第4話 宇宙のお片づけ(2)
仕事の取材のネタ切れに悩んでいたわたし。
それは世の中に溢れる様々な仕事も同じこと。
"ネタ切れ"って、全人類共通の悩みなんだ。
連載中の漫画家
新商品のアイデア
毎日の晩御飯のおかず
友達との会話なんかも
言語や道具を作って進化してきた人間にとって、
"ネタ切れ"は避けて通れない壁なんだろう。
頭の中で常に何かを創りながら人は生きてる。
生きていくために、新しい何かを創り続けている。
散らかった部屋を見回してハカセは目を瞑った。
「発明家にとって一番必要なものは工学の知識や制作のスキルじゃないんですよ…。アイデアです。誰も思いつかないようなアイデア。人々の生活を助ける画期的なアイデア。しかし私が日々作っているものはガラクタや誰かの模造品ばかり…。」
わたしにぶつかって静止した足元のハエ取りルンバに、ハエが止まる。
毎週職業に関するコラムを執筆しているわたしだって常に取材の"ネタ"に悩まされているけど、目の前の発明家もやっぱり同じくしてアイデアの底がついてしまっている。
「人のお役に立てるような発明品は作れた試しは皆無…。大変お恥ずかしながら実は一度も『発明』と呼べるような
照れ隠しのつもりか、頭をガシガシとかく博士。
でもその照れ笑いの先に『理想と現実のギャップ』への疲弊が丸見えだ。
「代表的な発明品が無いのはわかりました。でもハカセはどうやって日々の生活の生計を立ててるんですか?」
部屋から外にも出ず、発明品も無く、どうやって生活しているんだろう、とそこがシンプルに気になったわたしは、直球で聞いてみた。
「え?あぁ…、お二人はニャントークってご存知ですか?猫の発する声や動作をAIで読み取って人語に訳すアプリがあるんですけど。」
ニャントーク?猫の翻訳アプリ、か。
そんなのがあるんだ。
「大学を卒業後、知り合いの御縁でそのアプリの開発に携わらせて貰いまして。主にプログラムの構築とデータセットからのパターンの抽出、猫の動作の機械学習アルゴリズムを私が監修しました〜。」
わぁ、急にわからない言葉がたくさん出てきた。
とりあえず、他社の開発のお手伝いとかで生活費は稼いでいる、ということか。
アプリを調べたジェットが驚きの声を上げる。
「えぇ!?ニャントークって、これ世界で8000万以上ダウンロードされてるじゃん。博士、これめちゃくちゃスゴいことしてるんじゃないの?」
「まぁ…、私は友人から頼まれた注文にコミットしただけですので〜…。ほんとに大したことしてないです。」
テレビの横にある写真立てをハカセがチラ見する。
「博士、猫飼ってたんですか?」
「はい…。ベルって言います。昨年老衰で亡くなってしまったんですけど。」
茶トラの猫が電気のコードをかじっている写真。
「俺は今、いたずらをしているニャンよ!」という強い意志が感じられる憎たらしい顔でこちらに目線を向けている。
猫って相場は毛糸玉とか猫じゃらしで遊んでいるイメージだけど、電線をかじる姿はいかにも発明家の飼い猫って感じがして可愛い。
「ベルは私の発明品を馬鹿にしないんですよ。失敗作をおもちゃにして遊んでくれるんです。それが嬉しくて、何の成果も無いままダラダラとこんな生活を続けてしまいました。ああ、ベルのせいにしては駄目ですね。すいません。」
抱っこするかのように、ハカセが写真立てを両手で優しく持ち上げた。
「発明家なんて嘘の姿ですよ。実際は猫とダラダラ生活して、他社のアプリ開発にフィードバック。その研究結果から小遣いを得て暮らしていただけですから。でもなんかね、ベルが死んじゃってから私、ますます無気力人間になっちゃって…。」
「ハカセはもっと人と話したほうがいいよ」
話を遮るように、勝手に口から言葉が飛び出た。
わたしの悪い癖。脊髄反射で言葉が出てしまう。
「親でも、友人でもいいから。誰かと会って話したら、モヤモヤしてるものが無くなったり、キラキラしてるものが急に降ってきたりするから。ハカセはもっと外に出たほうがいいです」
研究室が静まり返る。
ふぅ、とわたしの息継ぎがよく聞こえる。
そうだ。嫌だったんだ。わたし。
なんだか昔の自分をみているみたいで。
こんな散らかった部屋に閉じこもってても、そりゃあアイデアなんて何にも産まれない。
ハカセはわたしよりずっと頭がいい人だってわかってるけど、わたしの言葉で教えてあげたい。
「わたしも、そうなんです。独りで閉じこもってたんです。学校にも行かないで、毎日ずっと海を眺めてたんです。すごく嫌いでした。自分のこと。
でも今は人と会って、思ってることを言葉にできるようになって、そしたらなんか感情とか考えとかが整理されて、あぁ、わたしってこうしたかったんだ、とか、そんなちっぽけなことだったのか、って気が楽になるんです」
今この瞬間
「宇宙なんです。頭の中って」
「宇宙、ですか。」
「わたしの頭の中で、言葉同士がぶつかったり、変な生き物に話しかけられたり、何かが急に産まれたり、爆発したりするんです。どこまでも真っ暗が続いて広がってるんですけど、1個、何かに触れたら、ピンを刺せたら、バラバラだった宇宙がキュって片付いて明るくなるんです」
宇宙のことなんてなんにも知らないくせに。
