プリティー・レジェンダリー・マサカリ・マサカー
@mirrormanfan1993
前編
もしこの世に幸せがあるのなら……掴めなくてもいい、触ってみたい。
私の名前は真咲マサカ。身長149cm、体重39kgのお姫様体型な高校1年生。セットに40分かかる黒髪ツインテと、大きなピンクのリボンがトレードマークなのだ。
学校や日常生活でこういう地雷系な格好してると会う人会う人に警戒されるけど、別に威嚇してるわけじゃない。単に人よりちょっと夢見がちで、いつか来る王子様のために自分を磨いてるだけだ。
だけど、いつの世もハッピーエンドへの道は険しいもので、お姫様の私には日々試練が降りかかる。
例えば、ギャル一味に校舎裏に連行されてリンチを受けたりとかね!
「オラッ死ね!!」
「ぐぶあっ!?」
今まさに私の土手っ腹に蹴りを入れたのが、クラスで一番人気のトップギャルこと美々美ちゃんだ。因みに、悶絶して胃液を吐いたのが私ね。
「真咲テメェ〜……あーしのオタクくんに色目使いやがって。今度という今度はマジで許さねぇかんな」
綺麗にネイルされた指で美々美ちゃんが私の頭を掴み上げ、取り巻きの女子二人へ放り投げる。左右から羽交い締めにされながら私は記憶を辿るけど、オタクくんって誰だっけ? あっ、もしかして美々美ちゃんが密かにお熱と噂の、あの地味メガネくんのこと?
「げほっげほっ……い、色目なんて使ってませんよぉ……せいぜい授業中に消しゴム拾ってあげたぐらいでぎゃばっ!?」
私が言い終わらないうちに、美々美ちゃんの腹パンがまた私の胃を裏返す。
「オタクくんは女子に免疫ねぇから消しゴム拾われただけでトキメいちゃうんだよ!! アイツの純朴さに付け込もうったってそうはいかねぇぞ……オラ!! ぼーっとしてんじゃねぇ反省しろッ!! 謝れ地雷系!! 根暗の分際でイキんなゴミカスッ!!」
「おべえっ!? あがばっぶぐうっ!?」
立て続けの腹パンが私のみぞおちにドカドカ突き刺さる。美々美ちゃん……オタクに優しいのはいいけど、好きが溢れて暴走しちゃってるよ。取り巻きの子たちからは、美々美ちゃんの好きピに手を出すなんてケシカラン的な野次が飛んで来てるけど、私は何もしとらん!
「……フ〜ッ、こんなもんか。ご自慢の顔面だけは無傷で勘弁してやるから感謝しやがれ。これに懲りたら二度とオタクくんに近付くなよ。ギャル舐めんなコノヤロー!!」
一通り私刑を終えると、美々美ちゃんは捨て台詞とフローラルな香りを残して去って行った。すっかり地べたで平べったくなっていた私は、横膈膜が落ち着くのを待ってヨロヨロと立ち上がる。
(お〜いたた。人に親切にしただけで嫉妬の対象とは、お姫様も楽じゃないや。近付くなって言われてもオタクくん隣の席だし私はどうすれば……いっそアクリル板でパーテーションでも作ろっかなぁ)
風邪も流行ってるし、感染対策ってことにすれば先生も衝立の一枚ぐらいスルーしてくれるよね……そんなことを考えているうちに下校時刻の鐘が鳴り、今日のお勤めが終了した。シバかれるぐらいへっちゃらです。だってマサカはお姫様なので。
〜〜〜
百均でアクリル板とそれを支えるスタンド、ついでにホムセンで簡単な工具を揃えて家に帰ると、シンと静まり返った廊下にカタカタとキーボードを叩く音が響いていた。ママは今日ダイニングに居るようだ。
「ママただいま」
「おー」
テーブルに資料を山積みにして、ママは執筆に没頭している。今、生返事を返した相手が誰かもわかっていないだろう。赤縁の洒落た眼鏡に映るのはノートパソコンの照り返しだけで、私の姿は影もない。
「ママ、ちょっとDIYするから音出すね。あと口座から3万円貰ったよ」
「おー」
私のママは売れっ子の小説家だ。だから私のお小遣いは無限で、毎日高い出前取り放題、休日は映画見放題、欲しい服だって買い放題。おまけにいくら遅く帰っても怒られない。年頃の娘には最高の環境だ。
「ありがとママ。明日あたり死なない?」
「おー」
無視されるぐらいへっちゃらです。だってマサカはお姫様だから。
