無慈悲な恋心

「そっちの仕事が溜まっているわ。助けに入れないから頑張って」

「あーもう待って! もうレシピがなんかややこしくてさ! 一つ先のレシピ見ながらやると今作るのとごちゃごちゃになって……あー! 時間切れだ。スコアが! 足りない……ごめん……俺がとちった」

「ふふ。今度はコントローラーを逆にしてやってみる?」

「そしたら今度そっちのオペレーションが詰まるだけじゃんっ」

 辛気臭い雰囲気などすっかり忘れて俺達はゲームに興じていた。二人でレストランを経営するこのゲームは人口過密も甚だしく、町の全ての人間が殺到しているような繁盛をしている。それをうまく捌くのだが、なにぶん客が短気でモタモタしていると怒られてスコアを下げられてしまう。見るからに忙しいのは明らかなのだからもう少し待ってほしい。どう考えてもこんな忙しい店に来たら待たされるのだから、選んだ自分が悪いという気持ちはないのだろうか。

「ムカついてる?」

「客が勝手すぎる! 文句あるなら他の店に行けよな!」

 ふてくされて寝転がると、透子が横で笑いを堪えきれず、口元を手で隠している事に気づいた。

「な、何だよ」

「……ううん。すっかり元気になってくれたのが嬉しいだけ。感情が剥き出しになる人は嫌いじゃないわ。人生を楽しんでる感じがして」

「…………あ、はは。いや、透子のお陰だよ。呼び捨ても最初どうかと思ったけど、ゲームしてる内に慣れちゃったな。ほ、ほんとさ、俺の悪い癖なんだよ。ゲーム如きに温まって他の事がどうでもよくなるんだ」

「それの何処が悪い癖なの? どんな事にも真面目に取り組めるのは長所でしょ。如きなんて言わないで、私は君のそういう所、好きだから」

「―――――ッ」

 最初は本人も自覚していたように日傘を差す変な子だと思っていたけど、俺の目がどうかしていた。変だったかもしれないが、変なだけだ。危ない場所で働いているだけで当人は至って優しい普通の女の子……どころか、俺の趣味に理解がある。


 ―――俺の、気のせいだったのかなあ。


 悪い夢から醒めていくようだ。大好きだったあの子はゲームが嫌いで、ゲームに本気になる人も苦手だと言っていた。だから努めてその話はせず、その子が近くに居る時は友達とも話さないようにしていた。幸い、デートはいつもその子が場所を決めるから俺の本性が露見する事はなかったのだが……

「…………また泣きそうになっているけど?」

「……ご、ごめん。泣き顔って見せちゃ駄目って教えられてるのに…………な、何だろうな。一度見せると全然身体が言う事聞かなくて。何でもない、何でもないから―――」

 透子は腕を大きく広げると、軽く首を傾げながら俺に言った。

「……辛いなら、泣いてもいいじゃない」

「…………」

「私に意地を張らないで。泣いても嫌いになんてならないから。ここには貴方の感情を茶化す心無い人は来ない。二人きりなんだから」

 体を起こし、膝立ちになって近づいていく。弱さを見せるなんて初めてで、身体はきっと拒否していたのに。今度は理性が溶かされて―――気が付けば透子の胸に飛び込んでいた。

「…………俺、あの子の笑顔が見られたらそれでよかったんだ。自分を隠してでも、ずっと付き合いたかった。好きだったからさ」

「健気なのね」

「隠すのは、な、慣れてるんだ。どんなに辛い事があって親に相談しても、俺の心が弱いからってむしろ叱られるばかりで……誰かに頼ったら突き放される事が多かったから。強い人間であろうとして、女性は男性の嫌な所見たら急に冷めるって聞いたし、それが怖くて……」

「大丈夫。私と君が出会った瞬間は正に君の嘘が壊れた瞬間だったでしょう。私には強がらなくていい。出来る事は何でもしてあげるから」

「そ、そこまではいいんだけど」

 しかし無償の愛もここまで来ると遠慮したくなる。初めて会ったばかりでここまで親切にしてくれるなんて、余程外で泣きじゃくっていた俺は情けなく見えたようだ。今はもう見栄を張る気になれない。本人には言いたくないけど、生まれて初めてここまで受け入れられた。

「頭とか、撫でた方が良いかしら」

「それはいい! と、とにかくさ、やる気が出てきたよ。さっきまでは俺に原因があったんじゃって思ってたけど、段々向こうが悪い気がしてきたし、何なら好きになったのだって……気の迷いな気がしてきた!」

「それはまた、両極端ね」

「だ、だって俺は向こうに何もかも隠してたのに恋人関係なんて続く訳なかったんだ! 恋とか愛とか関係なく、親密な関係っていうのは気が許せるかどうかが大事なんじゃないかって」

