祝福されなかった僕らが、神に届いたその日まで

ひられん

序章

序章

序章



 生き残った者には神の加護が宿る。それがこの世界で信じられている摂理――。

 眩しい陽の光がぐるりと頭上に抜けていったかと思うと後頭部を強打した。

 衝撃と視界の明滅が顔を貫く。


「おい、ヴァルター! 立てよ。これで終わりかよ!」


 怒った声――。


 友達の声――? 違う、ケンカした相手の声だ。


 どうしていつもヴァルターは絡まれて、いちゃもんをつけられて、やられてしまうのだろうか。

 ずんずんと足音が近づく。

 草原の緑が、西から吹き抜ける風に揺れてかさかさと音を鳴らしていた。

 太陽の光は白く眩くて「立て! まだ勝負は終わってないぞ!」という相手の声は、遠い遠い記憶の向こう側で鳴り響いているようだった。



 ――おい、立てよ! まだ、終わってない。終わってないぞ!



 ハッとして我に返る。

 目尻や口元に砂のじゃりっとした感覚が残っている。

 風は生温かく細かい砂埃がもくもくと立ち込めていた。

 手が、じんじんと痺れている。

 ヴァルターは幼い陽の記憶と同じように、いまもまた、大の字に倒れていた。


「どうした。もうやめにするか?」


 遠い記憶の向こうではない。

 明確に聞こえた『相手』の声に、ヴァルターは「うううっ……」と呻きながら上体を起こそうと試みた。胸のあたりがギシギシと痛んだ。


「お、頑張る、頑張るぅー」


 対戦相手は鼻にかけたような口調で言ってから。


「俺もよォ、こんな試験は嫌いなんだ。でもな、これは守護天使『イゼル・ア・ムーナ』のご意思だからな。仕方ねえよ」


 なんとか上体を起こしたヴァルターは、得意げに喋っている男を――ライベンを認めた。

 そう、ライベンだ。

 がっちりとした体躯を鈍色の鎧で覆ったライベンは、その肉体とは不釣り合いな整った細い顔を「ふんっ」と嫌らしい笑みに歪ませて、手にしていた剣をこちらに向けた。


「殺したっていいんだ。今日の試験は殺しも許される。むしろ、殺した方が高得点だろう? 不出来な学友が何人死んだ? 俺が数えただけでも八人だ。おまえもその一人に入れてやろうと思ったけど……殺さない。これは俺の優しさなんだ」


 ヴァルターは息を弾ませながら、軋む胸のなかでバクバクと暴れまわる鼓動を抑え込もうと必死だった。ちらと肩越しに自分が握っていた剣が転がっているのが見える。


 試験で死んだ者たち――。


 そのほかにも古びたメイスや切っ先が欠けた槍、柄の折れた斧が『試験会場』である闘技場に転がっている。

 午前の試験試合で負傷した者たちの名残が、砂地には残っている気がした。

 控え通路で聞いた学友たちの悲鳴。流血の匂い――。

 耳を塞いで、震えていた。

 この試験は戦場と変わらない。

 午前の試験で命を落とした者も、腕を失って泣き叫ぶ者もいた。そうした不条理が襲い掛かって来たとしても、誰も王国に文句を言えない。

 むしろ、王国はそうした残虐性を求めている気がした。


 天使のご加護――。


 それを見つけるためには、より派手な犠牲と流血が求められている気がした。

 王国騎士はこの世界を守る存在であり、強さの象徴であり、守護天使が任命する神聖な存在で――神に選ばれし者たち。

 砂地に残る午前の名残は、神の意志を知るための犠牲の流血――。

 負けたものではなく、勝ったものが『神のご加護を得る』のだ。

 この試験試合は、そうした残酷で非情な側面を含んでいる。

 守護天使イゼル・ア・ムーナは崇拝の対象であるが、多くの教えは『勝者の理論』に基づいているように聞こえる。それは勝ったものが正義で、負けたものが絶対的な悪なのだ。

 だからこそ、肉体が欠損し、命を落とし、泣き叫ぶ『犠牲者』が出る必要があった。こんな命を賭けた『試験』が、王国騎士の登竜門になっている『狂った現実』がこの世界にはある。イゼル・ア・ムーナが守護天使と呼ばれる世界が――。