自分でも何を言っているかわからないくせに。
わたしの意味不明な説教を聞いていたハカセの目から何故か涙がツーっと流れた。
「あれ?」と涙を拭って、自分自身で驚き、ハカセは笑った。
変なこと言ってすいません、とわたしが謝るのを制して、ハカセが何度も鼻をすする。
「いや…いや、私ね。見ての通り、人と話すの苦手なんです。私。」
ハカセがティッシュで鼻を噛んでズビズビ言わせる。
「学生時代も全然友人がいなかったんですよ。ペットボトルロケットを飛ばしたり、ラジオを自作したり、いつも独りで何かを作って遊んでたから、同級生にも避けられてたんですね。」
もう一枚ティッシュをとって、目尻を拭く。
涙をこらえているのか、昔を思い出しているのか、少し上を向いたハカセは目を閉じた。
「大学生の時、外で無線の
ガラクタをかき分けて、ハカセがカーテンと窓を全開にする。
散らかっていた部屋に風が入ってきた。
「頭の中って宇宙ですよね。分かります。鮫川さんの言う通りです。間違えて大切なものを捨てちゃったり、要らないものがいつまでもぷかぷか浮かんでたりする。
そういうのを整理してくれるのは、自分じゃない誰かなんですよね。
三宮君が話しかけてくれたこと、あんなに嬉しかったのになんで忘れてたんだろう…。」
頭の中は宇宙だ。真っ暗で雑多で途方もない宇宙。
その宇宙を片付けてくれるのは自分じゃない。
「ありがとうございます。勝手に元気が出ました。全然取材のお役には立てなかったでしょうけど。」
ハカセが深く長いお辞儀をした。
閉じ込められていた発明家の頭の中の宇宙。
今、わたしの下手くそな言葉が、少しだけ片付けてあげられたんだ。
「ねぇ、ハカセ。もう窓閉めない?換気はいいんだけど、普通に寒いよ。」
このままちゃんちゃん♪で終われそうな空気だったのに、ジェットが水を差す。
確かに急に11月の冷たい風が入り込んできて、室温がガクッと下がった気がするけどさ。もう少しこう何ていうか…、手心というか…。
「っていうかハカセ、天気って操作できないわけ?」
窓を閉めるジェットの言葉にハカセがおぉ、と声を上げる。
「三宮君その視点、素晴らしいです。エアコンや新素材で体温や室温をどうこうするより、根本的に地球の温度自体制御できないものか…。その入口の1つが天候の操作。早速大発明のアイデアですよ。これ実現したらノーベル賞ものですよ!全人類を星ごと救っちゃいますよ〜!」
天才!天才!とお互いに肩を叩きあって、ハカセとジェットが騒いでいる。
得意の冷ややかな目でスルーしようと思ったけど、大発明の種が産まれる瞬間を目の当たりにして、少し悔しい。羨ましい。わたしも混ざりたい。
「鮫川さんも何か発明のアイデアありますか?些細なことでも何でもいいですよ。」
わたしの視線に気づいたハカセがお前もこっち側に来ないか?と手を差し伸べる。
「わたし、"
だから例えば、ボールペンの先っちょ回してイジってたらバネでピョーンって飛んじゃう事あるじゃないですか。あれの最強盤を作って"ボールペン型小型銃"とか。窓ガラスくらいなら割れるやつ」
「普段何食べてたらそんなアイデア出るわけ?」
ハカセと肩を組んだままジェットにドン引きされる。
どうやらわたしはそちら側へは行けなかったようだ。
だって何でもいいから出せって言うからじゃん。
睨み合うわたしたちを他所に、ジェットの肩から腕をダランと垂らして、ハカセが石になったみたいに硬直する。
目が何処か遠くを見つめたままブツブツと何かを呟いている。
「〇〇型〇〇…。これは盲点…。」
おわぁ!と急に大きな声を荒らげてハカセは部屋中を高速で歩き回った。
ヒィ!と言ってわたしは避けたけど、ジェットとハエ取りルンバはエウレカ状態のハカセに跳ね飛ばされた。
「鮫川さん!!ありがとうございます!!一瞬でビビッときました。あぁああ!!これだ!宇宙が片付く感じです!!!宇宙が片付く感じ!!!」
床に落ちていたA4の用紙の裏に目にも留まらぬ速さで何かを書き殴る。
目がキマっていて最高に発明家って感じのそれだ。
「あぁ〜!!片付いた!何を私は悩んでいたんだろう。やった!お二人が来てくれて助かりました。」
わたしたちの手を交互に握る。
きっとわたしたちが帰った後、ここで世界を救う画期的な発明の研究が始まるんだろう。そんな気がする。
わたしとジェットは顔を見合わせて笑った。
「たまには人に会うのが一番ですよ。宇宙が片付いて、必ず何かヒントをくれますから。取材のご協力ありがとうございました」
「君、僕のこと出涸らしって言ったの、許してないから。」
ハカセはもうわたしたちの方を見ない。
誰も知らないこの小さな研究所。
いつか誰かを救うかもしれない発明家の
電気のコードを噛みながら、写真の中のイタズラ猫が目を細めて笑った気がした。
外に出ると、11月の冷たい空気。
時刻は16時。ジェットの吐く息が白く光る。
「ハカセ、頭の中の宇宙がスッキリしたのはいいけどさ、部屋も掃除したほうがいいよね。」
「ねぇ、ジェット。わたし画期的なアイデア思いついたよ」
必要なのは知識や技術よりもアイデア。
わたしの宇宙を片付けてくれる誰か。
ハカセの部屋を片付けてくれるのは誰だと思う?
