【章間3】


                    ◇


「……やだ、やだ、やだ、やだ……ッ!!」


 病室で目覚めた夕凪儚那ユウナギ・ハカナはえづくように、言葉を声にし吐き出した。

 頭の中がぐるぐるしている。むかむかとか、悲しみとか、焦りとか、怒りとか、そういった感情の名前が冷静な部分を通り過ぎては破裂して嫌な気持ちを増やしていく。


 生まれて来てからの十五年間、自分よりも凄いと思えるような存在は夕凪儚那ユウナギ・ハカナの人生にただ一度しか現れなかった。

 なので彼女は当然のように己こそが最強最高無敵であるとそんな世界観を有していた。

 他人に出来ることは自分にも出来るし、自分に出来ないことは将来の自分が出来るようになるはずだと、一足す一を積み上げていけば百千万になるのと同じような真理であると思っていた。


 つまり夕凪儚那ユウナギ・ハカナの世界観において、彼女こそが主役で世界の中心だった。

 この世に存在するありとあらゆる万物は自分を輝かせるための題材。

 挑戦者は私に打ち倒されるためにやってきて、難題は私に踏破されるために出題される。

 多少の失敗を起こしたとしてもそれは逆襲の前振りで最後は正しく私が勝つ。

 それこそがあるべき物語。それを違えることなどは、太陽が西から昇るよりあり得ない。


 けれどそんな都合のいい物語は一年前のあの日にすっぱり終わってしまった。

 だからそこから続くのは、終われなかった者同士の傷の舐め合い。

 何者にもなれず、どこにも行けず、変わらない閉塞感が続き続けるだけだろうと。


 けど、それでもいいと思うようになってきた。

 この先に手に入るものが無かったとしても、自分の隣には幼馴染がいる。

 価値を失ったジャンクドールに寄り添ってくれる少年がいる。

 素晴らしかった昔の私はそいつの思い出の中だけにあればいい。

 優しい彼をつなぎとめることが出来るのならば、失ったものの価値としては十分だ。

 だったらそれでいいじゃないかと、そう思い始めた矢先だった。


 けれど彼女は見てしまった。無限に一足す一を積み上げたところで辿り着けないかもしれない、幻奏世界の人外少女を。

 飛んで、跳ねて、剣を振って、怪物を打ち倒す幻奏歌姫エレクトリックエンジェル

 かつての怪物少女夕凪儚那より、明確に凄いアニマ・ヒロイン。


慧雅ケイガの側の一番はっ、私でないとダメなのに……!」


 喜嶋慧雅キジマ・ケイガ。天才少女について来ようとしている唯一。

 過去においてただ一人だけだった、彼女が凄いと思った存在。


 小学生時代、慧雅ケイガと二人で人工心理研究所に忍び込んだ時の話だ。

 大雑把な概要は彼が雨鈴ウレイに語った話であっている。

 慧雅ケイガが小学校の課題に困って、それの解決策として夕凪ユウナギが研究所に潜入を提案。

 二人で一緒に忍び込んだら、大事な機械を壊してしまった。大体はそれが真実だ。


 ただ一点、実際に機械を壊してしまったのが夕凪ユウナギであることを除いては。


 忍び込んだはいいものの、適当に歩いてたら迷子になった。

 それをごまかす為に両腕を組んで格好つけて機械によりかかってみたら、体重がかかってそのまま倒壊そして一気にドミノ倒し。

 これが大問題であることは小学生でも流石に解る。

 集まって来た大人たちを前にして、当時の儚那は人生初の恐怖を得ていた。

 当時の彼女は天才性を振り回していたスーパースター。やることなすこと全て成功させて来た絶対無敵。

 怒られるような失態なんて他人事としか思ってなくて、よってどうすればいいか解らない。

 だからこそ、


『ごめん! 俺が壊した!』


 夕凪儚那ユウナギ・ハカナ喜嶋慧雅キジマ・ケイガの言葉に衝撃を受けた。

 自分のものでない罪を、この少年は背負ったのだ。それも一瞬たりとも迷わずに。

 それは夕凪儚那ユウナギ・ハカナがはっきりと解った「自分には出来ないこと」。

 自分の道を進むことしか出来ない天才少女には、自己犠牲とか他人の心配とか、選択肢にも無かったから。

 その時から、喜嶋慧雅キジマ・ケイガ夕凪儚那ユウナギ・ハカナの視点において、特別な誰かに昇格した。

 万能無敵であった自分を心配なんて出来る人。

 最強素敵であった自分に並んでみたいなんて思える人。

 彼が私を星でいてくれと願うからこそ輝き続けてあげようと、そうやって決意を更新した。


 だけどその星は失墜した。他者の為ですらない単なる事故で犠牲になった。

 相手の心配に甘えるだけの毎日を、その心地よさで看過していた。

 だからこそ、今の夕凪儚那ユウナギ・ハカナに余裕はない。

 星ですら無くなった価値の足りない自分では、彼を繋ぎ止めきれないと、言われるまでもなく思っている。


 そうだとしても、幼馴染の地位は唯一だ。これだけは誰にも盗られない。

 そう思っていたけれど、それを脅かすものが降ってきた。

 