 裏の控え通路で絶えず囁かれる『試験の状況』は、聞くに堪えない物騒なものばかりだった。

 そして、ヴァルターも『試験で死んだ者』の仲間入りを果たすところだった。

 ふらふらと立ち上がる。


「よおし、いいぞ。その調子だ、ヴァルター」


 肩を廻すようにライベンが言うと鈍色の鎧がギシュギシュと耳障りな音が響いた。

 足元に転がっていた砂まみれの剣――午前の試合で、誰かが落としたもの――を無意識に拾い上げ、構えた。

 ライベンは安定した呼吸、汚れやキズの少ない鎧を身にまとって剣を構える。


「学舎の落ちこぼれを斬るのは、気持ち良いものじゃないからな。だから、殺さないでやる」

「う、うるさい……!!!」


 強がった。

 悔しかったから。

 確かにライベンは学舎では成績ナンバーワンで、王国騎士に必ずなるであろう人物だ。それに引き換え……ヴァルターは、なぜ学舎に入学できたのかと悪口を言われるほど成績が悪い。

 涙が、溢れそうになった。

 目の前で凛然と剣をふるい、最後の一撃をどこに叩き込もうか、ライベンは考えている事だろう。ヴァルターの腕か足に深手を負わせようとしている。それこそ『再起不能』になってしまうような『一撃』だ。


 剣を握る手が震える。


 腰が、引ける。

 足が震えて、胸がひどくバクバクと跳ねる。


 死にたくない。


 痛い思いをしたくない……!!!

 ヴァルターは不出来なアタマで必死に思い返す。

 授業でやったことを。

 全身の魔力を集中させて武器に付与する。呼吸を整えて「すっすっ……ふー」のリズムで――と言い聞かせるが、呼吸は激しく乱れて、肉体から垂れ流れる魔力は無意味に薄れて消えてしまう。

 ライベンの魔力は滾るように流れ、首から肩へ、肩から腕へ、そして集約されて剣を覆っている。魔力の総量も比べ物にならない。あんな魔力で引っぱたかれたら、こちらはタダではすまない。


「おいおい、震えてるぞヴァルター」

「ふ、ふ、震えてなんか……」

「強がるなって。一思いにやってやる。腕がいいか? 足がいいか?」


 そんなこと聞くなよ。なんだよ、その質問は!

 心の中で憤る。

 ライベンはにっとりと笑って。


「腕がねえとチカラ仕事はできなくなるな。足がなくなると村で郵便の仕事も出来なくなっちまうな。でも、どっちか選んでもらわにゃ、困る。三十秒だけ考える時間をやるよ。ちゃんと答えられなかったら、どっちかを斬るからな。いいな?」


 そういってライベンは視線を周囲に這わせた。


 試験会場をぐるりとめぐる石の壁――。


 その最前列で、すでに合格が決まった――ライベンの仲の良い、成績上位者たち――が「その程度で手こずってるんじゃねえー!!!」「ヴァルターなんて一思いにやっちまえ」「可愛がってンなぁ、ライベン!」とヤジを飛ばしている。

 試験会場の一角に白いテントと赤いテントが二つずつ立てられている。

 その前に佇む赤いマントを身に着けた複数の人影――。教官や学舎長や王国騎士団の役職者たちだ。鈍色や金色のヘルムをかぶり、赤や白の極楽鳥の長くて鮮やかな羽が風に揺れている。

 観客席の高い位置に王族や貴族たちの天幕が見えた。

 天幕から聞こえる「殺しなさいッ!」「腕をちぎってしまえ!」という物騒な声も聞こえる。

 あのなかで冷たい飲み物を飲みながら、未来の王国騎士の誕生を見守っているはずなのに……参加者の腕や首が飛ぶのを期待しているような気配が感じられるのだろうか。

 この試験はご加護の存在を確かめるため。

 それなのに、脱落する者の悲鳴を求めているのは、どうしてだろう。

 いろいろな思いが交錯していると――。


「はい、時間切れー」


 そう言ってライベンは一歩、また一歩と前に歩み出た。

 ヴァルターは「く、くそっ……」と小さく呻きながら、一歩、また一歩とへっぴり腰に後ろへ下がる。


「おいおい、ビビってるのか。安心しろ、殺しはしないから」


 にたにたと笑いながらライベンは言い「んまァ、騎士になれなかった身体欠損者が、どんな末路をたどるのかは……興味あるけどな」と述べて、腰をぐっと落とした。


 ――襲撃の構え! 飛び掛かって来る!


 ハッと息を飲んだときには、すでに衝撃が手元をもいでいた。


 バキンッ――!!!


 派手な金属音が響いたかと思うとヴァルターは尻もちをつくように地面に崩れた。

 手にしていた剣が根本から断たれていた。


「――チッ」

「あわわわわわ……!!!」


 砂の上に突き刺さった剣身が、静かに太陽の白い光を反射させた。

 尻もちをついて地面に崩れたヴァルターは、恐怖のあまり失禁してしまった。

 じっとりと温かい尿の気配が股の間からふくらはぎに広がっていく。

 がちがちと奥歯が鳴る。

 手足は無事だ。

 でも、もう無事じゃない――!!!


