第4話 またやってみたくなる

 キーボードの音が、隣の席から静かに続いていた。

 僕の画面では、ネコのキャラクターが、障害物の間をぴょんぴょんと跳ねながら進んでいる。教材に沿ってコードを打ち込んで、ゴールに着いたら『クリア!』と表示される簡単なゲームだった。

 画面の動きに変なところはなかった。タイミングも、セリフも、想定通り。思ったより時間はかかったけど、今は特にすることもなくて、画面をぼんやりと眺めていた。

 ふと隣を見ると、同じキャラクターが、ちょっと違う動きをしていた。セリフの出る位置が違っていたり、動き出す前に一瞬だけ止まったり。教材のままじゃない。どこか、細かいところを変えてある感じがした。

「それ、変えてるの?」

 僕がそう尋ねると、彼女はこくりとうなずいた。

「うん。ジャンプのタイミング、ちょっと変えたくて。」

「難しくない?」

 彼女は少し首を傾けて、画面を見つめた。

「うまくいかないときはあるよ。ジャンプしなかったり、セリフが変なとこで出たり。」

 そう言ってから、少し間を置いて、静かに言葉を続けた。

「それでも、またやってみたくなるんだよね。好きなんだ。」

 飾った感じはなかった。ただ、自然にそう思っていることを、そのまま口にしたような声だった。

 僕は、自分の画面に目を戻した。コードの行が並んでいる。必要なことは全部できていて、あとは何もいじるところはなかった。そう思っていたのに、となりの画面を見ていたら、完成の意味が少しぼやけて見えた。

 キーボードの音がまた隣で始まった。さっきと同じようでいて、何かが少しずつ違っている。その変化のために、彼女はずっとここにいるのかもしれないと思った。

 *

「そろそろ時間だよー。片づけてー。」

 講師の声が教室の奥から聞こえてきた。僕は画面を閉じ、USBメモリを外す。彼女もセーブ作業をして、静かに席を立っていた。

「また来るの?」

 何気なく聞くと、彼女は小さく首を振った。

「わからない。普段は別の曜日なんだ。」

「そっか。」

 それだけのやりとりをして、教室を出た。廊下の空気はひんやりとしていて、光の影が床に淡く伸びていた。並んで歩いていると、ふと、声がこぼれた。

「好きって、なんだろうな。」

 彼女は立ち止まらずに、少しだけ横を向いて言った。

「もしさ、好きなこと、見つかったら——教えてね。」

 その声は、落ち着いていて、まっすぐだった。僕は小さくうなずいて、彼女のあとについて歩いた。窓の外の空は白く霞んでいて、雲のかたちははっきりしなかった。

 何も特別なことは起きていないのに、歩いているだけで、どこか風景が違って見えた。

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