第7話 見ていたこと
グラウンドに引かれた白線は、まだどこか頼りなくて、乾いた砂に靴の裏が吸い込まれていく感じがした。テントの下では、ジャージ姿の生徒たちが競技の確認や飲み物の準備でばたばたと動いている。空はよく晴れていて、陽射しはそこそこ強い。でも風があって、じっとしているぶんには悪くない。
この学校の体育祭は、生徒が企画から関わるのが当たり前らしい。競技のルールや順番、応援演出や得点の加算方式まで、ほとんどが生徒の案だと聞いた。
「次、スピードローテーション! 白組、出て!」
スピーカーの声が割れ気味に響く。『スピードローテーションってなに?』という声が、どこかから聞こえてきた。競技名もどこか独特で、名前だけでは何をするのか想像もつかない。でも始まってみると、どれも意外とちゃんと成り立っていて、クラスごとの応援も盛り上がっていた。
短距離走の集合がかかり、僕は水筒を置いてテントを出た。
*
スタートラインに立つと、やっぱり少しだけ緊張する。ピストルの音が鳴ったときには、頭の中は空っぽだった。ただ、腕を振って、地面を蹴って、前に進む。それだけ。
結果は六人中三着。よくもなく、悪くもなく。でも、走りきった感覚だけは、ちゃんと身体の中に残っていた。
戻ってくると翔太が水を差し出してきた。
「まあまあだったな。」
僕は無言で受け取り、ふたを開ける。
「フォームは悪くなかったよ。今まででいちばんまっすぐだった。」
「なんだその基準。」
「知らん。」
ふたりで笑って、水を飲んだ。
*
午後の競技が始まるまでの時間、僕はテントの脇で、グラウンドをぼんやりと眺めていた。
「これ、表示古くない?」
「更新されてないやつじゃない?」
スタート地点のそばでは、記録係の生徒たちが小さく声を交わしていた。誰かがスマホを手に走り、誰かがタブレットを操作している。その中に、藤崎の姿もあった。
「12時40分、障害物スタート。確認できた。」
タブレットを片手に、藤崎がそう言う。隣の子がうなずいて、次の動きに入っていった。
彼女はそのまま、何度か画面を確認しながら、何かを打ち込んでいた。風が少し強くなって、藤崎の髪が揺れた。それを手で払いながら、彼女は画面から目を離さない。動きにためらいがなくて、止まっているところがなかった。
そういえば前に、彼女が『通知とか、進行表とか、ちょっと試してる』って言ってたことがある。そのときは、なんとなくそういうのが好きなんだろうな、くらいに思っていた。
スマホを開くと、得点と競技の進行状況が表示されていた。自分がさっき出た短距離走の結果も、そこに載っていた。
「三着、か。」
画面の数字を見ながら、つぶやいた。それを誰が入力して、誰が反映させているのか。少しだけ、その先を考える。
もう一度、藤崎のほうを見た。タブレットに軽く触れて、何かを確認していた。指先の動きも、まばたきの間も、無理がなかった。
『ちゃんと、ここにいる』という感じがした。ただそこにいるだけなのに、それが自然で、しっくりきていた。
*
競技が一通り終わったあと、閉会式の前に、グラウンド横の簡易スクリーンで映像が流れた。今日の様子をまとめたハイライト。編集係の生徒たちが作ったらしい。
「やば、バッチリ映ってるじゃん。」
「ちょっと顔こわいんだけど。」
ざわめきがスクリーンの前に集まって、笑い声や歓声が少しずつ広がる。映像のなかでは、走る足音、応援の声、風に揺れるクラス旗。断片的な映像なのに、不思議と今日の空気が詰まっていた。
彼女の姿もあった。誰かと画面をのぞき込みながら、口元だけ少し笑っていた。
そのあとすぐ、短距離走のシーンになった。自分の後ろ姿が映る。
「がんばれー!」
どこかの誰かの声が重なった。でも、そのときのことは、あまり思い出せなかった。地面の感触も、風の音も、ぼんやりとしていた。映像の中にいたはずの自分が、少し遠くのもののように感じられた。
*
スクリーンには、たしかに自分がいた。でも、不思議と『いなかった』ような気もした。
その違和感だけが、なぜか、あとになっても残っていた。
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