アストラム・コード ― 学園都市に封じられた禁忌魔法を奪え。―

TKG

プロローグ

第1話 優等生は、密命と共に

 風が、頬を撫でた。



 微かな揺れと共に、まぶたの向こうを薄明かりが照らす。

 まぶたを震わせながら、少年はゆっくりと目を開けた。

 しばらくのあいだ瞬きを繰り返し、身体を起こすと、揺れる車窓の外に視線を向ける。





 そこで彼の目に飛び込んできたのは、見たこともないほど巨大な城郭じょうかく都市だった。





 山脈のように幾重にも折り重なった城壁が、果ての見えない地平線へと連なり、その上段には天を貫くような高塔群がそびえ立っている。

 鋭利な刃のように空を裂くその姿は、紫紺しこんの魔力が石肌をはしり、とどろ脈動みゃくどうが空気を震わせる――建造物とは思えない威容いようだった。



 どれほどの年月と魔法の技術を費やせば、これほどの都市が生まれるのか——。

 想像もつかぬその規模に、少年は思わず息をのむ。



 要塞ようさい国家が、都市という仮面をかぶって、ゆったりとこの大地に腰を下ろしているかのようだった。




 都市全体は、うっすらと光を帯びた半球状の魔法障壁まほうしょうへきに包まれていた。

 それは大気と混じり合うように柔らかく揺らめき、朝日を受けて虹色の光を帯のように流している。

 まるで空に描かれた水面みなものように、風に震えながら、都市の輪郭りんかくを溶かしていく。



 この結界は、上空からの外敵を拒むための防御であり、同時にここへ足を踏み入れる者たちを選別する、魔法文明の門のようにも思えた。



 城壁のさらに向こう、霞の中を一体のドラゴンがゆるやかに滑空していた。

 朝日を背に浴びて、金色に輝く翼をたなびかせながら、悠然と天空を翔けていく。

 その光景は、常識というものが意味をなさぬ世界に足を踏み入れたことを、言葉よりも雄弁に告げていた。



 そんな幻想的な景色のただ中を、一台の馬車が静かに進んでいく。

 風の上を滑るように——。



 馬車を引くのは、銀白の体毛と螺旋状らせんじょうの光る角を持つ魔法の馬〈ヴィンド・ロス〉。

 地面に蹄をつけず、角の先端から発する風魔法Sizoraで数センチ宙を漂い、馬車に乗る者にほとんど揺れを感じさせない。



「——目が覚めましたか」



 御者ぎょしゃが振り返り、口元だけで穏やかに笑った。

 年の頃は五十代後半。

 くたびれた外套がいとうを身にまといながらも、その腰に下げた剣の柄には使い込まれた痕が刻まれており、ただの飾りではないことを物語っている。



「初めて見ると、驚かれるでしょうな。あれが学園都市アストラム——世界の魔法文明の中心です」


 

「……想像より、はるかに大きい」



 少年は静かに呟いた。



 この世界のどの都市とも異なる、理知と魔法が織りなす学園都市アストラム。

 ただ見上げているだけなのに、思考の奥底が微かに震えるような、そんな感覚を覚えた。



「見えますか? 中央にそびえるのが、街の主塔〈グリモア・シュビッツェ〉です」



 御者は視線を窓の先へ投げながら、続けた。



「あれは図書区と研究棟を兼ね備えておりましてな。あの中には、かつて失われた帝国語の魔道書グリモワールから、近代魔法の理論書まで、あらゆる文献が保存されております」

 その語り口には、静かな誇りが滲んでいた。





 馬車はゆるやかに傾斜を下り、やがて巨大な城郭じょうかくの足元にたどり着いた。



 間近で見上げる城壁は、もはや「建造物」と呼ぶにはあまりにも巨大だった。

 無数の魔法陣が刻まれた石材が精緻せいちに組み上げられ、構造体そのものが結界装置として機能しているのがひと目で分かる。

 壁の上段からは、風を切って飛行する魔法生物の影がちらつき、監視の目が都市の上空を絶え間なく巡回していた。



「この外壁だけで、どんな魔法攻撃も防げるでしょうな」



 御者がぼそりと呟く。

 それは誇張に聞こえなかった。



 やがて、目の前に都市の正門が姿を現した。

 巨大なアーチ型の門は、陽光を浴びて白銀にきらめき、門扉の中央には精緻せいちな紋章が刻まれていた。

 中央に描かれているのは、三重の輪と五つの星。その一つ一つに違う魔法陣が組み込まれ、時折ふわりと淡い光が脈動する。



 門の前には、旅人や商人らしき一団が列を成していたが、御者はためらいなく、脇の専用通路へと馬車を進めた。



「特待生用の通行許可が出ておりますので、検問はすぐに終わるでしょう。——ご安心を」



 御者の言葉どおり、門の横にある専用のゲートには、数人の門番が立っていた。

 ひとりが歩み寄り、馬車の御者に挨拶を交わすと、車窓に近づいてきて声をかける。



「学生証、あるいは推薦状の提示をお願いします」



 少年は無言で腰のポーチから証明書を取り出し、窓越しに手渡した。

 門番はそれを受け取り、目を通すと声を上げる。





「……特待生、〈ルーク・ヴェルトナー〉殿。ようこそアストラムへ!」





 明るい声に笑みを返しながら、少年——ルークは穏やかに頷いた。



「ありがとうございます。今日から、お世話になります」



 少年は心の奥で、淡く冷たい声をひとつ反響させた。


 

(——その名前は、いつわりだがな)



 そう。ルーク・ヴェルトナーとは偽名であった。



 少年は、本当の名も、本当の素顔も、この都市には持ち込めないのだ。

 この場所に入るために、彼はいくつもの嘘を纏うしかなかった。



(しかたない。これは任務だ)



 心の内でそう繰り返すように、馬車は門を越え、魔法都市アストラムの中へと滑り込んでいく。



「すべては……“祖国”のために」









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