【Part3:世界の果ての幻奏劇場/それと異能世界のバトルヒロイン】-3


                    ◇


 灰色の街の中でも、街並みの構造は変わらない。

 知っているビル一階の喫茶店は屋外パラソルを広げているし、ファーストフードショップの看板はぐるぐると回っている。

 ただ、喫茶店に本来たむろしているだろう客たちは存在していないし、看板はなんと書いてあるのか判然としない。

 とにかくディテールが薄いのだ。

 人間の痕跡だとか読み取れる文字だとか、そういった意味がある情報が存在していない。

 更にいうなら先ほどまで全力疾走していたというのに体が軽い。

 全力疾走に伴う呼吸器の痛みや足の軋みが存在していないおかしさがある。

 そしておかしいと言うならば、歩けないはずの夕凪ユウナギが走っていることも。

 なのでこれは多分夢なのだろう。

 現実ではありえない世界。

 イマジネーションの夢想の領域。

 ならば先を行く少女は不思議の国の時計兎か。

 灰色の街をワンダーランドと呼んでみるのは、あまりにも殺風景がすぎるけど。


「ここなら────いいかな」


 三人が辿り着いたのは自然公園の一角だった。

 噴水とその周辺に備え付けられた休憩用ベンチ。

 その中の一つに腰を下ろして、雨鈴ウレイは隣に座るよう促した。


「そうだ、夕凪ユウナギ、足。ええと、その、……大丈夫なのか?」

「そうね。ホント、さっきまでのことが嘘のように丸っとスッキリ無問題ね。

 どうせなら今から踊ってあげたりしましょうかしら。あなただけの為に特別に」

「……別にいーよ。うっかり調子に乗って骨折とかしたら目も当てられない」


 ここで冗談に乗ったりしたらこの幼馴染は本当にやる。

 昔テレビに映ったフレンチを美味しそうだと軽く言ったら、一週間後にフルコースでご馳走されたことさえある。

 そもそも仮にここが夢だとして、損傷が現実に引きずられないとも言われてないわけで。

 自分のせいで怪我を悪化させでもしたら、あまりに申し訳が立たないだろう。


「それで。助けてくれたのは感謝するけど、残念ながらそれで信用するほど私は甘くない人よ。

 この空間がなんなのか、さっきのあれがなんなのか、教えてもらうわ力づくでも」


 片足のつま先をこんこんこんこん、と鳴らしながら夕凪ユウナギが凄む。

 ただの革靴が凶器のようにちらつかされて、けれど雨鈴ウレイは顔色ひとつ変えもせず。


「そうだね──それじゃあここで──ちゃんと話せることを話しておくね。

 この空間が一体何で──何のために作られたかを」


                    ◇


 まずはこの空間について説明しようか。と、雨鈴ウレイ情報窓インフォメーションを展開した。

 学校教室の大スクリーンのようなサイズで開いた情報窓インフォメーションには、地層の体積図のようなものが書かれている。

 彼女は座ったまま指先の指揮で、その一番上のところにデフォルメされた人間を書いて、


「ここがきみたちがさっきまでいた『現実』。物理法則や因果律が成り立っている世界領域」


 そして、と図の一番下の部分にぐるぐると大きい円を描き、


「この下の方が集合的無意識。聞いたこと──あるかな」


「昔の心理学者が考えた仮説……だっけか?

 集団や民族の心には普遍的な原型が存在していて、世界中の神話や民話に共通点があるのはその影響を受けたからだとかなんとか」


 うろ覚えの知識で回答する。

 有彩色の少女はそれで十分な答えだと受け取ったようで、


「そう──空想の源泉領域。あらゆる思考発想インスピレーションがやってくる万色の根源。

 人間が思ったり考えたりすることは──このイドの底から可能性を汲み上げてくるのに等しい」


 そう言って、雨鈴ウレイは絵に更なる書き加えをした。

 集合的無意識を表した大きい丸から、地上にいるデフォルメした人間に向けて線を引く。

 その線の中間に、更に一つの小さい丸。


「この街を作った鉉樹社つるぎしゃは──こんなことを考えたの。

 インスピレーションが集合的無意識から現実に組み上げられる間の場所に形而上のアクセスポイントを用意すれば──莫大な人間の思考データを手に入れることが出来るんじゃないかって」


