風が呼ぶ

HK15

風が呼ぶ

「ここに土地の権利書がある。ここの土地の、な」

 ギルバートという、その長身の男は、そう言ってイーファの目前に紙切れを突き出した。イーファはそれを見たが、内容など半分もわからなかった。無学な農夫の娘で、満足な教育など受けたことがないからしかたなかった。

 それでも、ギルバートが言わんとするところはわかった。

「この土地はダンカンさんのものってことだ」

 そんな、困ります。

 イーファの声は震えていた。

 この土地を取り上げられたら、わたしたち、どうしたら。

「知るか。こっちは慈善家じゃねえんだ、お嬢ちゃんよぉ。期日までに荷物をまとめて出ていくんだな。嫌だというなら……」

 ギルバートは、腰に吊るしたニッケルメッキのリボルバーを、これ見よがしにちらつかせた。

 イーファは黙ってうつむいた。

 外を吹く風の音は、嘆きの響きを帯びていた。


 ギルバートが帰った後、イーファは父親に相談した。

「どうしようもねえ」

 父親のヘンリーは弱々しいしわがれ声で言った。去年の暮れに肺炎を患い、ずっと床に臥せっていた。医者に診せる金などなかった。

「カウフマンもマッコーリーも、カミンスキーもおん出された。残ってるのはおれたちだけだ。意地を張っても仕方ねえ」

 でもとうさん。

 イーファの声は震えていた。

 とうさんはどうするの。

 ヘンリーはかすれ声で言った。


「……イーファ、おまえひとりだけでもここを出ろ。有り金、いや持ってけるもの全部持って」


***


 深夜になっても風はやまなかった。

 小さな小屋が身をよじり、ぎいぎいとむせび泣く声を聞きながら、イーファはひとり眠れずにいた。

 父親は深い深い眠りに落ちていた。

 イーファは父親とのやり取りを思い返した。

 イーファは、絶対に嫌だと言った。病身で、死にかけている父親を置いていくことなどできないと言った。この土地から離れたくないと。

 だめだとヘンリーは言った。おまえのためなんだ。ダンカンは強欲で冷酷だ、期日まで待つなんてことはしない。それに、あいつが手下に命じて、カミンスキーの娘さんにどんな仕打ちをしたか忘れたわけじゃあるまい。

 黙り込んだイーファにヘンリーは優しい声で言った。ありがとうよ、こんな親父を気遣ってくれて。おまえは優しいな。きっとお母さんに似たんだよ。エレン母さんにな。

 実感はなかった。母親はイーファが物心つく前に死んだ。

 イーファには父親しかいなかった。

 その父親も遠からず神の御許に召される。

 そうなれば、もうイーファは天涯孤独になってしまうのだ。

 それがイーファには怖くてたまらなかった。


***


 いつの間にか朝になっていた。

 風はまだ吹いていた。

 ふらつく頭を振って起き上がったイーファは、家の戸が開いていることに気づいた。

 父親のベッドは空だった。

 慌てふためいて外に出た。

 父親は家の裏にいた。固い地面にシャベルを突き立て、一心不乱に掘っていた。病み衰えた身体のどこにそんな力が残されていたのか、イーファにはわからなかった。

 とうさん、やめてっ。

 イーファは父親にしがみついた。ふたりはもつれあうように転がった。

 なにしてるの。どういうつもりなのっ。死んじゃう、死んじゃうよ。

「離してくれ」父親は泣いていた。「イーファ、離してくれ。頼む。お願いだ。おれは……」

 そこで父親は激しく咳き込み、次いで真っ青になり、身体を丸めて苦悶し始めた。

 