哀咲雨鈴アイザキ・ウレイ……!」


 おそらく彼女は、自分たちのことを昔の時点から知っている。

 人工心理研究所の制作物──つまり慧雅ケイガの父親が生み出した存在なら、情報源も即ちそこだ。

 彼女は慧雅ケイガとその幼馴染である夕凪ユウナギのことを喜嶋兆治キジマ・チョウジに聞かされていたに違いない。そうだとすれば辻褄が合う。


 喜嶋兆治キジマ・チョウジ。今の自分の保護者。幼馴染の実の父親。

 幻奏歌姫を現実に連れて来たのも彼の企みだというのなら、その理由は明白だ。

 自由意志を持つ人工心理。法に触れる禁忌を犯せるほどのホワイダニット。

 夕凪儚那ユウナギ・ハカナが考える、それは、つまり。


(……おじさまは慧雅ケイガに恋人を宛てがうつもりなのね!?)


 どう考えてもそれしかない。息子の将来の為以上に親が禁忌を犯す理由などない。

 穀潰しの居候幼馴染から引き離し、理想の女性を作り上げそっちを息子の嫁にする。

 なんて恐ろしいマッドサイエンティスト。

 信じられないクレイジーアイデア。

 慧雅ケイガが私に依存しているのを知ってるからって、そこまでするのかあの男。


 勿論この発想は混乱の極みに陥った夕凪儚那ユウナギ・ハカナの妄想なのだが、しかし当人は気づかずに。

 驚愕と焦りで天才少女はそもそも前提条件から間違っている思考を加速させる。


 宿敵は作りかけとはいえ人間の正解を目指して作られた完全少女。

 そして本人は命の恩人である上に利用されてることを知りもしない。

 その状態で排斥攻撃を仕掛けたらそれは恩知らずで心象も悪い。

 ならば己はどうするか。一年間のブランクを抱えて嘗てない敵にどう挑むか。


 決まっていた。

 天才少女夕凪儚那ユウナギ・ハカナがやるべきことは、いつだって正攻法の正面突破。

 相手が人工天使でも、その方針で突撃だ。


 ……つまりデートに連れ出して、慧雅ケイガをめろめろにオトしてやる……!!


 そして、その結果が前述だった。

 平常心を装って何度も色仕掛けを挑んでみたが、即座に上回る奴を繰り出され。

 昼食時に気を抜いたらその間に慧雅ケイガは向こうの世話を焼き出すし。

 その果てに、慧雅ケイガのギターを聞きたがるなんて信じられない。


 彼の音色は私の為にあるものだ。それをねだっていいのは私だけだ。

 そして彼がギターを弾けないっていうのなら、その躊躇いを許してやれるのも私だけだ。

 このまま一緒に堕落おちてくれるって、そう思っていたというのに。


「異能バトルなんて反則でしょ……!」


 叫ぶ。

 自分が倒れている間に、慧雅ケイガ雨鈴ウレイは二人きりで灰色の街を駆けていた。

 夕凪ユウナギはそこに連れ添えなかったが、しかし戦いを知っていた。

 彼女の可能性を吸い上げていた邪眼の騒狗ギニョルは、夕凪ユウナギと共鳴を見せていた。

 よって、邪眼が見つめていた少年少女の健闘は、夕凪儚那ユウナギ・ハカナの知るところでもある。

 そして、邪眼が見つめていたものしか知らない彼らの動機を、夕凪儚那ユウナギ・ハカナは知り得ない。

 解っているのはただ一つ、自分がいるべき彼の隣に、別の少女が収まっていた事実だけ。

 人間でしかない夕凪儚那しょうじょでは、そのポジションに割り込めない。


 嫌悪感をひたすら嘔吐し続ける。

 強がりの希望で辛うじて形を保っていた心が崩壊する。


 相手が私より優れているという敗北感。

 世界が私を中心に回らなくなる孤独感。

 運命が私の手中から離れていく絶望感。


 崩壊して行くアイデンティティが鳴らす音はバベルの塔が砕ける響き。

 天上頂点に存在していた玉座が雲と消えて行き奈落の果てまで落下する。

 彼女が抱くは傲慢という大罪でそいつのツケが足元にまで追いついた。

 現実という残酷無慈悲な神の裁きは最早彼女を逃さない。

 だから全てはもうおしまい。夢見がちだった少女は現実の前に血の花と散る。

 それが当たり前の世界の帰結。

 世界そのものが引っくり返ったりしない限り、この結末は変えられない。


 だから。

 そう。


「「この結末を認めないなら、世界を変えてしまうしかない」」


 覗いた夜窓の反射に映る、もう一人の自分が口を開いた。

 そうだ。世界はいつの間にか間違えていた。

 中心であるべきものが中心でなくなり、主役であるはずのものが主役でなくなっていた。

 間違っていると気づいたならば、それは正さなければいけなくて。

 そして、世界をあるべき形に戻すための手招きが、鏡の中から伸ばされていた。


 夕凪儚那ユウナギ・ハカナは立ち上がる。

 鏡の中の自分の手を掴む。

 一瞬の後、彼女の姿は現実世界から消えていた。


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