 そして彼女は最後の丸に矢印を追加で書き込んで、


「それが──ここ。現実と空想の間に存在する異想領域いそうりょういき

 現実とは違う位相に存在している架空の街。情報物体として半実在する夢の世界。

 無意識の劇場。人を食う箱庭。都市大規模の潜夢艇。

 都市の管理者名付けて曰く──【真界幻奏劇場ワールドエンド・ライブステージ】」


 そう言って、雨鈴ウレイは空を指差す。

 雲一つなく、鳥一匹飛ばず、そして灰色一色に染まる非現実的な空を。


「つまり、俺たちは今夢の中にいると。

 けれど、現実で眠っている訳ではなく、体ごとこっちの世界に来る形で」

「そういうこと──だね」


 息を吸い、拳を握る。体の感覚は明白で。

 これを夢だと言われても、信じられない現実性。

 いや、夢の中で目覚めているというのなら、これこそ事実証明か。


 そして、夢の中であるというのなら、夕凪ユウナギが歩けているのも理解ができる。

 夢が夢である証明は、現実で起こり得ないことが起きる点なのだから。


「夢の中……というのも信じるほかないのだけれど、ここを鉉樹社つるぎしゃが作ったというの?」

「厳密には──彼らが用意したのはハコとロジックだけだけれど。

 この空間が表のオメガフロートに似ているのはそこの人たちのイメージを反映してるから」


 雨鈴ウレイは図に新しい矢印を書き加える。

 集合的無意識の部分から上の現実へ向けて、間欠泉の水の流れのように、


鉉樹社つるぎしゃの作っている電子機器はこの空間を通して集合的無意識へアクセスしている。

 形而上と形而下の往復変換。数万数億数兆の日々増え続けるトラフィック。

 それを処理する際に生み出される形而上の情報、キャッシュデータの積み重なり。

 表の世界のニンゲンたちの思考活動の淀みの結象。

 それが──この空間の背景を作り出しているの」


 雨鈴ウレイの指差す灰色の空に、切れ込みのようなノイズが走る。

 目を凝らして見つめると、そこからきらきらと光の粒のようなものが落ちている。

 実態があるように見えないそれが彼女曰くの思考活動のキャッシュなのだろう。


 この灰色の街の中に意味がある情報が見当たらないのも多分そのため。

 意味として認識される前の漠然なイメージが刻印された洞窟の影。

 現実世界に似て非なる、リアリティのない影絵の都市。


「この空間についてはわかったけれど、肝心の話を教えてもらっていないわね。

 半分とはいえ現実として存在している世界空間。

 私たちが元の世界に戻るにも具体的な過程を必要とする。そういうことよね?

