第十六話

 苦しげに息をしながらぐったりと横たわる二人を見て、宇恭はまた怒鳴った。

「何をしている!さっさと立たんか!おい!おま…」

「うるさい。」

耳元で声が聞こえて、宇恭はびくりと肩を跳ね上げた。そろりそろりと振り返ると、そこには紫の姿があった。

「癒綺!?いつの間に!まさか、俺のところに戻るために…?」

紫は問答無用で宇恭を馬から引き摺り落とした。無駄に重い甲冑のせいで受け身も取れずに地面に落下する宇恭を見て、紫はため息をついた。

「…紫。癒綺、死んだ。」

お前のせいで、という言葉を飲み込んで、紫は宇恭を睨みつけた。多少漏れ出た程度の殺気に、宇恭は震え上がった。

「ひっ…一人でここにいるということは、俺のところに来るんだろ!?あいつらも殺してな…」

「戯言を。」

紫は宇恭の言葉を切り捨てた。しかし宇恭は諦めない。それどころか、ヒートアップしているようにも見える。

「あ、あいつ、癒綺だって俺に見て欲しくて革命軍とかいう賊軍のリーダーになったんだ!ゆ、癒綺が死んだのだって、お、お前の仕業だろ!?う、腕利の護衛が主人を離れるなどあってはならないことだか」

「黙れ!」

紫は思わず怒鳴りつけた。普段は感情を殺すようにしているのだが、癒綺を、敬愛する癒綺を侮辱され、自分が殺したと言われればそれも揺らぐ。

「あの方が革命軍を立ち上げたのは!お前のせいだ!」

心の荒れ狂うままに叫ぶ。すぐにでも宇恭の首を切り裂きそうになる手をなんとか押さえて代わりに馬の鞍と轡を斬り、深呼吸をした。殺気に飲まれて動けない宇恭をおいて、馬はどこかへ走り去っていった。

「!?待て!とまれ!」

宇恭は馬の名前も覚えていないらしく、呼ばずに怒鳴り続けるが、馬も自分を大切にしてくれない主人など嫌気がさしていたのだろう、ちらりと振り返って高々と嘶き、軽快に走り去っていった。

「鷹の目。」

呼んでみると、鷹の目はゆらりと現れた。懐から取り出した手紙を手渡し、静かに告げる。

「海炎に。今後は海炎の側にいて。」

普段は感情を見せないはずの鷹の目は、少し戸惑うように紫を見た。紫は、初めて鷹の目をしっかりと見た。拾われてから今まで、一切目を向けなかったにも関わらず。

「今までありがとう。最後の仕事、頼んだ。」

宇恭は急に現れた鷹の目について何やら喚いている。しかしそんなことは気にせず、紫はじっと鷹の目を見つめた。

「…はい。」

初めて聞く鷹の目の案外可愛らしい声に一瞬目を見開き、紫は頷いて宇恭に向き直った。鷹の目の気配が消えたのを感じ取り、すっと大きく息を吸う。

「甲冑を脱げ。一騎打ちだ。平等に、鎧を着ていない状況で勝負しよう。」

ほぼ命令するように告げると、宇恭は紫を睨みながら甲冑を抜いた。まだ睨む気力があったことに驚きつつも、紫は少し距離を取る。がちゃん、がちゃん、と適当に鎧を投げ捨てる宇恭に、再びため息をついた。自分を守る道具は大切にしないといけないのだが。背中に持っていた大剣を構える姿を見て、同様に短剣を構える。ふっと風が止んだ。

キイィイン

澄んだ音が鳴り響く。至近距離で睨み合う二人の髪がそれまでの勢いと風に靡いた。同時に距離を取る動作をして、再びぶつかり合う。金属のぶつかり合う音が、何度も何度も響き渡った。

 満月が少しだけ動いた頃、二人は何十回目かにぶつかった。しばらく鍛錬していなかったのだろう、宇恭は息切れしていたが、紫は済ました表情で短剣に力を込めた。その瞬間。

「っ!?」

右の太ももが、熱くなった。いや違う、これは熱いのではない。痛いのだ。ちらりと見下ろすと、そこにはナイフが刺さっていた。妙にてらてらとしているから、おそらく毒でも塗ってあったのだろう。宇恭の手を短剣で狙ってナイフから手を離させ、距離を取る。かなり深く刺さっているので、おそらく抜いて仕舞えばすぐに動けなくなる。そう判断した紫はそれを抜かず、刃の根本から折った。宇恭がニヤリと笑う。今までは紫が優勢だったが、これからは彼が優勢になると思っているのだろう。紫には毒の耐性があると言うのに。例えば即死性の毒だったとして、普通の人の致死量の約十倍摂らなければ死なず、約五倍摂らなければ体調不良にもならない。そして、毒耐性があることを知っていたとしてそれほどの差があるとは思っていないだろうから、実はあまり関係がない。問題は、10センチほどの刃が刺さっている状態でどれだけ動けるかである。

「次で、決める。」

紫は自分に言い聞かせるようにそう呟いた。深呼吸をして、いつも通りの構えをする。太ももが痛むが、無視して宇恭を見据えた。両耳につけているイヤリングが揺れた。

ザシュッ

肉を裂く音が、響き渡った。首から血が吹き出し、宇恭が倒れる。それに一泊遅れて、紫は膝をついた。真っ二つにされることを防ぐために避けようとしたが避けきれず、左腕を切り落とされてしまったのだ。

「ぐっ…」

経験したことのない痛みに、呻き声が漏れる。そろそろ気絶させた騎士たちが起き出す頃なので、服の一部を破き口を使ってきつく縛って止血する。そして右の太ももに刺さっているナイフも慎重に抜き、さらに服を破ってきつく縛った。ゆっくりと立ち上がり、倒れている薬屋を左側に担ぎ、左足に重心をかけながら歩き始める。

「はぁ…はぁ…」

どうやらあのナイフにはかなり強い毒が塗ってあったらしい。それもどうやら遅効性だったようだ。紫は荒い息を整えようと深い呼吸を意識しながら歩いた。おそらくそろそろ眠っている仲間たちの目も覚める頃だろう。もしかしたら、癒綺を探しているかもしれない。短期決戦か、自分が死ぬかのどちらかしか考えてなかった紫は、癒綺としての姿をしていなかった。髪の染め粉も落としてしまったし、服も紫用のもの。さらに狐の面もつけている。今ここで眠ってもよかったが、薬屋がいるので死ぬに死ねない。

「くそ…」

思わず呟く。宇恭の首を持ってくる趣味も余裕もないから彼は置いてきたが、数日後には腐ってしまって本当に死んだのかわからなくなってしまうかもしれない。

 普段よりも何十倍も遅く歩いているせいでなかなか拠点に辿り着かない。紫は体力も尽きて地面に崩れ落ちた。傷口からは血が染み出している。いくら止血したと言っても、ただ布で縛っただけ。しかも口を使ったからあまり強く縛れていない。解毒薬もないから、解毒もできていない。一応ナイフの刃は持ってきているが、多分解毒薬も作れないだろう。紫はもう限界だった。ふっと意識が落ちていく中、誰かの声と明かりを見た気がした。

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