アブダクション〜誘拐
[ヨウコ]
ヨウコにもハミングくらい出るものだ。軍のオフィスで、壁にあるディスプレイミラーに映る金髪を手櫛で整えた。我ながら上機嫌が隠せていないと思った。
白い肌に黒い瞳、肩口までウェーブがうまくまとまっているのか気になる。雑多な自室から整理整頓されたオフィスに来たせいだ。
「もうちょっと身だしなみ整えてくるんだったかな。いいかな。今さら戻るわけにもいかないし」
ヨウコたちは瞳も肌も髪も生まれるときに選べる。正確には、自分ではなくヨウコを欲しい人が選んでくれた。今、親は子育てに飽きて、それぞれの区画で暮らしていた。
そんな彼女は軍の制服姿で軍司令部作戦室を訪れた。濃紺のパンツルックの制服は、着任式以来しばらく着ていないので少し照れくさい。
椅子を勧められた。
同時にタカシ伯爵がデスクの向こうに腰掛けた。彼は金髪に青い瞳をしていた。身長も高く、筋肉質だ。宇宙船団時代、祖先が地球を発見した一人だという功で伯爵にある。
「喜んでくれ。ついさっき会議で決定した。サンプル捕獲の件だよ」
ヨウコはタカシ伯爵に呼ばれて出向いた。待ち望んでいたサンプル捕獲の許可がようやく降りた。諦めかけていたが、突然のことに、一人部屋で身悶えするほど喜んだ。
数年前、地球人捕獲資格を取得したときは、皆に笑われた。これまで捕獲が許可されたことなどない。しかしヨウコは、地上でたくましく暮らしている地球人とどうしても話してみたかった。彼らの考え方や行動原理に触れたいと思った。
「地上サンプル捕獲申請が許可された。付随する諸々の申請については後に出してくれ」
スタイル抜群のタイトミニの秘書がコーヒーを出してくれた。ヨウコたちが暮らしている世界は、地球の奥底に眠る、かつては宇宙船だった人工物だ。地球に来るまでいくつかの船が一塊で船団を形成し、一つの船には、常に調整されて生まれた五万人ほどが暮らしていた。
「遠慮なく飲んでくれ」
再生樹脂製の洒落たコーヒーカップを手にしたときである。熱いのが苦手なのは生まれつきで少し濃く香りのよい液体を見つめていた。
「君に許可が降りた理由は地球人研究者だとこともあるが、軍の地上作戦部隊として任務に就いていることも関係している」
「はい」
「地上とを行き来できる移送施設での訓練はしてるな?で、捕獲対象なんだが君の好きに選んでもらうとは言えない」
「決まっているのですか?」
尋ねたものの、面倒を見なければならない地球レベルの子どもや記憶も曖昧な老人は勘弁してもらいたい。男女は問わないが、少なからず知的レベルのある成人で体の強い人がいい。
「こちらだ」
空中ディスプレイで詳細が出た。顔は可もなく不可もないが、ヨウコの嫌いなタイプの暑苦しさはない。国籍は日本。戸籍上の性別は男性で三十歳である。地球人サンプルとしては新しすぎず古すぎずというところで、ここしばらく誰もサンプル自体と接触することがなかったことを思えば文句も言っていられない。
「職業不詳ですか」
「名前はノサカ。会社勤めしているもんが消えると変だ。同じ理由で家族単位での捕獲申請は却下だ。記憶を改ざんするのも対話式の観察サンプルとしては価値が落ちる」
「わたしの目的は地球人本来の思考を知ることにあるので、体は別にして脳は今の地球人のままでいてほしいというか。そうでないと」
以前のサンプル調査では日本の奈良時代にまで遡る。あれから思考も価値観も変化しているはずだから、日常会話や行動を観察したい。
「捕獲許可する」
「ありがとうございます」
「ちなみに捕獲は防衛省管轄だ。だから君に許可が降りた。調査優先権は君にあるが、扱いには気を付けてもらいたい。ひとまず病気などのクリーニングは徹底だ」
ヨウコは要するに自分で捕まえに行ける奴が選ばれたということだと理解した。これができるのは軍人で、研究者のヨウコしかいない。しかも地球上レベルの活動歴があってこそだ。
「なぜ彼なんですか?」
「まず我々の存在や我々の暮らしている世界を理解できるかどうかだ。ここは地球人には特殊な世界だ。精神的にも肉体的にも」
「地上調査は許可できませんか」
「我々は地上で活動することは限定されていることは承知しているな?」
「はい」
ヨウコは固く頷いた。これは単なる観察ではなくて、小さいが接触なのだ。現状技術力において船団人が地球人の上に立つが、ヨウコは彼らの普段の何気ない考えや行動原理に接してみたい。カビの生えた話などではなく、純粋に今の自分が今の地球人と話してみたい。
「地上での監視は続けている。我々が地球全域にまで影響を及ぼすほどの数がないのが問題なんだが。地上の調査は別部署だ」
伯爵は白い天井を指差した。
上の考えることだそうだ。
「もしサンプルに異変が見られた場合のことなんですが、医療的に処置できますか。船内で怪我などした場合ですが」
「医療的にはメンテナンスはこちらの技術で行うことになると思うが気になることでも?」
「わたしにはこちらの医療が地球人に合うのかどうかわからないものでして。万が一捕獲したサンプルに異変が見られた場合、残念ですが記憶を消去して地上へ返したいのですが」
「できるはずだ。地球人は我々の下位互換だからな。脳が地球人のままだと感覚神経と運動神経が機能しない場合はあるかもしれないな」
「どうなるんですか?」
「脳が体の持つ力の数%しか引き出せないことになるくらいで、さほど問題はない。アンバランスだな」
「では準備しますので!」
ヨウコは敬礼した。
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