(さ〜て、ササッとパーテーション作っちゃいますか。自衛は努力! 明日こそ怒られずに一日を終えよう。いや待て先に晩ごはんかなぁ。胃の中身はさっき全部出ちゃったからもうペコペコなんだよね。今日の出前はお寿司かハンバーガーか……そういや近くに天丼屋さんが出来たんだっけ。そこを試してみてもいいかもね)
出前アプリをポチポチ手繰りながら、私は子ども部屋に入ってドアに鍵をかける。何気なく机に向かうと、その天面には見慣れない小箱が鎮座していた。
「ん、何だこれ?」
白木の板で出来たその小箱には手紙が添えてあった。取り上げて差出人を見ると、「真咲テッサイ」と署名してある。テッサイ……どこかで見たことのある名前だ。
(そうだ、私のおじいちゃんだ。とは言っても全然会ったことないけど……先週亡くなったから葬儀には出たんだった。そこで名前を見たんだ)
これはおじいちゃんからの贈り物……ということになるんだろうか。家に届く荷物や郵便物は、ママの担当編集さんがいつも仕分けてくれている。これが部屋に置かれているということは、つまり私宛なんだろう。
(なんか怖い……ろくに面識もない孫に一体何をくれるっていうの? しかもまるで形見分けみたいに)
とは言え中身は気になるので、私は小箱の蓋を恐る恐る取った。白木の匂いがワッと立ち上り、ウレタン製の梱包材に囲まれたその“贈り物”が姿を現す。
「……斧?」
中に入っていたのは、斧の形をした長さ10cmぐらいの飾りだった。一枚物の金属板を叩いて成形したその上にメッキが施してあって、マットな金色が上品だ。反面、斧の刃は根元がくびれたいかついデザインになっていて、触るのが怖いぐらい。紐を通す穴があるから、一応アクセサリー……なのかな? 続いて手紙を読んでみる。
「愛する孫、マサカへ。
此れが其方に届く頃、儂はこの世に居ないであろう。
生前祖父らしきことの一つも出来なかったこと甚だ慚愧に耐えず、せめて詫びの品を贈呈するもの也。
此れは南米の部族に伝わりし宝武具でゴッドマサカリと言う。持ち主の強い願いに応え、欲する処を叶える無類の願望器也。
此のゴッドマサカリを以て、貴殿が己が生を楽しまれんことを切に願う。
真咲テッサイ」
(うわぁめっちゃ固い文章……きっと偏屈なおじいちゃんだったんだろうなぁ)
宝武具とか願望器とか耳慣れない単語ばかりで、不気味さは拭えない。でも文面からして、少なくとも私の幸せを願ってはくれてるのかな。そう思うとちょっと嬉しい、かも?
(愛する孫……か。えへへ)
何だかくすぐったくなってしまった私は、そのゴッドマサカリとやらを箱から出して眺めてみた。手に取ると金属板がひんやりしてて、さらさらした手触りが案外悪くない。刃の部分も別に切れるわけじゃなさそうだ。折角なので私はこれに紐を通して首にかけ、お守りとして持ち歩いてみることにした。神頼みは努力! おじいちゃんの心遣い、しかと受け取ったからね。
〜〜〜
そして次の日。
「オラッ死ね!!」
「ぶべらっ!?」
放課後、私は美々美ちゃんにトイレに連れ込まれ、そこでまた土手っ腹に穴が開くほど蹴ったくられていた。今日は別に何もしてないと思うんだけど、なにゆえ!?
「真咲テメェ〜……よくもあーしのオタクくんをコケにしてくれやがったな。机に嫌味なモン立てやがって、人の好きピをバイ菌扱いとは良い度胸じゃねぇか! あーっ!」
見事に反り返ったまつ毛で私を威嚇しながら、美々美ちゃんが吠える。うるうるリップの間から牙が出そうな勢いだ。
「そ、そんな……いやだって、オタクくんと物理的に距離を置くにはもう衝立置くぐらいしかぼぺえっ!?」
「オタクくん悲しんでたじゃねーか!!」
美々美ちゃんが爪の長い指を器用に握り込み、私の横っ面にグーパンチを入れた。とうとう顔に来たよ。今日の取り巻きは見張りを含めて5人も居るし、もしかしなくてもめっちゃ怒ってるよこの人。
(まずった……調子に乗ってパーテーションを本格的にしすぎた。百均のプラ製スタンドが思いの外ぐらついたから、アクリル板をL字金具で挟んでそれをボルトで机の天面に固定したんだけど……そうだよね。本格的な感染対策が隣の席で行われてたら誰だって傷つくよね!)
