【Part4:夢見るような夏の日々/要するに都合いい感じにラブコメディ】-1


                    ◇


 幻奏劇場を脱出してから雨鈴ウレイが帰ってくるまでに、大体一時間ぐらいが経っていた。

 その間、先に家に帰り着いていた慧雅ケイガたちは、現実逃避に日常的な作業をしていた。

 おいてきてしまった車椅子の代わりを情報窓インフォメーション経由のレンタルサービスで借り直し。

 朝食に使った後の食器を洗剤で洗って乾燥機の中に叩き込み。

 洗濯物の取り込みに手をつけようとしたところで、突如現れた情報窓インフォメーションからふわりと降り立ち戻ってきた。


「さっきは最後まで聞けなかったけど、今度は聞かせてもらうわよ。

 住所氏名年齢性別生年月日、番組のご感想まで丸っとスッキリ奥の底まであらゆる全部を詳らかにね」


 二人は雨鈴ウレイをソファに座らせ、その対面で向かい合う。

 射抜くような夕凪ユウナギの視線を前にして、不思議少女は表情も変えず頷いた。


「いいよ──どこまで話してたっけ」

「さっきの不思議灰色空間が鉉樹社つるぎしゃの作った無意識情報の収集機であること。

 あの空間には騒狗ギニョルっていう可能性を喰う怪物が出ること。

 そしてお前がそいつらと異能バトルを繰り広げていて驚いたこと」

「つまり、あなたが何者なのかについては、全然教えてもらってないのよね。

 おじさまから口止めされてるのかもしれないけれど、今度は話してもらうわよ」


「うん──天使わたしは──人工心理研究所APPL虚数研究室イマジナリナンバーラボ所属──【第三偶像計画プロジェクト・エレクトリックエンジェル】実験体・正式名称【運命サダメ型人工心理体・幻奏歌姫エレクトリックエンジェル】個体識別番号36286671──」