 普段見ている夢のように、時間が経てば目覚めたりはしない。

 脱出するのに失敗すれば、永遠にここから出られない。


 ならば私は尋ねるわ。……幻奏劇場の出口はどこ?」


 夕凪ユウナギに睨みつけられた雨鈴ウレイは、しかし表情を崩さずに。


「どこにでもあるし──どこにもない。

 劇場は現実と物理的に接続されているわけではない世界だから。

 だからどこからでも戻れるけど──出来れば存在率が高い場所がいい。

 具体的には現実側で人がよく集まっているところ。その方が出口に向いてる。

 だけど──きみたちを現実に返す前に────」


 立ち上がり、先ほどまで使っていた情報窓インフォメーションを閉じる。

 そして新しい情報窓インフォメーションを開くより早く、


 《【警告】敵性存在の出現を感知》

 《【警告】接敵まで計算十秒》

 《【警告】対応準備をお願いします》


 けたたましいアラートとともに表示される赤色の緊急メッセージ。

 一体何が起きているのかとうっかり辺りを見回して、喜嶋慧雅キジマ・ケイガはそれを目にした。


「………なんだ、あれ」


 噴水の向こう側、水のヴェールに隠されて、”何か”がいた。

 サイズとしては2メートル弱。シルエットの印象は腐ったヒマワリ。

 頭らしき部分の周りに黒くてどろどろした触手のようなものが垂れ下がったヒトガタ。

 そしてその顔のような部分の真ん中には、こちらを睨む目のようなものがあり、


 ──それと視線を合わせてしまった。


(……あ、まず、終わった)


