【Part3:世界の果ての幻奏劇場/それと異能世界のバトルヒロイン】-2


                    ◇


 灰色の街。

 無彩色の大通り。

 曇天のように閉ざされた空。

 鉉樹島つるぎじまオメガフロートの日常風景と変わらずに、しかし色と人だけが存在しない非現実。

 喜嶋慧雅キジマ・ケイガの夢の中だけにあったはずのそれが、目の前に確かに広がっていた。


「ねえ、なによこれ……」


 夕凪ユウナギが怯えたように声を漏らした。

 灰色の街の中、彼女の浅葱色の髪だけが現実の色彩を残していて、これがリアルの続きだと言葉も無しに告げていた。


「さっきまでいた人たちとか車とか色とか、一体どこに消えたのよ?」


 幼馴染の問いに、しかし慧雅ケイガの返す言葉はない。

 何故なら自分も知らないことだ。答えが欲しいと思っていたものだ。


「夢か、これ……?」


 呟く。けれどそれは違うと心のどこかが確信していた。


「確かに。夢を見ている、という可能性はあるわね。ちょっと慧雅ケイガ、顔」

「……?」


 求められるがままに近づけると、突然頬を捻りあげられた。


「いきなり何するんだバカ夕凪ユウナギ!」

「夢かどうかを確かめるにはこれが伝統の行動でしょう? リアクションがコレということは現実ね……」

「俺が痛くてもそれはお前の判断材料にはならないだろ!?」

「いいえ。これが私の夢だっていうなら慧雅ケイガはご褒美ありがとうございます夕凪ユウナギ様って感謝にむせび泣いてるはずだもの」

「姫様は夢の中の俺をなんだと思ってるんですか!?」

「執事兼運転手兼雑用係兼理解のある彼くん兼私が望むこと全てをやってくれるご奉仕奴隷」

「突然の暴力を受け止める職務はその中には入ってないと思うんだが!?」


 とにかく、どうも夢ではなさそうだ。

 昨日聞いた仰木医師の見解を思い出す。


 ──あの夢は、どこかに実在する異界。


 ならばこの今も現実だ。

 夏の真昼の延長線上、知っている都市の裏側に迷い込んだに違いない。

 それで?

 夢であるなら目覚めるのを待つだけだが、現実であれば自動で醒めないだけ最悪だ。

 出口の見えない都市迷宮。何を求めて迷えばいいか。


「夢ではないのだとしたら、この状況……神隠し? いいえ、そんなバカな。ここは都市よ? オメガフロートよ? 祟るような神様なんて歴史自体が存在してない信仰あらざる新興都市、そんな街中でこんなオカルトがある訳ない」


 ぶつぶつと呟く夕凪ユウナギの口から出てくる推測は現実離れしたもので。

 けれどもそれも当然だ。異常な現実状態を前に、正しい答えなど見出せまい。


「……都市管理部に通信してみるか?」


 ダメ元で言ってみる。

 助けを求めると言う当たり前の選択肢を提示され、夕凪ユウナギの表情に明かりが灯る。


「そうね。これが現実というのならインフラも多分動いてるはず」


 早速、夕凪ユウナギは意思表示で情報窓インフォメーションを展開し、連絡先の一覧をオープン。

 デフォルト搭載の都市管理部への連絡先をタッチして、呼び出しコールの音が三回。

 反応は、無し。


「出ないってどういうことなのよ!? 私が命じてるのだから音より早く反応して最上級の執事のように傅き応じてランプの魔神の魔法が如く即座に願いを叶えることがあるべき世界の形でなくて!?」


 夕凪ユウナギは憤慨するが状況は何も好転しない。

 いつの間にか情報窓インフォメーションにはエラーメッセージが添えられていた。

 書かれているテキストは『通信途絶状態』表記。

 単純明快な文面で、現状の問題を告げていた。


 夢で知っている殺風景。現実にある孤立の通知。

 未知だが既知のこの状況で、一つ恐れるものがあった。

 これが慧雅ケイガの夢だというなら、この街は無人だが棲み着く者が無い訳ではなく。


 ごぷり、と、背後から粘液が蠢くような音がした。


「………?」


 それに気づき、二人はそちらへ振り返る。

 夕凪儚那ユウナギ・ハカナは今度は一体なんなのよという苛立ちと共に。

 喜嶋慧雅キジマ・ケイガはこの街に棲まう存在の姿を脳裏によぎらせながら。

 彼らが向いた視界の先に、そいつは果たしてそこにいた。


 汚濁が膨れて立ち上がったような黒の人型。

 にょろりぬるりとその触腕を大きく広げ。

 存在しない視線が告げる。これからキミたち襲いますと。

 垂れる冷や汗。感じる悪寒。

 そしてそれらが爆発し。


「うわああああああああ!!?」


 慧雅ケイガは脱兎を開始した。

 一歩目からの全力ダッシュ。

 車椅子が無人の路上をゴーカートのように爆走していく。

 流れて行く光景のそこかしこから湧き上がってくる影、影、影、影!

