殺Re: Re: Re:戮ホテル

木古おうみ

殺Re: Re: Re:戮ホテル

 コランを殺すのは三十九回目だが、シャワーホースで首を絞めたのは初めてだ。


 失敗だ。ユニットバスは遮音性があるが手狭だし、唾液と石鹸のぬめりで手が滑る。


 赤かったコランの顔が白くなり、もう少しだと思ったとき、ホースが根っこから抜けた。俺は反動で壁に頭を打ちつけ、ノズルに残った水が精液のように顔にかかった。

 息を吹き返したコランが逃げようとする。くそ、結局これだ。


 俺はコランの後頭部にシャワーヘッドを振り下ろした。硬い音と柔らかい感触が同時に伝わる。


 何度目かで頭蓋を突き抜けたノズルが赤と白の汁を滴らせた。

 時刻は夜九時三十分。時間がかかりすぎた。また始まりだ。



 ***



 俺はまたホテルのロビーの隅、真鍮色の受話器を持っている。四十回目のボスとの電話だ。

 金の刺繍が寄生虫に似た赤絨毯。大量のトランクを積んだカートを押すホテルマン。

 あと五秒後、菫色の鞄にコーヒーを零す。ソファに座る老婦人が悲鳴が聞こえた。ほらな。


 電話の向こうのボスが俺に問いかける。

「ザジ、殺れるな?」

 勿論だ。もう四十回も成功してる。

 俺は受話器を置き、四〇四号室へ向かった。


 このホテルに来てから、俺は同じ一日を繰り返し続けている。嘘みたいだが、本当だ。

 タイムリープってやつだろう。SF映画の主人公なら解決方法を考えるが、そんな気はない。

 これは好機だ。あの野郎は一回じゃ殺し足りない。


 俺は実家より見慣れたドアの前に立ち、四回ノックをする。これでコランは仲間が来たと思う。

 ドアが開いた。四十回目の奴の馬鹿面だ。


 俺はコランの顔が怯えで引き攣る前に、隠したナイフを頸動脈へと滑らせる。

 どうせまたやり直しだ。返り血も目撃者も気にしなくていい。


「ザジ……!」

 コランは血が噴き出す首を押さえながら、俺に椅子を投げて部屋の奥へと逃げる。十二回目と同じパターンだ。


 俺は這いずるコランの背を踏みつけ、椅子の脚で殴る。木琴を叩いたような音がした。

 ザジは血を吐きながら叫ぶ。

「復讐か? お前の仲間が先に始めたんだ!」

 このやり取りは二十八回目と一緒だ。

「お前ら組織が彼女に何をしたと思う!?」

「今からてめえにするのと同じことだよ」


 俺はコランの背にナイフを垂直に振り下ろす。ひっ先が内臓の突っ張った膜を貫く感触はトマトに似ている。

「……俺はただ、彼女に青空を見せてやりたかっただけだ」

「うるせえ、だったらお前が代わりに見とけ」


 俺は椅子の脚でガラス窓を叩き割り、背もたれでコランを外へと押し出す。

 コランと共に落下する破片がダイヤモンドダストのように輝き、真下から激しい音がした。


 陥没したリムジンの背に突き刺さった死骸はうつ伏せだった。これじゃ空は見えないが、どうせ夜だし、死人の目には何も映らない。



 俺は部屋を出て、非常階段で煙草を吸う。目撃者も死体の処理も気にしなくていいのは最高だ。

 残り五本の煙草は吸い終えてもまた元に戻る。


 ひとを殺すのに抵抗はない。

 昔、お袋からアフリカでは六秒に一人死者が出ると聞いた。世界でそれだけひとが死ぬなら、その内ひとりの死因が俺だって大したことじゃない。


 俺は夜九時三十分を待った。



 ***



 俺はまたロビーにいる。四十一回目のボスとの電話だ。


 あと五秒後に老婦人がコーヒーを零す。はずだった。

 横から飛び出した貧乏くさいガキが倒れかけたカップを支えた。老婦人が目を丸くする。

「あら、ありがとう」

 菫色の鞄は無事だ。珍しいこともあるもんだ。どうでもいい。俺はまた四〇四号室へ向かった。


 コランが女を逃したせいで死んだ仲間は二十人。女も殺したし、コランを殺した回数なら釣りが来る。

 だが、もし、仕事をサボった途端にループが終わったら? 俺がコランの二の舞になるだけだ。無駄なことをする気はない。

 それに、まだ殺意は有り余ってる。



 いつものノック、いつもの間抜け面。

 首を刺すのも飽きたが、試行錯誤の結果、これが一番確実だとわかった。

「ザジか!? 」

