第3章 俺が守る──この命にかえても。

——ドンッ


ドサッ


“何か”が壁にぶつかった瞬間

家全体がその音に息を飲んだ。


すると立て続けに——


「はやく起きなさいって言ってるだろうがっ!!」

「おもちゃも片付けないから踏んづけたでしょうがあああああっ!!」


壁という壁を突き破り

怒声が家中を呑み込んだ。


ついには外の静けささえも壊していった。


何かが破裂するように空間が揺れ

幼い身体が怯えを抑えきれずに跳ねた。


「ご、ごめんなさい…」


そんな声も気にとめることもなく

本格的にゆうひに

手を上げようとする母親に対し


気づけば俺は——


「やめろよ!!!」


と本能で叫んでいた。

ただ、ゆうひを守りたくて。


それは恐らく小学生の声量ではなかった。

未来からやってきた

成人としての主張だった。


「あなたの全否定するような言い方

数え切れないほどの暴力…


それが…


俺とゆうひにどれだけの傷を残したか

わかってんのかよ!」


「俺は……俺は今でも怖いんだよ。

人の顔色ばかりうかがうようになって…

ずっと、自分を押し殺して

生きる羽目になってるんだよ!!!」


「俺、きっとどこかでわかってた…。

ずっと前から。


これは“しつけ”じゃない。


“虐待”だ…!」


「これ以上やったら…


いくら家族だろうが


たとえ母親だろうが…


警察を呼ばせてもらう!」


母は目を見開いたまま

言葉を失ったように俺を見つめていた。


「あんた…なにを言ってるの…」


小さな体が宿す奇跡。澄んだ命の青。


俺はそれを、最後の一滴まで絞っていた。


そんな名もなき奇跡の片鱗に心を預けた

次の瞬間——


……がんっ!!

鋭い音とともに、リモコンが頭を打ち抜く。

意識がにじみ、覚悟がこぼれ落ちる。


「るっせぇんだよ、あんたはよお…」


リモコンが落ちた床の冷たさよりも

怒気の熱が肌を焼いた。


叩かれ

蹴られ


俺はただの“子ども”に戻された。


この家に染みついた

理解を許さない暴力が


全てを支配していく。


でも…

どこか安堵している自分が

そこにはいた。


ボロボロでも、守れたんだ、ゆうひを。

小さなため息が、胸にしみる。


ほっとしたゆうひの顔が

すべてを報われた気にさせた。

あいつが笑う限り

俺は何度でも立ち向かう。


何度でも、戦える。


知らぬ間に、時は前に進み

赤く染まった街が

その証のように広がっていた。


「…にいちゃん、さっきはありがとう。

また…ママにしばらく…たたかられて

めちゃくちゃつらかったけど…

にいちゃんが守ってくれたから…

ふしぎとこわくなかった。

…えへへ、へんなの」


「…うん、そうだな。

…これからも、絶対に守るから。絶対に。」




「や〜きいも〜や〜きいも〜」

どこか懐かしい声が風に乗って流れ

甘い匂いが部屋の中にまで染み込んでくる。


空では一羽の鳥が、夕日に溶けるように

ゆるやかに弧を描いていた。


「あんなふうに、自由じゃなくてもいい。


でも……

この景色を…

もう誰にも壊されたくないんだ」


——その言葉が窓の外の風に舞っていったと同時に

背後にふと、気配を感じた。


あまりに自然に。


あまりに唐突に。


「ニャー」


低く響いた鳴き声に

俺はハッと顔を上げる。



さっきまで誰もいなかった廊下の先。



しかしそこには確かに

白く小さな影が立っていた。


「……プリン

なんだよな…?」


その猫は俺の目をまっすぐに見つめたまま

まるで当然のように口を開いた。


『未来を変えるには

“今”を変えることだね』


俺はその場に凍りついた。


やっぱりこの猫——


プリンだ。

間違いない。

鼻の横にホクロみたいな柄が入っていて

片耳はペタンとおじぎをしている。


こんな特徴的な猫

間違えるはずがなかった。


「なぁ、プリン。

未来は…変えられるのか…?」


思わずこぼれた問いに

プリンはふと目を細めた。


「変えられるか、じゃない。

変えるかどうか、だろう?

……アンタが、何を選ぶかだよ」


その声は


やけに静かで


なのに…胸の奥まで響いてくる。


俺は、言葉が出なかった。


気がつけば

プリンの姿はもう

そこにはなかった。


「……プリン……?」


何度も呼んでみても、答えは返ってこない。


でも確かに、あの猫は言ったんだ。


全部は救えない。


それでも——“今”を変えろと。


でも……どうすれば……


どこを守れば


何を守れば


未来は変えられるんだ。


悩んでも、焦っても、出口は見えない。


だけど——


俺は、守りたい。


今度こそ、ちゃんと。


部屋に戻ると

布団の中に

すぅすぅと寝息を立てている

ゆうひの姿があった。


俺はその寝顔を見つめながら


心の底から強く誓った。




あの時何もできなかった俺が

——今ここにいる


もう一度チャンスをもらえたんだ。

だから——



絶対に……



絶対に……


俺が守るからな


”ゆうひ”




——あのとき救えなかった


“ひとつの命”を


俺は今この手で


もう一度抱きしめ直すんだ。


第3章 了

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