「オラッ思い知れ! 後悔しろッ! 人を穢れ扱いすんのは最悪のイジメなんだよ! あーしの好きピに陰湿な真似する奴はこうだ! こうこう! こうだーッ!!」
「おうっ!? おうっぐぶあっ、ぶべっぶぼあっ!?」
私の襟首を掴み、顔面に連続パンチを見舞う美々美ちゃん。鼻を潰され、口内を切り、まぶたを腫らされ、私の意識が混濁していく。
(……結局こうなのかな。毎日可愛くしてたって、思いつく限り努力したって、私は所詮虐げられるだけの存在なのかな。うん、きっとそうなんだ。実の親も、オタクに優しいギャルも、いつか来る王子様も、どうせ私のことなんか……)
思考が儚みモードに入ると同時に膝から力が抜け、私はトイレの床に倒れ込んだ。すると美々美ちゃんの取り巻きが私を仰向けにひっくり返し、脚を開かせ美々美ちゃんの方へ向けた。
「さて、と。そろそろお仕置きのフィナーレといこうじゃん」
虚ろな目を凝らして見ると、美々美ちゃんの手にはいつしか掃除用のモップが握られていた。待って、それをどうする気?
「あーたん、けいたん、こいつのパンツ脱がしちゃって」
取り巻き二人が私の体を押さえ込んで無理矢理ぱんつをずり下げる。そして美々美ちゃんが私の前に屈み込み、モップの柄をスカートの中に差し入れて来た。これからされる仕打ちの内容を確信し、私の全身に悪寒が走る。
「人の恋路を邪魔した罪は、あんたのバージンで償ってもらうわ」
「やっ、やだーーーーっ!!」
センチになってる場合じゃないことを悟り、私は手足をばたつかせる。いつか王子様に捧げる純潔をモップなんかに取られちゃ堪らない。てかそれ以前に絶対痛いでしょそれ!?
「わーん! 離してっ、離してよぉ! こんなのやだっ……ママーーーーーっ!!」
「うっせぇ叫ぶな! あーたんけいたん、ちゃんと口塞いでよ何やってんの!」
美々美ちゃんが一喝すると、取り巻きの一人が私の口を鼻ごと手で覆った。周りに控えていたのや外の見張りもぞろぞろやって来て、私の腕を、脚を、頭を体をホールドしていく。抵抗虚しく完全に自由を奪われ、もう涙しか出ない私。やがてスカートがかき分けられ、大事な所にモップの冷たい柄の先がヒタッと当たる。
「それじゃ改めまして……ご卒業おめでとうございます! バイバ〜イ!」
美々美ちゃんがモップに力を込める。
「むぐうっ!?」
途端に未知の圧迫感が襲い、私は身を震わせた。体内に異物が侵入する恐怖、人の尊厳が脅かされる嫌悪感……そんな絶体の危機を感じた私の脳は那由多の速さで警報を発し、神経を伝って全身に駆け巡らせる。そんな防衛本能の迸りがエネルギーを生み、制服の中で眠っていた“贈り物”を目覚めさせた。
「うわっ!?」
と、美々美ちゃんが尻餅をついてモップが床に落ちる。私の制服の胸元から突然まばゆい光が溢れ出したので、それに驚いたのだ。金色に輝くその光の塊は同時に突風にも似た衝撃波を生み、胸のボタンを弾き飛ばして外へ飛び出す。
(ひ、紐がちぎれた……っ! 今朝からペンダントにして首にかけてたやつ……でも、どういうこと!?)
光源の正体は、お守りに忍ばせていたゴッドマサカリだった。空中に身を晒したその小さな戦刃はひとりでに回転を始め、ドローンのような風切り音を立てて私の頭上を旋回する。私は何もしていない。さっきはただ恐怖と絶望の中、届くあてもない願いを頭の中で叫んでいただけだ。
(この人たち、死んじゃえばいいのに!!)
次の瞬間、飛んでいたゴッドマサカリがカーブを描いて急降下し、私の周囲360°を抉るように翔け抜けた。
「えっ」
私含めその場に居る全員が当惑する中、私の左足を掴んでいた取り巻きの両腕にスーッと赤い切れ目が走り……二の腕の中ほどからぼろりと取れて落ちた。
「……は?」
美々美ちゃんが瞳孔を見開く間に、他の取り巻きたちの腕にも次々と赤線が入っていき、ひとつまたひとつと胴体を離れて行く。自分たちが両腕を切断されたことにようやく気付き、彼女らの顔色が変わる。
「ぎゃああああああああああ!!」
女子トイレに悲鳴が響き渡る。因みにぎゃあああってのに関しては取り巻きたちの悲鳴じゃない。彼女らの腕の切断面から噴き出た血をシャワーのようにじゃばじゃば浴びせられた私の絶叫だ。
(な、ななな何これ!? 血祭り!? 惨劇!? はたまたトマティーナ!?……いや違うこれマジの血だ!! うえぇ〜苦いよぉ鉄臭いよぉ〜!!)