 雪崩のようにつきまとうそれらに追いすがられないように、足は必死で地面を蹴る。


「ごめ、慧雅ケイガ、私が走れれ、ばっ」

「口を開くな舌を噛むぞッ!」


 車輪の速度は徒歩より早く、舗装された路上に感謝する。

 しかしてそれも一瞬だ。

 侵攻方向の最前線にごぽごぽと湧き上がる黒の汚泥。

 加速の勢いに任せていたら、立ち上がるそれを回避はできず、


「う、おおおおおおおおおおおおおおおお!?」


 突っ込んだ。正面衝突ミサイルダイブ。

 滑りや湿気やベタつきはなく、むしろ乾いた冷たさの不快感。

 それを一瞬でぶちぬいて、二人は影の巨体を貫通。

 瞬間越しに吸い込んだ吐息の気持ち良さを感じるも、そのまま盛大に転倒した。


「がっ……」


 打撲の痛み、擦過の痛み、それらを不快に思いながら、反射的に閉じた目を開ける。

 視界に最初に映ったのは、跳ねてひしゃげた車椅子。走行はもはや不可能で。

 絶望しかけた気持ちの中、二手目に見えたのは差し伸べられた腕だった。


慧雅ケイガ、立ちなさい!」


 夕凪ユウナギだった。

 の手を掴み、慧雅ケイガもなんとか姿勢を起こして。


 けれど状況は最悪だ。

 影の怪物たちがわらわらと、二人を取り囲むように湧き上がっている。

 包囲網には隙がなく、逃げ出せる見込みもわからない。

 わからない。わからないとは出来ないと言うことだ。

 出来ない。出来ないとは諦めろと言うことだ。

 誰かがそうだと命じた訳でもなく、ただ目の前の現実がそうしろと無言で押し付けている。


 気にくわない、と慧雅ケイガは思った。

 諦めたくないと、その感情が衝動として動いていた。

 一年前までは諦める必要があることがこの世にあるとは思っていなかった。

 一年前からは諦めずにいられることがこの世にあるとも思っていなかった。

 だからこの気持ちは初めてだ。

 諦めたくなんてないのだと、心の底から突き動かされるようなことは。


 クリーチャーの一体が触手を振るった。

 鋭く、硬く、刺突するための殺意形状。

 その向かう先は隣の少女で、思わず体が動いていた。


「……慧雅ケイガ!」


 叫び声が耳に届いたのは後だった。

 夕凪ユウナギの手を取り、引っ張り、抱きかかえるように腰に手を回し、そのまま一気に押し倒す。


 身を呈して少女のことを守るとか、過ぎたぐらいのヒロイックムーブ。

 けれどその行動に意味はないと、冷めた心が解っていた。

 一瞬命を救ったところで周囲に敵は山ほどいる。打開の手段は足りてない。

 意味が生えるとするならば、それは奇跡の降臨しかなくて。

 そんなものはあり得ないのだと、そう諦めていた喜嶋慧雅キジマ・ケイガを奇跡が救う訳がなくて。


 そう、思っていたはずなのに。


 奇跡がそこに舞い降りた。


 それは一瞬のきらめきだった。

 何かの光が影の群れたちの間を奔り、そして次の瞬間にはばらばらに。

 切り刻まれた影の欠片が光になってきらきら輝き散っていく。

 光の中に立ちつくす、そのシルエットは少女だった。

 虹色のようなグラデーションの髪を無風の中に靡かせて。

 瑪瑙のようなマーブル模様に煌めく瞳を灰色の中で輝かせて。

 極光オーロラを布にしたような服を身に纏ってはためかせて。

 影の群れたちを一閃した、細身の剣を右手に握って。

 モノクロームの世界の中に、芸術のように佇んでいた。


 斬撃を逃れた残り少ない怪物たちは一瞬だけたじろいで、すぐさま次の行動へ。

 標的を慧雅ケイガたちから謎の少女に変更する。

 一斉に襲いかかる影の群れを相手に、少女は表情を変えすらせずに、


 《【発動】攻性コード:サンダーボルト310【哀咲雨鈴アイザキ・ウレイ騒狗ギニョル(集団)】》

 《・──広範囲雷撃にて対象を殲滅します──・》


 雷霆降臨。

 上空に新しく展開された表示窓から文字通り降り注ぐ雷の雨。

 それらが精密制御されたかのように影の怪物を的確に撃ち抜いて焼き滅ぼして。

 そして今度こそ全滅した。

 再び静まり返った灰色の世界の中で、有彩色の少女が口を開いた。


「よかった。なんとか──大事な場面に間に合った」


 哀咲雨鈴アイザキ・ウレイがそこにいた。


「…………」


 少女の姿は臨戦態勢。

 昨日の家でのぽわぽわとした雰囲気とは完全に切り替わっていて。

 非日常の世界の住人であると、その佇まいから告げている。

 何故ここに追いついて来れたのか、どうしてここに現れたかは解らない。

 けれどただ一つ明白なのは、彼女は自分たちを助けに来た。


「……ねえ」


 そこで慧雅ケイガ夕凪ユウナギを押し倒したままだったことに気がついた。

 地面に横たわる彼女の顔は紅潮していて、久しぶりに走ったことが血液循環に影響を与えているであろうことが如実に表情から見て取れた。

 瞳と唇は緊張によるものだろうか硬く結ばれて閉じられていて、なんだか胸がドキドキする。

 何かしたほうがいいのかと雨鈴ウレイのほうへ視線を向ける。

 彼女が返す反応は会釈で、一体何を肯定しているのか解らなかった。


「…………………はぁ。ああもう、どいて慧雅ケイガ


 数秒硬直していると、なぜか残念そうな声色で、夕凪ユウナギは払いのけるように手を振った。

 促されるままに彼女の上からどいて立ち上がる。


 幼馴染の肌に感じた暖かさはリアリティがあって、自分が覚醒していることを意識する。

 その一方で、雨鈴ウレイの姿は如何にも幻想的だった。

 少しでも目を離してしまえばそこからすぐに消えそうな、儚く薄いファタモルガーナ。


「えと……これは一体……?」


 立ち上がりながら尋ねてみた。けれど少女は首を振って。


「──こっち」


 代わりに返ってきたそれがついて来いを意味することに気づくまでワンテンポ。

 走り出した彼女を見失わないように、二人は自分の足で駆け出した。

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