第2話 もうおしまいだよ、多摩区は



同日同時刻 川崎市多摩区



 街中にくすんだ青い防護服を着た3つの人影があった。

中型のトラックに強化ビニールで梱包した家財や段ボール箱を詰め込んでいる。

ビニールの上に次々と塵デブルスがまとわりつく。

郁実はそれを邪険に払い落とした。


数分後、ようやく荷物を積み終えた3人は防護服越しに別れを惜しむ。


「鈴木さん、お元気で」

「ごめんねぇ…お金も体も限界で。これ以上ここには住めないのよ…」

「謝らないで。落ち着いたら連絡してね」

「…郁実ちゃん、あんたもいつまでもこんなことにいちゃあダメだよ。

ちょっと前、稲城砂漠に自衛隊の車がかっ飛んで行ったの見たろ?

何があったか知らないが…もうおしまいだよ、多摩区は」


 運転席に座る初老の男…鈴木氏がクドクドと口を挟む。

鈴木夫人はそれを鋭く叱った。


「お父さんッ!…ごめんね。郁実ちゃんには事情があるのに」

「いいんです。あたしは、自分の意志だから…」


 鈴木夫婦を乗せたトラックが走り去ってゆく。

郁実はそれを一人で手を振り見送った。食堂の常連で気のいい夫婦だった。

長年続くデブルス禍で、なにかと助け合ったご近所さんだった。

 同じ首都圏でも多摩区よりもデブルス被害がマシな地域は山ほどある。

逃げられる者は逃げればいいのだ。その事に負い目を感じる必要などない。

 

郁実は小さく咳き込んだ。この防塵マスクもいい加減古い。

そろそろ買い替え時なのだろう。ゴーグルも曇りやすくなってきた。


 もうすぐ18時。

陽が落ち切ったらデブルスが活性化する時間だ。

デブルス嵐が来る前に家に帰らなければ。


濁った空の下、強まる風に逆らって郁実は帰路を急いだ。



***



 食堂のテレビに映るのは毎年恒例の特番。

今流れているのはその再放送だった。

新国立競技場に設えられた小山のような祭壇には、白い菊がびっしりと敷き詰められている。中央に置かれた巨大な立て看板には黒々とした墨字で


万和ばんな40年 星雨 せいう災厄 さいやく 慰霊式典』…と、記されている。


 要人たちの献花が続く中、国営放送のアナウンサーが過去の災厄のあらましを淡々と読み上げる。


<西暦2019年…万和元年4月30日深夜から

 約1カ月に渡って全世界に降り注いだ隕石群…>

<その数、現在確認できているだけで約2億個…>

<隕石群に付着していた病原体『デブルス』の蔓延によって多くの健康被害が…>

<『首都圏の交通網が完全にマヒ』『モーターにデブルスが絡みついてます!』

 『デブルスにタイヤを取られて…』『子どもの皮膚炎が治らなくて…』>

<『デブルスをたくさん吸い込んだせいで、父は…』『全便欠航』>

<現在も世界各地で復興の兆しが見えない状況が続く国々も…>

<同年、国連はこの災害を『星雨 せいう災厄 さいやく』 と名付け…>

<万和5年 日本政府はデブルス対策専門機関

 『清掃庁 せいそうちょう』を設立…>

<ご覧ください!!このおぉ~きなカニ!!!!>

<天然タラバガニが今なら!1箱 198000円!!>


 白髪を短く刈り込んだ作務衣さむえ姿の小柄な老人が、不機嫌な様子で

リモコンを操作した。

騒々しい通販番組からおごそかな慰霊式典に戻る。

ちょうど総理大臣の弔辞が始まった。


<『40年という節目に我々は、より一層のデブルス対策を…』>


「チッ!辛気くせぇな~!!」

「俺が見てんだ。勝手に変えんじゃねえ」

「あ~あ。何から何までシケた店だぜ」


 男はテーブルの上に土足を乗り上げ、尻の下で斜めになった椅子を

ギシギシと軋ませた。

客が10人も入れば満席になる小さな食堂。簡素なつくりで狭苦しさはない。

満員御礼だというのに、店主と思しき老人は嬉しそうな素振りも

忙しく働く様子もない。

 それもそのはず。席を埋める5人の男達は客ではないのだ。

見るからにガラの悪い風体。小汚い作業服から光り物や入れ墨がはみ出している。

顔つきは野卑粗暴ここに極まれりといった風情で知性のカケラもない。

反面ガタイにだけは恵まれているという、まさに絵に書いたようなゴロツキ共だ。

作業服の右胸ポケット上には『ナマダ清掃(株)』と粗雑にミシン刺繍されている。


「だったら帰ってくれ。別に呼んじゃいねえ」

「ああ帰るぜ?きちんと代金を支払ってくれりゃあな」


 ひときわ体格がデカく、粗暴そうな男がだみ声を張り上げた。

老人はこの男の名を知らないし、知りたいとも思わなかった。

ただ他のゴロツキ共に『主任』と呼ばれているので、

この会社…ナマダ清掃(株)の主任なのだろうと思うだけで。


「何度も言ってるだろ。金はねえ」


老人は苦虫を1ダースは噛み潰した顔で、きっぱりと吐き捨てた。


「金はなくても土地があるじゃねーか。デブ公まみれのしけた梨園を

俺らが有効活用してやるって何度も言ってんだろ」


ニタニタとしつこい主任の言い草に、老人は舌打ちする。


「しけた梨園の食堂はもう店じまいだ。消えな」

「デブルス掃除させといて一円も金を支払わねえって、詐欺だぜそりゃあ」

「掃除だぁ?やらずぶったくりが偉そうによ」


たまりかねた老人はカウンターから出て、主任につかつかと歩み寄った。


「テメーの会社じゃあ、単なる水を洗剤って呼ぶのかい?ド三流がよ」

「こんのクソジジイ~!」


 主任は小柄な老人の胸倉を掴み、その横っ面を容赦なく拳で殴った。

地面に倒れつつも、老人は怯みもせず懐に忍ばせたスタンガンを握る。


(これで正当防衛成立ってやつだな…

くそったれ…翔吉しょうきちさえいりゃあ、こんな奴ら…!)