ともすれば目に入りそうな血飛沫を懸命に拭いながら私が辺りを見回すと、ゴッドマサカリは未だ風切り音を発しながら室内を旋回していた。微速で回転する黄金の刃は、赤い血に濡れてぬらぬらしている。
(これ……ゴッドマサカリがやったの? 私のピンチに反応して、私に仇なす人たちを……持ち主の願いに応えるって、まさかのそういう方向性!?)
おじいちゃんの手紙を思い出し、ぞくりとする私。その気持ちに反応して、ゴッドマサカリに変化が生じた。空中で静止したかと思うと、ぐんぐんとズームアップように斧自身が巨大化。薪が割れそうなサイズの手斧へと変貌を遂げた。
(マ、マジかよぉ〜……)
今、私の目の前に浮かんでいるゴッドマサカリはもはや金属板を加工したアクセなどではない。それは太い円柱状の柄があり、肉厚に拵えられた刃を持つ、ちゃんと立体的な“斧”だった。私が呆気に取られていると、ゴッドマサカリは急に重力を取り戻したかのように宙から落下。私は反射的に手を伸ばし、その柄をキャッチした。
(あっ、軽い)
いかつい見た目に反して、それはテニスラケットのように楽に持てた。私のお姫様腕力でも軽々と振り回せそうだ。
「……ヒッ!」
と、上擦った息の音が前方から聞こえた。顔を上げるとそこには美々美ちゃんが立ち尽くしていて、引き攣った顔でこっちを見ている。
「お、お前……それっ……なんで! あーたん、けいたん……み、みんながっ」
「えっ?」
美々美ちゃんがわなわなと声を震わせるのを聞いて、私は改めて周りを見てみた。女子トイレは一面血溜まり……小さな排水口が頑張って血をゴウンゴウン飲み込んでるけど、それじゃ到底追いつかないほどの血の海だ。その海の中に、両腕を切断された女子高生5名が虚ろに横たわっている。うち2名は思い切り血溜まりに突っ伏してるけど、血潮に浸ったその口元にはあぶくひとつ立たない。
(し、死んでる!? そっか出血多量……両腕を飛ばされて血がドバドバ出たら人は死ぬ。当たり前が過ぎる。いやちょっと待って? これもしかして……私が殺したことになるの!?)
「ひ、人殺し……お前人殺しだよっ!!」
悲痛な声で私を罵倒しながら、美々美ちゃんが後ずさる。待って、違うの。返り血浴びて凶器まで持ってるけど、私は何もしてないの。
「先生に……いや警察呼んでやる!! 死んで償えコノヤロー!!」
美々美ちゃんが踵を返し、トイレの出口に向かって走り出す。その手にはもうスマホが握られていて、110番をダイヤルするまで待ったなし。もし警察や先生、他の大人たちが来たらどうなるか。今この有様を弁明する技量も材料も……私にはない!
「ま、待ってぇ!」
だから、私は彼女を引き留めようとした。待って欲しい、話を聞いて欲しいと……そう言いながら普通に呼び止めて肩を掴むように、少しつんのめりながらもまっすぐ手を伸ばしたんだ。ただ問題はその手が斧を持ってる方の手だったってことで。
ザクッ
「あっ」
本当にあっさり。いとも簡単に。ゴッドマサカリの黄金の刃は美々美ちゃんの右の肩口に食い込み、そのまま通過して彼女の右腕を丸ごと切り落とした。
「あっ……ああ……!」
美々美ちゃんが慄く。彼女がいつも着ている学校指定のベスト……そのベージュ色の袖からちょこんと出た可愛い手……それが腕ごと床に落ちて、まるで他人事みたいにスマホを握っている。
「あ、あーしの……う、で」
最早先の無くなった、美々美ちゃんの肩の断面。中心に太い骨をくるんだその肉の間からやがて血が滲み、すぐに噴水となって斜め上に噴き出した。
「うわあああああああああああ!!」
「ぎょわああああああああああ!!」
低い天井に血飛沫が振り撒かれ、2人分の悲鳴がこだまする。因みに濁った方の叫びが私。もう収集つかなくて泣き叫んでるのがわかって貰えるだろうか。
「あがが……テメ……ッ!! ふざけんなよクソ地雷系があーっ!!」
無事な方の手で傷口を抑えながら、美々美ちゃんが私の方へ迫って来る。憤怒で歪んだ彼女の顔は汗でメイクが流れ、貧血で青ざめて凄い形相になっている。
(うわわわ、なんで動けてるの!? トップギャルの根性やべぇ!! これが世に言う女子力ってやつ!? )
あまりの怖さに後ずさる私。それを追って美々美ちゃんはなおも迫る。
「許さねぇ……っ!! オタクくんに褒めて貰ったネイルが……可愛いって言って貰ったコーデが!! こんなんじゃもうオタクくんに会いに行けねぇよぉーーッ!!」
「ひいいいい来ないでぇっ!!」
とうとう壁際に追い詰められ、泣きっ面の私は美々美ちゃんを跳ね除けようと手を突き出した。ただ問題はその手が斧を持ったままだったってことで。
ドカッ
美々美ちゃんの胸のど真ん中にゴッドマサカリの刃が深々と突き立てられた。いや何してんの私。二度目ともなれば流石に過失じゃ済まされないよ?