「おいおい、ヴァルター……。おしっこを漏らすことはないだろォ……」


 ライベンは肩で笑いながら剣を振りあげる。


「寸前のところで防御したのは、まァ……おまえにしちゃあ、上出来だったぜ。でも、根本が違う。おまえの魔力は弱すぎる。そんなんじゃ、王国騎士には到底――」


 たっぷりと間を置いてライベンは魔力をたぎらせる。

 それはヴァルターの恐怖におびえる哀れな顔を楽しく観察する、下卑た時間のように思われた。

 手足にチカラなんて入らなかった。


 怖い、怖い、怖いんだ。


 奥歯が鳴って、全身が震えて、意識が遠のきそうになって――。

 ライベンが「だっせえなァ、ヴァルター。まったくもって、哀れだぜ!」と顔を振っている。

 そんなこと関係なかった。

 ヴァルターは必死に生き延びたいと神様に願った。

 願ったけれども、神様はなにも答えてはくれない。


「んじゃあな。村で仕事を見つけろよ。障害者でもやれるシゴトを」


 そう言ってライベンが剣を振り下ろす。


 ――!!!


「待て、こらっ!」


 がしゃんと鎧がぶつかる音が響き、ライベンの「のあっ!」という声が聞こえた。

 外野から「おい、いいのかよ!」「あいつ、失格にしろよ!」と声が騒がしく飛び交う。

 ゆっくりとヴァルターが目を開くと……そこには幼馴染のセレナ・フェルゴが立っていた。

 ライベンに強烈な当身を横から食らわせたらしいセレナは、ヴェルターをちらと見てから言った。


「あんたの勝ちでしょうが。どっからどう見ても! なんで勝利を宣言しないの!」


 当身を食らって突き飛ばされたライベンは、がしゃがしゃと鎧を鳴らしながら立ち上がって。


「いてて……なんで邪魔するんだ。おまえの出番はもう終わっただろうが」

「あんたの悪趣味な試験を見ていられなかったの!」


 第一試合で合格を決めていたセレナは、ヴァルターに手を差し出す。

 昔と変わらない。

 ヴァルターはセレナの手を握って立ち上がろうとするが、腰が抜けてしまってうまく立てない。結局、彼女に抱きかかえられるようにして立ち上がった。

 震えて、怖くて、うまく言葉も出なくて――。

 セレナは「次の試合で勝てば、ちゃんと騎士になれるんだから。ほら、いまは早く退場して!」とヴァルターに促した。

 彼女は殿を務める騎士のようにライベンの前に立って「剣を抜くと面倒だから。ただ、あんたがここで一戦やりたいって言うなら、受けて立つけど?」と言い放った。

 ライベンはしばし逡巡をしてから、剣を鞘に戻した。


「勝手に乱入してきて、よく言うぜ。まァ、おまえは面倒な戦い方をするから、今日のところは遠慮するさ」


 そう言って彼はくるりと踵を返し、王国騎士や学舎長が佇むテントに向かって右手の拳を天に突きあげ――勝利を宣言した。

 同期たちの歓声があがり、教官たちの拍手が起こり、ヴァルターは虚しくて泣いた。

 悔しいとか、腹立たしいとか、そう言う気持ちよりも『無事に終わった』という安堵感を強く抱いていることに気づいて、ヴァルターはあふれる涙に嗚咽した。

 自分自身はどうしようもない。

 セレナにいろいろなことを悟られるのが嫌で……逃げ出すように彼女のもとから走り出した。

 夕方にも、次の試験試合がある。

 でも、そんなものに出るつもりはなかった。

 もう嫌だ。

 逃げ出したい。

 学舎から落第して、騎士になれなかった若者として村で後ろ指さされたとしても――。

 胸のなかがぐじゅぐじゅになる。

 なりたかったものに、なれなくて。

 それなのにホッとしている自分がいて……。

 ヴァルターは試合会場から逃れると、あえぐように鎧を脱ぎ捨て「ひっぐ……ちくしょう、ちくしょうおおおっ……!!!」と声を噛み殺して泣いた。

 悔しいの? むかつくの?

 なのに、なんでこんなにホッとしてるんだよ。

 死ななくて、痛い思いをしなくて、よかった。――それが本音のくせに。

 もうひとりのヴァルターが、蔑んだ目でこちらを見つめていた。


 怖いもの知らずの、チカラに満ち溢れたもうひとりの自分――。

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