 やっと父親が落ち着いたときにはもう日はだいぶ傾いていた。

 一息ついたイーファは家の裏手に回った。穴を前にしばらく考えた。

 ふと、掘ってみろ、と誰かに言われた気がした。

 シャベルを手に取り、父親が堀った穴をさらに掘り進めた。たいへんな重労働だった。農作業で鍛えられているイーファでもしんどかった。

 やがて、シャベルの刃先が固いものに触れた。慎重に掘り進めると、鉄製らしき箱が出てきた。さほど大きくない。

 見た目よりけっこう重いその箱を家の中に持ち込んだイーファは、蓋を開けてみようとした。鍵がかかっていた。イーファは金槌を使い、鍵を壊して蓋を強引にこじ開けた。

 中には油をしみこませた布の包みがあった。

 開けてみろ、と風にささやかれた気がした。

 イーファは包みを開けた。


***


 深夜、目を覚ました父親に、イーファは箱の中身を見せた。

 これは何なの。

 イーファは、うすらでかいリボルバーを手に、父親に尋ねた。

 なんでこんなものを持っているの。

 イーファの記憶にある限り、父親は銃など持ったことがないはずだった。

「……長い、話になる」

 父親はおちくぼんだ目を伏せ、重い溜息をつき、訥々と話し始めた。


 ヘンリーはかつて無法者アウトロウだった。荒野に暮らし、徒党を組んで方々を荒らしまわり、金品を奪い、女をさらい、大勢の人を殺してきた。子どもも、老人も、病人でも。

 しかしやがてヘンリーは悪党の暮らしに倦んだ。いつしか自分の罪深さに恐れをなすようになった。そんなある日、エレンに出会った。エレンはヘンリーの罪深さを知ったうえで彼を愛した。ヘンリーがはじめて出会った類の女だった。

 それでヘンリーは無法者から農夫になった。やがてイーファが生まれたが、ほどなくエレンは死んだ。神の与えたもうた罰だ、とヘンリーは思った。そして、たったひとりでイーファを育て、黙々と土と向き合って、己の罪を悔いて、実直に生きてきたのだ。今日この日まで……。


 それで、どうするつもりだったの。

 イーファの問いに、ヘンリーは答えた。

「カタをつける、つもりだった。自分で、自分に。おまえが、ふんぎりをつけられるように」

 それは告解だった。


 勝手だよ、そんなの。


「そうだな」

 ヘンリーの声は静かで、悲しげだった。

 しばらく、風の音だけが聞こえた。

 やがて、イーファは口を開いた。

 

***


 曙光がさした。

 風にのって、近づいてくる複数の蹄の音をイーファの耳は捉えた。

 ダンカンの手の者であろう。

 イーファは銃をあらためた。コルト・ドラグーン。その巨大なリボルバーのシリンダーは、六発の44口径弾と火薬を呑んで、撃発のときを待ちわびていた。

 やがて馬たちが家の近くで足を止めた。

 複数の人間の足音が近づいてくるのが、不思議とはっきり聞こえた。

 イーファはカチリと撃鉄を起こした。

 外の様子をうかがった。三人の人影が見えた。ひとりは長身だった。ギルバートに違いない。

 ギルバートは他のふたりに合図した。ひとりが裏手に回ろうとした。

 イーファは撃った。

 銃火が曙光を圧し、轟音が家を震わせた。

 ギルバートが身体を二つ折りにして吹っ飛んだ。

 愕然と凍りついた二人の男をイーファは撃った。

 一発は当たったがもう一発は外れた。

 難を逃れた方の小柄な男が逃げようとした。

 その背中にイーファはもう一発浴びせた。

 小男が倒れるのを確認し、イーファは家を出た。

 ギルバートに近づく。

 ギルバートは生きていた。血を吐き、もがきながら銃を抜こうとした。

 ドラグーンが吠えた。44口径の巨弾がギルバートの右肘を粉砕した。

 絶叫するギルバートにイーファは近づいた。

「ただで済むと思ってんのか!」

 わめくギルバートの口にイーファは銃口をねじ込んだ。


 聞こえねえよ。


 そして引き金を引いた。


 イーファは家に戻った。

 ベッドの上、もう物言わぬ父親を見た。

 最後の会話を思い出した。

 風の声を聞いた、とイーファが言うと、父はあきらめたように笑って、こう言ったのだ。


 おれもそうだったよ。風に、呼ばれたのさ。


 風がイーファを呼んでいた。

 イーファはダスターコートを羽織り、銃だけ持って家を出た。

 もう戻らぬとわかっていた。

 ダンカンに落とし前をつけさせるつもりだった。

 死ぬつもりはさらさらなかった。

 イーファは笑った。酷薄な笑みだった。

 無法者アウトロウの笑み。 


 さよなら、とうさん。


 風がひときわ強く吹いた。

 新たな荒野の住人を祝福するように。

 イーファのコートが、風に吹かれて旗のようにひるがえった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

風が呼ぶ HK15 @hardboiledski45

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