家事代行のおばさんに貰ったクーポンをポストに入れて、わたしたちは笑いながら研究所を後にした。
※※※※
「サメ子、その肩から下げてるUFOみたいな箱、何?」
あっと言う間に季節は12月。
出勤するとすぐに編集長に気づかれた。
えへへ、と声に出して自慢げに見せびらかす。
「これですか?中華まん保温ケースです。バッテリーで8時間保温できる優れもの。いつでも温かいピザまんが食べれるんです。」
パカッと蓋を開けると食欲をそそるいい匂いと共にテカテカのピザまんが顔を覗かせる。
匂いにつられて食べそうになるので急いで蓋を閉める。
後日、お礼のメールと共にハカセから送られてきたわたしの為の発明品。
「何か鮫川さんの日常を助けられるものがあれば喜んで制作いたします」と書いてあったのでリクエストしたものだ。
側面にはコードをかじる猫のマークが印字してある。
届いた発明品の中には、他にもノックしたら先端からマッチくらいの小さな火が出る"ボールペン型ライター"とかも入っていた。
わたしが言ったボールペン型小型銃の試作品だろうか。何かの拍子で普通のペンと間違えて使ったら100%紙に火がついてしまう最悪のジョークグッズ。
確かにスパイみたいでカッコいいかもだけど、銃刀法とか火薬の取締法とかに引っかかりそう、と怖くなってカバンにこっそりとしまった。
どうしよう。家に置いとくのも怖いなあ…。
その日の仕事を終えて、いつもの如く海岸沿いのテトラポットに座って海を眺める。
凍えるような12月の海だってへっちゃら。
ホカホカのピザまんをケースから取り出して頬張ると、ハフハフと白い息が冬空に消えていった。
「にぃ」
帰宅すると子猫のギンがソファに寝転んだまま声だけ発する。
釣り堀にいた弱っている子猫を、昨年保護したものだ。もうすっかり家猫になっている。
さっきの「にぃ」が「おかえり」なのか、「なんだお前か」なのかはわかんないけど、玄関まで迎えに来ないってことは多分後者だろう。
そういえば…、と思い立ってハカセが話していたニャントークというアプリをインストールして、ギンの方にスマホのカメラを向ける。
「にぃ」という声に反応して画面に「お腹すいた」と表示される。
少しだけ「おかえり」を期待していたわたしが馬鹿だった。
パターンの抽出を担当しました〜、と言っていたハカセを脳内でどつく。
でもまぁ猫なんてそんなもん。
とアプリを閉じようとするわたしの指をギンがぺろぺろと舐める。
「にぃ」
画面に「大好き」と表示された。
えぇ!?と声に出して驚いたけど、次に表示された「おいしそう」という文字を見て、さっき食べたピザまんに対する大好きだと気づいた。指先から臭いがしたのだろう。
プログラムを構築しました〜と言っていたハカセを脳内で蹴り飛ばす。
何故かどっと疲労感に襲われたわたしは、ギンにエサをあげて、ソファに寝転んだ。
ギンがわたしのお腹に乗って、聞こえないくらいの小さな声を出す。
「ありがと」と表示された画面の文字を見て、お腹の上の小さな宇宙と目を合わせる。
ほんとかよ、と頭を撫でるとゴロゴロと喉を鳴らしてそのまま眠りについた。
わたしの宇宙を片付けてくれるのは、間違いなくわたしの一期一会。
肯定されて、否定されて、わたしの宇宙はカタチを形成していく。
NASAの取材なんてまだまだ先だな、なんて考えながら、いつの日か写真立てに飾る寝顔にピントを合わせた。
ストレンジエトセトラ tsubori @tsubori
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