 過程の思考よりも先に結論が来た。

 大いなるものを見た時、人は心を凍りつかせる。

 あれはおそらくそういうものだ。

 神話伝承の神。魔物。人間を戒め殺すクリーチャー。

 非現実にしかいない存在が、夢の街では顕現している。


 灰色の街から更に色が消えていった。

 末端から血管が冷えていくのを感じていた。

 人間として有していた機能が感覚が概念が鼓動とともに溶けていく。

 これにて唐突バッドエンド。理不尽極まる終焉決定。


 それが確定する前に、銀剣が眼前に閃いた。


「──気を確かに!」


 雨鈴ウレイの声に、意識が眼前に引き戻された。

 凍り付いていた四肢に血が通る気持ちの悪い感覚がして。


 慧雅ケイガが体の自由を取り戻したところで、雨鈴ウレイは戦闘状況に入っていた。

 怪物の凝視を物ともせずに、その眼球へ向けて手にした銀剣を突き立てて。

 そのまま脳天を割り裂くようにスラッシュ一閃。

 続けざまに横薙ぎを三連続で叩き込んで首胸胴と分割していく。


「凄っ……」

「──追加。トドメ」


 《【発動】攻性コード:ファイアブラスト006【哀咲雨鈴アイザキ・ウレイ大型騒狗ギニョル】》

 《・──火炎弾にて対象を高温焼却します──・》


 火柱が突き立ち、地面に落ちる前に残骸を焼き尽くしていく。

 その燃焼が終わった後には、存在自体が嘘だったかのように怪物は姿を消していた。

 しかし、こちらを向いた雨鈴ウレイの焦燥しきった表情が、戦いが嘘でないことを告げていた。


「ちょっと動くよ。だから──歩きながら説明するね」


                    ◇


「あの怪物たちは【騒狗ギニョル】と呼ばれてる」


 再び解説用の情報窓インフォメーションを開いて、講義の続きが始まった。


「人間の自由意志が集合的無意識から汲み上げてくるものはね──可能性なの」


 先ほどの図の矢印の横に、太いフォントの赤文字で『可能性』と付け加えて。


「アイデア──イメージ──神話伝承。

 落ちた大学に行けたらやりたかったことに昨日食べられなかったオムライス。

 そんな無数の『現実になれなかった可能性』が形而上の世界には溢れている。


 そしてこの空間は──それに形を与えてしまう。

 それが騒狗ギニョル

 『現実になれなかった可能性』に擬似的な生物の形を与えたもの」


「与えたもの……って言い方だと、誰かがそれを作ってるような言い方だけど」

「厳密には──誰かじゃなくてこの空間自体の持ってるロジック」


 情報窓インフォメーションの模式図がきゅきゅきゅと消えて書き換わる。

 現れたのはファンシーにデフォルメされた街の絵で。


「ここは──色々な可能性が現実に溢れ出さないようにするための領域でもあるの。

 形がない『可能性』に対して──生物の形を与えることで沈殿処理する浄水地」


 街の絵の背景が自動筆記のエフェクトで水に沈んで池になる。

 そして湖底にぽこぽこと湧き出してくるなんとなく生物に見えなくもない黒い塊。


「成程。可能性は形がないし、存在もしてないのだから滅ぼせない。

 けれど、生き物ならば………」

「生きてるんだから自然に死ぬってことか」


 出した答えに雨鈴ウレイは首肯。


「そう。騒狗ギニョルの形になった可能性は生物だから。

 生態系を作って他の騒狗ギニョルと食い合い──対消滅してくはずなんだけど」


 情報窓インフォメーションに描かれた湖底の街に、新しいアイコンが追加される。

 四肢と頭を備えたそれは、つまりは人間を示すもので、


「ここに──人間が入ってくるなら変わってくる。

 人間はその自由意志をもって──現実を改変していく存在だから。

 つまり可能性の塊。可能性を食べる騒狗ギニョルにはご馳走みたいなもの。

 だから積極的に狙ってくるし──そしてその捕食は物理的とは限らない」


 慧雅ケイガの脳裏に最悪の想像図が浮かぶ。

 騒狗ギニョルによって可能性を簒奪され尽くした成れの果て。未来に行けず過去にも浸れない生きる抜け殻。

 影の怪物とリビングデッドの群れたちが歩き回るだけの虚無の辺獄。


「この街の住人はこの幻奏劇場と無意識を通じて繋がっている。

 だから時々体ごとこっちの世界に引き込まれてくることがあるの」


 そして、


「この世界に人が落ちてきたとき──特別な騒狗ギニョルが発生するの。

 落ちてきた人の可能性と共鳴して生まれた大型の騒狗ギニョル

