青春は日傘を差すくらいが丁度いい

氷雨ユータ

TRASH 1 人間型災害

局地災害指定:祀火透子

「う、う、う………」

 男なら無暗に泣くな。そう言って育てられた自分にとって、これ以上の屈辱はない。泣かされた。誰に? 喧嘩? 違う。暴力ならむしろ、意地になって泣かない。泣く手段なんてそれくらいしかないと幼い頃の自分は思っていた。我ながら想像力が低いとは思う。


 夏目十朗の人生を語るのに大層なページ数は必要ない。


 頭一つ抜けた特技はなく、勉強を頑張らないと点数も維持できないような所謂、普通だ。優秀な兄と比較させられる事が嫌で頑張ったが、遂にその差が縮まる事はなく、親に認められる方針は諦めた。しかし、世の中何がきっかけで人生が変わるかなんて分からない。俺の努力は、好きだった女子との交際によって報われた。

 膝の隙間に置かれた携帯には、そんな彼女との日々が映っている。写真を沢山撮った。彼女は何かと撮影したがる趣味があって、色々な場所へ行って、撮影した。俺は自分を撮影するのは苦手だったけど、彼女が望んだから無理をした。我慢をした。

 

 中学校はそれで良かった。


 問題は高校に上がってからだ。出来るだけ喧嘩をしないように、笑顔で居てくれるように努めた。それを辛いと思った事は一度もない。とりあえず笑ってくれるなら十分だったのに。向こうは一体何が不満だったのだろう。

 高校デビューという奴か、ピアスをするようになった。それが悪いとは言わない。自分の身体に穴を開けると言えば残酷だが、ピアスもお洒落には違いないだろう。個人的には……鼻とか舌とかはどうかというくらいで、そこじゃない。

 ネイルをするようになった。俺にはあまり良さの分からないお洒落だが、そもそもお洒落は自分の為にやる事であって彼氏の為なんかではない。それで笑顔が増えるなら何でもいいと思った。

「うう、うううう…………はぁ……」

 トイレの個室で泣いていた所を、事情を知らないクラスメイトに追い出された。泣くなら他所でやれって、正論だ。自分がいっそ嫌になる。手を差し伸べられる筈のない状況はあまりにも惨めで、泣き止む事すら躊躇われる。



 ―――彼女は浮気をしていた。


 

 高校に入って何が変わったのか俺には分からない。一年生の頃にはもう関係があったのか、それとも二年生になってから関係が生まれたのか。さっきまで気になっていたが、どうでも良くなった。

 屋上に呼び出された俺が見たのは、彼女が俺より一回りも高い身長の男と体を重ねている姿だった。多分先輩で、俺から見ても格好いい人で――――――その瞬間、頭が真っ白になった。気づけばこんな所で泣いていた。

『人の彼女に何してんだ!』

 そんな風に言えたら良かったのに、言う勇気が湧かなかった。何より、彼女があまりにもご機嫌な様子だったから進めなかったのだ。幸いなのは二人共俺が来た事には気づかなかったという事だろうか。呼び出したのは彼女だけど、俺は声をかけていない。だから来たかどうか向こうには分からない筈だ。

 最初は眩しかった夕焼けが、今はすっかり沈みかけている。季節が冬に差し掛かる程、夜は冷え込む。刺すような空気の鋭さに学校の制服では耐えられない。身体が震えてきて、早く家に帰ろうという気持ちも……その刹那、脳裏に焼き付いてしまった光景が塗り潰してしまう。

 動きたくない。動いたら何か変わるのか?

 家に帰ったら今までのは全て幻であり、彼女と俺はいつまでもラブラブだって事になるのか?

 凍てついた息が身体の内側で白く染まる。手を温めたいのに、果たしてこれはと悦なのか嗚咽なのか。体の震えは寒さからか惨めさからか。

 俺は彼氏だ。彼氏だった。彼氏なのに。

 あの子は彼女だ。彼女だった。彼女なのに。






「こんな所で蹲って、一体何をしてるの?」






 長居したせいで、遂に声を掛けられてしまった。だけど頭を上げられない。きっと同級生だ。今のぐちゃぐちゃになった顔を見たらきっと笑われる。震える声と、嗚咽の引っかかった喉を動かし、どうにか嘘を見繕う。

「か、数をかぞ、かぞえてる。遊びで、ひ、ひまつ、ぶ、ぶし」

「どれくらい数えるの?」

「…………さ、さあ」

「忘れたの? じゃあ一から数え直しね。私も一緒に数えてあげようか?」

 駄目だ。何故か食いつかれてしまった。普段なら争いのないようにそれとなく退散するのだが、なにぶん、心の余裕がない。声を荒げて、荒げる為に顔を上げた。

「うるさい! どっか行けよ! こっちは用事なんかないんだよ!」

 ウェーブのかかった黒髪が、腰くらいに伸びている。少し髪が揺れると、髪の裏地が真っ白く染められた部分もある。インナーカラー……同級生でしている人間はいない。この角度から見えるのはそこまでだ。後は制服の上から着る高そうなトレンチコートくらいで、顔は見えない。


 この人は、日傘を差していたから。


 ただでさえ暮れるのが早い時期に日傘を差した人間と相対すれば顔が見えないに決まっている。俺が居るのは日陰だし、日傘と併せて真っ暗闇で判別するようなものだ。立ち上がれば、或いは。でも、立ち上がりたくない。

「…………ごめん。でも、本当にどっかに行ってほしい」

「どうして?」

「………うう、ぐふ、ぐす、うううう……!」

 顔を見られた事に気づいて、身体が発作的に泣き出した。俯いて、腕を枕にまた濡らす。泣きたくない。泣きたくないのに、涙が止まらない。

「…………泣く所、誰にも見られたくなかったりする?」

 コク、コク。頷くのが限界。

「そうよね。こんな誰も来なさそうな場所で泣いてるんだから、きっと家族にも見られたくないのよね。じゃあ、間の悪い所に来ちゃったわね。ごめんなさい、何か償いをしたいけど……そうだ、ここは寒いし、もっと暖かい場所に行かない?」

「……………」

「まだ他人でしょ? 君が泣いてる所を見ても私は何とも思わないわ。君だって私の事、日傘を差してる変な奴だって思ったんじゃないの?」

 コク。

「うふふ。正直でよろしい。それじゃあ早速行きましょう。大丈夫、他の人は私の日傘に気を取られて君の事なんか目に入らないから」

 差し伸べられた手を取るまでに三分。一歩も動かず俺から取るのを待ってくれた少女の顔を確認する。やっぱり、知らない顔だ。大人びた雰囲気とは裏腹に笑うとあどけなさが前面に押し出される。笑うと言っても、微笑むくらいだけど……

祀火透子まつりびとうこ

「え?」

「私の名前。君は?」

「……夏目、十郎」

「じゃあ、夏目君って呼ぶね。はいこれ。私は暫く大丈夫だから、君が着てて」

 元々オーバーサイズ気味だったトレンチコートが軽く羽織られるようにかけられる。体の震えが、次第になくなっていくのを感じる。

 透子は日傘を少しこちらに傾けて、日差しを隠すように歩き出した。



「すぐそこだから、我慢してね」

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