしない。それが、こんな被害を?

「た、確かにこれは…………流石に、怪我するかも」

「でしょう。もう雨は止んだけど怪我人も出たみたいよ。君も注意しなきゃ」

 少し歩くだけでも被害の甚大さが分かる。災害に見舞われた住宅跡地でも歩いているのかってくらい見通しが良く、人の気配もない。大雨は災害か? 大雨洪水は災害だが、だからそのくらいの雨音はしなかったのだ。

 少し歩いて家から離れた所で、日傘を持っていない方向に並び直し、視線を明後日の方向に逸らしながら彼女の手を握る。透子はこちらを一瞥すると……コートのポケットに二人の手をねじ込んで、同じように目を逸らした。




「……………………♪」

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