一夜の過ちを繰り返さないために

ろくろわ

あまりにも月が綺麗だったから

 徳村とくむら唯人ゆいとが、一学年先輩の月下つきした綾華あやかの事を好きになったのは、ごく自然で当たり前の事だった。

 月下綾華とは同じ文芸部の先輩、後輩の関係だった。正確には部員が二名しか居ない文芸部は部活とはよべない同好会であったが。兎に角、そんな同好会で二人だけの時間を過ごしていれば、そこに先輩を異性として意識してしまうのはよくある事だ。

 

 そんな二人の関係を変えたのは、徳村が二学年。月下が三学年の冬のことであった。卒業を三月に控えた三学年の多くの生徒が部活を引退していく中、同好会の文芸部にはそんなことなど当てはまらず、いつもと同じように二人で活動をしていた。

 その日、二人は自作の小説の資料設定のため、街から少し離れた小高い丘の上にある『私立総合公園』と遊具も無いベンチが置かれた名前だけの公園に夜空を見に来ていた。

 冷たい空気が吐いた息を白く凍らせる。街から離れた小高い丘の上にある公園には、余計な灯りがなく、星や月がよく見えた。そしてその夜空を見上げる月下の横顔がとても綺麗だった。だから思わず徳村は秘めていた想いを口にした。

「月下先輩。……月が綺麗ですね」

 精一杯の気持ち。震えていた自分の声に顔が熱くなるのを感じた。文芸部の月下先輩ならこの言葉の意味が分かると思った。伝わると思っていた。

「うん。そうだね。ここは灯りが無いからよく見えるよね」

 だけど月下の返事はごく普通の感想だった。

「いや、あの先輩……」

「なぁに?」

 月を見上げる月下の横顔に徳村は自分の想いを伝えることが出来なかった。

 何故もっとちゃんと分かりやすい言葉で気持ちを伝えなかったのだろうか。


 これが徳村唯人のあの日の過ち。月の綺麗な一夜の過ち。


 ◇


 月下つきした綾華あやかが、一学年後輩の徳村とくむら唯人ゆいとの事を好きになったのは、ごく自然で当たり前の事だった。

 徳村唯人とは同じ文芸部の先輩、後輩の関係だった。正確には部員が二名しか居ない文芸部は部活なんてよべない同好会であったが。兎に角、そんな同好会で二人だけの時間を過ごしていれば、そこにいる後輩を異性として意識してしまうのはよくある事だ。


 そんな二人の関係を変えたのは、徳村が二学年の冬のことであった。

 その日、自作の小説の資料設定のため、街から少し離れた小高い丘の上にある『私立総合公園』と遊具も無いベンチが置かれた名前だけの公園に、二人で夜空を見に来ていた。

 小さく吐いた息は白く凍り、街から離れた小高い丘の上にある公園には、余計な灯りがなく、星や月がよく見えた。そんな夜空の下、徳村の静かな声が耳に届いた。

「月下先輩。……月が綺麗ですね」

 ドキッとした。

 いったい徳村はどういったつもりでその言葉を言ったのだろうか。いや、言わずとも分かる。震えた声。熱を帯びている声色。好きだと言う気持ちが溢れている。これは気持ちを伝える告白だ。

 私の気持ちは決まっている。だけど「月が綺麗ですね」のその言葉に対する返事の仕方を知らなかった。それにもし、これが告白では無く、本当に月が綺麗だとの感想。勘違いだったら。きっと私は惨めな気持ちになる。

 だから私はズルをした。

「うん。そうだね。ここは灯りが無いからよく見えるよね」

 わざと気がつかないフリをした。そうしてもう一度、徳村からの言葉を待った。

「いや、あの先輩……」

 恥ずかしくて徳原の顔が見れない。

「なぁに?」

 私は月を見上げながら答える事しかできなかった。

 

 結局そのまま私達は公園を後にし、いつも通りの日常を過ごした。徳村との関係も変わることなく卒業を迎えた。

 徳村の気持ちを受け取る事も自分の想いを伝えることも出来なかった。


 これが月下綾華のあの日の夜。一夜の過ち。


 あれから何度、私はここに来ているのだろう。卒業した後も未練がましく、徳村に逢えたら「月が綺麗ですね」と言って欲しくてあの公園に月を見に来ている。

 四月の夜はまだ少し肌寒かった。白いワンピースが夜風にふわりと舞った。

「月下先輩。今夜は月が綺麗ですね」

 聞き覚えのある聞きたかった声がした。

 見上げた夜空に月は出ていない。


 ◇


 徳村は一夜の過ちから自分の気持ちを隠してきた。そしてあっという間に時間が過ぎ、月下は卒業してしまった。

 逢える時には隠せていた気持ちが、卒業して逢えなくなると、どうしようもなく溢れていた。そんな気持ちを整理するために公園に来たのに。そこにいたのは白いワンピースを身につけた見間違えるはずの無い月下の姿があった。今度は間違えない。夜空を見上げる月下の背中に声をかける。

「月下先輩。今夜は月が綺麗ですね」

 月下の一瞬驚いた顔は直ぐに泣きそうな顔になった。

「えぇ。とても綺麗です。とても綺麗でそんな月にきっと手が届くでしょう。ずっと一緒に見てくれますか?」

「僕でよければ。月が綺麗なのは貴方と見るからなのですから」


 今夜は月のない夜だ。

 だけどあの日の、一夜の過ちを繰り返さないため二人は手を繋ぎ、夜に輝く月を確かに見ていた。



 了

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