灯幻郷
sorarion914
ユメ・ウツツ
住んでいるのは山間の小さな集落だが、特段不自由を感じたことはない。
住民は皆互いに身を寄せ合い、助け合いながら暮らしていた。
誰かが困れば誰かが助け、手の空いている者が率先して動く。
僅か数世帯の小さな村だが、まるで家族のような絆があった。
それもそのはず。
住んでるのは両親と祖父母。
その親類縁者が住民の大多数を占めている。
集落自体が家族そのもの――そんな中で、桃花は唯一の子供だった。
「おはよう、桃ちゃん。いってらっしゃい」
ランドセルを背負う桃花を見て、道行く人が笑顔で挨拶をする。
「おはよう、おじちゃん、おばちゃん」
桃花も笑顔で手を振った。
毎朝、麓の学校まで送り迎えをするのは母の役目だった。
母親の運転する車に乗り込んで、集落を出る。
片道1時間以上はかかる道のりだったが、集落を出て年の近い子供たちと一緒に遊べる。
それが桃花にとっては嬉しかった。
なぜ、そんなに不便な所に住んでいるのか――
気にはなるが、誰も聞いてはこない。
家に誘いたくても、遠いので友達も呼べない。
寂しい気持ちもあるが、みなが優しく接してくれるので、桃花は幸せだった。
「桃花、つまらなくない?」
ある時、父がそう聞いた。
桃花は首を傾げると、「つまらなくないよ」と返した。
「だってここにはテレビもないし、ゲームもない。本だってないし」
「でも、みんなが一緒に遊んでくれるよ。だからつまらなくないし、楽しいよ」
「そうか……」
父はそう呟いたまま、それっきり何も言わなかった。
そんな父の様子を見て、母が何か言いかけたが……彼女もそれっきり、何も言わなかった。
夜の静けさは、墨を落とした
――その日も、いつものように学校から帰った桃花は、ランドセルの中から教科書を取り出して机に並べた。
宿題を済ませて、早く外で遊びたい……
そう思ってノートを広げると、間から1枚の紙きれがヒラヒラと床の上に落ちた。
「あら?」
桃花は拾い上げて首を傾げた。
10センチ四方の、薄い水色の紙だ。
紙の中央に、赤い筆で何やら見たこともない図形が描かれている。
「なぁに、これ?」
桃花がそう呟いた時だった。
突然――部屋の襖が開いて、母が鬼のような形相で近づいてきた。
そして、桃花が手にしていた紙を奪い取ると、詰め寄る様な声で言った。
「これ!どこで見つけたの!?」
「え?」
突然のことに驚く桃花を、さらに問い詰めるように母は言った。
「どこでこんなもの見つけたの!言いなさい!」
「し、知らない……私何も知らない」
桃花は震える声で必死に言った。
「ノートに挟まってたの。本当よ」
「――」
その言葉に、母は我に返った。そして、取り乱した自分を恥じるように苦笑いを浮かべると、怯える我が子に手を差し延べて言った。
「あぁ……驚かせてごめんなさい。違うのよ桃花。怒ったわけじゃないの」
「……」
「ただね。前にも言ったでしょう?外にあるものを拾って、ここに持ってきちゃいけないって――覚えてるわよね?」
「……うん。もちろん」
素直に頷く桃花に、母は穏やかな笑みを浮かべると、いつものような優しい声で言った。
「きっと誰かが間違えて桃花のノートに挟んだのね……これはお母さんが預かっておくから。この事は誰にも言ってはダメよ?分かった?」
はい――と、桃花は頷いた。
桃花はもうじき10歳になる。
『匂いを嗅ぎつけられるぞ』
『だから女の子はよせと言ったんだ!』
『外へ出したのが間違いだった……』
『今からでも遅くはない。ここに閉じ込めて』
『もう遅い。気づかれた』
『いずれ匂いを辿ってここへ来るぞ』
暗闇で、ヒソヒソと話し声がする。
『これを書いた奴がじきここに来る』
『あの子は見つかった』
『もう終わりだ……』
ヒソヒソ声が、やがて泣き声に変わる。
漆黒の闇の中で、我が身を嘆くような泣き声と共に、恨み言のような呟きが幾重にもなって聞こえてくる。
『我らの夢は
『あの子が消えてしまう』
『あの子が消えたら我らも消えてしまう』
『全てが無に
『夢幻の
『我らの
『悲しや……悲しや……』
『悔しや……悔しや……』
* * * * * * *
「次のニュースです――
今から10年前、生後間もなく行方不明になっていた乳児が、
見つかったのは山間部にある集落の廃墟で、驚いたことに元気な姿で成長していたとのことです。
少女の話では、両親や祖父母がいて、集落で一緒に暮らしていた……とのことですが、そのような事実はなく、通っていた小学校にも在籍していた記録はありませんでした。
俄かには信じがたい話ですが、少女の健康状態に問題はなく、誰かが世話をしていたとしか思えないとして、警察では慎重に捜査を――」
――男は食堂のテレビから目を背けると、そのまま勘定を済ませて外に出た。
コートのポケットに手を突っ込んだまま、寒そうに前かがみになって歩き出す。
寒風が、唸りを上げて耳元をかすめた。
その唸りと共に耳元で、
『我らの
と、恨めし気な声が響いてくる。
男は眉間を寄せると、「うるせぇんだよ……」と低く呟いた。
「お前らのユートピアなんぞ知った事か。
そして、コートのポケットから片手を出すと、そこに握られていた1枚の青い紙きれに目をやる。
「幻は無に還す。
男が手を離すと、紙きれはヒラヒラと宙を舞った。
しばらく中空を彷徨っていたが――まるで何かに引き寄せられるように、風に乗って飛んで行く。
それを、男はじっと目で追った。
薄い紙きれは、鉛色の空に溶けるように消えていった。
……END
灯幻郷 sorarion914 @hi-rose
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