 息を吸い、名乗る。


「個体仮称名哀咲雨鈴アイザキ・ウレイ

 ヒトを救うために作られたもの。救済の歌を奏でる幻奏歌姫だよ」


                    ◇


「人工心理研究所はね──人間の正解を作ろうとしていたの」

「人間の……正解……?」


 いきなりスケールの巨大な言葉が出てきて慧雅ケイガは反射的に困惑する。

 いや、スケールの大きさだけなら集合的無意識とか言われた昨日の時点で相当なのだが、これはまた毛色が違うタイプの壮大さだ。


「そう。人間は間違える生き物だから──正解が必要なんだと研究所の人たちは言っていた。

 例えば叱咤。

 本来相手の改善を促すための行動が相手を傷つけ自己満足する為のものとなる。

 例えば義憤。

 本来犠牲になる人を救う為の行動が攻撃性に飲み込まれただ別の形の加害となる。

 例えば愛情。

 本来相手を慈しみ守る為の感情が束縛や呪いに変化して人を不幸にするだけのものとなる。

 人間は善であるべき感情を以って度々悪を為す。

 何故そんなことになってしまうのかを──彼らは正解を知らないからだと定義した」


 それは人と人とが関わることで発生する悲劇の類型。

 正しいこと善きことを正しいままで善いままで実行できない人の業。

 おそらくは人類という知性体が心をもった瞬間から繰り返されるトライ&エラー。


「優しくしてくれと言われても──『優しく』するとは何をすればいいか知らない。

 相手のことを尊重しろと言われても──何をすれば『尊重』したことになるか解らない。

 人間は理想を掲げても何をすることがその理想に沿うものなのかの答えを見出せてない。

 だから彼らはこのオメガフロートを管理する鉉樹社つるぎしゃと組んで──正解を出せるものを作ろうとしたの」


 幻思情報処理で名を馳せていた当時の鉉樹社つるぎしゃと、擬似人格の作成に優れた人工心理研究所。

 その二者が力を合わせれば神の領域まで手が届くと、信じた者がいたのだろう。


鉉樹社つるぎしゃが請け負ったのはその為に必要なデータの収集。

 このオメガフロートの裏面。人間の思考データを大量に集め処理する真界幻奏劇場ワールドエンド・ライブステージ

 莫大な人間の無意識を集めて束ねて纏めあげ──人間が取るべき正解を導き出せると考えて作り出された巨大な夢の集積池」


 そして、


「データが集まったその時には──それを処理するアプリケーションとハードウェアが必要だよね。

 だから人工心理研究所が始めたのが第三偶像計画プロジェクト・エレクトリックエンジェル

 人の心のデータを読んで正解を導き出して出力する──救世の天使に育つ人工心理の作成」


 そう言って、雨鈴ウレイ情報窓インフォメーションを開いた。

 半実体のディスプレイに表示されるものは、黒背景に赤字のERRORの数々で。


「集まるだろうと予想されるデータは並の人工心理では受け止めきれないと予想された。

 理想的な人間をインストールするには──それを受け入れられるだけの精神土台が元から必要だって。

 だから特別に作られた人工心理体が幻奏歌姫エレクトリックエンジェル

 自由意志と成長性を与えられ──人間の正解に至るための人工女神。それが天使わたし──哀崎雨鈴ウレイ


「親父……そんな壮大で無茶苦茶なことをやってたのかよ」


 ある意味での真理の探究。違法外法も何するものぞ。

 それは冷酷仕事人間だった父親のイメージとは十分以上に合致している。

 兆治が所長になる以前から続けられていた取り組みらしいが、乗り気だったろうことに疑いはない。


「うん。だからそれを外に漏らさないための虚数研究室。存在しないと隠蔽された禁断の部屋。異想領域いそうりょういき内に秘匿された暗黒の大聖堂。

 天使わたしはそこで調整を受けて──いつか人類の全てを知って──世界を救うはずだったんだけど」


「果たせなかった理由があった、と」


「そう。鉉樹社つるぎしゃのもう一つの暗部。【劇場】で異変が発生したの。

 集合的無意識から流入してくる無数の可能性を擬似生物の形で処理する沈殿池。

 そこで急に──想定されてたよりも数段大きな存在規模を持った騒狗ギニョルが出たの」


 雨鈴ウレイの顔横に浮いた情報窓インフォメーションに「ちょうきょだい騒狗ギニョル」と書かれた絵が浮かぶ。

 クレヨン書きのような筆致と「がおー」とコミカルな叫び声でついつい少し気が抜ける。

 けれど大型騒狗ギニョルの恐ろしさは昨日身を以て知っていて、思い出したら笑えない。


騒狗ギニョルの本来の設計意図は可能性に生物の形を与えることで死ぬようにすること。

 なのでその強大さは一定の範囲内に収まってバランスが取れるはずだった。

 けど──」


 情報窓インフォメーションに書かれた超巨大騒狗ギニョルの足元に、ばたばたと倒れている騒狗ギニョルっぽいものが追加される。


「発生したのはあり得るはずがない──たった一体で異想領域いそうりょういきに君臨する騒狗ギニョル

 他の全ての可能性を食い荒らし食い潰し食い育つ──最強無敵のクリーチャー。

 それが発生したことで──人間の正解を作る第三偶像計画は強制中断を強いられた」


「待ってくれ、話が繋がってるように見えないんだが」