 自分を生み出した可能性だけではなく──宿主の可能性全てを奪って羽化飛翔を果たそうとする騒狗ギニョル


 ならば、先程現れたものがそうだというのか。

 自分たちの可能性が生み出して、オリジナルを飲み込もうとする忌まわしき怪物。


「──虹色の髪の少女に出会うと、失ったものを取り戻せる」


 礼音レノン先輩から聞かされた都市伝説を思い出す。

 失われたものによって作られた怪物騒狗ギニョル

 それを薙ぎ払う非現実的な有彩色の少女。


「そう。天使わたしはあれと戦っている。

 騒狗ギニョルにこれ以上可能性を奪わせないため。騒狗ギニョルによって奪われた可能性を解放するため」


 つまり彼女は夢想英雄ジュブナイルヒーロー

 見知らぬ誰かを助ける為にその身を張って戦い続ける正義の味方。


「だから任せて二人とも。天使わたしがきっと二人を無事で返してみせるし──いつかこの街も救ってみせるから」


 哀咲雨鈴アイザキ・ウレイは強気に笑んだ。

 理不尽を打ち払う未来を彼女はきっと信じている。それを為せると思える力を持っている。

 その輝きは、一年前に喜嶋慧雅キジマ・ケイガが失ったものだ。


「……ずっと一人でやってきたのか?」

「そう──だよ?」


 尋ねた。

 雨鈴ウレイが頷くのは解り切った答えだった。


「……」


 うまくは言えないのだけれども、何かが嫌だった。

 毎夜のように見てきたのだから、この有彩色の少女が戦う力を持っているのは知っている。

 けれど、こんなに迷いなく一人で戦ってきたと答えられるのは、なんだか胸がざわついて。


「──と」


 有彩色の少女が足を止める。

 現実空間においてはモノレール駅の駅前に当たる場所だった。

 本来であれば人が行き交う繁華地さえも、この灰色の街では無人だ。

 駅舎の方に目を向けると、改札に繋がるエスカレーターが動いたり止まったり変な挙動を繰り返していた。

 現実世界のエスカレーターは常時動いているタイプだったはずなので、これもこの空間の抽象的さの一種なのだろう。


「ここなら──出口を作るのにちょうどいいね」


 どこにひっかかりを覚えているのか慧雅ケイガ自身もわからないうちに、目的地に着いたらしい。

 雨鈴ウレイが動かす指に応じて、情報窓インフォメーションが開いていく。

 それらが組み合わさりながら、駅前広場のロータリー前に門のようなものが出来ていく。


「ここからなら表のオメガフロートに戻れるから──二人は先に帰っていて」

「あなたは? 現実世界に戻らないの?」

「ん──まだ片付けないといけないのが残ってるから。終わったらすぐ戻ってくるよ。だからそれまで家で待ってて──ね」


 話は一旦ここでおしまいになるらしい。

 少女の語るこの街の秘密は気になるが、今は五体満足無事のままに日常に戻るのが優先だ。


「──!?」


 突如背筋に悪寒が走った。

 灰色の世界が黒に染まったかのような一瞬の意識のブラックアウト。

 第六感の要請に応じて慧雅ケイガ夕凪ユウナギはその場を即座に飛び退いた。

 直後、二人がいた場所が爆裂する。

 それを成したのは触手の一薙ぎだ。

 振り返る。当然の如く目に入るは、


「さっきの騒狗ギニョル……!!」


 哀咲雨鈴アイザキ・ウレイが切り刻んだものと寸分ほども変わらない、腐食した怪物がそこにいた。


「再出現!? けど──こんなすぐに出てくるはずが──」

「シンプルに二体目とかじゃないの!?」

「解らない──でも天使わたしの知る限り大型の騒狗ギニョルが発生する時はいつも単独だったはず──」


 専門家の困惑はさておいて、襲撃があったのが現実だ。

 飛び退いたせいで距離が空き、現実世界へのゲートの前に大型騒狗ギニョルが陣取っている。

 つまりは敵をなんとかしなければ、ここから日常へは戻れない。


 しかもそれだけではなかった。


「嘘でしょさっきのよりも大勢……!」


 小型の粘液状の騒狗ギニョルたちが無数に湧いて道路側から駅前広場を取り囲んでいる。

 幻奏劇場に迷い込んだ時同様の絶体絶命多勢に無勢。


雨鈴ウレイ!」


 けれども今は天使少女が側にいる。

 どうしようもない絶望に対し、抗ってくれる夢想英雄ジュブナイルヒーローがここにいる。

 舞い降りた時と同様に、影の群れたち程度など一掃してくれるに違いない。


「ごめん」


 そのはずなのだが、哀咲雨鈴アイザキ・ウレイは鬼気迫る表情で騒狗ギニョルたちを見つめながら、