「がふっ……うううううう!!」
美々美ちゃんは止まらない。肋骨にめり込んで斧が止まり、切断には至らなかったのだ。もう一周回って痛みとか忘れてそうな美々美ちゃんは、血まみれの手を伸ばして私の首を鷲掴み。そのままギリギリと絞めて来た。
「死ね!! 死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね……!!」
「ぐぇ……ごほっ! いぎぎ……!」
至近距離で浴びせられる呪詛の言葉。そして気管を圧迫される苦しさ。二重のストレスに晒され苛まれる中、切なる願いがまたも私の奥底から迸った。
(離れてっっっっっっっっ!!!!)
その瞬間、手にしたゴッドマサカリの刃が目も眩むような閃光を発し……それがエネルギーの奔流となって美々美ちゃんの体内に流れ込んだ。
「死ね死ね死ね死ね死ね……あ? あ、が、ががが……ぎっ!」
ドカン
「ぐあっ!!」
衝撃。そして断末魔の叫び。注ぎ込まれたエネルギーが、美々美ちゃんの体内で爆発を起こしたのだ。堪らず私の首から手を離し、後方へ吹き飛ばされる彼女。その体は女子トイレの入り口のドアを跳ね飛ばして通り抜け、廊下の窓ガラスに激突して大きな亀裂を走らせた。
「オタク……くん……っ」
すがるような言葉を遺し、床に墜落する美々美ちゃん。仰向けに転がった彼女の胸元は、肉が肋骨ごと抉れている上、高熱で焼け焦げて煙まで上がっている。そんな凄惨な創口とは裏腹に、虚ろな表情のまま動かなくなった美々美ちゃんの顔はまるで日本人形みたいに白くて……もう二度とまばたくことのない目尻からは、血の泡が涙のように滲んでいた。
(やっ、ちゃっ、った……美々美ちゃんも死んじゃった)
私はゴッドマサカリを持った手をダラリと下げ、目の前の惨状を俯瞰する。
(私が殺した。取り巻きの子たちも、私が殺したようなものだ。だってゴッドマサカリは私の願いを叶えたんだから)
いつしか窓からは西日が差し込み、血と脂にまみれたこの空間を飴色に染めていく。失われた命、犯された尊厳、戻らない輝き……そんな観念が次々と脳裏をよぎって行く中、やがて私の思いは一つに収束した。
(どうしよう私……殺人犯になっちゃうーーーーーーーーーーっ!!!!)
じきに人が来てこの地獄絵図を発見する。そうなればすぐに警察が呼ばれて私を捕まえに来るんだ。この状況を取り繕う術も、現場を上手いこと隠蔽する力も私にはない……私の人生はここで終わるんだ。目の前が不意に暗くなったような気がして、私は床にへたり込んだ。
「や……だ……!!」
スカートに血が赤黒く染み込んでいくのを感じながら、私は呟いた。
(やだやだやだ!! 私まだ王子様に出会ってないのに!! 王子様に出会って幸せになるって……その日までこのお勤めじみた人生を耐え忍ぼうって……そう思ってやって来たのに!! 前科一犯のお姫様なんて……そんなの王子様がUターンしちゃうっ!! 私は……私はっ)
「つ、か、ま、り、た、く、な、い……っ!!」
絶望に飲み込まれそうになる心が、私の唇を奪いそんな言葉を紡がせた。
と、その時だった。手にしていたゴッドマサカリが一瞬光を放ったかと思うと、目の前に転がっている美々美ちゃんたちの骸から炎が上がった。
「えっ!?」
誰が点けるでもなく一斉に燃え上がったそれは、どこか神秘的な青白い火。不思議と熱さは感じず、むしろ冷たさすら覚える人魂のような火だ。
(これは……ゴッドマサカリの力なの? ただの凶器じゃなくて、こんな現象まで……!?)
