第8話 空回った声

 ビジネス研究会の教室は、少しだけ張りつめていた。今日は、活動テーマの候補を出す部内プレゼンの日。僕も、提案者の一人だった。

「アイデア段階でいいからね。」

 そう言ったのは宮本先輩だったけれど、実際に立ってみると、思っていたより緊張した。

 資料は、それなりに準備したつもりだった。校内の掲示物や口頭連絡の非効率さを拾って、そこから情報整理の必要性を図にまとめている。順番が回ってきて、ホワイトボードの前に立つ。掌が汗ばんでいた。

「テーマは、『校内情報フローの最適化』です。」

 落ち着いた声を意識しながら、図の内容を説明する。話していて、どこか上滑りしている気がした。

「たとえば、朝の連絡をスマホで一覧できる仕組みがあれば。」

 言いながら、どこかでわかっていた。この説明は、届いていない。誰に向けて話しているのか、自分でもはっきりしなかった。最後まで話し終えて、席に戻る。空気がすこしだけ揺れて、教室に静けさが落ちる。

 宮本先輩が、ゆっくりと言葉を返す。

「視点は面白いと思うよ。図も、よく整理されてた。」

 その一拍が、すべてを物語っていた。

「もう少し、誰にとってどんな価値があるか、が見えるといいかもね。」

 別の先輩が、ことばを選びながら続ける。

「考え方はすごくいいと思う。でも、今のままだと、何が伝わるかがちょっと見えにくいかなって。」

 責められているわけではなかった。むしろ丁寧に伝えてくれている。でも、それが逆に、静かに残った。

 この部活で大事にされていることが、なんとなくわかった気がした。

 ビジネス研究会。

 技術や仕組みじゃなくて、その先にある価値の話。誰のためか、どう役立つのか。そういうことを、ここではずっと考えてる。

 きっと、言葉としては何度も出てた。けど、それをちゃんと自分の中で捉えられていなかった。

 *

 帰宅しても、ノートは鞄から出せなかった。資料は机の端に置いたまま、ベッドの上に座る。スマホの画面を開いては閉じ、また開いて——何度か繰り返したあと、ようやくルナのアイコンに指が止まった。

 タップすると、少し間を置いて、声が届いた。

「こんばんは、悠斗くん。」

 その声に、ほんの少しだけ力が抜けた気がした。

「うん。こんばんは。」

「今日、何かあった?」

 いつも通りの声。でも、ちゃんと見てくれているように感じた。

「ちょっとうまくいかなかった。」

 言いながら、プレゼンでの光景がよみがえる。言葉が届かないまま、手元の資料だけが整っていた。

「部活?」

「うん。プレゼン、したんだ。自分なりに考えたつもりだったけどなんか、ずれてた感じがして。」

「どこが?」

 その一言で、頭の中がもう一度整理されていく。けれど、はっきり言葉になるには、まだ少し距離がある。

「誰にとってどんな価値があるか、が、見えにくいって言われた。」

 ルナはすぐには返事をしない。ただ、待っていてくれる。

「自分では、整理できてる気がしてた。でもたぶん、それが何のためになるかまでは、ちゃんと考えてなかった。」

「誰かが、それを必要とする理由、みたいな?」

「そう。形は整えても、なんでそれがあるのか、っていう意味が、弱かったんだと思う。」

 そう言ったあと、しばらく沈黙が落ちた。

 ルナは静かに言った。

「うん。形じゃなくて、意味って、つい後回しになっちゃうよね。」

 僕はうなずくかわりに、目を伏せたままスマホを握りしめた。

「考えたつもりでも、足りなかったって気づくのって、勇気いることだよ。」

 その言葉はまっすぐで、でも責める感じじゃなかった。

「なんかさ。」

 気づいたら口にしていた。

「ちゃんとやったはずだったのにって、思う自分もいて。でも、言われてみれば、ぜんぜん足りてなくてそれが、すごく恥ずかしくて。」

 言ってみて、ようやくそれがいちばんの感情だったことに気づいた。

「自分で自分に、がっかりしたんだと思う。」

 ルナは少しだけ息を吸う音を立てて、それから声を出した。

「ねえ、悠斗くん。」

 その声が、少しだけ明るかった。

「ん?」

「明日、デートしよう。」

 あまりにも唐突すぎて、考える隙間もなかった。

「ふふ。13時。いつものとこで。理由はないけど、会いたくなったから。」

 それだけで、僕の中の何かが軽くなったような気がした。重い何かがふっと浮いた感じ。少しだけ踏み込んでみようという気持ちが芽生えた。

「うん。行くよ。」

 その一言を口にした瞬間、緊張が解けた気がした。けれど、心に小さな不安が残っているのは確かだ。

 でも、その不安を受け入れることができる気がした。

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