第14話 喜びと哀しみと

 スタート位置の線まで戻り、三人はゆっくりと僕を地面に下ろした。

 頭の上に手が置かれて、帽子の上から撫でられる。


「よくやった」


 アインハルトは笑って、尚も撫で続ける。

 これでも同じ年なんだが、僕は手を避けずに応えた。


「いえ、僕の力じゃありません」


 即座に否定すると、「君の力でもあるだろう」と言う声がした。

 すぐに誰の声かはわかったが、僕は声のした方を振り向けない。

 今相手の顔を見たら、今度こそ感情を抑えきれなくなる。

 この迸るような衝動を、早く消し去りたい。

 そのためには、これ以上の刺激は要らない。


「何だよ、もっと喜べって」


 フレディが肘で小突いてきたが、僕は強張った笑みを作るので精一杯だった。

 ジラソーレの寮生が集まってきて、最終結果を見守った。


 当然、総合得点でもジラソーレが優勝となった。

 グラウンドに歓声が上がり、口笛が吹かれた。

 ライバル寮のメンバーも、みんな拍手を送ってくれている。


「胴上げするぞ!」

「まずはデューク王子だ!」


 ジラソーレの寮生が駆け寄ってきて、デュークを支えて胴上げしようとする。

 差し出されたたくさんの腕の上に、デュークは嫌がることなく仰向けに横たわる。僕はその様子を、少し離れたところから見つめた。本当は胴上げを一緒にしたかったけれど、今はそんなことできない。やがて、デュークが宙を飛んだ。

 もしかしたら、去年も胴上げされたんだろうか。

 全く動じた様子がない。

 その後、フレディやアインハルトも胴上げされた。


 アインハルトはもちろんのこと、フレディも動揺した様子がない。

 もしかしたら、みんな胴上げ経験があるんだろうか。

 それとも、このくらいのこと、どうってこともないくらいに落ち着いているのか。

 恐らく両方なんだろう。


 やがて僕にも順番が回ってきて、最初は断った。


「ほら、こっち来いって」


 胴上げされるなんて初めてで、僕は地上で身体を支えられるのさえ怖かった。

 仰向けになって上げられた瞬間、怖くて目を瞑る。

 すると、一際大きな歓声とざわめき、そして口笛が鳴らされた。


「すげーな」

「さすが特待生」


 何を言われているのかわからずに目を開けると、僕は宙に浮いていた。

 胴上げのせいじゃない。空中に上げられたまま浮遊していたのだ。


「え……どうして……?」


 自覚した途端に、ぐらりと身体が傾いだ。

 すると、デュークが僕に向けて両腕を伸ばしてくる。

 僕は、慌ててその腕に掴まり、胸で受け止めてもらった。

 強い力で支えられたことに胸が騒いだが、そんな場合じゃない。

 なんとか地面に足を下ろして、ホッと息を吐き、僕はお礼を言おうと顔を上げた。


 だがそこで、デュークの顔を見て、息が止まる。

 顔を顰め、眉根を寄せて、銀色の瞳を眇めている。

 憎々しいものでも見る表情に、脳内で警鐘が鳴った。


「やはり、隠していたわけか」


 低い声で言われて、何を誤解されたのかに気付き、僕は慌てて否定した。


「違います、僕は……っ」

「言い訳は不要だ。理由を説明されたところで、私は君の言葉を信じない」


 きっぱりと言い切り、デュークは僕に背を向ける。


 違う。そうじゃない。聞いてほしい。

 心の中に感情が渦巻いて、声が出ない。

 ぐらぐらと目の前が揺れて、足元が歪んだように感じられた。


「クリス、お前、酷い顔色だ。座れよ」

「何だ、貧血か?」


 フレディやアインハルトが心配してくれたが、身体の震えが止まらない。

 僕は、声も出せないまま、必死に自分の感情を押し殺して立ち尽くした。


「いいリーダーだった」

 

 アインハルトに言われて、僕はぎこちなく笑う。


「ありがとな」


 フレディには感謝されて、僕は視線で問いかけた。


「お前がオレを信じてくれたから勝てたんだ」


 身体が緑色に光り、フレディの好感度が上がったのが見て取れた。

 だが今は、それを分析できるほど脳が働いていない。

 

 次いで、応援合戦の結果も発表されて、女子寮はセレスのいるペタロが勝った。

 お祝いを言おうと近付くと、セレスとベアトリスが互いに手を取り、喜び合っていた。


「みんな可愛かったもの。中でもあなたが飛び切り可愛かったわ」

「ベアトリスさんの方こそ。とてもきれいで。私、感動しました」


 ゲームの2人からは想像できない情景だ。

 二人の顔を交互に見て、ようやく心が落ち着いてきた。

 遠巻きに見守っていると、肩に手を置かれた。


「良かったな」


 アインハルトが隣に立って、僕にそう言ってきた。


「はい、セレスに生涯の友が出来そうで、僕は嬉しいです」


 すると、僕の肩に手を置き、アインハルトは耳元で囁いた。


「やっぱり、お前には人たらしの才能がある。──気に入った」


 そして、頬に熱く柔らかいものが押し当てられる。

 チュッと音を立てて離れていく存在。

 僕はその段になって、頬にキスをされたのだと気付く。


 どうして、僕なんだ?

 好感度が上がるのは、セレスのはずじゃないか。

 アインハルトはセレスの攻略対象だ。

 その上、この場には婚約者のベアトリスだっているのに。


 もう何が何だかわからない。

 思考が千々に飛んで、収拾がつきそうにない。


「ごめん、なさい」

「クリス? おい、どこに行くんだよ!」


 僕は気付けば駆け出していた。

 もう、誰にも見られたくない。

 僕に構わないでくれ。


 そうして、グラウンドを走って抜けていき、僕は講堂の裏まで行った。

 誰もいないことを確認したところで、声に出して泣いてしまう。

 何がこんなに哀しくて、どうして自分がしゃくりあげているのかわからない。

 でも、どうしても今は、涙を止めることができなかった。


 初めての寮祭は涙のうちに終わり、季節は夏へと変わろうとしていた。

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