第43話 旅路の果てに
馬の蹄の音で目を覚ますと、デュークは先に起きて身構えていた。
やがて人の声も聞こえてきて、さっと緊張が走る。
「デューク!」
「デューク殿下!」
聞き覚えのある声を耳にして、僕はホッと胸を撫で下ろした。
「僕が引き上げます。掴まってください」
デュークが僕を抱き締めてきて、掴まるとはそういう意味じゃないと反論したくなった。
だが、そんな猶予はないと思い直し、僕は風魔法で谷の上まで飛ぶ。
僕たちの出現に兵士はざわつき、ルドビークでさえ驚きに目を見開いている。
状況を手短に説明すると、黙って相槌を打って聞き、最後に眉を下げた。
「我々が必死に捜索している間、そのような不埒な真似をしていたとはな」
「不埒な真似などしていない」
即座にデュークは否定したが、当たらずとも遠からず、だ。
不埒な一夜でなかったかと問われれば、僕は返答に窮するだろう。
周囲には、ルドビークの姿だけで、ルカーシュはいないようだ。
「ルカーシュは、今事態の収束に当たっている」
こんな場所に、王子が3人も揃ったら危険極まりない。
奇襲をかけられたら終わりだ。
今回の事件の首謀者であるシュミット侯爵は、次の宰相になるはずだったという。
そんな重鎮の謀となれば、王侯貴族たちの動揺も計り知れない。
こればかりは、秘密裏に収めることはできないだろう。
それに、炙りだしたということは、裏で暗躍していた者がまだ多くいるはずだ。
事前に防げたとはいえ、王太子暗殺を企てたのは重罪だ。
事態がすべて収まるには、まだ混乱と波紋が付きまとうに違いない。
「このまま、フォーシュリンドに向かう。もう、当面の危険はない」
フォーシュリンドとの国境への出兵が、シュミット侯爵たちの企みであったとわかれば、フォーシュリンド側の誤解も解ける。しかもそれを、第三王子であるデュークが直々に報せに来たとなれば尚更だ。
「わかった。ただ、フォーシュリンド国王と話がついたら帰ってこい。父に会わせたい」
ルドビークはそこで初めて、父について触れた。
デュークは、ルドビークの瞳を見つめ返し、慎重に尋ねる。
「父上は、無事なのか?」
今回の騒動の間、王は一度として顔を見せなかった。
もしや、双子によって幽閉でもされているのか、と一瞬思いもした。
だが、双子に接しているうちに、僕はその可能性を消した。
この王子たちは、自身の親にそんなことをする人じゃない。
だからこそ、王の不在を余計に不思議に思っていた。
ルドビークはデュークの問いに、にこやかに答える。
「ああ、ぴんぴんしている。朝食にりんごがあっただろ。あれは父上の果樹園で収穫したりんごだ」
「……果樹園?」
王城ではなく、果樹園にいるとはどういうことなのか。
問い返したデュークの肩に、ルドビークは手を乗せて掴んだ。
「話は帰ってからにする。まずは報告に行ってこい」
そして、ポンと叩いてから顔を引き締める。
「終わったら帰国しろ。第三王子であるお前を、いつまでもフォーシュリンドに貸してやるわけにはいかない」
「わかっている」
終わったら。
ということは、ゆくゆくはデュークはアルヴェストに帰るつもりでいるのか。
そんな当たり前のことに、今まで考えがいかなかったなんて。
ずきりと胸が痛み、まだ別れたわけではないというのに激しい喪失感に襲われる。
「帰ろう。フォーシュリンドへ」
「はい、デューク王子」
僕の答えに、デュークは一瞬目を瞠り、次いで仕方がないとでも言いたげに苦笑した。
そういえば、王子という敬称はやめてほしいと言われていたっけ。
でも今は、そんなことを考える余裕もなかった。
デュークが、アルヴェスト王国に戻ってしまう。
僕は痛む胸を押さえ、馬車に乗り込んで国境を渡った。
王都に着いた朝、僕たちは一度、宿を借りて着替えをした。
足のケガも治癒魔法で治し、僕はホッと安堵した。
こんなボロボロな格好で、王城に行くわけにはいかないと身支度を整えていると、デュークは臣下に言った。
「むしろ、見せてやるべきではないのか」
だが、誰一人従わず、逆にデュークを諫める。
「王太子殿下のご下命です」
「何卒、御理解賜りますよう。デューク殿下」
不服そうにデュークは言う通りにし、僕も用意された服に着替えた。
そして、王城の開門時間に合わせて、僕たちは馬車で向かった。
「よく戻られた、デューク王子よ」
そして、僕にも視線を向けてから深く頷く。
「だいぶくたびれているようだが、まずは無事の帰還、大儀であった」
しっかり身なりを整えたというのに、王は僕たちを見てそう言った。
要するに、この騒動を見抜いていることを、デュークに気づかせようとしているわけだ。
「フォーシュリンド王には、ご心配とご迷惑をおかけいたしました。王に代わり、謝罪と感謝を申し上げます」
国王フェリクスは、そこで吐息で笑った。
「双子の兄の機嫌は、いかがか」
「おかげさまを持ちまして、つつがなく過ごしております」
「ほう? 随分と慌ただしく過ごしていると聞き及んでいたが、我らの勘違いであったか」
どこまで知っているのか。
僕は、頭を下げながら二人のやり取りを聞いていた。
「アッシュベルトよ。そなたから見て、どうであった?」
王に直々に問われて、僕は顔を上げた。
「はい。まずは、学友の帰郷に同行する許可をいただいたこと、この場を借りて心から御礼申し上げます。美しい王都オースリンを見ることもでき、とても有意義な時間を過ごせました」
「それは上々」
僕は一度頭を下げてから続けた。
「あの時あの場で陛下にお目にかかれた奇跡に、幾重にも感謝しております」
すると、王は低く喉を鳴らすように笑う。
「フランツの息子だけのことはある」
僕はその返答を聞いて、やはり偶然ではなかったのだと悟った。
あの日、教室に王が現れ、その時を狙いすましたかのように伝令が来た。
まるで、ファルコ・クラッセのメンバーに見せたかったかのような振る舞いだった。
王は、僕たちを秤にかけ、最後にチャンスを与えた。
もしあそこで、デュークを無為に行かせたのであれば、今度こそファルコ・クラッセを潰すつもりでもいたのだろう。だが、アインハルトを始めとした面々は、誰もがデュークを引き留めようとした。
また、デュークに人徳がなく、誰からも引き留められるような人間でないと判断したら、王はそこでデュークを見限ったはずだ。
すべての謀を、王は一度に済ませた。
結局は、王の予測通りの動きであり、結果だったはずだ。
「次、また顔を見せに行きたくなったその時には、自由に国に帰るといい」
それは、今回とは違い、次は好きに出入りしていいということだ。
デュークは、顔を上げて王に向き直り、胸に手を当てた。
「私はここで、卒業まで学びたいと思っております」
僕はデュークの一言に、思わず歓びの声を上げたくなって、息を呑み込んだ。
デュークは、学院に戻ってくるつもりでいる。
あとは、王次第だ。
祈る想いで王を見ると、王は僕とデュークに向ける笑みを深くした。
「いつでも学びの扉は開かれている。そなたたち次第だ」
僕は、その言葉を聞いて、初めて心から頭を下げた。
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