その火に包まれた6つの骸は、揺らめく燐光の中で徐々に輪郭を失っていき……やがて蜃気楼のようにぼやけて消えた。それだけではない。一面に広がった血の海や、私自身が被った返り血さえもみんな冷たい火にまかれ、蒸発するように消え失せてしまった。
(マ、マジかよぉ〜〜〜……)
惨劇の痕跡を残らず燃やし尽くすと、不思議な青い火は消えて行った。後には何も残らなかった。血の染み一つも、焦げ跡さえも残らなかったのだ。私はしばらく唖然としてたけど、空の色が黄昏に変わる頃には今の状況が理解できて……落ちていたカバンを担い直した。
(……帰ろっか!!)
証拠はどこにもない。私は、殺人犯にならずに済んだ。
〜〜〜
次の日の朝、私はコンビニでわざわざ新聞を買った。地元の学校で殺人事件なんて見出しが、一面や三面に小躍りしてないか確かめるためだ。結局落ち着かなくてテレビ欄まで読み込んだけど、そんな記事はどこにも載っていなかった。
(マジかぁ……ほ、本当にチャラになった……のかな? 昨日のやらかし……)
青いコンビニの軒下を出て、私は空を仰ぎ歩いた。仄かな安堵と共に去来するのは、やはり一抹のやましさ、そして拭えぬ不安だ。
(美々美ちゃんたち、灰も遺さず燃え尽きちゃったもんなぁ。今日ぐらい捜索願が出て、行方不明事件とかにはなるのかな)
通学路を行く自転車に舌打ちされながら、そんなことを思う。
(まさか私が疑われたりは……しないよね! うん、多分しない! だって物的証拠がない以上、誰にも辿りようがないんだもん! そうだよ、私は潔白……法的には完全に無辜のお姫様〜!)
自分に言い聞かせながら校門をくぐり、上履きを点検する。特に画鋲とか尖ったものは入れられてないみたい。私は玄関の床の上に上履きを投げ出し、ニーハイに包まれた足を無造作に差し込んだ。
と、その時だった。
ツル〜〜〜ンッ!!
体重をかけた靴底が異様に滑り、私は足を蹴り上げるようにして勢い良く仰け反った。視界が回る。風を感じる。そのまま私の体は空中で後方一回転を決め、遠心力が重力に相殺されるや否や容赦なく落下。顔面から地に叩きつけられた。
「ぶぶかっ!?」
私のキュートな鼻っ柱が潰れ、両穴から血が吹き出るのがわかった。チカチカする視界の中私が悶えていると、どこからか高笑いが聞こえて来た。
「おーっほっほっほ!! これはまた見事にぶん回りましたわねぇ!! 足元をお留守になさると危なくてよ、真咲さん」
下駄箱の向こうから現れたのは、クラスメイトの蝶妃さんだった。彼女は明治から続く大財閥の令嬢で、恵まれた生まれから来るきっぷの良さで皆から慕われている。少し目つきがキツイけどお顔が綺麗だし、ボリューミーな縦ロールの髪を毎朝自分でセットしているらしい努力の人だ。努力する人ってリスペクト湧くよね。
「うぶぶ……ごっ、ごべんなざい蝶妃ざんっ……すぐ立ちますから」
多分だけど蝶妃さんが私の上履きの底に潤滑剤か何か塗って、私がこうなるのを観察してたんだろう。流石はお嬢様、仕掛けるお茶目もレベルが高い! でもこっちだって顔が資本のお姫様なんだから、ちょっとは配慮して欲しかったナ!