 ナイフを滑らせようとした瞬間、半開きのドアの先、廊下に人影が過ぎった。油断していた。今まで一度もなかったことだ。


 コランが一瞬狼狽えた俺の隙を突き、体当たりしてきた。ナイフが手からすり抜ける。くそったれ。

 俺は左脚でドアを蹴って閉め、身を捻る勢いでコランの背に踵を打ち込む。腎臓に直撃を喰らったコランが赤と黄色の汁を吐く。


 コランは机に縋って体勢を立て直しながら叫んだ。

「復讐か? そんな必要はない。あいつらは……」

「うるせえ!」

 俺は絨毯についたコランの膝を左脚で踏みつけ、右膝を顔面に叩き込む。軟骨が折れる感触と生温い鼻血がズボンに浸透した。


 コランは折れた歯を飛ばして呻く。

「あいつらは彼女に……」

「聞き飽きた」

「まだ話したことがない!」

「今回はな」


 廊下でガキの声がする。コランがまた何か言いかける前に、俺は卓上のグラスを取り、奴の口に突っ込んだ。前歯がないから簡単に捻じ込める。

「黙ってろ」

 俺はコランの横面を殴りつけた。グラスが破れ、頰からガラス片が飛び出した。お陰で俺の拳も切れた。


 歯と破片と血の泡を吐くジャリジャリした音を聞きながら、俺はもう一度コランの額に膝蹴りを入れる。これで衝撃で飲み下したガラス片が喉を突き破るだろう。



 俺は血まみれの拳を隠し、部屋を出た。

 煙草を咥え、火をつけようとしたが、ライターの火打石が回らない。乱闘の衝撃で壊れたらしい。


 舌打ちした瞬間、目の前にマッチ箱が突き出された。あの貧乏くさいガキが目の前にいた。


「よかったら、どうぞ」

 借りを作るは癪だが、火をくれる奴はボスの次に恩人だ。


「どうも」

 俺が礼を言ってもガキは離れなかった。貧乏人が。


 俺はチップ代わりの札を押し付ける。ガキは慌てて首を横に振った。

「金目当てじゃないんです。部屋からすごい音がしたから気がかりで……手から血が出てますよ?」

「部屋のテレビが落ちたんだ。ホテルマンには伝えたし、廃品は捨てる。気にすんなよ」


 俺は血がついた札をもう二枚ガキの掌に捩じ込んで追い払う。

 ガキが去ってから四〇四号室のドアを少し開けて様子を伺うと、既にコランは事切れていた。


 後は廃品処理だ。

 俺はコランを掴んで引きずり、廊下の隅の扉を開け、ダストシューターに投げ込んだ。

 落下の衝撃音が聞こえ、また夜九時三十分が訪れた。



 ***



 四十二回目のボスとの電話。辺りが騒がしい。いつもと違う。


 五秒後、老婦人がコーヒーを零す。これはいつも通り。


「ほら、言った通りでしょう!」

 ロビーの中央で政治家のように胸を張って叫んだのは、あの貧乏くさいガキだった。

「僕たちは同じ一日を繰り返してるんだ!」


 客とホテルマンは奇術を見るような顔で周囲を見回していた。

 ガキは老婦人の鞄に染みたコーヒーをハンカチで拭いながら無様に叫ぶ。

「みんなで頑張って抜け出しましょう! じゃないと、また前回の二の舞になる!」



 俺はボスに挨拶もせず受話器を置き、早々にロビーを出た。

 厄介なことになった。俺以外にループに気づく奴がいるなんて。しかも、よりによってあの馬鹿なガキが。


 もし、コランもループに気づいたら逃げるに違いない。早く事を済ませよう。



 煙草を咥え、階段を登り始めたとき、見覚えのあるマッチが突き出された。あのガキだ。

「貴方もこの状況に気づいていますよね。僕は七回も同じ日を繰り返しているけれど、貴方と廊下で会ったのは前回が初めてです」


 映画の主人公のような状況に高揚している口ぶりだ。力の伴わない正義に酔った、コランとそっくりな間抜け面だ。


 俺はどうしようかと思う。しくじったら、次のループでこのガキはは絶対に邪魔になる。

 だが、こいつに時間を取られている間にコランが逃げて、今回でループが終わったら? 最悪だ。


 俺は溜息を吐いた。

「ああ、そうだよ」

 ガキは目を輝かせた。「やっぱり」と声が漏れる前に、俺は細い喉にナイフの先端を捩じ込んだ。

「でもな、場数が違う。俺はお前の六倍だ」


 ひとりだろうが、ふたりだろうが、やることは同じだ。

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