情報窓インフォメーションのリソースを出口作るのに使い切ってるから──対集団用攻性コード使えないの」


 つまるところ、少女がいようと多勢に無勢。

 現実への帰還を前にして、涙が出そうな絶体絶命。

 雨鈴ウレイが取り出した笛剣を構える。少女は一人であろうとも、戦う準備を決めていた。

 大型の騒狗ギニョルが低く唸るように咆哮し、小型の影たちがじりじりと迫ってくる。


「ちくしょう、」


 慧雅ケイガは拳を握りしめるが、自分にできることが見つからない。

 そいつがとても強く腹立たしい。

 出来ないんだから、解らないんだから、無力なんだから、それらを理由に何かを諦めたくないと、さっきに強く思ったのだから。

 故に、喜嶋慧雅キジマ・ケイガは前を見た。

 逆転できる何かがないかと灰色の街と騒狗ギニョルの群れから目を逸らそうとしなかった。


 勝利条件は出口ポータルに辿り着き現実世界に帰還すること。

 出口の前には大型騒狗ギニョルが門番のように陣取ってこちらの行く手を阻んでいる。

 その周りには海のように溢れる小型騒狗ギニョルの群れが蠢いている。

 雨鈴ウレイの笛剣の一本でこの群れを踏破するのは到底不可能。

 全体殲滅手段は出口ポータルの情報窓インフォメーションを展開している限り起動不可。

 出口に辿り着きたいのに障害物を排除する方法は出口に辿り着かなければ使えない。

 単純明快デッドロック。

 回答不明パラドクス。

 どうしようもない詰み状況に、しかし慧雅ケイガは軽く笑んで。


「──なんだ、とにかく出口に辿り着ければいいんじゃないか」


 思いついた回答が実行可能か考える。

 いける。やれる。多少の無茶はすることになるが十分以上にやり遂げられる。

 必要なのは勇気ひとつで、それは自分の手の中にある。

 なら。


夕凪ユウナギ! 走るぞ!」

「えっ!?」

「駅舎の二階バルコニー! そこまでいけばなんとかなる!」


 幼馴染が戸惑う一方、天使少女は狙いに即座に気付いたらしい。

 慧雅ケイガに向けて右手を向けてサムズアップ。


「おーけー。なら天使わたしは──騒狗ギニョルたちを足止めしてればいいんだね」

「ごめんな雨鈴ウレイ。あとは任せる」

「大丈夫だよ。きみたちを外に送り返すのが──天使わたしのやりたいことだから」


 返された言葉に、ほんの少しの罪悪感。

 助けられたというのに何も返すことが出来ないまま、更にここでも頼ろうとしている。

 それをごくりと飲み込んで、目指すべき場所、駅舎二階のバルコニーを見つめ。


「行って!」


 そして、夕凪ユウナギの手を引いて、喜嶋慧雅キジマ・ケイガは走り出す。

 津波のようにやってくる影の波群がそれを追う。

 少年少女を飲み込もうと暴れ昂る黒一色。

 それを割り裂く銀閃一条。

 哀咲雨鈴アイザキ・ウレイの笛剣が、騒狗ギニョルの進撃を押し留める。


「ちょっと、待って慧雅ケイガ! あなたがやることなら付き合うけど、一体何を、」


 エスカレーターを駆け上がりながら夕凪ユウナギが叫ぶ。

 説明している時間はない。下で戦う雨鈴ウレイの為に一瞬一秒でも早く、目的達成するべき場面。

 けれども彼女は聡明だ。目的地についたその瞬間に、彼の企みを理解した。

「まさか……」

 駅舎バルコニーの手すり越し。眼下の一面の黒を眺めながら夕凪ユウナギは呟く。


「ここから全力ジャンプして、あの出口に直接飛び込むって言いたいの!?」

「正ッ……解!!」


 叫びながら近くのベンチを持ち上げる。

 体力的に出来るかどうか不安だったが、そこは火事場の馬鹿力。

 手すりにベンチを立てかけて、簡易的にジャンプ台の用意が出来た。


「確かに……私たちが外に出てしまえばあの子も情報窓インフォメーションを自由に使えるけど……。

 あの騒狗ギニョルの大群の中に熱烈ダイブ? 少しでも着地点がずれたらおしまいを?」


 夕凪ユウナギの声には不安が見える。

 この幻想の町だからこそ走れていても、一年間歩いていなかった彼女をいきなり跳躍させようとか、無理を言ってる自覚は慧雅ケイガにもある。


「ごめんな、無理なことに付き合わせようとして」

「バカ言わないで。私だったら完璧着地をこなして魅せる。ジャンプと姿勢制御とか世界で一番上手よ私。

 それより心配してるのはあなたよあなた。練習なしの一発本番、果たしてやれる勇気があるの?」


 頷いた。

 それぐらい見せてやらないと、下で戦う少女の努力に報いてやれる気がしないから。