「まままま! お待ちになって。まずその鼻血を止めるのが先決ですわ」
蝶妃さんはそう言うと、体操着のポケットからハンカチを取り出した。さらさらした生地に綺麗な縁取りがされたそのハンカチを、蝶妃さんは私の目の前でヒラヒラと広げて見せて……
「ちーーーーーーーーーんッ」
それで自分の鼻を思い切りかんだ。流石はお嬢様、鼻かんでる顔までどこか優雅に見える……なんて私が思っていると、鼻水のついたハンカチがそのままべちょりと顔の上に置かれた。
「んんっ!?」
水っぱなで湿ったハンカチの冷たさにビクッとする私。それを見て蝶妃さんが再び高笑いする。
「おっほほほ……ひぃー可笑しい! わたくしの鼻紙で良ければどうぞお使いになって? 地雷系の鼻血は除染不可能ですので返却は結構。そちらで処理しておいてくださいまし。嗚呼、良いことすると気ン持ちいいですわぁ〜〜〜〜!!」
蝶妃さんが白魚のような手を口元に当ててなおも笑う。その豪快な笑い声に釣られて、その辺に居た子たちが自然にケラケラ笑い始める。人の輪ってこういう風に作られていくんだなぁ、と私が妙に納得した時だった。
「コラー! あなたたち!」
鈴を鳴らすような声が廊下にこだまして、スニーカーが床を踏む音が近付いて来る。
「いじめちゃ駄目じゃない!」
私を庇うように立ち塞がったのは、体育のサヤ先生だった。どうやら騒ぎを聞き付けて来てくれたみたい。
(さっ、サヤせんせっ……!!)
三上サヤ先生。2年前採用試験に受かったばかりの新米先生だけど、アイドル並みの容姿と親しみやすい性格で生徒から大人気。かく言う私もそのキュートさにハートを射抜かれたクチだ。でも授業で体育館の真ん中に立ってバレーコートを見守る彼女の姿は、やっぱり教師って感じで凛々しくもあって……見ているだけでキュンキュンしちゃう。しかも彼女は生徒指導の先生でもあるから、私とは絡みも多くて……ご尊顔を拝み放題で至福この上ないんだよね。
(サヤ先生、今日もかっこいいなぁ。それに私のピンチに颯爽と駆け付けてくれるなんて……やべぇ好きになる!!)
いつか来る王子様を夢見て日々努力してる私だけど、実を言うと男子にモテたいのとはちょっと違う。私を守ってくれる勇ましさ、安心させてくれる優しさ、養ってくれる甲斐性の3点を押さえてくれれば女の人だって立派な王子様だ。むしろ、メンタルが成熟した大人の女性の方が条件に合うまである。自己分析だって完璧です。マサカはお姫様なので。
(私の王子様……案外サヤ先生みたいな人かもしれないよね。ああ〜そう思うとめっちゃ守られたい。メンタル無理な時とかデロデロに甘やかされたい。あのジャージの胸に飛び込んで、たくましい腕に包まれてみたいよぅ……!!)
などと私が自分の世界に入っていると、サヤ先生が私の前に屈み込んでスポーツタオルを手渡してくれた。
「真咲さん大丈夫? ああ……鼻血が出ちゃってるわね。このタオル、綺麗だからしっかり押さえてなさい」
「ひゃっ、ひゃい。はがはが」
口呼吸の私は、お言葉に甘えてタオルを鼻に押し当てる。すると何やら甘い香りが鼻孔いっぱい広がった。
(ふ、ふわぁ〜〜〜良い匂い!! これ柔軟剤の香りだけじゃないよね? 今日未使用っぽいとは言え、サヤ先生がいつも持ち歩いてるスポーツタオル……きっと繊維に染み付いた先生の真心が得も言われぬ芳香を発してるんだね。あ〜幸せ。破れた粘膜が癒されていくのを感じる……)
なんて、恍惚とした表情で鼻血を止めている私。一方サヤ先生は私の頭から鼻水つきのハンカチをひっぺがし、丁寧に畳んで蝶妃さんに突き返した。
「蝶妃さん、いつもクラスをまとめてくれて助かるけどこういうのは感心しないわ。一人を公衆の面前で辱めるのが貴女のリーダーシップではないでしょ?」
「まままま! 辱めるだなんて、滅多なことを言うものではありませんわ先生」
蝶妃さんは大げさなリアクションを返しながら、受け取ったハンカチをそのまま隣に居た生徒にパスする。その光景にサヤ先生の顔が険しくなるのも構わず、蝶妃さんは言葉を続ける。
「わたくしはただ不慮の事故で負傷した真咲さんを気遣っていただけでしてよ。生徒同士の助け合いにまで妙な邪推をするとは……生徒指導ともあろう方が嘆かわしい限りですわね。せいぜい若さが武器になるうちに婚活でもされることをオススメいたしますわ! できるものならですが……おっほほほほ!」