 哀咲雨鈴アイザキ・ウレイが生み出されたのは人工心理研究所が人間の正解を作ろうとしたこと。

 起きた問題は鉉樹社つるぎしゃが管理していた【劇場】の内部で異常が発生したこと。

 人工心理研究所のバックには鉉樹社つるぎしゃがあるからとはいえ、そこに関係は見出せない。

 どこを疑問に思ったのか察したのか、人工天使の少女は軽く笑んで、


「簡単だよ。天使わたしのいた虚数研究室は──【劇場】の中にあったから」

「あ……」


 灰色の街。本来人が踏み入れるべきではない領域。

 外に絶対にバレてはいけない企みを行うのであれば、隠れ家としてはそれは確かに適切で。


天使わたしを調整するための機器やデータは物理的に壊滅。

 鉉樹社つるぎしゃが用意した対騒狗ギニョル用のロジックアームズは想定外の規模に通用せず。

 だからね──天使わたしが戦うことになったの」


 今度こそ、話の接続が意味不明だった。

 何とか文脈を理解しようとする慧雅ケイガの前で、雨鈴ウレイは調子を変えないまま、


幻奏歌姫エレクトリックエンジェルの設計目的は究極のカウンセリング。

 心が取り扱う全ての領域を扱うことがその構築の最終目標だったから。

 半現実化された集合的無意識の領域である【劇場】内部での活動も想定環境に含まれる。

 なので天使わたしには人間の心が発生に関わっている騒狗ギニョルを倒す機能も搭載されているの。

 だったら──天使わたしがやるべきだよね──?」


「………」


 喜嶋慧雅キジマ・ケイガは言葉に詰まる。

 うまく言葉にできないこの感情も、目の前の少女はなんと呼ぶのか知っているだろうか。


「超大型騒狗ギニョルはちゃんと倒せたんだけどね。

 それが発生した余波なのか──【劇場】はあれから騒狗ギニョルが大量発生するようになって。

 放っておいたら形而下の方に影響が出てしまうかもしれないらしくてね。

 だからその騒狗ギニョルを狩り続けるのも天使わたしがやっていたの。おしまい」


「おしまいって、そういうもんじゃないだろ……!?」


 なんとか形にしようとして、口に出た言葉はそれだった。

 

 ここまでの話で、嫌という程よく解った。

 哀咲雨鈴アイザキ・ウレイには何もない。


 人類を救うだなんて大それた目的のために作られて。

 世界を救うだなんて無茶苦茶な役目を押し付けられている。

 それが慧雅ケイガには何か嫌だ。


 父親が急に距離を詰めてくるような言動になったのも、恐らくこれが理由なのだろう。

 自分たちが作り出した少女に全てを押し付ける罪悪感をごまかすために、実の息子に構っている。

 そうだとしたら尚更に、喜嶋慧雅キジマ・ケイガは少女を取り巻く状況を許せない。


「誰かが戦わないといけないものがいて──天使わたしだったら戦えるから戦っている。

 それで──終わりじゃないの?」

「そういう出来る出来ないの話じゃなくて、お前の意思とか辛さとかそういう……!

 あれだ、こう、なんかお前が使ってたアレ! なんか雷とか剣とか出してた奴!

 あれを使って他の奴が戦うとか、そういうのは出来なかったのかよ?」

「雷の方は一般の攻性ロジックコードだから護身用ぐらいにはなるけど──。

 心象兵器インストゥルメントのことなら──それは難しいかな。

 あれは意志の具現化みたいなものだから──人間にも理論上は出来るけど──人間の心は無数の思考感情が渦巻いている混沌だから。

 たった一つの強い思いを形にするのは天使わたしのように最初から機能として持っていないと多分無理だね」

「ああ違う、俺が聞きたいのはそう言うんじゃなくて……!」


 じゃあどんな答えが聞きたいのかもわからないまま、頭をかいて苦悶する。

 次の言葉が浮かんで来る前に、隣の少女から静止が入った。


「落ち着きなさい、慧雅ケイガ

「……悪い」


 興奮がすっと引いて行く。

 今考えなければならないのは、眼前の少女の過去よりも今で、


「親父がなんかを企んで雨鈴ウレイをこの家に連れてきたとして、じゃあその目的はなんなんだ?」


 問いかける。それは昨日からずっと疑問であったこと。

 それに夕凪ユウナギは不機嫌そうな息を漏らして、


「そう、そこについてはなんともとっかかりが無いのよね。

 ただ、目的はわからないけど、何をさせたいのかは予想がつくわ」

「………?」

「自分の手元に置いておきたいからなら、誤魔化して外出する意味がわからない。

 いや、そもそもこの家に連れてくる理由すらないのよ。研究所なりホテルなりに監禁していればいい。

 だというのに部外者であるはずの私たちがいるこの家に連れてきて、私たちに身柄を預けている。

 ならそれ自体が答えなのよ」

「つまり?」

「私たちと絡ませたいのよ。

 この子を私たちと一緒に行動させることで、何かが起きることを期待している。

 それが何なのかまでは推論するための手がかりないけど」


 不完全燃焼感で締めくくり、夕凪儚那ユウナギ・ハカナ情報窓インフォメーションを起動した。

 モニターディスプレイに映しているのはこのオメガフロートの観光マップで、


「ですから今からこうしましょう。

 ……デートに行くわよ、慧雅ケイガ

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