「……わかったわ」


 立てかけたベンチの下端を踏む。

 眼下では有彩色の少女の守りを抜けた騒狗ギニョルがこちらへ向けて進撃してくる。

 黒の群れの先端がエスカレーターを登り切った瞬間、


「「せ、え、の!!!!」」


 二人は宙に飛び出した。

 風を切っていく自由落下。

 このままいけば着地地点は狙い通りに灰色の街の出口のゲート。

 大冒険の終了まで、一秒もないラストフライト。

 そこへと向けて、大型騒狗ギニョルが触手を伸ばした。


「──!」


 回避不能の爛れた魔手が二人のところに届く前、哀咲雨鈴アイザキ・ウレイが笛剣を振った。

 触手を切断し、落下していく二人とすれ違うように、放物線を描いて交差。


「──ありがとう!」


 最後に交わした視線の先で、幻奏少女は笑っていて。

 そして二人は、現実世界へ落ちていき──


                    ◇


 青空が見えた。

 喜嶋慧雅キジマ・ケイガは夢から覚めた時の開放感と共に息を吸った。

 二十五度の快適な気温が肌を焼き、太陽の光に目が眩み、環境音を喧しいと思う。

 そんな当たり前の感覚を受け止めると同時、帰ってきたと実感した。


「ねえ慧雅ケイガ、さっきまでのこと、果たして現実だったのかしら」


 隣で呟く夕凪ユウナギの言葉に、すぐには答えが出せなかった。

 人波の行き交う駅前は見慣れたいつもの光景で、非現実は影も形も見えない。

 看板の文字はしっかりと読める十分なディテールで、駅の近くの喫茶店には勉強中のお客さんにコーヒーを運ぶ店員がいた。

 目に見える光景は現実で、そして自分たちは生きていた。


「とりあえず、俺たちの家に帰ろうか」


 無難な言葉を口にして、慧雅ケイガは軽く一歩を踏み出した。

 それについてくるはずの夕凪ユウナギが、どしゃりと派手な音を立てて転倒する。


「だ、大丈夫か!?」


 慌てて振り返る。

 夕凪ユウナギは涙を堪えるような上目遣いでこちらの方を見上げながら、なにやら地面と格闘するような動きをして、そして程なく諦めた。


「……立てない」


 ぺたりと座り込んだ夕凪ユウナギが、凍りついたような表情で呟いた。

 夕凪儚那ユウナギ・ハカナは歩けない。

 それが正しい現実で、さっきまでのが夢の中。


「誰か人呼んでくるか?」

「いやよ。零点」


 だったらどうすればいいのかと困る慧雅ケイガに、夕凪ユウナギは頬を膨らませて、


「だっこして」

「……はい?」

「聞こえてなかったのかしら。それとも意味を理解できなかったのかしら。だとしたらもう一回だけ言ってあげる。……だっこよ、だっこ! 掴んでぎゅっとして抱きしめて、私を家まで連れて帰りなさいって言ってるの!」

「待てよ何言ってるんですか夕凪ユウナギサン? 俺の体力は無尽蔵にあると思ってる!?」

「なによ、私が要求してるのだからそれに応じて無から無限にエネルギーを湧き出させるべきでしょうオトコノコなんだから!?」

「人間のリビドーパワーをどれだけ高く見積もってんだよそれで体力回復するなら発電所は即刻ストリップバーに改築だわ!」

「何よ脱げっていうの!? この私の美脚ナマアシを堪能したいなら正直に言いなさいムッツリエッチ!」

「ちげーよそうじゃなくってだなあ……ああもう、いい、ホラ」

「……?」

「抱いて帰るのは出来ないけど、背負うぐらいならやってやるから」


 背中にのしかかってくる重みと人の温度を感じながら、喜嶋慧雅キジマ・ケイガは息を吐く。

 リアリティが幻に近かったさっきまでの世界と違い、今ここで感じるものは紛れもない現実だった。

 幻の世界の中でちょっとだけ格好つけることが出来たのは、現実のことになるのだろうか。

 だとしたら、少しは自分も前に進めたことになるのだろうか。

 だとしたら、自分はまだ前に進み続けることができるのだろうか。


 そうならいいな、と慧雅ケイガは思う。

 幼馴染の少女が少し明るさを取り戻していくのなら、自分も横に並びたい。

 少しでも前に進み続けられたなら、いつかは戻りたい場所に帰ることだって出来るだろう。

 だったらこの一歩が終わりにならず、成長に続くものだと信じたい。


「足やわらけ……」

「………(無言で肘鉄)」

「あ痛テッ」


 少なくとも、この光景よりは格好良いことを出来るように。


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