虚ろな心
やがま
第一話 シガーキス
人の三代欲求の内の性欲は抑えられないものなんだろうか。
もしそれを本当は抑えることが出来るのだとしたら、何故私はあの時抑えることが出来なかったのだろうか。抑える方法は幾らでもあったはずなのに。その場から逃げ出して仕舞えばよかった。誘いも断っていれば。
あんなことが起きることは到底なかったはずなのに。
今日は珍しく後輩に飲みに誘われた。飲み行くと言っても大人数で行くようだ。いつもはあまりこのようなことには関係しないようにしているが、久しぶりに誰かと酒を飲みたい気分だった。
飲み会の翌日はあまり働きたくは無い。仕事はいま終わらせたい。そう思ってデスクに向かってマウスを動かす。
結構な時間が経って時計を見ると、時間には随分余裕がありそうだった。
タバコの箱とライターを持って喫煙室に足を運ぶ。
タバコに火をつけて椅子に座る。
このタバコは何年も前から愛用している。愛用していると言ってもあまり吸ってはいない。身体に悪いのはよく分かっているが、時々不意に吸いたくなる時がある。
タバコの先の白い煙がゆらゆらと揺れて灰が落ちる。
ガチャ、と喫煙室の扉が開いてそちらに目をやると同期の篠崎がいた。
「おっ!奏じゃーん!珍しいねータバコなんて」
「ん…」
あまり人と一緒にタバコを吸いたくは無いので、タバコを捨てようと席を立つが篠崎に止められる。
「えーもう行くの?せっかくだし一緒に吸おうよ〜」
そう言ってスーツの裾を軽く掴まれる。
「はぁ…少しだけだから。」
もう一度席に着いてタバコを咥えながらボーッとしていると、ポケットを漁るゴソゴソという音の後に篠崎が声を出した。
「あ、うそでしょ…」
「ねえ奏〜ちょっと火借りてもいい〜?」
どうやらライターを忘れたらしい。タバコを吸うのにライターを忘れるのは馬鹿すぎると思うがわざとらしく下から見上げて懇願してくるので、しょうがない、可哀想だから分けてやろう。そう思ってタバコを口に咥えたまま顔を前にやって差し出す。
「ん、サンキュー!」
タバコで火を移すとなると息を吸ったりするのにコツがいる。
自分のタバコで相手のタバコに火を移す行為はシガーキスと言って仲の良い友人などとすることが多いようだ。シガーキスはタバコが不味くなったりすることが多いが、ゆっくり火を移せばそんなことはない。ゆっくり、慎重に息を吸えば不味くはならないが、急いで強く息を吸ったりしてしまうと、副流煙を吸い込んで不味くなってしまう。
篠崎がすー、はぁ…とタバコを一度吸うと口からタバコを離してまた話しかけてきた。
「奏さぁ私が女だから良いけどさ、ソレ男にやっちゃダメだよ?」
「なんで?」
「なんでってさぁ…こう、ダメでしょ。…まさかやってないでしょうねー?」
そう言って肩をこづいてくる。
「やってないよ」
そう返すと篠崎は安心したかの様に椅子に深く腰掛けた。
やる訳がない。やるとしても知り合いがいいし、何年も一緒にいる様な人がいい。でも
「んーでも奏シガーキス本当上手いよね」
「そう?普通でしょ」
そう言ってタバコを吸うと、篠崎はタバコを口から離してこう言った。
「いいや?違うね。私が今までしてきた中でいっちばん上手だし美味い!」
なぜか誇らしく言うので可笑しくなって、「んふ」と笑い声が漏れる。
「あっ、そういばさー今日の飲み会行く?」
「行くけど?」
「え!めずらし〜い」
珍しいとはなんだ珍しいとは、と思ったが自分で考えても自分が飲み会なんかに参加するのは珍しかった。普段は大体一人でいる様な奴が飲み会なんかの大人数で集まる行事に参加するのは自分でも想像がつかない。今まで飲み会に行ったのなんか片手で数えられるくらいだ。この会社に入って何年か経つけどまだ数回しか行ってない。一番最初に行った飲み会なんかは自分が入社して最初の歓迎会だ。そう考えると私、周りの人間との関係全然作ってないじゃないか。その内誰とも会話をしなくなるんじゃないかと考えると怖くなる。
「まぁたまにはね」
「…人と関わらなきゃだし」
「へ〜え?」
こうして奏で話しているが、私の中でも一番関わりがあるのは奏だ。話をすることは少ないけど他の誰よりも会話が弾むことが多い。
「…ていうか奏気になる人とか居ないの?」
「ゴホッゴホッ!きゅ、急に何言い出すの?」
口を開いたと思ったらとんでもないことを言い出した。気になる人なんて居るはずがないことは周りから見ていてもよく分かるはずだ。ましてやほとんど人と会話しない奴だ。そんな奴に気になる人なんて居るはずがないだろう。
「居る訳ないじゃん…」
「え〜?そうかなーでも奏にはそろそろできそうな予感がするな〜」
ニヤニヤしながら篠崎がタバコを吸っている。…できるのかな、気になる人。
タバコ片手に考えてみてもできる気がしない。私の隣に居る人が想像つかない。
「奏さ、恋愛対象って男だけ?」
「んー…まぁどっちもかな」
男性より女性の方が上手く話せるし、いつもかわいいな〜とか思って見たりしているから女性も多分…いけると思う。
「じゃあ私と付き合う?」
「…は。」
突然の告白に脳がショートした感覚になった。…でもきっと嘘だろう。篠崎は、篠崎叶はそういう奴だ。人に嘘をついて反応を楽しんでいる。悪趣味な奴だ。
「はははっ冗談冗談」
篠崎はそう言って笑った。
「顔赤いじゃんもしかして本気にした?」
なんだこいつ人を馬鹿にして。分かってはいた、分かってはいたけれどそれでも腹が立つ。
「…チッ」
「うおっ怖〜そんな怒んなって〜」
もう何年も篠崎と働いてるけどなんでこんな腹が立つような奴なのに一緒に居られるんだろうか。性別が関係してそうな気もする。こんなことを言ってくるような男だったら絶対に話さなくなると思う。
ふと時計を見たら随分時間が経っていた。そろそろ戻らないといけないと思い、席を立つ。
「先戻る」
「あーい」
タバコを潰して喫煙室を出て、オフィスに向かった。
虚ろな心 やがま @yagama_3655
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