先生相手に怯まないばかりか、公然と嘲笑を浴びせる蝶妃さん。担任の先生をも押さえ、事実上クラスを牛耳っているご令嬢の胆力ここにありだ。しかし、サヤ先生もこれしきでたじろいだりはしない。
「負傷者が出た場合は担任か養護教諭に報告して応急手当するものよ。生徒同士で内々に処理する法はないわ。それと」
サヤ先生が私の上履きを蝶妃さんの前に掲げ、靴底を指で擦る。キュッと小気味良い音がして、潤滑剤の油分が先生の指に付いた。
「あなたがこういう仕込みをする人だということは、きっちり評価に含めますからね。弁が立つのも過ぎれば恥ずかしいだけよ、蝶妃さん」
「ぐぬッ……!」
蝶妃さんが言い返せなくなる。どうやら勝負ありのようだ。流石サヤ先生は肝っ玉も最強みたい。蝶妃さんもよく頑張った。
「……さて、ごめんなさい真咲さん。待たせちゃったわね。保健室まで送るわ」
「は、はひっ! ふがふが」
すっかりギャラリー気分だった私は、サヤ先生が差し伸べてくれた手を慌てて取り立ち上がった。先生がそのまま私の手を引いて行こうとしたその時だった。
「ふん! レズビアンの癖に調子に乗らないでくださいまし!」
先生の背中に向かって、蝶妃さんがそう吐き捨てた。その言葉に、先生の肩が一瞬ビクッと震えた気がしたけど……彼女は顔色ひとつ変えずに私を連れてその場を後にしたのだった。
~~~
保健室に着くと私は顔の血を拭かれた上で鼻に脱脂綿を詰められ、そのままベッドに寝かせられた。保健の先生に簡単な引継ぎを済ませ、サヤ先生が枕元に来てくれる。
「動くとまた出血するかもしれないから、一限目は無理せず休みなさいね」
そう言うサヤ先生の表情はとっても優しくて、私は思わず布団を頭まで被った。
「うう~……ごめんなさいサヤ先生。私のせいで、あんな酷いこと言われちゃって」
「え?……ああ」
サヤ先生はすぐに私の言及する所を察したのか、フフンと笑ってみせた。
「そんなの気にしないで。ああいう視線を受け止めてみせるのも、わたしの仕事みたいなものだから」
サヤ先生が校内で目立つ理由はもう一つある。それは、彼女が自らの同性愛を公表していることだ。自分の生き方を堂々と貫く彼女には多くの称賛が寄せられてるけど、さっきの蝶妃さんのように中傷する人も居る。元が美人な上にこれだから、サヤ先生は何かと話題に事欠かないのだ。
「じゃあ行くわね。……気遣ってくれてありがと。真咲さんは優しいわね」
去り際、サヤ先生はあやすように私の頭をポンポンしてくれた。
(ひゃ、ひゃあああああああん!!)
不意打ちのスキンシップに思わずおしっこ漏れそうになる私。そこから気の利いたリアクションなんて思いつく暇もなく先生は出て行っちゃって、保健室にはいっぺんに静けさが訪れた。
(な、なんか……痛みとか色々どっか行っちゃったなぁ〜。鼻血出すのもたまには悪くないかも)
仕切りカーテンの向こうで保健の先生が書き物をする音を遠く聞きながら、私はサヤ先生に頭を撫でられた感触を反芻する。しんどい目にも遭うけど、たまには良いこともある……それが私の日常。いつも通りの毎日だ。
(……で、そのいつも通りを私がのうのうと享受できるのも……今となっては“これ”のおかげだったりするわけで)
ふとそんなことを思い、私は服の下のゴッドマサカリに手をやった。昨日6人を殺めたこの凶器を、私はまだお守りみたいに持っているのだ。証拠を残さないノーリスクの殺人……それがこの斧の力なら、確かに人類究極の願いかもしれない。
(いやいや! マサカはお姫様だからそんな力要らないって! 昨日のはうっかりにうっかりが重なって……そう、事故みたいなものだから! 事故……だよね?)
誰となく問いかけながら、私はゴッドマサカリを胸に押し当てた。体温で温まっている筈なのに、その刃は妙に冷たかった。
〜〜〜
なお私はこの日の放課後、蝶妃さんに連行されてオフシーズンのプールに叩き込まれたので、そんな心配は頭から吹き飛んだんだけどね!
「おーっほっほっほ! 小汚い地雷系にはぴったりの洗濯場ですわね真咲さん。ほらほら犬かきをなさいなわたくしのために! 沈まず200m泳ぎ切るまで水からは出して差し上げませんわよ。おーっほっほっほっほっほっほっほ……!!」
蝶妃さん、サヤ先生に言い負かされて悔しかったんだろうな。マサカに当たるのはいいけどさ、汚れ系のやつはちょっと勘弁して欲しいナ!
《つづく》
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