第十五話
これまでのことを全て回想した紫は、目を細めて夕日を見た。もうほとんど沈みかけている。一斉に、矢が射かけられた。身を翻して密度が低いところに移動し、それでも当たりそうなものは斬り払う。
「行けー!」
宇恭が奥の方で指示を出している。あれを斬り捨てれば、おそらく騎士たちは攻撃をやめて逃げ出すだろう。しかしそれまでが長い。迫ってくる騎士たちを眺めながら、紫は息を整えた。今にも手から滑り落ちそうになる短剣を握り直し、あまり意味はないが顎から滴る汗を拭う。短剣を翻し昏倒させて、また次の人のところへ向かう。昏倒させるのは、刃を向けてはいけないから斬るよりも難しかった。
「ぁ…」
倒れてきた人を避けようとして足が滑る。さらに足がうまく動かず、地面に手をついた。殺気を感じてどうにか立ちあがろうとするものの、力が入らない。
「とった!」
一番近くにいた騎士が剣を振り上げる。刃に反射した夕日が目を刺した。横に転がることもできず目を閉じようとした瞬間、甲高い金属音が響き渡った。
キイィィン
耳がいい紫が思わず耳を抑えると、他の騎士たちですら動きを止めていた。逆光でよく見えないが、剣を受け止めた人をじっと見る。どこかで見たことがあるような服の色だった。
「紫さま、一人で行くなど水臭いじゃないっすか。」
声でようやくわかった。今頃机の上で眠っているはずの、薬屋だ。
「どうして…」
薬屋が笑ったような気配がした。今まで動けず必死にもがいていた相手の剣を弾くと、振り向いてニッカリと笑う。
「あっしは気づいていたんで!紫さまだって!」
時間が止まったような気がした。まさか彼にも気が付かれているとは思わなかった。
「あっしも衣冨村の生き残りなんすよ。紫さまが目を覚ます前に拾われて、先に拠点に向かってましたが…」
衣富村の記憶がほとんどない紫は驚いて薬屋を見た。紫が最初から警戒していなかったのは、そのせいだったのだろうか。それに、と続ける。
「あっしは薬屋でっせ!薬に耐性なくてどうするんすか!」
ふっと気が緩む。悪い緩みではない、むしろ過度に緊張していた全身の筋肉を解きほぐすような、良い緩みだ。
「…そう。」
すっと立ち上がる。ほんの一筋だけ残っている夕日に金色の瞳が煌めき、両耳につけているイヤリングが揺れる。背中合わせになり、それぞれの武器を構えた。どうやら薬屋は長剣を使うらしい。
「…殺さないで。」
チラリと振り返って告げる。今ここにいる騎士たちは、宇恭のせいで動かされているだけだ。宇恭がいなくなれば、おそらくどこかに消えるだろう。
「分かりやした!」
騎士たちがかかってくる。二人は示し合わせたように剣を振り抜いた。
そこからは、かなり一方的な戦いが続いた。立っている敵が宇恭とその隣にいる雷牙だけになった時、紫は雷牙をじっと見つめた。彼はどうやら紫を攻撃しようとはしていないらしい。そういえば、宇恭の護衛だとかなんとか言っていた。
「雷牙!」
雷牙は声のした方を見た。しかしそこには薬屋しかおらず、紫は消えていた。いや違う、薬屋が紫の声真似をしたのだ。彼女はあまり声を出さないから、多少違っていても気付きにくい。
「なっ!?」
乗っていた馬の足ががくりと折れた。どうやら気絶してしまったらしい。いつの間に、と驚く暇もなく馬から引き摺り落とされる。ここでようやく紫を視界に収めた雷牙は、ベルトに引っ掛けてあった短剣を抜いて紫の手の辺りを切りつけた。しかし手応えはなく、手が離される。そして目の前には、薬屋がいた。
「あっしの家族はお前の部下に殺された。あっしがお前を殺さない理由はない。」
向けられた殺気にごくりと生唾を飲み込む。衣冨村の襲撃は、いくら望んでいなかったこととはいえ宇恭を止められなかった雷牙の責任でもあった。
「だが、紫さまが殺すなというから殺さないでおいてやる。その代わり、騎士としての矜持を叩き折ってやる!」
立て、と促されて、雷牙は立ち上がった。全力で戦うことが、大勢の人たちを無差別に殺したことへの贖罪だ。
「紫さま、待っていてくだせえ。あっしがこいつ倒しやすから。」
ぎっと睨みつけ、薬屋はサッと長剣を構えた。雷牙もするりと長剣を抜き、構える。
長い長い戦いが、始まった。
騎士として長年研鑽を積んだ雷牙と、普段はあまり動かない薬屋の実力差は大きかった。
「くっそ…」
地面に膝をつき、薬屋は唇を噛んだ。雷牙が近づき、その前にかがみ込む。
「その節は、申し訳なかった。お前たちの悲しみは重々承知している。だが…!?」
薬屋は心臓をつかむように胸元を握っていた手を雷牙に向けた。何かを握り込んでいたらしく、粉末が飛び散る。不意打ちに、油断していた雷牙はそれを吸い込んでしまった。動揺していると、薬屋は不敵に笑った。
「あっしは強くねぇ。だからこそ、あっしは工夫するんでさぁ!」
雷牙の顔色が悪くなる。手はガタガタと震え始め、体の力が抜けていく。
「紫さまに殺すなって言われてるんで殺さねぇが、その代わりに騎士としての人生を奪うのがあっしの復讐だ!」
ギラリと瞳が光る。雷牙は愕然とした。まさか自分の方が強いと示すのではなく、騎士としての人生を奪われるとは思いもしなかったのだ。
「その毒は、肺を弱くする!日常生活じゃぁ支障はねぇが、ちっとでも運動するとすぐに呼吸困難に陥る!」
不敵に笑っている薬屋も、顔色があまり良くない。息は先ほどより荒く、手も震えている。
「おい、何をしている!さっさと倒さんか!毒がなんだ!死んでも俺を守るのが騎士だろう!」
遠くで宇恭が怒鳴っている。しかしその声もほとんど聞こえなくなってきた。耳鳴りがひどい。気絶するような効果もあったのだろうか。
「ハハッ…あっしの…勝ち、だ…」
雷牙が倒れ込んだ直後、薬屋も地面に倒れ込んだ。のぼり始めた満月が、冷たく二人を照らし出した。
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