「おじいちゃん!」


澄んだ声が響く。若い女の声だ。老人の顔色が変わる。


「郁実!バカたれ!出て来るんじゃねえ!」

「おっと。お嬢さんじゃねえか」


 郁実は鋭く主任を睨みつける。

先ほどの防護服を脱ぎ、今はカジュアルな普段着に着替えている。

ところどころくりっと跳ねたクセのある明るい栗色のショートカット。

愛らしい顔立ちには気丈さがはっきりと見てとれる。

背が低く体つきが細いので幼く見えるが、郁実は今年で22歳。

れっきとした成人女性である。


「おじいちゃんを説得してくれよ~清掃屋さんにおカネ払ってってさぁ」

「やだよ!」


小さな体に見合わぬ気迫で、郁実は一気にまくし立てた。


「清掃会社?!ふざけんじゃないよ!!

デブルス駆除なんかひとつもしてないくせに!

勝手に押しかけた挙句、大事な梨畑に吸い殻捨てて立ち小便までして!

そのくせ相場以上の金払えとか頭イカれてんの?!

お前らなんか清掃会社じゃなくてクソ詐欺師の汚し屋だよ!

二度とそのツラ見せないで!」

「て、てめェ…!!」


 事実ばかりを情け容赦なく並べ立てられ、

主任の鬼瓦めいた顔にビキビキと血管が浮かぶ。


「郁美、もういい!てめえらさっさと失せねえと警察呼ぶぞ!」


 孫娘を案じる老人のやや上擦った声に、ゴロツキ共が嘲笑で返す。


「警察呼ぶぞ、だってよ!」

「この多摩区でケーサツだのホーリツだのが機能してるってか?」

「だからテメーらんとこのショーキチだって死」


 バチッ!!郁実の渾身のビンタが主任の右頬に炸裂した。


「ショーちんは死んでない!!」

「郁実…」

「このクソアマぁ!」

「痛っ…離せよ!」


 すかさず主任は彼女の腕を掴む。

布地越しに細く柔らかな二の腕の感触が掌に伝わった。

鬼瓦が今度はニタニタといやらしく歪んだ。


「ガキくせえが女は女だ。金になるぜ」


 長十郎と郁実の全身から血の気が引く。

ゴロツキどもは、待ってましたとばかりにいきり立った。


「主任~。売り飛ばす前にちょいと味見しても?」

「見えるとこに傷つけんなよ。売り物だからな」

「ヒュー!待ってましたぁ!!ロリ系最高!」

「や、やだっ!離せよクソ野郎!!」


郁実は掴まれた腕を振りほどこうと必死で抵抗した。


「郁実ぃ!やめろッ!やめてくれぇ!」


社員の一人に羽交い絞めにされ、老人がもがきながら叫んだ。


「おっと!オジーチャンは大人しく見物してぇ~?」

「このオモチャはボッシュート!ギャハハハ!」


隠し持っていたスタンガンを取り上げられ、食堂の隅に無情に放り投げられる。


「郁実ぃぃぃ!やめろ!やめろ畜生ォォォォォーーーー!!」

「お、おじいちゃん!いやっ!…ショーちん!助けてぇ!」


 血を吐くような二人の絶叫が虚しく響き渡る。

獣めいた息を吐く悪漢どもの汚らわしい手が

郁実のささやかな胸元に迫り、衣服を引きちぎろうと掴んだその時!



♪ピロピロピロン♪ピロピロピロン♪



 修羅場中の修羅場にそぐわない明るい音楽が響いた。

店の一枚目のドアが開いた事を知らせる入店ジングルだ。

その後、防塵ブーツの重い足音に続いてエアシャワーの噴射音が短く響く。

蛇足だがこの時代、各戸にエアシャワーの設置が法律で義務付けられているのだ。

すりガラス越しに防塵マントをゴソゴソを脱ぐ、ミノムシめいたシルエット。


「主任、誰か来たみたいスけど…」

「あぁん?!近所のやつか?追っ払え!!」

♪~~♪~~~

「な、なんだァ…?」


 ギターの軽快な演奏と共に、一人の男が勢いよく引き戸を引いて現れた。

スパーーン!


「どーもこんばんは~!」


 黒い鍔つき帽子にライダースジャケット。Tシャツにジーンズといういで立ちの

背の高い男がギター片手に入り込んで来た。やたら明るい空気が場違いすぎる。


「なんだテメーはぁ…!」

「いやあ嬉しいねぇ。多摩区でようやく人類にめぐり会えたよ。

なんせこのデブルス嵐だもん。参っちゃってさぁ」


 男はカラリと明るく言い放つと、さっさと空いている席についた。

壁に貼られたメニューを見回すと、長十郎に笑顔で告げた。


「すいませんオヤジさん、アジフライ定食ひとつ」

「おいっ!!なに平然と注文してんだテメェ!!」



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