 確かに笑顔を見るのが好きだった、それは今も変わらない。けれど気は許せていなかった筈だ。俺は嫌われたくなくて自分の事を何も話さなかったし、デートはいつも緊張していた。失敗したらどうしようと恐怖していたまである。

「でも、良い傾向よ」

「え?」

 顔を上げると、透子との距離が非常に近かった。脊髄反射で仰け反ったが背中に回された手に引っ張られて離れられない。華奢な見た目に反して意外と力がある。

「完膚なきまでの復讐は、君に未練があったら不可能よ。どれだけ相手を後悔させるような目に遭わせても、『でも夏目君はまだ私の事が好きだし』と思われたら後悔なんてしない。むしろ本当にまだ好きなら君が後悔する事になる。相手に情がある復讐は空しいわよ。きっぱり忘れちゃって、スカッとした方がいいに決まってるんだから」

「………………そ、そうなのかな。一応聞きたいんだけど、こ、殺したりとかないよね」

「殺す? 夏目君、私をマフィアとかヤクザみたいな存在に見えてるの?」

 口調は咎めているが、透子はあまり怒っていない。優しい人ほど怒らせると怖いというから、何処が地雷か気にはなるけど……ないのかな。

「そ、そうじゃないよ! だって、制服着てるし、危ない場所で働いてるだけなのは分かってる。けど復讐ってそういうイメージがあるからさ」

「やり返すだけよ。仮に殺したとして、意識がないんだから後悔は続かないじゃない。私達がやるのは飽くまで君の屈辱を雪ぐ所まで。だから、良い傾向。私との思い出で全部上書きしちゃって、後腐れなく終わりましょう。終着点は……君から別れを告げるとか」

 上手く行くかどうかなんて分からない。この手の計画は大抵明るみに出て上手くいかないのだ。俺は嘘が下手で、家族には秒で見破られる。同じ要領で見抜かれたら……

「……もう夜も更けてきたし、君をそろそろお家に帰さないと」

「え。あっ、そっか。えっと…………え? ついてきてくれるのか?」

「当たり前でしょ。君はこの辺の住人じゃないから目を付けられるわよ。ゲームと違って一定範囲を出たら追ってこないなんて事もないんだから、私が、きちんと、家まで送ってあげる」

 立ち上がる際、ぽんぽんと俺の肩を叩く。透子はカウンターの裏側に置いてあった日傘を手に取り、入り口の扉に手をかける。



「よ、夜に日傘って要る?」

「街灯。眩しいのは嫌いなの。日傘を差してるくらいが丁度良くてね」












 かばね町から自宅まで無事に到着した時は何となく生きた心地がしなかった。階段前でたむろしていた三人組こそいなかったが、暗闇の何処かから視線をずっと感じて気味が悪くて。透子が肩を寄せてくれなかったら発狂したように叫んでいたかもしれない。

「ここが君の自宅?」

「そう……な、なんか恥ずかしいな。家の場所、誰にも教えた事なかったから」

「彼女さんにも?」

「うん……まあ、そればっかりは俺にも都合が良かったんだけどさ」

 家族が一人も居ない時間帯というものが基本的にない家庭だ、個室はあるが家族が居る時に彼女なんて連れ込みたくはならない。絶対に茶化されるし、何より両親が馬鹿にしてくる。俺には似合わないって。

「もう随分遅いけど、怒られない? もし怒られるのが嫌なら代わりに私が仲裁してあげてもいいわよ」

「大丈夫だよ。あの子と遊ぶと良く遅くなるからさ……まあ、別れた事は秒で見破られるだろうけど」

「夏目君」

 玄関に鍵を挿しこもうとするところで呼び止められる。日傘をくるりと回し、透子ははにかみながら言った。

「もう復讐は始まっているわよ。暫く私は君の恋人だから、それは忘れないで」

「う、うん……ま、また明日!」

「また明日……いい響き。ええ、また明日ね」

 俺が家に入るまで見送るつもりのようだ。鍵を回して振り返る。まだ居る。体を半分だけ入れる。まだ居る。 

 閉める直前、透子はやや寂しそうに眉を上げて、手を振ってくれた。


























 ―――また明日、だって。

 夏目君がしっかりと鍵を閉める所まで確認すると、私は傘を回して振り返った。明日からが本当に楽しみで、楽しみで……ついつい笑っちゃう。嬉しくなっちゃう。

 手遊びのように傘を回しながら暗闇の中へと突き進む。暫く歩いて、彼の家から十分遠ざかった所で―――



 




 日傘を閉じた。

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