第四話
海炎と癒綺は、拠点の門の前で向き合った。普段と何も変わらない様子だが、瞳は鋭く光っている。
「行ってくるわ。」
「いってらっしゃいませ。」
端的に会話を終わらせて、踵を返しスタスタと歩き始める。言葉遣いはお嬢様の癒綺だが、仕草はお嬢様ではない。もちろん人前ではある程度抑えるが、大股で早足で歩くし、椅子にはどっかりと足を組んで座る。どこぞの傍若無人な王子なのかと思うほどだ。そんな彼女を、海炎は見えなくなるまで見送った。早朝のことだから、まだほとんどの者は起きていない。静かな空気が漂う中、彼はぴくりとも動かず、じっと立っていた。
コツコツと石畳の上を歩く音が聞こえて、海炎は振り返った。するとそこには響一が微笑んで立っていた。
「やはりあの方はお一人で行かれるのですね。」
海炎は静かに頷く。響一の一挙一動を見逃さぬように目に神経を集中させ、かと言って不自然にならないようにいつも通りを装う。
「あぁ。今回は気晴らしも兼ねて、だそうだ。」
響一は少し悩むような素振りを見せた。そして眉を寄せ、険しい表情をする。
「先日襲撃があったばかりですが、良いのでしょうか…」
海炎は、やはり自分も心配ではあるので癒綺が消えた方向をじっと眺めた。
「本当に、心配だな…」
彼らの視線の先には、ただ青い空が広がっているだけだった。
癒綺は辿り着いた街の風景を観察しつつ、怪しまれないように軽く買い物をしようと店に入った。そこで一つのイヤリングが目に入り、衝動的に手に取る。右側のイヤリングはピンクゴールドの小さなバラが黒いビーズの下で揺れており、左側は色合いが逆。まるで、紫と癒綺を表しているような色合いだった。
「…お小遣いで買うか。」
結構高かったのだが、今まで物を購入したことがほとんどなかったため貯金はかなりあるので、その中の割合で考えると安い方だ。
「これを。」
「おう。ん、ちょうどだな。毎度あり!」
代金とともに渡すと、店主は快活に笑ってイヤリングを渡してくれた。紫が死んでから外で過ごすのは初めてなので、何度も来ているこの街に来ても違和感を覚えられないのに少しホッとしつつ、店外に出る。手探りでつけて一歩踏み出すと、イヤリングはシャランと揺れた。背筋がピンと伸びたような気がして、癒綺は微笑んだ。そしてそのまま、大通りを外れて小道に入る。何回か曲がり、行き止まりにたどり着いたところで、癒綺は振り返った。
「どなた?」
大通りの喧騒が小さく聞こえること以外、かさりとも音がしない。癒綺はもう一度問いかけた。
「十人ほどいらっしゃいますけど。どなた?」
それぞれの気配を感じるところに視線をやり、もう気づいているのだと教える。気配の主たちは、三人が一斉に飛びかかってきた。一人目は相手の手の中のナイフをくるりと回して、喉に突き刺す。二人目は顎を蹴り上げて脳を揺らし地面に叩きつけ、三人目は二人目のナイフを拝借してそのまま心臓に突き刺して抉るように抜く。一息の間に三人片付け、癒綺は血溜まりの中で微笑んだ。
「次はどなた?」
普通の輩ならこのくらいで逃げ出すのだが、どうやら今回の襲撃者は心の制御を知っているらしい。一切動揺することもなく、仲間の死体を踏みつけて癒綺にジリジリと迫っていく。そして、誰も合図など出していないのに同時に飛びかかってきた。いや、飛びかかってきたというよりも相手を切らないように剣筋を調整しながら切り掛かってきたというべきだろうか。癒綺はスルスルと後ろに避け、壁際まで下がった。そこで残りの七人の中の一人が気を緩め、大きく剣を振った。
「うふふ。鍛錬不足ですわ。」
他の仲間たちはどうやら援護するつもりがないらしい。癒綺の動きをじっと見て、次の動作を予測しているようだ。今大きく振った者を倒しに行ったら、おそらく殺られるだろう。癒綺は背中から弓をとり、矢をつがえて放った。
「!?」
流石にこの至近距離で弓矢を使うことは予想していなかったのだろう。そして至近距離で射られた人は、もんどりうって地面に倒れ込んだ。弓を持ってから矢をつがえて射るまでの時間があまりにも短く、襲撃者たちは流石に動揺を見せた。しかしやはり手練れなのだろう、すぐに気を取り直して、今度は交互に襲ってきた。狭いため縦横無尽とまでは行かないが、動きがグンニャリとしていてうまく読めない。
「でも、攻撃の瞬間は近づくしかありませんわよね。」
癒綺は明るい笑顔で背後から襲いかかってきた人を蹴り飛ばした。それに気を取られたのだろう、動きが鈍くなった襲撃者に円を描くようにして一閃する。
「だってあなた方の武器は全てナイフですもの。」
癒綺は、血溜まりの中でくるりと優雅にターンした。同時に、襲撃者たちが倒れ込む。一滴の血もついていない、綺麗な服を汚さないように爪先で、飛ぶように血が落ちているところを避けつつそれぞれの所持品を確認した。舞うようなその動きに合わせて、鳥たちが囀りだす。トン、トン、という足音に合わせて、ファサ、ファサ、と布が捲られ、地に落ちる音がする。やがて最後の一人となった時、その音が途切れた。カサリと襲撃者の懐から封筒を取り出す。癒綺は封筒の中から紙を出して開いた。
「えっと…報告書ね。狂衣血って、響一?」
癒綺はそれが地に濡れていないことを確認し、そっと折りたたんで上着の内ポケットに入れた。そして何事もなかったかのように颯爽とその場をさった。
仲間たちに軽くお土産を買い、拠点に戻ったのは夕方になってからのことだった。予想通り海炎が出迎え、癒綺は軽く頷いて自室に戻っていく。
「お帰りなさいませ。いかがでしたか?」
前から歩いてきた響一に目を向け、癒綺は微笑んだ。
「ただいま帰りました。いい息抜きができたわ。今からでも頑張れそう。」
響一はくすりと笑った。そして恭しく一礼する。
「でしたら、この響一めにお任せください。本日はゆっくりお休みくださいませ。」
ちょっとした茶番に笑いながら、癒綺はその場を後にした。角を曲がり、口元に手を当てる。その顔は、怒りとも悲しみとも言えないような、複雑な形だった。
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